在京疾風会・電子掲示板(2013年1月〜12月)

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カトマンズで年越し
投稿日 12月31日(火)02時43分 投稿者 豊間根則道 削除

一昨日書き忘れましたが、今、ネパールのカトマンズにおります。今年はここで年越しです。とは言っても歳末や新年を迎える雰囲気は微塵もありません。なぜかと言うと、ネパールで使われている暦は我々が使うグレゴリオ暦とは違い、ビクラム暦という独特のものだからです。この暦では我々でいう4月15日頃に元日がやってくるのです。今は「9月」の半ばというところで、12月31日も1月1日も普通の平日であり、祝日ではありません。よって、私も普通に仕事をします。

皆様、よい新年をお迎え下さい。


おひさしぶり:宇部耕司くんのこと
投稿日 12月28日(土)21時11分 投稿者 豊間根則道 削除

しばらくこの掲示板を見ていなかったのですが、8月12日に「な」さんが宇部くんのことを書いているのを読んで書きたくなりました。宇部くんとは中学校の1年生の時に確か同じクラスでした。久慈から盛岡の中学校まで「笈を背負って」勉強に出て来ているということが私には非常にすごいことのように思えて、ちょっと距離を置いてつきあっていたと思います。でも、おもしろい人で、いい友達でした。顔がまんまるで眼鏡をかけて、怒って口をとんがらせたその顔つきは今でも覚えています。中学校卒業前に久慈に帰っていったので、付き合いはそれっきりになりましたが、「な」さんの書いてくれたのを読んで少しその後のことを知りました。私は久慈に行ったことはありませんが、そこに宇部という土地があることは宇部くんのことを通じて知ったのです。


富士山麓めぐり〜2013秋
投稿日 12月3日(火)15時59分 投稿者 佐藤(泰) 削除

上記の写真掲載しましたが、なんせ私は行っていないので
説明不足です。がまんしてください。

ここだけは説明聞きたいということがあれば、この掲示板
を利用してください。


【時代屋の女房】をアマゾンで検索すると
投稿日 10月28日(月)08時24分 投稿者 佐藤(泰) 削除

↓で2000円くらいで買える。

レンタルのほうがいいかな。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Ddvd&field-keywords=%8E%9E%91%E3%82%E2%82%CC%8F%97%96%5B#/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Ddvd&field-keywords=%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%B1%8B%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%88%BF&rh=n%3A561958%2Ck%3A%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%B1%8B%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%88%BF


夏目雅子の【時代屋の女房】を見て
投稿日 10月25日(金)13時26分 投稿者 石川雅邦 削除

明けがた、歳のせいで3時半に目が覚めた。BSジャパンをつけたら、夏目雅子、渡瀬恒彦主演の【時代屋の女房】をやっていました。東京の大井町界隈がその舞台なのですが、盛岡もその一つの舞台になっています。国道4号線を盛岡に向かっていく途中の冠雪した岩手山の綺麗なこと、岩手公園の啄木の石碑を前に、夏目雅子が歌碑を読むところなど、わんこそばを東屋?で食べるシーンもあり、女優夏目雅子はキラキラと輝いていたと思います。この映画を撮影した2年後かに亡くなったわけですが、夏目雅子の名作だと思います。追記ですが、大井町界隈でこの映画の舞台になった近所に仕事でよく行きますが、そのたびに思い出します。


そ、マッチ箱にいれたな〜
投稿日 9月13日(金)15時52分 投稿者 佐藤(泰) 削除

今はプラスチック製のオシャレな容器に
替わっている。

念のため2回もとらされる。


単発ネタ 「どこが研究発表なのじゃ?」
投稿日 9月12日(木)16時21分 投稿者 な@疾風会 削除

 医学会分科会「公衆衛生の歴史」の展示の前に立っていたら、「興味がありますか?」と研究発表者に声をかけられた。

「昔は これ(箱型マッチ箱、展示は模型)に大便を入れて小学校に持って行ったそうです」

「回虫卵保有者が 80%もみつかったんですよ」

 (ええ、そうです。知ってますが。)
 この掲示板では、あたりまえすぎて盛り上がりそうもない世代間ギャップのおはなしでした。


花巻東惜しかった
投稿日 8月21日(水)15時43分 投稿者 佐藤(泰) 削除

準決勝で延岡学園に惜敗、逆転が得意だから期待してたけど残念。
花巻東は1年生2年生に良い選手がいるとのことで、秋の大会では一高の
強力なライバルとなるのは間違いない。秋の大会はもうすぐなので「白堊
スポーツ」に注目しましょう。

