開かずの間

*開かずの間* [2]


埃をかぶった「つぶやき」でしょうか?


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2002.12.25(水)

プノンペンから陸路でベトナムに入るには二通りの方法がある。
従来のバスで向かう方法とこの1、2年ぐらいに開かれたメコン川をボートで下って 国境に向かう方法だ。バラナシで会った「ほまれ君」が教えてくれた。
違う道を通るのは楽しい。で、メコンを目指すが、船着き場までが結構あって3〜40分は バンに揺られ、乗り換えた小さなボートはYAMAHAのエンジンを搭載し、もの凄いスピードで驀進。
国境はのどかだった。手続きを終え乗った観光船は、ゆったりとしていたし屋根もあった。
旅人は7人。船旅の終点はベトナムの国境の街、チャウドックである。
この街の南西数キロの位置にサム山という山があるのだが雰囲気はプノン・クロム。
麓には寺がありベトナム独特の墓がたくさんあった。ふうふうと息を切らして上る。
そのせいかどうかは分からないが、眺めは最高。
メコンの支流をはさんでベトナムの田圃とカンボジアの田圃が一面に広がっていた。
うっすらと山も見えた・・・
きっと夕陽は素晴らしいに違いない。

まだ、アンコール遺跡に目覚めていなかった2002年2月初旬。

地図を広げる。
プノン・ダやアンコール・ボレイは国境イミグレ西方にあり、20キロも離れていない。
そして、サム山から見えていた山は多分、いつの日か行くことになるかもしれない
プノン・バヨン遺跡のある山。
・・・あたしは、素通りしていたようだ。

この辺りで、クメール語が話されているということは知っていた。
チャウドックで乗ったバイタクはクメール語を話し、なんとなく親近感を持ったが、 さすがに、ベトナムである・・・サム山の麓で値を上げてきた。

英語、クメール語、ベトナム語は分からないが、考えるのは日本語なので、 言われるままに払うようなことはしない。

「なめたら、いかんぜよ!」


2002.12.21(土)

雨、降り止まず。
ヴェルレーヌの詩を思い出す。

都に雨の降る如く
我が心にも涙降る
心の底に滲みいる
この侘びしさは何ならん

大地に屋根に降りしきる
雨の響きのしめやかさ
うらさびわたる心には
ああ雨の音、雨の歌・・・

訳者は2人いた。
もうひとりの訳者は
「巷」に雨の降る如く・・・

*

「パパ」はポル・ポトの頭蓋骨のかけらを捨てるに捨てられないと言っていた。
Anlong Vengには2回行ったらしい。あたしも、行かないかとバイタクのティナに誘われたが断る。 彼らはもう、新しいG.H.に移ったんだろうなぁ・・・
留年したルティは学校に行ってるかしら・・・
20%しか卒業できなかったという話だった。
ヒトミさんは、どちらを生んだのかな。
ポーの札幌の恋人も12月に出産すると言っていたな・・・
プノット君は、もう歩いているだろう。

*

ちょっと、いや相当落ち込んでいる・・・
疲れているせいではない。


2002.12.15(日)

土曜の深夜TV(関西地区)でクメール舞踏団の番組があった。
(関東地区は12月17日深夜らしい) 始めの数分うっかりと居眠りをして見損ねてしまったが、 カンボジアの気配がとても懐かしかった。
HPにも載せている周壁西塔門近くのデヴァターなど 見覚えのあるレリーフや風景がちょっとだけ映る。ちょっとでも嬉し!

1ヶ月くらい前にもアプサラ・ダンス復活の番組をNHKで深夜放映していた。
現在の衣装や頭飾りには、正直なところピンとこない。
いにしえ(レリーフ)のものとはかなりの違いがあるように感じているからだ。
アプサラ・ダンスは近年、レリーフを参考に考案され、時代が下るので仕方がない。
ま、裸で踊るわけにもいかんだろうし・・・
冠帯は、推測だけれど布。4〜5センチ幅のチロリアン・テープのような菱模様の織物で、 端に紐がついていて後で結んでいたのだと思う。冠帯上部はレリーフでは火炎模様だが、 実際には羽を縫いつけていたのではないかと。
頭頂部の円い飾りは蓮の花や蓮の種が並んでる雌しべ(?)のような気がする。
(青銅の実物大の頭飾りがタイの博物館にあるようだが、あたし的には無理っぽい)

メールでのやり取りは誤解が生じるのが一番怖い。 が、ネットはネットで・・・(しかし・・・)

冬用のシュラフを出す。さすがに暖かい。


2002.12.13(金)

