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叱れぬ教師に思う

鬼島三男

この三月に定年退職をしたが、五月から講師という立場でまた中学校に勤務している。四十人もの教職員がいる大きな学校なので、同僚の教師たちのことが気になる場合が多い。殊に若い教師について毎日のように何かしら言いたくなる。一番言いたいのは、生徒に対して注意や叱責をすべきときに、しっかりとしてほしいということである。

いま合唱コンクールの練習で各クラスを見回りにいっているが、クラスによって、きちんと注意を聞くところもあれば、全然聞こうとしないところもある。だらしないと思われるクラスは、担任の教師が普段から注意をしていない場合が多い。

注意をしない教師の中には、日頃から生徒のことをよく考えており、人のいない所で悪いと思われる生徒に静かに話しかけたりする人もいる。しかし、生徒の顔色をうかがうような教師は、敏感な生徒からは意気地のない教師として見くびられる。

過日、ある二年生のクラスに行った。日頃私が教えていないせいもあって、なかなかなじめないようで、ふざけたり、おしゃべりが多かった。私はかなり不快になり、叱った。

「みんなちょっと聞きなさい。教えにきた先生に迷惑をかけるようならば、私は出ていきます。このクラスは不愉快です。すみませんという気持ちがないのですか」

すると何人かが「うっふっふ」と笑った。もうこれ以上我慢できないと思って、ドアを強く開けて廊下に出た。すると、悪っぽい男子が一人出てきて「先生がいないと、こまるんですよ。いくら叱ってもいいから教えてください」と言ってきた。私はこんな生徒がよくもそんなことを言ってくれたなと思った。少し考えてから、また教室に入った。すると、前と違って静かになり、きちんとしていた。私はこう言った。

「君たちは本当はそんなに悪い生徒ではないんでしょう。でも、何かにつけておしゃべりをしたり、先生が真剣に叱っているときでも笑ったりするけど、それはまるでテレビのゲームやクイズ番組をみているときのようで、何かを真面目にやろうとするときは大変失礼なんですよ、いいですか」

何人かがうなずいた。長い説教は逆効果になるので、そのあとすぐにコーラスの練習を始めた。すると見違えるように真面目に歌う。わずか二十分ほどだったが、いい練習になったと、嬉しくなった。

終わってほめたあとこうつけ加えた。

「さっき、もしも一人も謝りに来なかったら、これから先ずっとこのクラスへの悪い印象が残ったでしょう。でも一人が勇気を出して謝ってくれたので、大変嬉しかったんです。また来ますけど、こんどは最初からきちんと気分よくやってください」

すると大きな声でほとんどの生徒が「ありがとうございました」と言ってくれた。

二日後に職員室でそのクラスの学級委員に会うと「また先生お願いします。遠慮なく叱ってください。叱られないと、いい気になるんですよ、お調子者ばかりですから」と言ってきた。

その後でそのクラスの担任と話をすると「私は小さいときから家でも学校でもあまり叱られたことがないので、どんなとき、どのように叱ったらいいのかわからないのです」と言う。私は集団の場合、人の迷惑になるときは注意すべきだということを話した。素直なその教師は喜んでくれた。

さらに「すみません」と言うのは、相手の気持ちを害したので、自分の心は澄んでおらずにいます、ということだとつけ加えた。これは元NHKの鈴木健二アナのエッセイで知ったことであるが、私は折りにふれて、生徒に話すことにしている。

いま難しい合唱曲の合い間に、やさしい「もみじ」や「里の秋」を歌っているが、小学生のように一生懸命に歌ってくれる。みんな本心は純真だなあと、つくづく思う。それだけに悪にもそのまま染まってしまう。

いま家庭でも悪いことをした子供を叱らない親が多いようである。子供を叱ると、やれ人権侵害だ、やれ横暴だという大人がいるが、子供の悪い言動については時には厳しく注意したり叱ったりすることも必要であり、それが子供たちへの思いやりなのだと思う。


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