なさんの三陸物語は(嵯峨)真紀子さんが登場して終了なのかな。また
書き込みいっぱいしてください。


お盆だもの、あなたがたは里帰りとか しないのでしょうか?「50年前の宇部の話」おわり
投稿日 8月12日(月)17時03分 投稿者 な@疾風会 削除

久慈市宇部町の宇部中学校3年宇部耕司くんに私は手紙を書いた。7月19日に久慈に行く、と。電話はかけてない。あの頃はそれが普通だったと思う。

1年生の時の宇部君は読書量が尋常でなく多くて驚いた。図書室に並んだ順に次々と借りて行った。ほんとは読んでねぇべ、などとからかうと口をとがらせて怒った。

 かの宇部君は生徒会長になっていた。
お父さんに車を出してもらったりするほか、校長に話を通して「友だちが盛岡から日蝕観測にやってくる」と得意に吹いたということだ。
 
 宇部の海岸は小袖海岸が有名だが、そこは石だらけのためキャンプに向かない。宇部中の科学部員らと教頭沢里金五郎先生、もちろん宇部耕司とは、久喜浜に大テントを張って歓迎してくれたのにもたまげた。

しかし、
 厚い雲は一度も晴れず、全く観測にはならなかった。

 翌年、宇部耕司は盛岡三高に進学した。宇部中学嵯峨八郎校長先生の3女真紀子さんは、盛岡一高に進学した。疾風会依田さんのことだ。


東京に行ったこともない子が、久慈海岸を目的に選んだ理由
投稿日 8月9日(金)06時36分 投稿者 な@疾風会 削除

1963(昭和38)年7月21日明け方。
北海道網走市近郊、斜里町、知床半島・羅臼町、こういった所でのみ観察され(ることになってい)た皆既日食が騒動の元でした。
午前4時に日の出を迎えたときはすでに70%ほど欠けていて、15分後くらいには皆既食になる、という話。八木淳一郎先輩や川村哲夫(故人・41会)先輩ら一高生は堂々の網走遠征観測隊を組んでいましたし、とにかく全国から大勢のマニアがあの秘境まで押し寄せたのです。

 まずは太平洋からの日の出を直接見なければならない上に、緯度が高いほど大きく欠けるという理屈から、「な」少年は久慈海岸を選んだのでした。私らは東京に行った事すらなかったのですが、盛岡から久慈までの旅も東京に行くほどの感覚で、実際それくらい時間が要したですね。
 1年生の1学期だけ同級生だった「うべ・こうし」(耕司=コウジと読まれるとむきになって訂正していた)が、久慈に転校している、ということが本当の理由でした。

 網走に向かった一高天文部からは、「おめだつ、久慈で観測すたって、皆既食でないべじぇ」とあとから笑われたが、やむを得んところでした。(続く)

 


北リアス線、最初の停車駅 「陸中宇部」 をめぐる思い出話
投稿日 8月5日(月)18時33分 投稿者 な@疾風会 削除

 1963年7月、国鉄久慈駅にはじめて降り立った私ら中学生4人を、黒塗りクラウンが待っていました。
農協の理事をなさっているという市議会議長宇部耕一郎さんが出迎えてくださったのです。
現在の陸中宇部駅近く、宇部町の宇部さんのお屋敷で食事をいただいたように思いますが、暗くなる前に久喜という海岸に送ってもらいました。

いったいなぜ?何のエピソードでしょうか。

 私らは岩大付属中3年生4名、学校から屈折式天体望遠鏡と木製三脚を借りて、キャンプ道具などの荷を携えて初めて久慈市を訪問したのでした。(続く)


8月 夜空に夢見る星めぐり 第334回(八木淳一郎先輩の記事)から紹介
投稿日 8月3日(土)05時40分 投稿者 ナ@疾風会 削除

 お盆にはペルセウス座流星群の出現が待ち受けます。
この流星群は時期や時間もちょうどよいし、明るくて長く飛ぶものが多いので、初めて流星を見たい人に格好だと言われています。
予想ははずれることもありますが、1時間に数十個、1分に1個もの頻発だったら、少し間暗さに眼を慣らしながら空を見上げていようじゃありませんか。
あっ、とかワーとか、突然声を発することに自分が驚くこと必定です。

 さらに今年に限ってはもう1つ、8月12日午後7時ごろに岩手・秋田地区限定で「乙女座主星スピカと月の接蝕」(隠れるならば星蝕)という微妙な、めったにない天体現象があるのだそうです。


野田村には2駅「ソルトロード陸中野田」と「西行(さいぎょう)の庵(いおり)野田玉川」
投稿日 7月29日(月)15時05分 投稿者 な@疾風会 削除

 陸中野田駅に隣接して45号線道の駅「のだ」がある。
牛が塩を背負い牛方が追って平庭高原とか山々を越える、これが野田塩べごの道。
 マンガン鉱山「野田玉川マリンローズパーク」もある。これと久慈市の琥珀の抗道(博物館)は別物です。

 大津波の最高到達点37.8mを記録(米田地区入り口)十府ヶ浦海岸は瓦礫ごみ置き場と化しています。

 ちょっと歩いては遠い内陸部に日形井という集落があり、アジア民族造形館および曲り家民宿 苫屋(とまや)は幾度もテレビに紹介されています。「昔ながらの風景、くらし」です。

