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会津の秋の忘れもの

向井俊博

東京の山手線が、まだ窓から風を入れて走っているというのに、会津の磐越西線の車内はもう暖房が行き届いていた。車窓から東北の秋を眺めようと楽しみにしていたのに、小雨の冷気と車内の暖かさに、窓ガラスがくもって外はよく見えない。未練がましくガラスに鼻をすりつけんばかりにしていたところ、前の席のご婦人がもぞもぞとバッグを探ったかと思うと、ティッシュペーパーでガラスをきれいに拭いて下さった。一人旅らしく、どうやら私と同じ気持ちであったらしい。おかげで、拭き残りの水滴の向こうに、秋をかいま見ることができた。


はぜの木の鮮やかな赤がよぎっていくうちにさっと視界がひらけ、今度はくすんだ黄色の稲田が一面に拡がる。収穫が終わった田では、もみがら焼きが行われている。広く盛り上げたもみの山のとんがりに向かって、すその一方が真っ黒にこげており、こげ目の境のところから青い煙がうっすらとたなびくさまは、まさに日本の田園の秋といった感じである。

垣根のない農家の庭には菊が満開である。葉の落ちた柿の大木が、枝いっぱいに実をつけているのを見て、車内の旅行者から歓声があがる。

収穫の終わったとうもろこしの穂が横に張りながら精一杯天を突いている。一方では、盛りを過ぎて穂先を内側に丸めて硬直したすすきの穂が、電車の通過にあおられてひとしきりざわめいていく。

その内、暖房がききすぎて車内は汗ばむほどになった。前席のくだんのご婦人が遠慮がちに、「窓、開けていいですか」とことわって窓を少し開ける。心地よい風に吹かれているうちに、温度の加減なのか窓ガラスの曇りがさっと消え、テレビの画面がハイビジョンに切り替わったかのように、ガラス越しの秋が一層色鮮やかに見えてきた。

ふと気がつくと、通路の反対側に座っているおじいちゃんとその前の席に居合わせた中年のご婦人との会話がはずんでいる。

おじいちゃんは八十八才だといっている。帽子の似合う風格のあるおじいちゃんだ。全国著名な観光地を行脚してきて、最後に残ったのが飛鳥とこれから行く会津だという。それが終わったら、あとはじっとしているのだという。ご婦人が「まだお元気なのだから、もっともっとまわったら」と励ましている。北京、西安、上海、シンガポールにマレーシアと海外で二十年を過ごしたが、日本が一番いいと力説するおじいちゃんの手には、若者が読む週刊誌があった。

会津若松で観光客がどっと降り、電車がいつの間にか反対方向に走り出したなと思っているうちに、めざす喜多方に着いた。


ここは蔵の街、駅前のゴミ箱からして蔵の形をしているのに思わず振り返りつつ、案内所で地図をもらい、散策に出る。

街のあちこちに昔の蔵が保存されていたり、再建されたりしているのだが、その一つ一つに個性があって興をそそられる。蔵の白い壁に大きな葉のツタが這い、それが紅葉色に深く色づいている。これについ見とれてしまい、車の音に驚いてあわてて歩き出す。

電話局も蔵の風情をとりいれているし、川の水門までが蔵の形をしていて、地域の思い入れがしのばれる。

以前この地で食べたラーメンの味が忘れられず、古そうな店を探して入る。どの店も何とか会という同じ看板を掛けているところを見て、いわゆる喜多方ラーメンの味を守っていく地元の組織があるのかなと思ってみたりする。

ねぎラーメンを味わってみたが、やはりうまい。前に来たときは土産に買って帰ったが、地元で食べた味にはかなわなかった。その理由をのちにテレビで知ることになったが、味の差は水にあるのだそうだ。水だけを東京のと喜多方のと違えて調理し、数名の人にその両方を覆面にして試食させたところ、全員が喜多方の方に軍配をあげていた。こんな知恵がついてしまったので、店先で土産に勧められても首を横に振る羽目になる。

地図を見間違えたらしく、川向こうの観光地外のところへ迷いこんでしまった。そこは新興の建て売り住宅街で、赤や青のセールス用ののぼりが、秋をたたえた山をバックにはためいている。まだ売れていないのか、まさにゴーストタウンといった雰囲気である。人がいないことと、庭に人の手が入っていないことがこうも寂寥感をうむのかとつい逃げ足になってしまう。立ち戻った古い街並みは、観光地化しているとはいえ、人の温もりが感じられてほっとする。

ぱかぱかと耳慣れない音がするので振り返ると、蔵の形をした二階建の馬車が、観光客を乗せてのんびりと追い越して行く。馬車の窓越しにのぞく顔の中に、電車の中で窓をティッシュペーパーで拭いてくれたご婦人がいてびっくりする。先方も驚かれたようで、顔を合わせた途端、照れ臭いのかとんでもない方を向いてしまわれた。


秋を思う同じ人生の旅人、車内でひと言もかけなかったのを思い出し、小さな忘れ物をしたような気持ちになる。

四つ角で信号待ちをして、うしろに長い自動車の列を従えた馬車が、やおら動きだした。

(平成5年11月3日)


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