NEW071〜075  → 次頁へ目次へ


NEW071 国性(姓)爺往来 (こくせんやおうらい)
【作者】不明。 【年代】写真は江戸後期書。刊本は享保二年(一七一七)序・刊。 【分類】歴史科。 【概要】異称『国性爺往来』。中国明の遺臣・鄭成功(一六二四〜六二)の伝記を通じて忠孝を諭した往来。「抑鄭芝竜老一官者、大明十七代思宗烈皇帝之忠臣、以義雖諌君、金言逆耳、良薬苦口、還而尊君甚怒…」で始まり「今唐子孫伝事、忠孝・正直、神慮叶故也。猶、可辨忠孝二、爰以自可教訓者也、仍如件」と結ぶ文章で、鄭成功こと国姓爺の生涯を紹介する。現存最古の伝記型往来として重要。また、本書が編まれた享保二年は、近松門左衛門作「国姓爺合戦」が大坂竹本座で公演された年でもあり、この種の浄瑠璃の評判にあてこんで作られたものであろう。従って、板元も大阪書肆と思われる。
★本書の存在は既に知られていたが、江戸時代の原本または筆写本としては初めて実見した。日本大学所蔵本も江戸期写本の新写本(大正〜昭和前期)であった。厳密には新発見ではないが、稀少な江戸期写本としてここに掲げておく。



NEW072 狸少人状 (たぬきしょうにんじょう)
【作者】不明。 【年代】江戸前期成立。江戸前期刊本もあるが、写真は江戸中期刊。 【分類】教訓科。 【概要】異称『狸状』『狸申状』『狸少人申状』『狸少人之状』。大本一冊。比叡山竹林坊(竹林寺)で少人に化けた狸が、坊中で打擲されたことに対して恨みを綴った戯文。早くは寛永二年(一六二五)写本『古状揃』に見られ、刊本でも延宝五年(一六七七)板『薩摩状』(安田十兵衛板)や享保七年(一七二二)刊『童訓往来(仮称)』等にも収録されているが、単独刊本は極めて少なく、江戸前期刊『狸少人申状〈ひらかな付〉』、江戸中期刊『狸少人状』の二点のみである。後者の江戸中期刊本によれば、「夫当山之興者、桓武天皇之御願書、延暦寺之末寺也。比叡山之内、竹林寺与申山寺者、鎮護国家之道場、真言止観之霊地也…」と書き始め、味噌磨木で頭を叩かれたことに対し、「円頓の教法を破る」「山王七社諸神のお恵みを失う」「垂髪の礼儀を蔑ろにする」という三つの罪になるものであり、「傍若無人之至、言語同断者」と批判する。さらに、畜類といえども情はあるはずだが、突然、出仕を禁じるというのは大変遺憾であることなどを述べ、「仍而、打擲遺恨之鬱憤申述之状、如件」と結ぶ。同刊本は、本文を大字・五行・付訓で記し、見返し口絵には「狸少人奉仕の図」を掲げ、巻末に「獣字尽」を載せる。
★江戸時代の単行刊本としては唯一横山重旧蔵本が知られていたが、現在所在不明。本書は江戸中期刊本だが、現存唯一のものであり貴重。



NEW073 今川之抄 (いまがわのしょう)
【作者】不明。 【年代】明暦三年(一六五七)刊。[京都]長谷川市郎兵衛板。 【分類】教訓科。 【概要】異称『今川抄』。大本一冊。『今川状』の最も早い近世刊本の注釈書。『今川状』を表題も含め約四五段に区切って、本文を大字・六行大(付訓)に綴り、各段毎に割注形式で大意や平易な語注を施したもの。本書を参酌しつつ自己の施注を試みたものが、脇野光正注、寛文一三年(一六七三)刊『〈新板増補〉今川諺解大成』である。
★『今川状』の注釈書としては最古の刊本で貴重。元禄期までの後続の注釈書に模倣された。



NEW074 国尽并名字尽 (くにづくしならびにみょうじづくし)
【作者】不明。 【年代】江戸前期刊。刊行者不明。 【分類】語彙科。 【概要】大本一冊。柱に「童訓 下」とあるように、万治二年(一六五九)刊『童訓集』下巻から「国尽」および「名字尽」を抜き刷りにした往来(丁付け七丁から一三丁表まで)。「国尽」は五畿七道毎に国名とその州名を列挙したもので、「名字尽」は「伊藤、板垣、稲葉、生嶋…」から「…菅屋、諏訪、角岡、末武」までの名字一三七氏を列挙したもの。
★他の同体裁の往来物から判断すると、元禄期の刊行であろう。状態が良く、原装題簽付きなのが有難い。



NEW075 二十一箇条掟書 (にじゅういっかじょうおきてがき)
【作者】不明。 【年代】嘉永七年(一八五四)書。 【分類】社会科。 【概要】異称『可相守条々』。大本一冊。元禄二年(一六八九)四月に山中彦助が郷中(山神村か)に公布した『十七ヶ条』と同様の往来で、「一、御公儀・御高札・御ヶ条書之通承知仕、一々堅可奉守候…」以下、法度遵守・宗門人別・伝馬人足・帯刀・質素倹約・大酒・納税・五人組・田畑等の管理・田畑売買・相続・救恤など、郷村経営と秩序維持に関する二一カ条を記す。
★巻末に、「植田粂吉所持」と手習師匠の筆で書かれており、その脇に粂吉本人の筆で「行年拾四才之時」と書き込まれてあり、本往来を14歳の時に習ったことが分かる。