野田玉川駅の近く海岸崖に西行屋敷跡。「野田のたまがわ」は歌枕(史跡)に違いないでしょうが、西行が訪れて庵を結んだ、とかの史実は不明です。


 普代村では太平洋を見よう
投稿日 7月25日(木)21時36分 投稿者 な@疾風会 削除

北緯40度 黒崎灯台は普代村です。
国民宿舎くろさき荘では宴会も開いたし、何度か宿泊もしました。

北リアス線開通時の普代村村長は、和村(わむら)幸徳さん。実に40年間村長で居続けた方です。
高さ15mの巨大防潮堤を築きあげた業績も、特に有名になりました。

ほかに三陸鉄道の開業には、岩手日報社社長・会長の久慈吉野右衛門さんの功績も特記されます。
久慈社長は、久慈市侍浜のご出身だそうです。


高校野球県予選 進行中
投稿日 7月20日(土)08時18分 投稿者 な@疾風会 削除

対高田高校戦のあった森山球場は私の職場に隣接しており、工場顔負けの大音量(声援が)が聞こえていました。
平舘速報で見ていたところ、中盤に双方が3者凡退を繰り返したあたりにはドラ声が続かなくなり心配もしました。
今日(土曜日)は県営球場です。ベスト8を賭けて これから応援に出陣します。

追補)友達が群馬から、JR八戸線〜三陸鉄道北リアス線(一部バス代行)〜JR山田線 と観光旅行に来てくれました。当然、この移動だけで1日つぶれます。しかし、地元はうれしい、私もおかげでちょうどいい話題が得られました。続編があります、乞うご期待。


高校野球の話
投稿日 7月16日(火)16時15分 投稿者 佐藤(泰) 削除

一高野球部の監督は杉田さんから渡辺史朗君のご子息渡辺史隆君に替わって
います。

緒戦は雷雨で中断しながらもコールドで勝ちました。大いに応援しましょう。


犬には吠えられ、村人からは「自首しろ」と脅される
投稿日 7月15日(月)12時49分 投稿者 な@疾風会 削除

震災の起こる前の話ですが。

 三陸鉄道北リアス線がトンネルばかり走る一方、ほとんどの国道45号線は鉄道路線から遠く離れ、時に高架の上を走っている。
 「みちのく奥の細道」としゃれる徒歩ハイカー(私のこと)は、旧街道の山道越えか、海岸沿いの岩をたどる冒険を楽しんでいる。
が、集落に近づくと興奮したイヌが吠えまくり、会釈して通り過ぎようとした私に村人が言い放ったことばがこれだ。

「悪さして逃げてるんだべが、必ず捕まるんだぞ。あきらめろ」


北リアス線沿線の市町村を確認します。
投稿日 7月10日(水)15時54分 投稿者 な@疾風会 削除

 久慈市(現在は山形村と合併)、九戸郡野田村、下閉伊郡普代村、下閉伊郡田野畑村、下閉伊郡岩泉町(小本)、宮古市田老(旧田老町)そして宮古市です。

 ドラマで重要な存在の高校は、わが国唯一の潜水夫養成課程を持つ県立種市高校水中土木科(現在は海洋開発科)がモデルに違いないでしょうが、この高校は久慈市にはありません、洋野町(九戸郡種市町と大野村の合併でできた)「ひろのちょう」です。(下記URL)
旧種市歴史博物館では潜水夫(南部もぐり)の作業について学べます。

http://www2.iwate-ed.jp/tan-h/index.html


お盆だもの、あなたがたは里帰りとか しないのでしょうか?「50年前の宇部の話」おわり
投稿日 8月12日(月)17時03分 投稿者 な@疾風会 削除

久慈市宇部町の宇部中学校3年宇部耕司くんに私は手紙を書いた。7月19日に久慈に行く、と。電話はかけてない。あの頃はそれが普通だったと思う。

1年生の時の宇部君は読書量が尋常でなく多くて驚いた。図書室に並んだ順に次々と借りて行った。ほんとは読んでねぇべ、などとからかうと口をとがらせて怒った。

 かの宇部君は生徒会長になっていた。
お父さんに車を出してもらったりするほか、校長に話を通して「友だちが盛岡から日蝕観測にやってくる」と得意に吹いたということだ。
 
 宇部の海岸は小袖海岸が有名だが、そこは石だらけのためキャンプに向かない。宇部中の科学部員らと教頭沢里金五郎先生、もちろん宇部耕司とは、久喜浜に大テントを張って歓迎してくれたのにもたまげた。

しかし、
 厚い雲は一度も晴れず、全く観測にはならなかった。

 翌年、宇部耕司は盛岡三高に進学した。宇部中学嵯峨八郎校長先生の3女真紀子さんは、盛岡一高に進学した。疾風会依田さんのことだ。


東京に行ったこともない子が、久慈海岸を目的に選んだ理由
投稿日 8月9日(金)06時36分 投稿者 な@疾風会 削除

1963(昭和38)年7月21日明け方。
北海道網走市近郊、斜里町、知床半島・羅臼町、こういった所でのみ観察され(ることになってい)た皆既日食が騒動の元でした。
午前4時に日の出を迎えたときはすでに70%ほど欠けていて、15分後くらいには皆既食になる、という話。八木淳一郎先輩や川村哲夫(故人・41会)先輩ら一高生は堂々の網走遠征観測隊を組んでいましたし、とにかく全国から大勢のマニアがあの秘境まで押し寄せたのです。

