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NEW181 実語教註訳・童子教註訳 (じつごきょうちゅうしゃく・どうじきょうちゅうしゃく)
【作者】不明。【年代】江戸中期書か。【分類】教訓科。【概要】異称『実語教註釈・童子教註釈』。大本1冊。書名は「註訳」と書いて「ちうしやく」とルビを付す。冒頭に「実語とは「まことのことば」と読り。教は「をしゆる」也。まことの詞をおしゆるなり。夫、人はまことなければ人にあらず」と書名の由来を説き、続いて、本文を1句あるいは数句を掲げ、本文と同じ大きさの文字で平易かつ簡潔な注釈を施す。出版された種々の二教(『実語教・童子教』)注釈とも異なる独自の施注である。二教注釈の後に、「童子教」の作者考とともに、二教に説かれた教えが四書五経の根本と変わらないこと、したがって本書を熟読して身に付けるべきことを諭す。本文をやや小字・7行・付訓で記す。また巻末に「心学五倫書」を付す。なお、裏表紙の紙背に「寛政九年(1797)」の書き入れがある。
★『実語教・童子教』の注釈は非常に多く、『庭訓往来』のそれを凌ぐと思われる。主要な刊本の注釈書で見ていくと、ほぼ二つの系統に分かれるが、次から次へと発見されるため、写本の注釈書を含め、いつかもう一度徹底的に分析してみる必要がある。



NEW182 児童訓 (じどうくん)
【作者】斉藤小平治書。【年代】文久3年(1863)書。【分類】教訓科。【概要】大本1冊。「凡、農事之家に生れては、幼稚の時より父母に孝を尽し、何事も仰を不背、家々の掟を守り、兄弟中能く少しも荒々敷詞遣ひすべからず…」で始まる文章で農家児童の心得を諭した往来。8、9歳からは師について1日1字を目標に学び、師匠を敬うなど、寺子屋での学習態度とともに、懈怠・不学を恥ずべきことを教える。また、年頃になったら農事を見習うことを述べて、農業・農作物・農具の名称を列挙し、さらに、法度遵守、役人への丁寧な対応、村内の和睦、正直な生き方などを説く。本文をやや小字・7行・付訓で記す。
★「一日一字を学べば三百六十字」とは『実語教・童子教』に出てくる文句だが、「1日1字」の漢字学習は明治明治期小学校の基本であった。現代は、他の教科もが多いこともあって、「1日1字」をはるかに下回ったカリキュラムになっている。



NEW183 二条関白教訓之状 (にじょうかんぱくきょうくんのじょう)
【作者】不明。【年代】正徳6年(1716)書。【分類】教訓科。【概要】異称『関白状』『二条関白教訓状』『摂政関白太政大臣教訓書』。正徳6年写本は特大本1冊(大字・5行・無訓)、享保18年(1733)写本は特大本1冊(大字・5行・無訓)。二条関白摂政大臣作(仮託であろう)とされた24カ条から成る教訓で、近世の手習い手本として使用された。まず第1条に「抑従昔被定置事、申疎候得共、成親成子事、前世之契不浅…」と筆を起こして親子の縁の深さやこの世の無常、また五常の道について述べ、「五常をも智べき人のしらざるは、のちの世までもふとくぞときく」の教訓歌を掲げる。以下、教訓歌を交えた条々で、慈悲・正直、奉公、手習い・学問、分限・質素、公事・沙汰、親不孝、下人への非道、聴聞等の心得、友人、神仏崇拝、他人との交際、弓馬の道、読書、博打等、上下・同輩に対する態度・心得等の処世訓を説く。
★従来から知られた往来物だが、今回、最古本の正徳6年写本を発見した。「二条関白…」と仰々しい書名だが、説くところの教訓は庶民にも有益な処世訓が多い。



NEW184 童蒙教訓歌・年中行事 (どうもうきょうくんか・ねんちゅうぎょうじ)
【作者】柴渓山人(石亭・明嶺)書。【年代】寛政4年(1792)書。【分類】教訓科・社会科。【概要】特大本1冊。前半に「童蒙教訓歌」、後半に「年中行事」を収録した手習い本(表紙に「手本向下書」と記す)。前者は一部を除き大字・4行・無訓で、後者は小字・8行・無訓で記す。「童蒙教訓歌」は、「いでや此世に生れ来て、物書く業を不知ば、諸芸に暗く智恵浅く、人に受恥多し。実に口惜しき事ぞかし…」と起筆して、幼時の手習いの重要性や社会での学問・教養の必要性などを諭した往来。読み書き能力が儒仏の教えや渡世・家業から、公事・訴訟、各種芸能、慰み・遊山事まで不可欠なことを説き、読み書きの学習方法や心得、親孝行その他の諸教訓を説く。また「年中行事」は、「明行春のあした、谷の戸出る鴬の初音床しく、空霞みたる門の松、羽子・はま弓・手鞠のすさみ事、子の日の遊び、七草の粥、鏡びらき、蔵開き、帳閉、店おろし…」で始まり、「…一とせの浮世の有さまおもひつゝ、ふで書つらねまいらせ候」と結ぶ文章で、年中行事にまつわる語句を適宜形容句を伴いながら列記したもの。なお「童蒙教訓歌」は江戸後期書『初学教訓書』と同内容である。
★従来から確認されている往来だが、今回、最古本を入手したため、ここに掲げた。



NEW185 〈白川公〉百姓教訓書 (ひゃくしょうきょうくんしょ)
従来、『農民出世鐘』(謙堂文庫にペン書き写本がある)の名称で知られた往来物である。【作者】不明。【年代】天保13年(1842)書。【分類】産業科。【概要】異称『〈白川公〉百姓教訓書』。『〈白川公〉百姓教訓書』は大本1冊。「一、夫、農民の心立能は国のたからなり。心立あしきは国のとふぞくなり…」で始まる第一条以下全23カ条と後文から成る農民教訓。文章の構成は『今川状』の模倣である。まず、農作業の全てが報恩につながることや、友人との雑談にも「かうさく作りのはなし」以外の話をしないなど日常の全てを農事に傾注すべきことを説き、以下、庄屋の心立ての善悪、郷中の富農の善悪、田地争いや公事、農民の心、奉行・代官と領民の和睦、庄屋の善悪、耕作への出精、正直、禁欲、子弟教育、農業設備、有能な人材の登用などを諭す。後文では、身体の健康と心の養生を説き、村内の農民が心身ともに健全で責務を果たすべき旨を述べて締め括る。
★江戸時代の写本としては初めて見た。「正直」思想について説くところが多く、子どもだけでなく大人に対する生活心得の意味合いも強い。