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「ラジオ・ガガ」

高山 智

フローリスト・タカノは品川区の荏原町にある。トツボほどの店内に、オレンジ、ホワイト、ピンクの花が上等な客に売られるのを待っている。新しい花が入ってくると、疲れた花の姿は消える。中には命拾いして店主の部屋に飾られるのもいるが、それは店主の高野登の気分による。

登はラジオが大好きだった。真空管のラジオを聴いていたころから、スイッチを入れる瞬間のゆっくりとした立ち上がりが好きだった。視覚刺激が聴覚刺激より強過ぎるテレビは、ブラウン管で圧倒されるから嫌だった。ラジオは、ある時は食い込み、ある時はそっとしておいてくれるので、好きだった。

この日もラジオのスイッチを開店一時間前の八時に押した。

(ジャッジャー、ジャジャッチャ、ンチャ、勝野義久の『スポーツジャーナル』、ジャッジャー、ジャジャッチャ、ンチャ)

ラジオは閉店後の掃除の時間まで十二時間つけっぱなしである。

登が耳をそばだてる番組は決まっている。仕事に必要な天気予報と交通情報。友人との会話をもりあげるためのあの店・この店情報、ナンセンスクイズ、そして悩みごと相談室とHな話。これもこの十何年変わっていない。

開店の準備をしていると、地震があった。登はもちろんすぐにラジオに飛びつきボリュームを上げた。

(あっあ、地震ですねえ。スタジオも揺れています。大きな被害がないといいのですが、情報が入り次第、お伝えします。ええっと、どこまで読んだっけな。うんと『なあんて中学二年の息子が言うのです。勝野さん、どう思いますか』と)

「登、登、キューピットの注文だよ。赤い薔薇だって、午後届けてほしいんだって。五十本もあるかね。ちょっと電話かわって」

そうだな、なかったら中延の花市さんに借りればいいかと、考えながらラジオのボリュームを落として、母の手から電話をとった。

「、、、はい、わかりました。南千束一の十六の三の仙堂様。午後三時頃がよろしいんですね。かしこまりました。赤い薔薇五十本、たしかにお届けにあがります。あのお、カードか何かお付けしますか。お誕生日とか、何かの記念日とか、お祝いでしたら、手頃なカードがありますが。はあ、あっ。わ、わかりました。あ、ありがとうございました」

登は、余計なことをきいたかな。気をきかしたつもりだったのにと思った。

電話を切った裕行はうるさい花屋だと思った。大手印刷会社に勤める中島裕行は二十八才の営業マン。二十才の妹リカと二人暮らし。妹は短大に通っている。昨夜二時に新宿のカプセルに飛び込み、朝六時に喫茶店に入ってスポーツ新聞を広げて、目に入った今日の日付け。あっ、真理子の誕生日だ。先週会った時は覚えていたんだが、どうしようか。次の連休じゃ、間がぬけるし、と腕組みして考えた。よし花だ。薔薇がいい。今日は火曜日だから、真理子が大学から帰ってバイトに行く前の三時に届けさせよう。いいアイデアだ。でもコンビニに花は売ってないし。オレンジページで最寄りの花屋を捜すとするか。出版社に最終校を取りに行く途中で電話をした花屋に「薔薇五十本と急に言われても困ります。届け先の近くの花屋の電話番号を教えますからきいてみてください」と言われて、タカノに電話した。裕行は、段取りをふんですばやく行動するのが好きだった。自分の意に添わない意見はみんな嫌だった。真理子と知り合ったのは六本木のパーティー。一目見て好きになった。裕行は結婚する気になった。オレも結婚適齢期だからな。結婚理由はそれだけだった。

花は生き物だから、店を休めない。商店街が休みの日も登は花たちの世話をする。常連のお客さんは週に一度は寄る。でも収入の大半はふらっと寄るお客さん。なおさら休めない。慶事は予測できても弔事は予測できない。五月や六月の記念日だけでやっていける商売ではない。もちろん、天気は重要だ。

(東京地方は雨のち晴れ。午後は蒸し暑くなるでしょう。次の天気予報は十一時五十分です。続いては『電話人生相談』です。ポン、ポーン。デマシタ、デマシタ、カウベル、ヤキニクノタレ、ジュージュージュー、、、、、)


登はラジオのそばに座って、伝票の整理を始めた。

(はい、どんなご相談ですか)

(二十二才、学生です。好きなひとがいるんですけど。彼女は不倫してるんです。その不倫をやめさせたいっていうか、それで勉強が手につかなくて大学にも最近行ってないんです)

(あなたは二十二才ですね。相手の方は)

(はたちです。こないだ、はたちになったばかり。短大の学生です)

(どこで知り合ったんですか)

(高校のクラブの後輩です。僕が高校三年の時に彼女が一年で入部してきてしばらくつきあったんですが、僕が受験だったんで、すこし間があって。僕の受験期に彼女がスキーで足の骨を折って入院したんです。僕はそれで勉強が手につかなくなって浪人して)

(ああ、あなたはその女の子のことがとてもすきなのね)