北朝鮮の知り合いがいた。
何処にいるかは分からない。
本名さえ知らない・・・
色々と世間は騒いでいるが、今、彼女はどんな思いでいるのだろうか。
彼女にまつわる人々は、特別な任務があったのかもしれない。
北のニュースを聞くたびに思い出す。


2002.12.7(土)

「偶然、あなたのウェッブページを見つけました」と英語のメールが届く。
しかし偶然でないのはすぐに分かった。
記憶にあったイニシャルとメールの名前が一致したからだ。
・・・そして住所も同じだった。

英語は・・・わからん・・・
なんとなく意味はわかったが。 また、異国の人に恥を晒してしまったようである。


2002.12.6(金)

よ、よかった〜!
プロバイダーの無料ホームページ容量が3倍の100MBに! ずうっと、びくびくして、いつエラーが起きるか、お達しが来るかと思っていた。
9月の下旬にTel.して問い合わせをしたのだが、「有料の容量貸し出しはしていない、 超過するとどうなるかわからない」とも言われた。
もう一つ契約しようかとも考えてた矢先なので、めっちゃくちゃ嬉しい!
サーバーのHPの容量をを電卓で計算し、一喜一憂していたのだ。
(マイ・マシンよりUPしたサーバー側は少なくなるので)
小さなHPではあるが、ファイル数は1500を越えている。
もしかしたら、電話したことによりプロバイダー側が、検討してくれたのかもしれない。
なんて、考え過ぎか・・・?

あぁ、本当にあぁ・・・もぅ・・・

あれとこれを削除して、なんて悩んでいたのが一気に解決!


2002.12.某日

あたしは戸惑っている。


2002.12.1(日)

思い出すつもりはなかったが、思い出した。
インド、シムラーのホテルにはテレビがあった。180R(4ドル)くらいの部屋だったと思う。
ニュースで、日本皇室女児誕生を報じていた。
おお、こんな地でも、こういう風に日本のニュースが流れていると感心したっけ。
シムラーの街も荷物を担いで歩くと辛い。ダージリンの街と同じで、坂道だらけ・・・
ホテルの横が学校で、歌が聞こえ、太鼓を叩きながらラジオ体操の様なものをやっていた。
ぼんやり見ていたら、突然サルが現れびっくり! この後、キナール峡谷へと恐怖のバス旅行となる。(サラハンとサングラ)
もう、1年も経つのかぁ・・・

HPを公開するということは、更新という作業がついてまわる。
が、そうそう旅ばかりしてはいられないし、2年前と1年前は殆どコースが同じなので 書くのを止めた。旅の内容は全然違うのだけれど。

その代わり、アンコール遺跡の部屋が増えた。
しかし更新は、つ、つら〜い!!

絵も描かねばとも思うのだが、気が向かない。
本当に、行き当たりばったりのHPである。
まぁ「あたし」らしいが。


2002.11.28(木)

あたしは、そそっかしい・・・
今更なおらないし、もう少しつき合っていくしかない。

今年のクリスマス、大晦日、そして新年を日本で迎える。
箱根駅伝でも見ながらゴロゴロするのもいいかもしれない。

いいわけないだろ〜〜〜〜〜!!!

アンコール遺跡の風に吹かれ、昼寝をした〜〜〜〜〜い!!

寒さが深まっていくにつれ、彼の地の暑さが恋しくなる。
いつ行く?どれくらい行く?本当に行く?

ポカリ・スエットの粉末は必携!
昼食や休憩を殆どとらずに動き回っているあたしにはピッタリ!の飲み物である。

ああ、唐辛子が効いたボックロホッ(パパイヤサラダ)を食べたくなってきたぞ!
オンパウ(唐黍ジュース)も飲みたい!
しかし、ここはOSAKA!


2002.11.23(土)

ついに鯖の姿寿司を作る。
安い鯖も売っていたが、寿司には向かないと言われ980円の鯖を買う。
ビンボーなあたしにはちょっと痛かった。

でも、うま〜〜〜い!

