ザッコロジーから往来物へ

 *中島 満さん (フリーライター・まな出版企画)に伺いました (2004年2月)。
── 初めてのメールで、中島さんが往来物に関心を持った経緯を教えて頂きましたが、往来物との接点というのは本当に色々あるんだなぁととても興味深く拝見しました
[中島] 僕はフリーライター兼、出版企画会社をやっていまして、専門は漁業と魚、食なんです。魚名起源探究の研究を進めている中で、往来物に記された魚名表現、魚名漢字表現の整理の必要を感じたんですね。原文読解は素人ですが、ぼちぼちと整理に取り掛かろうとしていたら、あの藻類学の大学者岡村金太郎が、魚名について独自の視点からエッセイを多く書いていることの意味が、往来物研究者=岡村のつながりでようやく判明したり、時間を作って蔵書の所在地探訪がしてみたくなったんです。それから、石川謙先生が遺された蔵書にも関心もありますし、色々な意味で小泉さんの往来物データベースの利用登録をお願いしたわけです。
── 中島さんの「行動と思考のパターン」はホームページ(MANAしんぶん)で分かるというので、早速拝見したら、なかなか精力的なサイトで驚きました。このような分野の方にも往来物に興味を持っていただけるのかと改めて感じましたね。
[中島] 僕のホームページに少しでも関心を寄せて頂けたのは嬉しいですね。小泉さんから往来物トークのお話があった時、少々戸惑いました。「往来物」は庶民向けの教科書あるいは初等教育向けの教科書的な書物…という位の知識しかありませんし、言葉としての「庭訓往来」や、節用集の庶民向け字書の位置付け程度を知っているだけで、現物はほとんど見ていません。国語学や近世史を学んだこともありませんし、往来物などという言葉に関心を持ったのもそんなに昔のことではありません。ということで、往来物研究者の皆さんにお話できるものなどないと…。

── 私は、一人でも多くの方に往来物を知って欲しいという気持ちでホームページで色々な情報を公開していますし、また、私の持っている蔵書も全てオープンにしようという考えです。往来物は各時代の文化や社会、世相を反映していて、研究しようと思えば、切り口はいくらでもあると思います。そんな変わった切り口を中島さんからも教えて頂いたように思います。