 まずは太平洋からの日の出を直接見なければならない上に、緯度が高いほど大きく欠けるという理屈から、「な」少年は久慈海岸を選んだのでした。私らは東京に行った事すらなかったのですが、盛岡から久慈までの旅も東京に行くほどの感覚で、実際それくらい時間が要したですね。
 1年生の1学期だけ同級生だった「うべ・こうし」(耕司=コウジと読まれるとむきになって訂正していた)が、久慈に転校している、ということが本当の理由でした。

 網走に向かった一高天文部からは、「おめだつ、久慈で観測すたって、皆既食でないべじぇ」とあとから笑われたが、やむを得んところでした。(続く)

 


北リアス線、最初の停車駅 「陸中宇部」 をめぐる思い出話
投稿日 8月5日(月)18時33分 投稿者 な@疾風会 削除

 1963年7月、国鉄久慈駅にはじめて降り立った私ら中学生4人を、黒塗りクラウンが待っていました。
農協の理事をなさっているという市議会議長宇部耕一郎さんが出迎えてくださったのです。
現在の陸中宇部駅近く、宇部町の宇部さんのお屋敷で食事をいただいたように思いますが、暗くなる前に久喜という海岸に送ってもらいました。

いったいなぜ?何のエピソードでしょうか。

 私らは岩大付属中3年生4名、学校から屈折式天体望遠鏡と木製三脚を借りて、キャンプ道具などの荷を携えて初めて久慈市を訪問したのでした。(続く)


8月 夜空に夢見る星めぐり 第334回(八木淳一郎先輩の記事)から紹介
投稿日 8月3日(土)05時40分 投稿者 ナ@疾風会 削除

 お盆にはペルセウス座流星群の出現が待ち受けます。
この流星群は時期や時間もちょうどよいし、明るくて長く飛ぶものが多いので、初めて流星を見たい人に格好だと言われています。
予想ははずれることもありますが、1時間に数十個、1分に1個もの頻発だったら、少し間暗さに眼を慣らしながら空を見上げていようじゃありませんか。
あっ、とかワーとか、突然声を発することに自分が驚くこと必定です。

 さらに今年に限ってはもう1つ、8月12日午後7時ごろに岩手・秋田地区限定で「乙女座主星スピカと月の接蝕」(隠れるならば星蝕)という微妙な、めったにない天体現象があるのだそうです。


野田村には2駅「ソルトロード陸中野田」と「西行(さいぎょう)の庵(いおり)野田玉川」
投稿日 7月29日(月)15時05分 投稿者 な@疾風会 削除

 陸中野田駅に隣接して45号線道の駅「のだ」がある。
牛が塩を背負い牛方が追って平庭高原とか山々を越える、これが野田塩べごの道。
 マンガン鉱山「野田玉川マリンローズパーク」もある。これと久慈市の琥珀の抗道(博物館)は別物です。

 大津波の最高到達点37.8mを記録(米田地区入り口)十府ヶ浦海岸は瓦礫ごみ置き場と化しています。

 ちょっと歩いては遠い内陸部に日形井という集落があり、アジア民族造形館および曲り家民宿 苫屋(とまや)は幾度もテレビに紹介されています。「昔ながらの風景、くらし」です。

野田玉川駅の近く海岸崖に西行屋敷跡。「野田のたまがわ」は歌枕(史跡)に違いないでしょうが、西行が訪れて庵を結んだ、とかの史実は不明です。


 普代村では太平洋を見よう
投稿日 7月25日(木)21時36分 投稿者 な@疾風会 削除

北緯40度 黒崎灯台は普代村です。
国民宿舎くろさき荘では宴会も開いたし、何度か宿泊もしました。

北リアス線開通時の普代村村長は、和村(わむら)幸徳さん。実に40年間村長で居続けた方です。
高さ15mの巨大防潮堤を築きあげた業績も、特に有名になりました。

ほかに三陸鉄道の開業には、岩手日報社社長・会長の久慈吉野右衛門さんの功績も特記されます。
久慈社長は、久慈市侍浜のご出身だそうです。


高校野球県予選 進行中
投稿日 7月20日(土)08時18分 投稿者 な@疾風会 削除

対高田高校戦のあった森山球場は私の職場に隣接しており、工場顔負けの大音量(声援が)が聞こえていました。
平舘速報で見ていたところ、中盤に双方が3者凡退を繰り返したあたりにはドラ声が続かなくなり心配もしました。
今日(土曜日)は県営球場です。ベスト8を賭けて これから応援に出陣します。

追補)友達が群馬から、JR八戸線〜三陸鉄道北リアス線(一部バス代行)〜JR山田線 と観光旅行に来てくれました。当然、この移動だけで1日つぶれます。しかし、地元はうれしい、私もおかげでちょうどいい話題が得られました。続編があります、乞うご期待。


