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NEW176 南都名所 (なんとめいしょ)
【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】半紙本1冊。「青にしおふ、奈良の都は旧れど、色香を富て猿沢の、池の玉藻にすむ月の、衣掛柳采女の宮、もろこしにては有ねども、楊貴妃ざくら・八重ひとへ、九重匂ふ佐府の森…」で始まる七五調の文章で、奈良の名所旧跡を列記した往来。現存本は「…二月・三月・四月堂、いとも尊き観世音、大慈大悲の誓には、枯たる木にも花咲、若狭の水や」までの記述で、それ以下の末尾を欠く。本文を大字・2行・無訓で記す。
★残念ながら末尾を欠く零本である。『奈良往来』など、似たような文面の往来物が2、3あるが、別本と見なした。



NEW177 浪花名所〈并町尽〉 (なにわめいしょならびにまちづくし)
【作者】不明。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】異称『浪華名所并ニ町尽』。大本1冊。「先御城は慶長年中、太閤秀吉公の築玉ふ日本之名城とか哉承り候…」と起筆し、「…浪花の里も百万石之御城下と承り候得ば、通筋町々夥敷事迚も我々筆紙に及事無之候。依而、只手習小供の楽にぞ書ぬきしるしまいらせ候。かしく」と結ぶ文章で、大阪城の歴史や城代・町奉行の任命・管轄、また、大阪城周辺の様子などから順々に名所旧跡・神社仏閣・町名等を列挙した往来。本文を大字・2行・無訓で記す。
★かなり厚手の写本だが、この手本を数カ月から半年くらいはかけて習ったのであろう。大字・二行の体裁からも、かなり初期の段階(いろは・地名・人名の次くらい)で使用された手習本と考えられる。



NEW178 播磨名所記 (はりまめいしょき)
【作者】大西某書。【年代】文政6年(1823)書。【分類】地理科。【概要】異称『播磨廻り文章』『播州めぐり』。播州国の名所旧跡・神社仏閣、またそれらの景趣・縁起等を紹介した往来。摩耶山、脇が浜、解馬の社、生田の森明神、布引の滝、湊川・楠木正成廟、安徳天皇ゆかりの築島寺(来迎寺)を始めとする播州各地の名所を訪ね、さらに讃岐へ渡り、金毘羅大権現、慈光寺等を詣でた後、姫路城、室津明神、赤穂城、八徳山、播州清水寺を経て光明寺に至る行程を綴る。文政六年写本によれば、「播磨めぐりは、先、津国摩耶さんをはじめとすべし。そもそもこのやまは、法道仙人の草創にて、いと尊き観世音おわします…」で始まり、「…廻り廻りて又高砂に歩み出、此うらふねに帆をあげてとて、難波津に着玉へ。めでたくあなかしこ、あなかしこ」と結ぶ文章を、大字・6行・無訓で記す。
★写真は現存最古の文政6年写本(家蔵本)。



NEW179 都廻り (みやこめぐり)
【作者】矢田部満智与書か。【年代】江戸後期書。【分類】地理科。【概要】大本1冊。伊勢への抜け参り(お蔭参り)を想定して道中各地の名所等を記した往来。「今度不図思立、伊勢抜参仕、伏見迄被下向、可乗淀舟迄、旅籠屋ニ而其用意仕候。妻俄変思案付、遙々都近辺迄、乍運空遂帰国事、無本意存候。宿彼地、翌日先、参詣稲荷之社、従夫東福寺・豊国大明神・三十三間堂…」と書き始めて、東福寺・豊国神社・三十三間堂・清水寺・音羽・八坂・祇園・知恩院・南禅寺・加茂神社・北野天満宮・仁和寺・東寺等の神社仏閣や名所旧跡を列挙して、適宜その由来や名宝・名物・風趣に触れる。また、本文後半では京都の町名とともに各地域に見られる多様な職業を列記するが、現存本は末尾を欠く。本文を大字・3行・無訓で記す。
★書名は月並みだが、内容に特色のある往来である。惜しくも途中で終わっている。地理科往来には、地域の職業を数多く列挙するタイプのものが時々見られる。



NEW180 都文章 (みやこぶんしょう)
【作者】安原玄中作。渡利仲右衛門書。【年代】寛政2年(1790)書。【分類】地理科。【概要】大本1冊。石州邇摩郡新屋村で使用された手習い本。設楽兵庫頭と沢田了安との間で交わされる往復書簡の体裁で京都の地誌を記した往来。設楽氏発の往状は「今度在京彼方此方見物之事、先々清水詣仕、地主之桜之木間より洛中洛外直下田村堂にて遊申せば、皮肉に晴たる事候…」で始まる文章で、祇園、四条河原、六波羅、鞍馬、愛宕、宇治、三十三間堂、知恩院、建仁寺、東福寺等々の名所や風景のあらましを伝えつつ、手紙に言い尽くせないことは後日「御上洛之砌」にと筆を擱く。一方、了安発の返状は「依遼遠烏兎押移御後語而已之処、飛脚到来華簡薫誦、不勝勧桁候…」と起筆して、京都の風俗や魅力に触れる。
★往復書簡のスタイルで綴られた地理科往来には、元禄頃刊『摂河往来』などがあるが、江戸初期の往来物に比較的多い。文字通り「往来」にふさわしい。