* 大概、1つの偽扉には5つ。Pr.Kok Poのは3つで、青緑色の砂岩。 多羅樹の葉に、いろんな模様の記録がされたはずだが、劣悪な環境も加わり、残っていない。 側柱、リンテルなどの模様も変化し続けていったが、変化が進化と等しいわけではない。 個人的希望として。 金属製の(青銅など)板の様な物に、記録を残さなかったのか? それは、あったが人々が溶かして他の物に鋳造したのか? はたまた、どっかの地中に人知れず、眠っているかも?と思う。 腐って存在しないかもしれないが、例えば粘土のような所に埋まっていて・・・、無理やな。 しかし、中国の中山王陵では、2000年程前の銅板の設計図が1970年代に発見されている。 これは銅だったからか?青銅は腐食しやすいか? 素人なののでどれくらい耐久性があるかはわからない。 でも、何か残っていて欲しい。 東メボン(East Mebon)の紋様だけ異質。 もしかしたらプレ・ループもこんな感じだったかもしれない。そのころは、今ほど彫刻に、ましてや偽扉や側柱なんかに興味はなかった。「デヴァターと多くの遺跡を見たい」そんなだった。 遺跡に行けない状態になって、興味がより深くなった。 方形の枠の蓮だけでなく、枠との間の模様は同じ年代であっても違っていたりする。 North Khleang とBeng Mealeaの偽扉は、蓮と蓮の間の模様が同じである。(一世紀ほど年代が違う)2006.8.6(日) 番外 |