手紙は、五感で迫るメッセージ

 *パスカル・グリオレさん(パリ・フランス国立東洋言語文化高等学院助教授)に
   伺いました(2004年10月)。
── まず先生にお聞きしたいのは、日本の書道手本などに興味を持った最初のきっかけですね。
[パスカル] ずいぶん昔の話ですが、1972年にパリの大学(東洋言語文化研究高等学院)を学士卒業して、修士課程に入り、これから日本語学の世界でどんなテーマで修士論文を書くかという問題にぶつかりました。当時はまだまだ日本に関する知識が非常に浅くて、芥川龍之介にするかとか、森鴎外にしてもいいとか…。
── 近世でも近代でも良かったのですか?
[パスカル] はい、日本文化に関するものなら何でも良かったんですね。かなり範囲が広いんです。よく分からなかったんですが、日本の文字でもやろうかなと思いました。それで、高等学院の図書館で調べているうちに、小松茂美さんの『日本書流全史』に出会ったんですね。まだ日本語が十分読めなくて、読むのも大変苦労したんですが、とにかく、何か深い世界だなと感じました。
── あの『日本書流全史』を全部読んだのですか?
[パスカル] いえいえ、最初の方とか一部です。僕が馴れていない言葉ばかりですから。こんな言葉もあるのか、いずれは書道用語集でも作ろうかと。特に書道を評価する時に使う色々な形容詞がありますね。「非常に力強い」とか、「やわらかい」とか、微妙な表現ですね。日本では書の味わいをどのような言葉で表現するのか研究してみてもいいなと思いました。それから図書館では、普通の日本の習字教科書も読んでみました。その後、日本に留学することが決まりましたが、当時は「書」と「文字」の違いも分かりません。とにかく「書」のことを研究しようということになり、日本研究で有名な恩師の森有正先生から、『そのテーマで留学するのなら、東京大学よりも東京学芸大学の方がいい』と奨めてくれたので、東京学芸大学に入学しました。学芸大学には書道科がありましたが、そこはこれから高等学校で書道を教える先生を育成するところでした。ですから理論よりも実践。朝から晩まで隷書(の練習)…、篆刻もやらされました。
── 先生が留学なさったのは何歳頃ですか?
[パスカル] 23歳頃ですね。1973年から1976年まで。日本の文部省の国費留学生として。
── 失礼ですけど、先生は何年生まれなんですか?
[パスカル] 昭和21年生まれ。1946年です。誕生日はちょうどお彼岸の日です。9月23日。
── それで学芸大学時代は一日中書道の練習を…。
[パスカル] はい。隷書ですね。隷書は好きだったんですね。それから草書、王羲之ですね。それから蘭亭の序は行書ですね。それから楷書…。しかし、仮名だけはやりませんでした。仮名は難しい。1年間は漢字ばっかりやっていました。書いている文章の意味も分からずに練習していました。同輩の日本人学生に聞いても、みんなよく分からない。別に分からなくても良いんです。ここでやっているのは中国のテキストばっかり。僕が日本に留学した意味はどこにあるのかという疑問がわいてきました。中国に留学したのならそれで良いんですけど…。日本に来て中国の資料ばっかりやるのは何か変だなと思いました。特に意味を理解できないのが…。
── 意味も分からずに書くのは江戸時代の寺子屋でもあったでしょうね(笑)。
[パスカル] それはそうですけど(笑)。僕は将来は書道の先生になるつもりもありませんし、僕はあくまでも外から書を味わう立場ですね。
── そうでしたね。
[パスカル] しかし、2年生になるとやっと仮名を勉強できたんですけど、子どものように先生が「い」と書いたら、それを手本に「い」と書く。それを何回書いても赤で直される。1年たってもそんな感じで、平安時代の書とか、散らし書きなどは程遠い…。
── 考えていたのと随分ズレてしまったんですね。
[パスカル] それでちょっとガッカリしたんですね。書道を学ぶ人は国際化されていないタイプの人が多いような気がしますね。僕もまだ若かったので、書道を学ぶ人たちを十分理解する力もなかったんだと思います。それで結局、段々と国文学へいこうかな、日本の文字の歴史とか万葉仮名とか、仮名がどのようにできたのかなとか、少し日本の文字の歴史について勉強したくなったんです。幸い、古辞書専門の鈴木真木男先生から、日本書紀における最初の万葉仮名など色々なことを親切に教えて頂くことができました。その時に、日本の文字の細かい歴史について初めて知りました。そして、3年間の留学を終えてパリに戻る時に、論文をどうしようかということになりました。日本に行くときは日本語を読んで習って勉強することばかり考えていましたので、論文のことはあまり考えていませんでした。それで戻るときになってそういうテーマにしようかと悩みました。結局、前島密の「漢字御廃止之義(漢字廃止・仮名専用論)」、つまり漢字をやめろと、そういう人がいたんだ、面白いなと思って読んでみて、それを翻訳して論文を書いたんですね。恩師のジャンジャック・オリガス先生は明治時代の森鴎外とか夏目漱石とか明治時代の研究者でしたので、私の書道の研究もできれば明治時代を中心にやってほしかったんですね。しかし、僕は明治時代の書はそんなに面白くないと思っていましたし、そんなに良い研究材料を見つけていませんでした。でも、前島密あたりなら面白いのかなと思いました。それから明六雑誌の西周や福沢諭吉の意見なども載せて修士論文にしたんですね。

── 修士論文のタイトルは何というのですか?

