研究材料の宝庫「往来物」をどう活用するか

 *松井利彦さん(京都府立大学名誉教授)に伺いました(2008年4月)

── 女中言葉(集)に関心を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?
[松井] 私は卒業論文を「江戸時代の言語生活」という題目で書きました。東京語の成立前史として江戸時代を選んだのです。そこで大きな問題の1つは武士の言語生活と言語教養、そして言語そのものでした。もう1つは女性語でした。遊女語をも含んだ女性語とその階層が問題になりました。そこで、女中ことば集と出会うことになったのです。
── 江戸時代の言語で、武士と女性が大きなテーマになったのはどうしてなのでしょうか?
[松井] 武士のことばが明治語を形成するからです。江戸時代は武士が階層の教養として漢学を学びました。そこで修得された漢文・漢字・漢語の知識が文章を書くにも、また、新語の造出するにも基礎になりましたし、洋学にも必要でした。一方、女性語について言えば、室町時代につくられた女房ことばが御所を中心とする公家社会から、武家社会へ、さらに庶民に広まるのが江戸時代なのです。
── そのような中で、往来物の記事に注目されたのはどうしてなのでしょうか?
[松井] 女性語の研究には『女重宝記』が不可欠な存在でした。ここに記載されている女性の言語生活、女性語、反女性語についての記事、また、女性語観は研究に欠かせませんでしたので、はじめは『女重宝記』の諸本の研究をしました。どの『女重宝記』でもいいというわけにはいかないことが分かったからです。
── 私は十分検討していないのでよく分からないのですが、元禄5年に始まる『女重宝記』に、諸本によって大きな違いがあるのでしょうか?
[松井] 元禄5年本には、女性のことばは「よろづの詞におと。もじとをつけてやはらかなるべし」とありますが、弘化4年本では「万
〈よろづの〉のことはおもじをつけ重言〈ぢうごん〉なり共やはらかなるべし」となっています(〈 〉の中は振り仮名)。前者では「お」と「もじ」を付けることが勧められています。しかし、後者では「お」の使用のみが勧められている。この「お」はいわゆる美化語の「お」も入っているに違いなく、弘化4年本ではそのことが強調されているのです。ところが、「もじ」については書いていない。
  それならば、「もじ」を付ける、いわゆる「文字ことば」が幕末になると使用されなくなったかというと、そうではありません。当時の女性の消息文範で、女中ことばと言える単語は「文字ことば」以外はほとんど使われていないのです。
  ですから、弘化4年本だけを見ると、当時の女性語の一面を見落としてしまいます。高井蘭山が弘化4年本で「文字ことば」を落としたのは、当時は、「文字ことば」が固定していたからです。造語力が衰退していたためだと思います。単語の最初の1拍(書きことばで言えば、1つの仮名に相当します)だけを残して、例えば、「かかさま」(母のこと)を「かもじ」と言い、「恥ずかしい」を「はもじ」と言うように、「もじ」をつける言い方は仲間内のコミュニケーションには有効であっても、伝達の範囲が広くなると、意味が通じにくくなります。ちょうど、夫婦間で「あれ、どうなった?」「あれは、ああは、ならなかったワヨ」で通じても、余所の人にはチンプンカンプンであるのと似ています。
  それが「文字ことば」の魅力であり、効用であったのですが、誰にでも理解できるものではありません。だから、「文字ことば」は固定せざるを得なかった。造語力を失っていった。それで、蘭山は「もじ」を付ける言い方を勧めなかった。そのことが、元禄5年本と弘化4年本の比較から推察できます。
―― その他はどうですか。
[松井] 元禄5年本は「女ことばづかひの事付たり大和詞
〈やまとことば〉」とあって、その後に女性語について書いてあります。その点では弘化4年本でも同じです。ところが、目次には前者では「御所大和詞」とあり、後者では「女詞〈をんなことば〉づかひ」とある。また、吉野本では「女中詞〈ことば〉づかひ御所こと葉」であり、江戸又兵衛本では「女詞〈をんなことば〉つかひ付御所ことば」である。これらの違いが示唆するところは大きいです。内容がほぼ同じであるのに目次題が違うことが教えてくれる事柄は重要です。江戸時代の女性書の中で女中ことば集の名称が様々に呼ばれる源流が『女重宝記』の諸本に現れているのです。
── そこから、『女重宝記』が継承した女性書や、『女重宝記』を継承した女性書の研究が始まるのですね。
[松井] そうです。『女重宝記』に影響を与えた女性書の研究、『女重宝記』を継承した女性書の研究というふうに対象が広がりました。石川謙博士の『女子用往来物分類目録』などで、博士の蔵書(女子用往来)が宝庫であることが分かっていても、昭和30年代では現在の謙堂文庫のように公開されていませんでしたから、訪ねようがありませんでした。
── そうでしょうね。謙堂文庫が開設されたのは昭和40年代(石川謙先生三回忌の直後である昭和46年7月25日に、先生の戒名「天徳院謙堂治心居士」に因んで謙堂文庫と命名)でしたから…。
[松井] それで、国立国会図書館や、日比谷図書館(今の東京都立中央図書館)、京都大学文学部閲覧室、東京大学附属図書館、玉川大学附属図書館などで調査しました。目的は「女中ことば」の記事ですから、3点、あるいは5点ずつ出してもらっても、「女中ことば」の記載のない本が多いですから、すぐに返却するということが続き、能率の悪いことでした。
── 私が研究するようになった頃ははるかに条件が整っているかと思いますが、それでも、国会図書館などでの閲覧手続きの繁雑さには閉口するほどですね。書庫に入って調査ができないのは、想像しただけでもどれほど大変だったかと思いやられます。ましてや、往来物の中味までは開けてみないと皆目検討がつきませんから、なおさらのことでしょう。ところで、往来物の資料価値や活用についてはどのようにお考えでしょうか?