高校野球の話
投稿日 7月16日(火)16時15分 投稿者 佐藤(泰) 削除

一高野球部の監督は杉田さんから渡辺史朗君のご子息渡辺史隆君に替わって
います。

緒戦は雷雨で中断しながらもコールドで勝ちました。大いに応援しましょう。


犬には吠えられ、村人からは「自首しろ」と脅される
投稿日 7月15日(月)12時49分 投稿者 な@疾風会 削除

震災の起こる前の話ですが。

 三陸鉄道北リアス線がトンネルばかり走る一方、ほとんどの国道45号線は鉄道路線から遠く離れ、時に高架の上を走っている。
 「みちのく奥の細道」としゃれる徒歩ハイカー(私のこと)は、旧街道の山道越えか、海岸沿いの岩をたどる冒険を楽しんでいる。
が、集落に近づくと興奮したイヌが吠えまくり、会釈して通り過ぎようとした私に村人が言い放ったことばがこれだ。

「悪さして逃げてるんだべが、必ず捕まるんだぞ。あきらめろ」


北リアス線沿線の市町村を確認します。
投稿日 7月10日(水)15時54分 投稿者 な@疾風会 削除

 久慈市(現在は山形村と合併)、九戸郡野田村、下閉伊郡普代村、下閉伊郡田野畑村、下閉伊郡岩泉町(小本)、宮古市田老(旧田老町)そして宮古市です。

 ドラマで重要な存在の高校は、わが国唯一の潜水夫養成課程を持つ県立種市高校水中土木科(現在は海洋開発科)がモデルに違いないでしょうが、この高校は久慈市にはありません、洋野町(九戸郡種市町と大野村の合併でできた)「ひろのちょう」です。(下記URL)
旧種市歴史博物館では潜水夫(南部もぐり)の作業について学べます。

http://www2.iwate-ed.jp/tan-h/index.html


義経北行伝説(前項とは別の図書からの出典ですが)続き
投稿日 7月5日(金)06時46分 投稿者 な@疾風会 削除

(推定)1191年、一行が不行道で過ごした草庵が今の鵜鳥神社です。
「金色の鵜鳥が、冷水に自身の身を清めながらヒナを産み育てるさまに義経は感心したから」と伝えられています。

 その後、卯子酉(うねとり)山の薬師堂に籠り七夜祈願して、
山頂からは西に向かい一旦一戸町へ入ってから久慈川沿いに、
山形村、久慈市川目、と下ったと推定されます。
 野田海岸は、頼朝の重臣、畠山重忠の追討軍が(形式的に)封鎖していたためでしょう。


三陸復興国立公園、東北太平洋岸自然歩道 700km 計画
投稿日 7月2日(火)14時09分 投稿者 な@疾風会 削除

 北リアス沿線には、1等三角点の山がいくつかある。高堂山(久慈市侍浜)、男和佐羅比山(野田村)、卯子酉山(普代村)、原地山(宮古市田老)である。
 卯子酉山は「はまゆり咲く普代駅」で降りて、鵜鳥神社を経て△424.2mに登頂後、「ウニの香り白井海岸駅」まで歩いた。
 原地山は旅の八郎接待駅から橋のない川を越え、ヤブをよじ登り、へいこら苦心惨憺の末△485.9mに到達した。とても勧められるコースではない。自分も二度と行こうと思わない。


みちのく潮風トレイル「後藤君による踏破レポート」の日記がおもしろい↓

http://www.tohoku-trail.go.jp


堀内駅は正しくは「義経の祈り堀内(ほりない」」と称します。
投稿日 6月30日(日)10時30分 投稿者 再掲な@疾風会 削除

 平泉を逃れた源義経一行が山道で食糧を探していると、向こうから牛追いの子供がやってきた。
この里の名を尋ねると、持っていた鞭で地面に「不行道」と書いて去ったという。
この先に道はない、という意味だ。
 義経は「これにてわが進退も極まれり」と落涙したという。
一行が滞在したと伝わる現在の鵜鳥神社の集落を「ふこうど(不行道)」といっている。

鵜鳥神社から卯子酉山登りの話は次回に。


「うぐいすの小径一の渡」駅から女遊戸海水浴場へ
投稿日 6月30日(日)10時25分 投稿者 再掲な@疾風会 削除

一の渡(わたり)は、長いトンネルに挟まれたわずかの山峡にある無人駅。谷川に沿って下流に進むと、女遊戸海岸に出ます。「女遊戸」読めっぺが?(正解 オナッペ)