[パスカル] 「日本の近代化と文字改革」です。それが本になって渋沢クローデル賞をもらったんですね。渋沢栄一とクローデルは日仏会館を創立した二人ですね。そして、博士課程はその流れとして、明治33年に国語審議会ができてから現代までの国語・国字論争、歴史仮名遣い・現代仮名遣い、戦前の振り仮名廃止論とか、印刷技術の問題…。日本のタイプライターは非常に難しかったんですね、漢字を扱うタイプライターも作られたんですけど…。そのような日本の近代化の中の文字の問題、それから、戦後のアメリカ政策、当用漢字など戦後の文字改革、そしてコンピュータができてワープロが登場してくる、初めて漢字がコンピュータに乗れるようになった動き、それから最近のまでの動きですね。博士論文は、このような内容をまとめたものです。この本はフランス語で出さないといけないんです。
── これから出すんですか? 博士論文のタイトルは何ですか?
[パスカル] 「日本人から見た日本語の文字の体系── 明治33年から現在までの言語政策と論争の歴史── 」(1990年)というものです。博士論文はまとめましたが、まだ出版されていないんです。あくまでも論文の形です。それで、これが終わったら、明治時代のことはやったので、今度は私の好きな、もともと勉強したかった古い時代の仮名の歴史に戻りました。そうして仮名の歴史から散らし書きの問題に関心が出てきまして、小泉さんがまとめた『女筆手本解題』にも出会ったんですね。日本の書道は漢字もありますが、漢字研究ではどうしても中国の専門家の方が深いんです。仮名は日本独特のものですので、研究テーマとしては安心できます。漢字ですと安心できない。
── つまり、どの部分が日本的なのか、そうでないのかということですね?
[パスカル] はい、そうです。
── それで女筆手本の話に移りますが、初めて女筆手本を見たきっかけはどうでしたか?
[パスカル] 僕はこれからは日本の文字史の本を書きたいと思っています。文字史になりますと、かなり歴史を遡らないといけません。中国から最初に入ってきた印鑑の話ですとか、青銅器に書かれた文字、万葉仮名がどのようにして起こってきたのかとか、そしてそこから、女手ができたことなどの歴史をしっかりと勉強しなければいけません。そのような研究の中で、女筆も小松茂美さんの本などで知ったのが最初だったと思います。
── 初めて女筆手本を見た時はどんな印象でした? その時は、散らし書きなどのくずし字は読めましたか?
[パスカル] 散らし書き…。僕は、いつ散らし書きという不思議な現象を発見したのかな…。確か日仏会館にした1997年に、青山学院の向かい側に名前は忘れましたが、女性解放の図書館がありまして、確か、そこに小泉さんが関わったシリーズ…
── 『江戸時代女性文庫』のことですか?
[パスカル] そうですね。その中で女筆を発見したような気がしますが、よく覚えていません。こんなものがあるのだと思いました。
── いずれにしても、そうこうするうちに女筆手本の原物を見たり、手にされたりしたんですね?