(そ、そうなんです。それなのに、彼女ったら、その一か月ほど入院してた外科の医者とつき合い始めたんです)

(そのお医者さんが不倫相手なのね)

(うん、いえ、は、はい。僕、そのこと全然知らなくて、大学に入ってまたつき合い始めたんですけど、ついこないだ、彼女から『わたしお医者さんとつき合ってるの、不倫なんだけど、けいちゃん、どう思う?』ってきかれて、それで僕どうしたらいいかわかんなくなって)

(あなたは彼女とどういうつき合いなの。肉体関係はあるの)

(いえそのう、最後までっていうか、キスはしたんですけど、その、ええといざとなると、ええと、、、)

(たたないのね)

登は、手をとめた。ドキドキして自分の世界に入っていった。ラジオはこうやって自由な世界を与えてくれるから好きだった。テレビだと画面がつぎつぎに目の中に飛び込んでくるので、目をつむらないと情報を遮断できないが、ラジオは注意をちょっとそらしてやれば自分の世界に入れる。登は、四十才で独身だった。二才年上の姉がいた。姉は小さい頃から店を手伝い、自分ともよく遊んでくれた。その姉が二十才そこそこで、サラリーマンと恋愛結婚した。ぽっかりあいた心の穴はそのまま、登は花屋の仕事を継いだ。まもなく父が亡くなり、今は母と一緒に店を切り盛りしていた。見合いはするものの、こちらがその気になればあちらがその気にならず、そしてその逆もあり、あっという間に四十才になった。もう、結婚の話はまわりから出ない。母は電話番をしたり、たまに寄る姉のこども二人を相手にいいおばあちゃんをしているので、平和な花屋である。こうやってラジオを聞いて気持ちよく暮らしている自分に登は満足していた。

(、、、、んもう、いいかげんにしなさい。今も何度も言ったように、あなたが男らしくないからだめなのよ。いいっ、不倫なんて男の遊びなんだから、あなたがしっかりして、彼女にはっきりと好きだからそんな男とつき合うのをやめてくれとか、ぐっと抱き締めて俺についてこいって、言いなさい)

(はい、できるかどうかわからないけど、がんばってみます)

(できるかどうか、なんて言ってるからだめなのっ。だから、たたないのよ、、、、)

ふふん、この人の説教が始まった。このパターンなんだよな。登は大きく伸びをした。「登、お昼ができたわよ」

奥から母の声がかかった。

「ああ、ありがとう、いまいくよ」

(今日の相談の回答者は、心理学の東京文化大学教授の古谷先生でした。電話人生相談の受付は、毎週水曜と、、、、、、、)


真理子の家は閑静な住宅街にあった。それは真理子の母が再婚した仙堂太郎が建てた。真理子の父は、鮎川伸介というタレントだった。真理子の母は、白系ロシア人と日本人の血が混じったモデルだった。タレントとモデルの結婚が流行だった当時、二人はお決まりのように結婚、そして真理子が生まれてまもなく二人は離婚した。伸介のこどもっぽさから逃げるように、乳飲み子を抱えて飛び出した真理子の母が、仙堂と出会ったのは、友人の紹介によってであった。仙堂は、東京都内にビルをいくつか持っている財産家の息子で、学生時代に交際していた女性と大学卒業後すぐ結婚したが、交通事故が新婚生活を六か月にした。真理子の母に会ったのは、前の妻を亡くして一年後である。

(さて、今日は中延の商店街に行っている鮎川さんを呼んでみましょう。鮎川さん、鮎川さん)

(はーい、お待たせしました。街角から街角へとさまよい歩く、出っ歯の渡り鮎。鮎川伸介です。今日は品川区中延商店街に来ています。ここから、靴のコロンボさん、和菓子の住吉さん、そしてフローリストの花市さんなど、ずうっと奥まで商店街が続いています。そして最近できたばかりのXビル。これは商店街の知恵を集めたインテリジェントビルです。さていったいどんなビルなんでしょうか。みなさん、こんにちはー)

(こんにちはー)

(コロンボさん、ここはきれいなビルですが、いったいどういうところがインテリなんですか。うちのカミさんがいうんですよお、なんて言わないでよ)

鮎川はXビルときいて前妻が再婚した相手の持ちビルだという事に気づいていた。もちろんビルのオーナーになんか会いたくなかったし、本番が終わったらさっさとこの場を去りたかった。

(鮎川さん、スタジオに何かおみやげ買ってきてよ)

(さーて、何がいいでしょう。鶴丸師匠、おだんごお好きでしたよね、どうですか)

(えー、いいなあ)

出番が終わると鮎川はさっとロケバスに乗り込んだ。スタッフがだんごを持ってバスに乗ってくるやいなや、鮎川はさっと包みを取り上げバリバリと包み紙をはぎ取り、甘辛だんごを一本抜いて一番上のだんごをひとつ食べると、スタッフの見ている前でバスの窓から残りの包みを放り投げた。