願望が、現実のものとならない時の代償行為。
小さな望みの、欲求を満たす。それは食欲だったり、買い物だったり。
食欲が満たされるとすこしだけイライラは治まる。
が、体重は増加の一途を辿っている!というかむくんでいる!
買い物といっても、本しか買わないのだけれど。

修理したカメラの試し撮りをしておこう。


2002.11.19(火)

旅に出かける前に一番心が高揚するのは、T/C購入直後にサインをするときだ。
いい気分だった。予定はまだないけれど少し前に買った。
あたしが10万ちょっとのお金に凄く悩んでいたら、 後から来た中年の奥様が2人、それぞれ50〜60万ほど両替。ポンドだった。

サインはマスターカードは下にするし、アメックスは上!というのが紛らわしい。

シェムリアップのBankで両替しているとき、隣に英語が堪能な日本女性がやって来た。
日本円からの両替のようだ。流暢に英語を話しているので旅慣れた人なんだと思った。
しかし、その女性があたしに発した言葉に、転けそうになった。

「その券って、何の商品券ですか?」

ああ、そういう旅をしている人もいるのだと!
両替は目減りするからしない方がいいとは思うが、現金持ち歩きは怖い。
国にもよるが、短期なら円でもいいか・・・

「旅行人」の掲示板の「一部」に管理人の手が入る。
ここにHNを乱立し荒らしまくっている下衆男がいる。女を装ったり男だったり。
Yahooは野放し。本当にチェックしているのか疑問だ。

「水清ければ魚住まず」ということなのか?


2002.11.15(金)

坂本龍馬暗殺!の日である。
生まれた日に彼は死んだ。
高知は龍馬と四万十川に助けられているように思う。
そして龍馬は司馬遼太郎によってヒーローになった。

霊山護国神社は花でいっぱいだろうな・・・


2002.11.12(火)

ホーム・ページを公開(大袈裟!)しているのに変かもしれないが、 あたしはアナログ人間でネットは苦手である。
もちろん日々あちこちと見には行くし、興味深いサイトもあり楽しい。
気になるのは以前に比べ節度がなくなってきている事だ。
何でも有りがネットの世界かもしれないが、読んでいて体が拒否反応を起こす。
倫理・道徳観のない下品さは不快だ。
また、言葉はいやに丁寧だが、煽っていると感じられる書き込み。
HNをいくつも変えながら書き込み、様子をうかがっている者。
迷惑メールを避けるためかもしれないが、非難・中傷はするのに、 アドレスを書き込まない者。
見に行かなければいいのだが、あたしにとって何処に不快な書き込みが有るかは 予測できない・・・

地方出身者の悲しいトラウマで 電話も苦手である。
「便りがないのが、よい便り!」


2002.11.8(金)


鯖寿司を食べたいと思った。 で、駅地下の生鮮売り場に行く。「鯖は今日は入ってない」だって・・・
なんてこった。仕方なく寿司売り場でパックの鯖寿司を買う。
本当は、姿寿司を作って食べたかったのに!
うんと酢を利かして、もちろん柚入りで。
酢を利かすには塩、塩が決め手!
いつの間にか食欲の秋は通り過ぎたようだが、あれもこれも食べたい。


2002.11.4(月)

デヴァターの耳を縫いながらダウン・ロード。
マイ・マシンが古いせいかJavaScriptが入っていないせいか、わからないが クリックした新しいフレームに、画像は表示されていない。
しかし、あたしは思った。マイ・マシンに表示されていないだけで、コピーは出来ると。
数十分のダウン・ロードは、賭けみたいなものだった。
うまくいった。地図は大好きだ。

耳は、むずかしい・・・
仕上がらへんかも・・・


2002.10.30(水)

寒い、寒い、寒い・・・
辛抱していたが、ついにこたつを出した。

去年の12月、北インド、ヒマーチャルプラデッシュ、キナール峡谷の旅を思い出す。
サラハンの宿の窓ガラスははずれていて隙間があったり、ガラスがなかったり、 ドアの隙間が広かったり・・・
サングラの宿は密閉度は高かったが、床はコンクリートで暖房はない。室温は2度。
ありったけの服を着て、寝床にもぐりこむしかなかったっけ。

それを思えばどうってことはないはずなのに、寒い!


2002.10.22(火)

本屋のカウンターに万華鏡を置いてあった。
つい、手が伸びる。「き、きれい!」
小学校2年の時、工作で作ったのを思い出す。その頃のはとてもシンプルだった。
先生がガラス切りでガラスを切ってくれたなぁ。
掃除の時、カラフルなプラスチックの破片が床に落ちていたのを覚えている。
買っても無駄買いとは思わないが、留まる。

鰻の皮は、あんなにかび臭かったっけ?
魚は大好きだが、鰻が旨いとは思えない。
それは、本当に旨い鰻を喰ったことないからか?
子どもの頃、川で獲った鰻もよく喰ったけれど、たいしたもんか?
鰻は大きくなると、不味いというのが持論。


2002.10.21(月)