[パスカル] ええ。
── やっぱり原物を手にした時はどうでしたか? なかなか読みにくくて難しいとか…。
[パスカル] といいますか、文字を読まない時もありますね。長谷川妙躰の散らし書きなどは文字としてではなく、絵として見た場合も奇麗ですね。絵としてね。
── 要するに視覚的な美しさですね。
[パスカル] 視覚ね。ですから一々言葉の意味をしらべないこともあります。それに文言自体は、あまり素晴らしい意味でもない…(笑)。
── まあ、文章そのものはありふれていますよね。
[パスカル] そういう意味で、見た目の文字の美しさ。特に、長谷川妙躰は素晴らしいというか、面白いなと思います。最近は大衆演劇に関心があって、日本舞踊にも興味をもっているんですが、「狂草(草書をさらにくずして思うままに書いた書)」で有名な中国の書家・張旭が踊る女性にインスピレーションを感じて、そのようなくずし字を書いたそうです。私の想像ですが、長谷川妙躰も、あの散らし書きを非常に優雅な動きで…。
── 踊りのように大胆な動きをして書いたんじゃないかと…。
[パスカル] そうですね。恐らく書いている場面を見るだけでもすごかったんじゃないかと思います。書の動きですね。手も、腕も、体全体も…。特に日本では紙を手に持って手紙を書きますね。ヨーロッパでは手紙を書くときは必ず机の上に紙を置いて書くので、手に持つなんて考えられない…。宙に浮いた状態で筆を走らせる…。西洋のペンでは、筆のように柔らかく書けないので、そのような書き方はありえないですね。
── 妙躰の文字は筆圧を自在に変えて、文字を太くしたり細くしたり、流れるように書いてありますね。
[パスカル] そうですね。ある大学のセミナーに参加した時に、女学生が黒板に文字を書いているうちに、板書した文字がだんだん斜めになっていくのを見たんですね。自分の位置を変えないので、黒板に書く字が少しずつ斜めになっていくんです。
── それは、そうですね。
[パスカル] 同じ場所に立っているので斜めになる。その方が楽ですね。それを見て、踊りと書の関係に近いものを感じて、面白いなと思いました。ヨーロッパでは、散らし書きのように、どこにでも文字を書くというのは、普通ではない、気が狂っているような…(笑)。
── そうですか(笑)。
[パスカル] 散らし書きも最初は様式がなかったはずですね。自然にあっちこっちに書いたんだと思います。
── 散らし書きの書き方が定型化する前は、そうでしょうね。もともと散らし書きは、初めから最後の文字までの配置をイメージして書いたというよりは、書いているうちにこのような文字の配置になっちゃったというものではないでしょうか。
[パスカル] そして、同じ仮名でも片仮名の場合は、伝統的に正確に書かなければいけないという意図がある。また、楷書にも将来のために歴史を書くつもりで正しく読めるようにしなくてはいけないという意識があります。しかし、平仮名の場合はそれを読む相手が分かっていて、割とリラックスに書く場合が多いですね。多分相手に通じるでしょうという雰囲気…。
── そうですね。散らし書きも垂直にきっちり書くのではなくて、自由自在に書く。
[パスカル] たぶん自分の気持ちも込めるんですね。平安時代の女性の手紙は、女性が懐紙を持っていてそれに書くんですね。懐紙というのは色々な使い方がありますね。場合によってはハンカチにもなる。それで、懐紙は着物に挿んであるので、たぶん女性の香りもつくでしょう。例えばその女性の香。その移り香がたぶん紙につくんですね。そして、懐紙はきれいな色も付いていたでしょう。色々な色で飾られた懐紙に、匂いもついて、例えば花を添えて贈る…。そのようにとても色気のあるものだった…。まだ、その時代は女性の姿は、簾の向こうにいて直接見ることもできない。その女性の第一印象は手紙だったんですね。吉原の遊女も同じで、花魁(おいらん)にはなかなか会えない。その存在は非常に遠いものです。なにか似ていますね。
── ということは、女筆の見た目の美しさは私もそう感じていましたが、懐紙で香りがつくとか、遊女の場合ですと、時には自分の紅で手紙を書くこともありましたから、非常に個性的というか、手紙を書いた本人の個性が視覚・嗅覚へ強烈な印象として残ったんでしょうね。そのように五感で感じる総合的なものを相手に伝えた…。
[パスカル] そうでしょうね。
