党派動向雑記
われわれは、共産主義運動の再編・統合を目指しています
雑誌「創」掲載―塩見孝也氏のインタビュー記事を読んで(深山和彦、2002.10.10)
「国民の党」へ変質する日共(山内文夫、2000.11.1)
新しい共産主義運動を目指して
(労働者共産党2000年新春座談会)
- 【五派共闘】昨年(2001年)の秋頃から戦旗派、烽火派、風をよむ、蜂起派、労括評の五派が、政治闘争領域で独自共闘を形成しだしている。私の評価を言わせてもらえば、七〇年代後半の「侵略阻止共闘」(戦旗、遊撃、烽火、等々)の縮小的二番煎じだとういうことである。大衆運動の組織化という見地からするとあまりにセクト的であり、共産主義運動の再編・統合の見地からすると大衆運動的共同の延長上に党的統合を発想する誤りを生み出す基盤となるものであるだろう。もっとも、蜂起派の「ブンド再建」の騒々しい叫びは、内容の空虚さからか、提起主体に対する評価の低さからか、まじめに受け取られていないようではある。(2002.5.22、深山和彦)
- 【コム・未来が破綻】2001年6月3日、コム・未来は総会を開いた。この総会において、ワーカーズ、ワーカーズネット、『国際主義』編集委員会が生田さん等に愛想を尽かし、離脱することになった。結局、一段と縮小した建党協だけが哀れな姿を晒してコム・未来の中に残存するという結果に終った。建党協の二番煎じで、当然の結果な訳だが、、ここに至っても生田さんは懲りていないもようである。(2001.6.7、深山和彦)
- 【日本赤軍】2月14日に重信さんが、都内で開かれた支援者の集会で、代理人を介し「日本赤軍の解散」と「平和的世直し」への路線転換を声明した。日本赤軍については、「プロレタリア」376号(統合20号)の「重信房子さんの帰国に思う」と題する記事で述べてあるので、それに付け足す形で感想を述べておきたい。これまで少なからぬ旧赤軍派メンバーが、テロリズムの路線の結果である極度の政治的孤立からの脱出を、幅ヒロイズムで計ろうとしてきた。民主主義革命路線への転換であり、更に暴力革命の否定である。彼女もこのコースを歩んで、この声明に至ったという訳である。テロリズム路線を批判する(捨てる)のは容易い。難しいのは、正しい革命路線を確立することである。そのためには、自己がテロリズム路線に踏み込んでしまった根拠を切開し、そこにおいて転換しなければならない。それは、ブンドの破産の総括である。道を間違えたら、間違えた地点まで戻る以外ない。そしてその地点から今日までの道のりの教訓は、その道を歩んだ国内の苦難の行軍に学ぶ以外ない。そうしければ、アラブで培った貴重な経験と諸関係は無駄になるだろう。(2001.4.16、深山和彦)
- 【NAM】党派ということではないようだが、論評しておこう。NAM(New
Associationist movement)は、社会革命の一定の前進を背景にして政治革命が構想される現代革命の諸条件の成熟に規定され生まれたユートピア社会主義の一種だと言えるだろう。その空想性は、次の点に見ることが出来る。第一は、「社会主義は、自然史的必然でなく、倫理的問題」だとする点にある。この主張は、「労働力を売るな」「資本制生産物を買うな」と倫理的選択を求める方針に連結する。もちろん倫理的に選択できる人々もこの社会には存在している。だが同時に、労働力を売りたくても売れない・商品を買いたくても買えない人々が増大している。後者の人々の場合は、選択の余地は無く、生きていくために協同組合事業を始めたりする訳である。NAMは、後者の人々に立脚できない。第二は、「資本主義経済における内在的闘争」を語っているが、「不買い運動を中心とする」としている点にある。「資本主義経済における内在的闘争」を語るのであれば、ブルジョア社会における・非資本主義的経済領域(家族等)をも組み込んだ・重層的な分業への隷属構造・就労部分と失業部分への労働人口の分割構造を解体し、各人が自由な発展を実現していける社会システムを建設する闘い、社会構造・システムのそうした解体・建設に不可欠な労働時間の大幅な短縮を実現する闘い、などが基軸とならなければならないだろう。NAMは、人々のそうした欲求と闘いに立脚しようとしない。第三は、「暴力革命を否定」している点にある。社会革命の条件が成熟していない時代に、国家権力の力を持ってその限界を越えようとして破綻した経験を指摘し、そこから即暴力革命の否定へと飛躍してしまっているのである。われわれに問われているのは、社会革命の条件の成熟した時代における・社会革命の一定の前進を背景とした政治革命(国家権力の奪取)である。その際、革命の側が圧倒的に政治的優勢ならば暴力の行使をほとんどせずに済むかもしれないが、いずれにせよ本質的には暴力革命になる。「暴力革命の否定」が意味するところは、労働者人民の『闘い』に立脚しようとしていないということである。結局NAMは、ユートピア社会主義者の「実験」に終らざるを得ないだろう。(2001.4.16、深山和彦)