勉強し始めた頃に読んだ本を再度読み直す。
何も知らずに読んだ時と、少し知って読む今、ちんぷんかんぷんだった事柄が、 すんなりと頭に入っていく。面白い。

ジャヤヴァルマン2世が建設したというクーレン以前の
アマレンドラプラって何処なんだろう・・・
バンテアイ・チュマールでもなくアク・ヨムでもないらしい。

バンテアイ・チュマール:かなり後年(ジャヤヴァルマン7世)
アク・ヨム:ジャヤヴァルマン2世以前(西バライ辺りは違うのか?)
Prasat Kok Po辺りの遺跡にコンポン・プレア様式のリンテルが転がっていたけど、 時代としてはぎりぎり重なる気もするんだけれど。
しかし、資料の写真を見るとPrasat Kok Po [A]のリンテルはプレア・コー様式 9世紀第4四半世紀だし、様式も全く異なる。
違う年代の遺跡が混在しているのだろう。
Aがあるなら、B、Cもあるってことか?また宿題がふえてしまった・・・

クーレン山をマヘンドラパルヴァタというが、このマヘンドラという地名には少し前に出会っていた。
ネパールの最西インドとの国境の街、「マヘンドラナガル(Mahendranagar)」である。
「マヘンドラ」と「ナガル」が組合わさっている。
「ナガル」つまり「ナガラ」はサンスクリットの王城・王都。
(「ナガラ」から「アンコール」へと変化)

去年(2001.11)のマオイストのテロがあった10日後、 ポカラから危険地域の中西部を横断し国境の街にたどり着いたが、 検問の多さにウンザリしたっけ。
ガンガーとトンレサープ川かぁ・・・ちょっとね・・・


2002.10.18(金)

日焼けしていた顔も時計の跡も、いつの間にか戻ってしまった。


2002.10.(某日)

自己は満たされたか?うん、だいたいね。自問自答。
自分に問いかけることが多いが、きりがなくなるので止める。


2002.10.(某日)

イソップ物語に「北風と太陽」というのがあったと思う。
アメリカって北風みたいだ・・・
何処かに太陽のような国があればいいのに。


2002.10.10(木)

あたしはバラナシが好きだ。 あの雰囲気が。
サリーをまとうわけでも、パンジャビ・ドレスやクルタを着るわけでもなく、 ヨガやシタール、タブラーもやらない。当然、「葉類」もやらない。
沐浴する人々や、色とりどりのサリーを干したガートを、 クリケットや凧揚げに興じる男達を、チャイを飲みながら日がな一日眺める。
ああ、早朝に聞こえる洗濯の音が懐かしい。
部屋のドアを開けるとガンガーの向こうに昇る朝日。

何かを悟りたいのでもない。ぼんやりと・・・


200210.7(月)

なんだか気分がすっきりしない!
失せもの・・・。チケットとT/Cを何処にしまったのか思い出せない。
バンコクへの復路。いつでも行く気になれば明日にでも行ける復路のチケットが。
1年オープンだから、そのうち出てくればいいんだけれど。この狭い部屋の何処に?
捜し物をするときは、バック・パックの中でも宇宙と化すぐらいだから・・・
この狭い部屋が急に広く感じる。ああ、思い出せない・・・

あった〜!もう疲れたよぉ・・・

早い目にカメラを何とかしておこう。

あと、どれくらいかかるのか。もう山場は越えた。
写真を繰り返し見ていると、どの遺跡も大好きになっていく。
撮るときは気付かなかったが、しっかり写り込んでいる面白いものもあり、嬉しい。
改めて見て気付かされることもある。カメラが壊れ1000枚近くは失ったが、 それでもめげない、自分の性格は好き!


2002.9.30(月)

すっかり涼しくなってしまった。今ぐらいが一番過ごしやすいのかもしれない。
眠りやすいというのが一番だ。起きていて暑いのはいいが、就寝の時はつらい。

アンコール遺跡のページを開いたのだが、そろそろ限界だ。
写真類はあと少しあるが、プロバイダーの無料貸し出し容量30MBが、 もうなくなりかけている。有料の貸し出しはしていないと言われた。
今時、Bekkoameは変な言い方だけれど、古い?
でも無料貸し出しの容量は初めの頃(5MB)から、抜きんでて多かった。
画像が多いあたしには、ここしかなかった。
(メカ音痴のあたしは、今プロバイダーを変え、設定やUPの方法が変わる と思うと、怖くて変えられない)普通のページなら30MBもあればゆとりだろう。
あたしもそう思ってはいたのだが。
アンコール遺跡のページで写真を貼り付けていたら、アッという間に残り僅か。
マイ・マシンで限界だが、UPするとすこし圧縮されるので、それが頼りだ。
(1〜2割圧縮)それを計算して、あと残りを考える事にしよう。
何とかいけると思っているが、駄目なら古いどれかを削除ということになる。
(クーレン地図と歴史Mapは近いうちに削除するつもりだが)