── そうしますと、現代に目を向けた場合、電子メールは、テキスト=文字情報としては相手に伝えられるけれども、それにはない部分── 五感に訴えかける部分ですね。昔の女性の手紙はそれを有効に活用して相手へ訴える手段という面があったんですね。香りというのは気付きませんでしたけど、なかなか面白いお話ですね。そのお話で思い出したんですが、最近ある古本屋で和本の往来物を注文したんですね。大抵このような古い本には古書特有の匂いがありますね。ところが、その本屋から届いた本には女性店員の心遣いだと思いますが、お香の香りでしょうか、包み紙に良い香りを染みこませてあって、開封したといたん、あたりに良い香りが広がったんですね。このような経験は初めてだったんですが、とても印象に残りました。
[パスカル] そうですね。たぶん吉原の花魁にも、一人一人違った個性的な香りがあったと思います。フランス文学で有名なプルースト(1871〜1922)という小説家がいるんですけども、彼は、マドレーヌというケーキの香りで自分の子どもの時の強烈な思い出ができるんですよね。やっぱり香りというのは重要な要素ですね。平安時代は香道が盛んで、みんな自分の香りを作るんですね。大量生産じゃない。例えば恋人に手紙をもらって、男が女性のもとへ夜這い、夜、通っていくんですね。その時に暗くて女性の顔がよく見えない。手紙についた香りを頼りに探したんじゃないかと…。場合によっては翌日の朝、『あっ、間違った…』なんてね(笑)。
── なるほど(笑)。それは面白いですね。手紙に香りを添えるというのが、何かの文献に出ていたら面白いですね。遊女で筆でなくあえて紅を使って手紙を書くという記述があるくらいですから、そのような香りの心遣いをしたんじゃないのかと思います。相手に自分を印象づけるためにね。それに、江戸時代には「源氏香」などの香当てゲームもよく行われたので、現代人よりも香りに敏感だったんじゃないんでしょうか。
[パスカル] 私が日本に留学していた頃は、水洗トイレではありませんでしたから結構臭い時もありましたが、現代人は良い香りだけでなく臭い匂いも、嗅ぐ機会が昔よりも少ないのかもしれません。例えば、私はインドへ行ったことがあるんですが、死んだ人間の臭いは恐ろしい臭いですね。インドではどこかで腐っている死体があると、死体を見る前から臭いで分かります。江戸時代にはたぶんこのような悪臭も多かったと思います。気持ち悪い臭いも沢山あった。逆に良い臭いも沢山あった。
── そうすると、現代人が感じる臭いの幅よりもずっと幅広い臭いをかぎ分けていた…。
[パスカル] そうですね。僕が一番好きな香りはキンモクセイですね。大好きです。それで、先の踊りに戻りますけど、その中国の書家は踊りで「書」を悟った。それからは、踊りながら文字を書いた。長谷川妙躰もあの文字をどのような動きで書いていたのかは興味深いですね。女房奉書は奉書紙を手に持って書いた。
── そのような動きで書くことによって、文字に動きがでてきたり、リズミカルになったんでしょうかね…。いずれにしても散らし書きは活字のように縦横きっちり並んだ文字ではないというところに面白みがあるんでしょうけど…。大分お話も沢山聞かせて頂きましたので、最後に、女筆などの方面でこれから研究していきたいテーマはありますか?
[パスカル] まずは博士論文を早く本にまとめることですね。もう一つは日本の文字史。日本全体をやるのは沢山あるんですが、起請文をやりたいんですね。遊女の手紙の研究でもそれが必要です。あるいは、女性の仮名の歴史ですね。女手の歴史のようなものをフランス語でまとめてみたいですね。絵を沢山入れて…。それともう一つは書道の説話、伝説ですね。弘法大師の五筆和尚の伝説とか、小野道風が蛙を見て悟ったという逸話のようなものですね。
── 今日は色々と勉強になりました。楽しいお話をありがとうございました。

パスカル・グリオレ先生と久し振りにお会いでき、楽しく懇談させて頂きました。女筆手本を研究してきて、手紙の視覚的な効果(文字の大きさ、墨の濃淡、くずしの程度、文字の配置など)には重要な意味があるとは知っていたが、臭いという点は改めて教えて頂いた点である。時には、書いてすぐに届ける手紙の場合、懐紙が懐にあれば、人肌の温もりまでも伝わったかもしれない…等々時間を忘れて話に夢中になった一時でした。