[中島] いずれにしても、専門的なことは分かりませんが、小泉さんのホームページに行き着いたきっかけについてもう少しお話ししておきたいと思います。実は、この5年間ほど、2つのテーマについてぼちぼちと研究を進めてきました。1つは、ハゼやカジカやギギなどのいわゆる「雑魚(ザツギョ)」です。雑魚は、タイやマグロやコイなどハレの舞台に登場する魚たちの反対に位置する魚たちで、こうした雑魚にえもしれぬ庶民性があることに関心を寄せました。そして、ハゼやカジカのことを、生物・生態学的というよりも人の暮らしや子供の遊びを通してとらえなおしてみたらおもしろそうだなあと、各地の川や海沿いの村や町にでかけて調べ上げる作業を始めました。
── 「雑魚の庶民性」ですか…。面白そうですね。
[中島] 僕は、自分で「ザッコロジー」と名づけていますが、ザツギョ学とでも申しましょうか。ハゼの生物生態学的な研究者は沢山いますし、そうした方々のエッセイも数多くありますが、僕には、そうした文章のなかに、ある特徴を感じてきました。それは、中世、近世に記された魚たちのことに残された文章について、その記述が現代の自然科学的な分類学や生態学の水準に対して、どこが正しく、どこが間違っているかという、現代科学を基準にして見る見方です。だから、近世の本草書を、生物生態学者が読んで、それをエッセイで引用して書くと、当時の本草学者の人たちが正しく見てきた側面にしかスポットを当てないで、その正しい部分のみを引用したがるような気がしてきました。僕は、魚や海の生物たちのことを記した昔の人々の記録をもう少し幅の広い見方をする必要があるような気がずっとしてきました。簡単にいえば、昔の人のハゼを見る見方が、現代の人の見る見方とどこが同じで、どこが違うのかといえば、生物生態学を学として学んだ人ではない普通の人にとって見れば、昔の子供の頃のことを考えてみればわかるように、何にも変わっちゃいないわけです。同じようにユーモラスで、ヌウボウとして、ダボハゼやらチチンコやらのニックネームのほうが通りが良い、そんな魚なのです。だから、そんなハゼやカジカのニックネームの世界にスポットをあててみると、きっと昔の人の自然とのふれあいの姿が浮かび上がってくるのではないかなと思うようになりました。そういうわけで、生物生態学的な分類の概念とは別の側面からの、魚名の変容の世界を調べてみようと考えたんです。
── 雑魚の愛称の中に庶民性を見出すという視点は参考になりますね。段々、往来物の「魚字尽」に近づいてきたようですね(笑)。
[中島] まず、古辞書に当たったのですが、思った通りでした。タイやコイという昔からも主役の魚たちにつけられた邦名としての日本語の魚名とそれにあてられた漢字のバリエーションは、それほどの大きな変容の形を見せてはいませんでした。逆に、ハゼやカジカ、ギギなどの雑魚たちにつけられた奇妙奇天烈な邦名の数々と漢字のバリエーションの多さがありました。それから、近世のエッセイにも目を通しました。その中に往来物に記された魚名がありました。
── 中島さんの熱の入れようが伝わってきますね。私も往来物の中の魚類関係の記事がやたら気になり始めましたね。
[中島] それから、取り組んできたもう1つのテーマが、先のテーマをさらに具体的に調べ上げようと、近世の文書を解読するために何か1冊、これまで翻刻されていない生の文章を読んでみようと、在野の国学研究者であり、旅好きでもあった(放浪好き)林眞楫(国雄)という人の「河蝦考(かわづこう)」というエッセイの翻刻にとりかかりました。「河蝦考」は、カエルのカワズが、魚のカジカと「カジカ」という記号論的な名称をキーワードにして、それをみて、詠んできた歌詠みの人たちがカエルのカジカと魚のカジカを混同するばかりか、魚の鳴くカジカを愛でたり、カワヅの季語とカジカの季語とをいつか混同していくとか、を克明に文献を引用して考証しながら、さらに、多摩川や利根川などの上流部分へとカジカカエルと魚のカジカの観察、採集をして、自分で飼育までして「陸に鳴くカエル」と「水に鳴くカエル」の区分(彼は「ケジメ」という言葉をつかっています)、カエルも水中では声を出せないこと、魚のカジカは別にいて、魚は水中では鳴かざること、カジカカエルとは別物であることなどを突き止めていくというエッセイです。この考証は、現代の自然科学的な見方からすればほとんどナンセンスなのですが、当時の林眞楫という人が、アウトドアで観察しながら、国学や歌学の通例に対して果敢に挑戦状をたたきつける姿勢をみせて文章を書き進める、そんな視点の面白さに引き込まれてしまいました。この「河蝦考」の翻刻の注釈付けのために、先の魚名のバリエーションの考察を加味した魚名再考と魚偏漢字の見直しを進めているうちに、これまた「往来物」に記された雑魚名記述のチェックの必要に迫られたという次第です。
── お話をうかがっていると、引きずり込まれそうな勢いですね。東大の往来物コレクションで有名な岡村金太郎さんも中島さんの分野に近いんじゃないですか?
[中島] ええ。岡村金太郎は藻類学者として著名ですが、僕たちのように漁業や水産の世界で勉強してきた者にとっては、往来物のコレクターであり研究者であったという側面はほとんど知られていません。僕は、友人の海苔漁師が進めている「江戸前のアサクサノリの原種復活大作戦」に協力をしながら江戸前の海苔の資料を集めてきたので、岡村金太郎のこうした往来物研究者と藻類学者との接点についても、非常に興味が涌いてきました。僕が魚名研究の上でもっとも優れた研究だと思っている渋沢敬三の『日本魚名の研究』のなかに「初等教科書と魚名」という論考が含まれています。明治2年以降の近代の初等教科書1449冊に登場する魚名表現を整理したものですが、国の検定とのかかわりというフィルターをかけているために、この論考では近世の初等教育教科書にあたる往来物あるいは節用集の記述には触れていないのです。この渋沢の論考を頭において、江戸時代にさかのぼって庶民や子供たちがどのように魚名の漢字と訓みとを学んでいたのかということを考えることは、魚名変容を考える上でとても重要なテーマであると、小泉さんからお話をうかがいながら気づきました。

── 往来物の中の魚類関係の記事や、水産漁業関係の往来物などについてもいくつかありますので、今後情報交換しながら、さらに面白い発見をされますことを期待しています。今日は、示唆に富んだお話をありがとうございました。


往来物研究者からすれば、岡村金太郎の名前を知らない人はいないわけですが、藻類学の方面の研究者には、岡村金太郎の往来物蒐集家としての顔がほとんど知られていないというのを聞いて、私も驚きました。ザッコロジーの大成に往来物を縦横に活用して頂ければと思います。