有名な北山崎やら、鵜ノ巣断崖、古代恐竜「モシリュウ」の化石が出た茂師浜などへは、残念ながら鉄道利用は難しいでしょう。

 テレビの「袖ヶ浜駅」は堀内駅でロケしました。砂浜のロケ地は舟渡海岸(久慈市長内)らしいです。

「北の海女、袖ヶ浜」は、久慈市宇部「北限の海女・小袖海岸」であることはもちろんですが、やはり本当は鉄道で行ける所ではないのです。


新駅誕生「カンパネルラ田野畑」、「カルボナード島越(しまのこし)」
投稿日 6月30日(日)10時06分 投稿者 再掲な@疾風会 削除

 新鉄道は全延長71q、16駅あるようです。
そのうち最も新しい山口団地駅(宮古市山口)などは歩いてもすぐだったりします。

 私が印象深く覚えていることのひとつに、表題にあげたユニークな駅名表示があります。
 加えて、その名に負けないメルヘンチックな駅舎の可愛らしさも魅力でした。


シリーズ三陸鉄道北リアス線
投稿日 6月30日(日)10時03分 投稿者 再掲な@疾風会 削除

 三陸鉄道北リアス線の開業は昭和59年です。
昭和47年に開業している国鉄宮古線(宮古−田老)と、昭和50年開業の国鉄久慈線(久慈−普代)とをつないでの全線開通、と同時にJR初の第3セクターへの移管となったのでした。

 開業時の祝賀列車は、ドラマで繰り返し再現されて放映されていたようなものだったと思います。
当時、久慈市長は久慈義昭氏でした。非常に長い間市長を務めた山内堯文住職に代わっての若い方でした。
 現在の市長である山内隆文くんはまだ学生だったわけです。


掲示板の事故
投稿日 6月29日(土)07時24分 投稿者 佐藤(泰) 削除

掲示板に事故が発生し一部消失いたしました。

投稿者なさんには再投稿をお願いしましたのでお待ち
ください。


(久慈から)宮古に出て、仙台から新幹線に乗って上京する
投稿日 6月8日(土)20時06分 投稿者 な@疾風会 削除

NHK朝ドラの「北鉄」は架空のことであって、
「(表記)、そんな話はおかしい!」と憤慨するのはあたらない。
「(ドラマの海女の里)袖が浜のモデルになった小袖海岸」に行こうとして北リアス線に乗車しても、
最寄りの駅はないです。

「北鉄」列車が停止して乗客に陸中海岸の景勝を見せるところは本当の話。
「白井海岸駅」です。
 正直言って、ここ以外の「三陸鉄道北リアス線」はおおかたトンネル内を通過するだけです。


じぇじぇじぇ2
投稿日 6月3日(月)15時38分 投稿者 佐藤(泰) 削除

私の知人(横浜)の家では「じぇじぇじぇ」が家庭内流行語に
なっているそうです。

なさん「三陸鉄道北リアス線」よろしぐお願いしアンす。


じぇじぇじぇ
投稿日 5月31日(金)15時28分 投稿者 な@疾風会 削除

な@は、なかや といいます。
時節柄、次の話題は三陸鉄道北リアス線にしたいと思いました。

わたしは昭和37年頃 久慈をはじめて訪れました。
あの時お世話になったおとなの人で、今でも名前を憶えている宇部耕一郎、沢里金五郎、嵯峨八郎、の各位をご存知の方は 教えていただきたいな、という気持ちです。
50年経ちました。


啄木の「終焉の地」、石碑再建運動動き出す・・・朝日記事
投稿日 5月16日(木)07時49分 投稿者 佐藤(泰) 削除

東京の文京区にある啄木が息をひきとった『終焉』の地に
石碑を建立しようという運動が広がっている。石碑は5年
前に撤去されいまはプレートだけになっている。

13日の朝日新聞に記事がのり山田君のコメントも載って
います。↓

成功するといいですね。

http://www16.tok2.com/home/yasatou/etc/130513asahi.jpg


写真説明 補足
投稿日 5月4日(土)23時48分 投稿者 船越 削除

補足します。

弘前での一次会、何故か弘前組になっていた赤坂君(仕事で弘前滞在もホテル泊)が別件の会へ移動していて、写真に入ってなかった。
他に写り損ねていた人2名(誰でしょう)。

桜は想像の中で満開、変わりに雪見、のお花見会でした。


ありがとうございます
投稿日 5月4日(土)18時31分 投稿者 佐藤(泰) 削除

船越さん、説明ありがとうございます。時系列的には
3枚目と4枚目が逆でしたね。

楽しそうなのが伝わってきますねー。


弘前写真の説明
投稿日 5月4日(土)16時16分 投稿者 船越 削除

せっかくすぐにUPして貰ったのに、タイQさんの呼びかけに、まだ誰も返事していないようですので、とりあえず写真の説明します。

1枚目 花輪SA。盛岡駅出発組車3台12名中(渡邊、金子、高橋、佐々木、田近、藤川、森沢、葛西、船越)、写ってないのは、撮影者遠藤君とおそらく喫煙コーナーにいた吉見、堀合の両君。
2枚目 弘前城前。盛岡出発組12名+大館からのあや子さん。
3枚目 2日目酸ヶ湯温泉休憩所。11名+村井夫人 (撮影田近さん)。
4枚目 初日の弘前市内、棗での懇親会。津軽三味線奏者を囲んで。弘前組(藤、村田、小川、村川)を加えて総勢19名になっていたはずなのですが・・・。
5枚目 2日目の酸ヶ湯温泉玄関
6枚目 十和田湖。(写っていない3名は、石神の丘美術館へ向かい、三浦千波展鑑賞)