「鮎川さん、何するんですか、おみやげを」

「いいよ、どこかに置き忘れた事にしようぜ、俺が謝るからさ」

登は、配達の支度を始めた。薔薇を一本一本品定めした。花市さんのところにラジオが来たのか。いいなあ。俺がラジオに出たらなんと言おうかな。鮎川が来たら、薔薇でもあげようか。いやねずみに似ているから、ひまわりの種で笑いをとろうかな。あれこれ考えて楽しくなった登は、ちょっとくたびれた何本かの薔薇を自分の部屋に飾ることにした。そして、奥の間の入口にそれを大事そうに置いた。


時計は二時四十分を指していた。今日はゴトウ日だが、南千束まで二十分もあればつくだろう。薔薇五十本と、納品書とボールペンを持って車に乗り込んだ。案の定、環状七号線の外回りは大渋滞だ。そうだ、荏原町側から入ろう。登は環七を右折せず、左折して大回りすることを思いついた。でも待てよ、たしか旗の台の信号の手前で工事をしているし、反対車線が流れているから、中原街道を越えれば大丈夫だ。こっちでも同じだな、と思い直した。

たしかに蒸し暑くなっている。窓を開けて運転した。ラジオのスイッチを入れた。

(ほんまに、いやあ、奥さんもエッチやなあ、毎晩燃えてるんやろ)

(でも主人がそれをやれやれっていうから)

(ワー、すっごーい)

(ほらほら、このヒロミがのってきますやろ。これはこういう話好きですねん)

(そ、そんなあ、わたし、ちょっと興味があるだけでーす)

おかしい。中原街道をまたぐ陸橋の手前になっても流れない。これは陸橋を越えないで右折して回りこめばいいな。この時間営業車はみな同じことを考える。右折レーンにいた何台かの車の後ろについた。

(ファックスも来てまっせ。ヒロミさん読んでえな)

(私はその昔、弟の筆おろしを手伝ってあげました。エーほんとー)

(ほんまかいな)

登はラジオのボリュームのプラスボタンに手を伸ばした。そのとき左にとまっている車のドライバーと目が合った。その車も窓を開けていたので、こちらの音がまる聞こえかなと思って、ちょっと赤面しながらパワーウインドーボタンに手を伸ばした。信号が青の間に前の数台が、上りの車の切れ目をぬって右折していたので、登の車が先頭になった。右折の矢印が出て右折しようとした時、ラジオに気を取られていた登は、左折して中原街道に入ってくる反対車線の車を見ていなかった。

(すると、弟のあそこがみるみるうちに大きくなるじゃありませんか)

登の集中力はラジオに向いたままだった。トラックは、登のバンを荷台の下に巻き込んだ。


「ああ、銀座のラセーヌっていうフランス料理屋に連れてってあげるよ。え、いいよ。リカちゃんは学生なんだから、お金のことは気にしなくていいって。それより、冬にスキーに行かないか。万座だったらクリスマスもオーケーだよ。苗場でもとれるけど。えー、骨折?大丈夫だよ。けがした後ほど、すぐに練習した方がいいんだよ。こわがってちゃだめだ。第一僕が一緒だからけがなんてさせやしないよ」

「ピロピロピロ」

「はい、福井です」

「福井先生、急患です。外傷によって左腕上腕骨折、ガラスの破片が顔面に、左目は摘出だろうと。すぐに六オペにお願いします」

「ああ、わかった。今すぐいく」

「ごめん、急患、オペだって。惨事救急ってとこからときどき応援を頼まれるんだ。惨事って、悲惨の惨に事って書くの。えー、今三時だから三時救急だって、はっはっは、君かわいいね。えー。血を見るのは怖くないよ。外科医が血を怖がってたら仕事にならないだろ。うん。これからだけど。まだしゃべってていいよ。僕の腕なら五分や十分はすぐとりもどせるから。骨折と眼球摘出さ。こわれたらなおす、いらなくなったら捨てる。なんでもそうだろ。それにどうせ交通事故だろう。運転が下手だから事故に遭うんだよ。そうだ、リカちゃんと久しぶりにドライブもいいね。今度のビーエムはね、ブタさんっていってね、、」

登の母は、夕飯の支度をしていた。いつものように白いご飯とみそ汁と焼きのりは用意してある。あと一品のおかずを用意すればいい。登はご飯について文句を言ったことがない。缶ビールは一本。これも何十年と変わっていない。あの子の父親もそうだった。登の母は何年間、この夕食を作ってきたのだろう。

「はい、フローリスト・タカノです」

近くの大学病院からの電話を受けながら、ちゃぶ台の向こうに置いてある薔薇の花が目に入った。あとで登の部屋に持っていってやろうと母は思った。

「ええ、登の母は私ですが、何か」

(交通情報です。道路情報センターの森口さん。はい、森口です。今日はゴトウ日という事もあって、道路はどこも混んでいます。山手通りは、目黒通りの交差点から上り下りとも四キロの渋滞、中原街道は三時頃、旗の台で乗用車とトラックの事故があって車線規制をしています。ドライバーのみなさん、お気をつけて。つづいて首都高情報です)

おわり


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