Happy go Lucky:
1,195項目で、56MB(29,276,823バイト)
そのうち、
アンコール遺跡ページ:
701項目で、34.6MB(18,800,525バイト)

プロバイダー・サイドの容量を計算したらアンコール遺跡分は10.9MBだった。
やれやれ・・・
溜息の、今日である。


2002.9.19(木)

テレビで合鴨を飼っている農家の話をやっていた。

記憶のすり込み。卵の時に話しかけると、その声を親と思うらしい。
思い出した。
この事は知っていたが、それが今日突然、昔の記憶と繋がった。

そうだ、こにちゃんにヒヨコはなついていた!
こにちゃんが行くところについていく。
チョキで殺されるというのについていく。
きっと卵の時に、こにちゃんは話しかけていたに違いない。
その絵を描いたときには気付かなかった。

こにちゃんに、ひよこはなついていた・・・


2002.9.某日

本能の赴くままに、腹が立てば怒り、おかしいときに笑い、嬉しいときに喜んできた。
しかし悲しい時に、思いっきり泣けなかった。涙も流さなかった。
そして、残る後遺症。


2002.9.11(水)

新米を炊く。うん、うまい!
艶やかさが違う!!

気楽なことを書いているが、あの「テロ」からはや一年。


2002.9.9(月)

涼しくなった。水風呂を冷たいと感じ始める今日この頃。
この2ヶ月ほどは殆どお湯には浸かっていない。秋の始まりだなぁ・・・
息をつくと、取りかかるのが億劫になりそうなので、 気持ちが熱い内にまとめたいと思うのに、うまくまとまらない。
熱い内はだめなのかもしれない。
しかし、何かを仕上げるときは、荒くても「勢い」が大事と思っている。
この矛盾・・・

来年の正月は、一体どこで過ごすのだろうか?
願わくばアンコール遺跡・・・
バラナシ、ガンガーのあの雰囲気も捨てがたいけれど。
共通項はあるようで・・・


2002.9.3(火)

日本もカンボジアも似たような暑さだ。
部屋はミニアルバムが散乱している。カメラの事情で時々写らない。
どれぐらい写っているのか心配で毎日現像に出した。夕方渡せば7〜8時の引き取り。
一軒のプリント・ショップで400$ちょっとは使ったか・・・
見たものは心に撮せばいいが、人には伝えられない。百聞は一見に如かず。
今回はいつもと違って、いっぱい撮ることが目的だった。
一喜一憂しながらの遺跡巡り。お金より、持てるかどうかが心配になり始める。
バンコクで測ると書籍と地図と写真で10キロを優にこえていた・・・
1800枚位・・・こんなに撮ったのは始めてで、駄目だったのは800枚ほど。
カンボジアでカメラは必ず故障している。修理屋の主人は笑っていた。
次も故障するのか?
今、アンコール遺跡のページを作成中だが、ちょっとマニアックである。
一体何人の人に理解してもらえるのだろう・・・
などと思いつつ、分からないだろ?この感覚、それでいいのだ!とも思う。
自己満足のため?そう、大好きなアンコール遺跡のことをあたしなりに表現したいのだ。

まだまだ勉強や情報収集が足りない。

あぁ、クーレンって、あぁ・・・


2002.9.1(日)

久し振りの書き込み。
RさんにTel。シェムリアップの宿・バイタク情報で盛り上がる。
あたしはあの街でどんどん顔を覚えられていく・・・
便利ではあるが、居心地が悪い。
あたしは本当は愛想が悪いのだ。面倒なのだ、挨拶するのが。
などと思いつつ、出会う日本人には声をバンバンかけて挨拶をしたなぁ。
おかげでネットで正体がばれてしまった!はは!
そうそう遺跡調査の某大学のI教授にまで声をかけている・・・


2002.7.25(木)

ドドドーン・ドン・ドーン・・・
花火だ!
ネットを繋いだまんまで屋上へ。
あぁ、夏だな・・・
振り返ると、東に満月があった。


2002.7.24(水)

あかん・・・

旅を延期するか、と思い始めていたら夕方から元気になった。

この前見た夢のせいもある。
旅先で荷物を盗まれる、やな夢だった。
それにカメラの試し撮りをしたのだが、重てえ!
暑さにばてている。

モワンとした不機嫌感・・・
後で気が付く、体調不良。
バンコクで一番にすることは往復チケットの予約。
「監督」はいるだろうか?差し入れは本がいい?
プリヤ・ヴィヘヤの情報も知っているかもしれない。

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