八重の桜を弘前で
投稿日 5月2日(木)14時42分 投稿者 佐藤(泰) 削除

HPに写真は載せましたが、説明がほしいので参加された方
この掲示板に投稿願います。

1枚目は盛岡発組かな、2枚目は弘前城、6枚目が十和田湖畔なのはわかりますが。


檸檬という字はもちろん、梶井基次郎という人も私は知らなかった
投稿日 4月13日(土)17時45分 投稿者 な@疾風会 削除

 岩手県下学生読書感想文コンクールの想い出を書きます。

 高3の夏(1966年)、私は前記の「未知の星を求めて・関つとむ著」の感想文で佳作を得たのでした。高校ではじめての賞状で、うれしかったです。

 ついでに披露しますが、最優秀賞は同じ盛一のカサイK子さんで、サン・テグジュペリ(内藤濯訳)「星の王子さま」の感想文でした。この時の評者は「高校生部門で童話はないだろう」というような辛口でしたね。
 
 でも、私はこの有名な童話を初めて知って、以後たいそう影響を受けましたし、葛西女史が前年にも表題の「檸檬」で小説部門最高賞を受賞されている方だということでも、ノンフィクション以外の読書をしたことがない自分に何が足りないのかを強く意識させられた出来事でしたので、昔のことですがよく覚えています。


星というものは、望遠鏡を使おうが人間の眼で観察したい。
投稿日 4月9日(火)15時46分 投稿者 な@疾風会 削除

Pan-STARRS(パンスターズ)は人名でなく、ハワイマウイ島ハレアカラ山やマウナケア山に設置された
大望遠鏡群による天体の自動探索システムの略称だという。

「パンスターズ彗星」と名づけて報道されているが、そのうち、発見される新彗星はみんな「パンスターズ彗星」と呼ばれるかも知れない、***号、と付けられて。

いつどこに出現するかわからない未知の天体を発見するのは、アマチュア天文家が得意とした分野だった。
そんな世界を著した「未知の星を求めて」関つとむ 1966年 は名著だ。(続く)

http://comet-seki.net/Miti_Tatiyomi.html


祭畤(まつるべ)山(標高989.6m)に登ってきました。
投稿日 3月31日(日)18時12分 投稿者 な@疾風会 削除

 一関市の西端、須川岳(別名栗駒山)の麓に祭畤(まつるべ)という集落があります。
温泉のほか、「市営健康の森」・スキー場のある山がマツルベ山ですが、難読地名として知っている方はおっても、登山対象としてはほとんど無名でしょう。

 しかし、山頂に特徴ある巨石が積み重なっており、古代の祭場(=まつるべ)と言われているようです。昨日は雪に埋もれていて確認できませんでした。

 好天に恵まれ、焼石連峰から栗駒連峰まで、岩手秋田県境の奥山が間近に見えました。
かなりの急登になりますが、新旧のブナの林に交じるカツラの巨木をたどるように登山道が開かれています。
 以上、いろいろ興味をそそられるお薦めのプチ秘境です。 


竜ヶ森 (標高679.1m)に登ってきました。(閑話休題)
投稿日 3月24日(日)12時50分 投稿者 な@疾風会 削除

好天の昨日、JR花輪線安比高原駅からスノーシュー(洋式かんじき)で約40分、岩手山、前森山(安比スキー場)ほか全方位の展望が心地よかったです。

「おお、懐かしい。50年前によく行ったよ」との声が聞こえてきます。

リフトがあった跡と、斜面の入口には「盛■・■■―■」(一文字ずつタタミ半畳大の四角看板、・は空隙)の古い掲示を見ましたが、抜け文字を推理してみてください。

・西根町(現在は八幡平市)だから、「盛岡」なはずはない。
・当時の駅は、国鉄竜ヶ森臨時停車場だった。
・盛岡からは、スキー列車銀嶺号で1時間かからずに着いた。
・駅前から直接スキー場につながっており、客車を利用したスキーロッジがあった。
・現在は樹齢30年ほどの松とブナの林でおおわれ、登山道はありません。


いよいよ2013年シーズン開幕!
投稿日 3月21日(木)21時23分 投稿者 S50白堊スポーツ(平舘) 削除

いよいよ、23日の釜石商工戦ダブルヘッダー(釜石商工グランド)で
盛岡一高硬式野球部の2013年シーズン開幕!

いや〜 オフシーズンなげがった〜

白堊スポーツ実況中継は24日の宮古商、宮古工戦を予定しています。
泊まりを考えていますが、宿が混んでいる模様で日帰りになるかもしれません。
実況をお楽しみにお待ちください。実況は「白堊野球」です。
URLは⇒ http://air.ap.teacup.com/0513/

なお、例年のことですが、練習試合の模様はパスワード会員以外の方にはお伝え
出来ません。よって、23日夜にはパスワードを設定します。会員の方々は従来
通りのパスワードでお楽しみいただけます。問い合わせは白堊スポーツ(平舘)
までお願いいたします。

では、夢を追いかけて2013年も共に盛岡一高を応援して行きましょう!!!
頑張れっ!一高!!!

http://sun.ap.teacup.com/taira/


岩手県教員異動のお知らせ
投稿日 3月20日(水)07時28分 投稿者 S50白堊スポーツ(平舘) 削除

佐藤先輩お体を大切になさってください。
國保陽平がようやく先生になりました!