[松井] 今は、石川松太郎先生や、小泉さんのご努力で、重要な女性書が、複製という制約はあるにしても、簡単に多数の物を調査することができるようになりました。それならば、研究がそれだけ容易になったかと言うと、そうではありません。
── といいますと?
[松井] まず、往来物の専門家はいわゆる「良い本」ばかりを対象になさることを挙げなければなりません。良い本の復刻を優先される。もっともなことです。しかし、それでは、増補本や合綴本が取り残される。これらも、初版本など、良い本と同じく当時は同等に利用されたはずなのです。そのことが見落とされる、あるいは気づかれないで研究が進められる危険性があるように思います。
  次に、往来物の資料性がまだ十分に分かっているように思えないからです。ですから、例えば、女中ことばの研究にしても、『女重宝記』から出発するか、その前の『婦人養草』から説き始めるかで、女中ことばの性格づけが相当大きく変わります。また、故実書としての『女中言葉』や『女言葉』との関係を飛ばして、往来物などの女性書を使用すると、その研究結果は大きく違ってくるでしょう。往来物に掲載されている記事の中には女性語だけではなく、何々流と書いていなくても、武家故実と切り離せないものがあります。その研究もまだ十分に進んでいないのではないでしょうか。
── なるほど。往来物だけでなく、往来物以外の書物との関係から往来物をどのように把握するのかという点が大切なんですね。
[松井] 往来物には無限の資料価値があるように思います。しかし、それぞれの往来物にその価値が明記されてあるのではありません。使用者がそれぞれの立場から価値を発見していくものであることは、往来物に限ったことではありません。江戸時代の女性の往来物は、ことばの研究資料としてあまり活用されていないのが実情です。始まったばかりで、これからでしょう。部分的に扱っては方向を誤ることがあるでしょう。資料には伝統、継承、模倣、創造といったことがつきものです。それらを見極めることが大切ではないかと思いますね。
  最近、私は「時間」という漢語がいつ頃から、どのような意味で使用されているかを調べているのですが、なんと、明治初期の女性用消息文集に今と同じ意味の使用例が出てくるんですよ。「明日御約束の時間に停車場〈すていしよん〉へ参じ御待あわせ申べく候」という例文が明治11年に刊行された『女年中用文』に出てくる。「時刻」の意味の「時間」を著者の松川半山は何度も使っている。この場合は、梅田駅(今の大阪駅)から京都駅まで、開通したばかりの蒸気車で行き、嵯峨嵐山の桜を見物しようと誘う手紙です。ハイカラな内容だから「時間」を使ったのではなく、恵比須参詣に誘われた返事にも使っている。
  どのような女性の使用を想定しているのか、全然、見当がつかない。当時、どのような男性がこのような「時間」を使用していたのかも明確ではない。使用例が見つかっても、その位置づけがむつかしい。辞書を見ても、かならずしも参考になるとは限らない。この用例の方が古いですから。「時間」は、もちろん女性語ではありませんが、往来物に記載されている事柄、ことばはその時期の使用として貴重なのですが、その由来の究明が難しいことを示す一例です。
── 一言で片付けられる問題ではないとは思いますが、江戸時代から近代、そして、現代にいたる課程で、「女性語」というものはどのように変化してきたのでしょうか。
[松井] 同一層の女性語、類似の場で使用される女性語について、江戸時代、近代、そして現代へ移るにつれて、どう変化したかを指摘することは大変むつかしいことです。比較するに値する女性語が少ないからです。
── 質問自体に無理があるかもしれませんね (笑)。
[松井] しかし、あえて言えば、江戸時代の武家の有職故実に基づく単語群、すなわち女中ことばは、明治の初期でほぼ使われなくなります。「おでん」「おひや」「しゃもじ」「ひもじい」「おいしい」など、通常語に近づいていた語と、消息用語としての一部の文字ことばを除いてです。物や事柄を男性と違った言い方をするのではなく、事柄の周辺に位置する、言語主体の感情や判断表現をする単語が増えてゆく、あるいは残るようです。終助詞の類です。ただし、問題は、女性語を書き残しているのは女性ではなく、ほとんどの場合、男性であることです。
── そうなのですか。多くの場合、女性語を書き残してきたのは男性…。興味深いですね。
[松井] ですから、女性自身が書くよりも顕著に女性語らしさが出るのか、それとも、その逆か、分かりません。男性が書いた女性語と、女性が書いた女性語の比較研究といった報告は少ないのではないでしょうか。
── まだまだ研究テーマが沢山あるようですね。最後に、女性語に関して、今後の研究課題や、この方面の研究者へのアドバイスがあればご教示下さい。
[松井] それらのいくつかは、今までの話で触れたと思います。それはそれとして、これは女性語の研究に限りませんが、最も基本的なことを言えば「先人の発言・研究を先入観をもって読まない」ことですね。そこで使用されている資料は、必ず自分で確認することです。「足で論文を書く」ということでしょうか。「頭で論文が書ける」羨ましい人も、確かにおられはするのですが。
── そうですね。「原本を自分の目で確認する」ことの大切さですね。肝に銘じたいと思います。本日は貴重なアドバイスを頂きまして、ありがとうございました。

松井先生は、往来物の女性語関係記事のデジタル複写をご利用のうえ、念のため原本で確認したいということで、遠方より拙宅をお訪ね下さいました。今回のお話とともに、生の資料に向き合う大切さなどを教わりました。言語の問題一つをとっても、往来物には研究テーマが山ほどあるようです。