- 【コム・未来】例によって路線的合意が無いにもかかわらずなし崩し的に党への移行を画策する生田さんたちは、自己の非民主的組織運営といかがわしい財政運営に対する批判に直面し、立ち往生しているようである。建党協の二番煎じでしかないコム・未来の破産は、明らかであるだろう。建党協のようにゆるい協議体で存続させ、コム・未来(=建党協)的統合方法の破産を曖昧にする道も、ここらで閉ざすべきだと思う。(2001.4.14、深山和彦)
- 【フロント】フロントは、昨秋第19回大会を開催した。大会報告を読むとフロントは、世界史的な時代変化にそれなりに適応しつつも、運動の現状に拝跪し、この社会の根本的変革の道を放棄しつつある、という状況にあるようだ。第一に、労働手段の発達が社会の規定的推力だった時代から人間(客体的自然と不可分)の自由な発展が社会の規定的推力となる時代への移行、この変化とブルジョア社会の生産・社会諸関係との矛盾の展開として、そうした唯物史観的認識を基底に現代を把握するのではなく、「環境革命」等々を外在的に付け足す形で時代認識を構成している。そのため第二に、来るべき革命のプロレタリア革命としての性格が曖昧にされ、労働運動と市民運動の結合が積極的に押し出されず、市民運動の多原理的現状を放置する態度になっている。第三に、現代の革命について、歴史上の諸革命と同様、社会革命の一定の進展の上に政治革命が成就されるものとそれ自身正しく指摘しながら、政治革命を準備する態度を実質的に解体させている。光る指摘はあるが、総じて言えば、構造改革路線の現代的焼き直しの道にはまりつつある、と見る以外ないだろう。(2001.3.3、深山和彦)
- 【革マル派】この党派は、その拠点であったJR総連の党組織を丸ごと失った。新年号をみると、学生運動党派になってしまったようだ。次のような根拠が考えられる。第一は、労働者階級の就労部分(とりわけ熟練層)を革命の本隊だと天まで持ち上げるこの党派の思想が、雇用を守るために資本に屈服する態度を助長し、雇用を守るためには革マル派とも手を切るところにまで導いたということ。第二は、ソ連体制の崩壊に直面した際に、それを「反革命」と非難し、旧体制を擁護したことで、この党派の思想的核心を成してきた「反スターリン主義」の旗の欺瞞性を露呈させてしまい、以降党的求心力を衰退させてきていたこと。第三は、一人一人の自由な発展への欲求が高まり、ネットワーク型の社会組織が発達し、人々の発展の場である地域社会の在り方が問われるという社会の大きな変動によって、この党派の党官僚制と「労働者主義」が足元からくずされ、時代錯誤的姿を浮き彫りにされ、党的確信が解体してきたこと、等である。ともあれ左翼の人々に、時代の節目を感じさせた事件であるだろう。(2001.2.6、深山和彦))
- 【コム・未来】 生田さんが建党協の破産から教訓を得ないままに発足したこの協議会は、自ら定めたこの夏の期限が正念場になろうとしている。私の見るところ、マルクス・レーニン主義の教条主義派と現代的発展派の対立が鮮明になってきており、それ自身われわれとして歓迎すべきことであるが、協議会としての「未来」は哀れである。(2001.1.27、深山和彦)
- 【『よど号』グループ】 先日、ピョンヤンの小西さんから理論誌「プロレタリア」創刊号を読みたいとの電話があったので、早速送った。重信さんにも読んでもらおうと思う。もとより共に再び路線を同じくする可能性は、一抹の期待を持つも、ほぼ無いと考えている。しかし、二次ブントー赤軍派の破産の総括を出発点に(赤軍派の路線的破産を認めない塩見さんとの決別でもあった)、日本の地で共産主義運動の再構築を目指し30年をかけて到達した現地平を伝えることは、日本の労働者人民の運動からの召還という赤軍派のテロリズム路線をたとえ頭の中で反省し否定したとしても今日までその存在において引きずってこざるを得なかった彼・彼女に対する、われわれ(労働者共産党・旧赤軍派メンバー)の責務であるだろう。(2001.1.22、深山和彦)