白堊スポーツ版「岩手県教員異動のお知らせ」です。
ご覧ください。

http://www.geocities.jp/taira_d_1048/iwatesupo/2013kiyouinidou.html


情報ありがとうございます
投稿日 3月19日(火)09時57分 投稿者 佐藤(泰) 削除

私も応援に駆けつけたいのですが、残念ながら体調不良で
動きがとれません。

新監督のもと力をつけていってほしいと思います。めざすは
甲子園!


一高硬式野球部関東遠征!
投稿日 3月18日(月)17時46分 投稿者 S50白堊スポーツ(平舘) 削除

3月28日から盛岡一高硬式野球部関東遠征試合が始まります。

2013年盛岡一高硬式野球部練習試合日程
http://www.geocities.jp/taira_d_1048/hakuayakyu2013/2013yotei-1.html

千葉エリア初戦地は千葉県野球場(通称:県営天台球場)お隣の敬愛学園萩台グランドのようです。
敬愛学園野球部のHPにもありました。
http://www.hs-keiai.ac.jp/club/KGBaseball/ground.html

渡邉監督も「千葉県野球場の近くです」と説明されただけとのことですが、地理的に間違いないと
思います。

メンバーは白堊スポーツ掲載メンバー+2、3人、いずれにしても現役選手全員とマネージャー、
監督、引率教師とのことです。

メンバーはこちらです。
http://www.geocities.jp/taira_d_1048/sensyumeibo-05yakyu.html

みなさんお忙しいことと思いますが、時間の取れる方は母校に気合を入れに行ってください。
よろしくお願いいたします。

http://sun.ap.teacup.com/taira/


このパンスターズ彗星は、1986年のハレー彗星に似ているぞ
投稿日 3月18日(月)13時49分 投稿者 な@疾風会 削除

下のURL↓に、先週 日没直後に各地で観察されたパンスターズ彗星の写真が掲載されている。

岩手では小岩井農場天文館で観察会を行っている、と広報していたが、雲の加減はどうだったか。
いずれ、望遠レンズを通してこの写真の程度の明るさだから、よほどしっかりした位置情報を得なければ肉眼目視は難しそうだ。

http://www.astroarts.jp/photo-gallery/special/203


新彗星? 大昔にも来ているということはないのか?
投稿日 3月10日(日)10時24分 投稿者 な@疾風会 削除

震災後2周年を迎えた仮設住居のBamiさんは、前記「太陽に近づいていく彗星の尾は飛行機雲ではない」、ということにエラク感じ入ってくれました。
しつこいようですが、太陽から遠ざかる彗星の尾は、進行する方向に長引くわけです。

また質問でした。「パンスターズ彗星は新彗星発見ですか!?」「ハレー彗星のように、本当は以前に現われたことがあるとは考えられませんか?」

回答:昨年発見された新彗星です。
「移動している位置を観測することによって軌道が計算され、XとYの二次式で表現されて放物線であることが証明された。よって、二度と地球から見えることはない。すこしだけ係数が違えば、太陽をひとつの焦点にもつ周回の楕円軌道に乗ることになるが一般的にはまれなことだ。」

しかし私も、「放物線とちがって、双曲線(の片割れ)であらわされる彗星もある」というのは不思議に思っています。


彗星の尾は飛行機雲のようなもの?
投稿日 3月5日(火)22時01分 投稿者 な@疾風会 削除

大彗星「パンスターズ」が、今日あたりから夕方の西方向低くに見えているはずといいます。
晴れてないので仕方ないが、毎日注目しよう。

 彗星の尾は「太陽から吹いてくる風のようなエネルギー」でできるので、実際の進んでいく方向とは関係がないわけです。飛行機雲のようなものと錯覚しがちですね。


小惑星の 珍しい地球接近
投稿日 2月25日(月)13時02分 投稿者 な@疾風会 削除

ロシアへの隕石落下とは別な事象なので紛らわしいが、
こちらは 天文ニュースで予告されたままのマイナーなネタなはずだった。

「2013年2月16日 日本時間 4時24分、地面から 27,700キロメートル(地球の直径の2倍)の距離まで最接近」

「大きさは推定 数十メートル の 2012DA14と名づけられた小惑星が通過したのを多くの天文マニアが観測した」「光度は約7等級」

NASAによれば 同等の大きさの小惑星の接近は40年に1度程度の現象と見込んでいる。


すごいことになってますね
投稿日 2月16日(土)10時58分 投稿者 佐藤(泰) 削除

巨大物体が地球の大気圏に突入しいろんな現象(光、音、振動、、、、)
がおきたようですね。

予測できなかったのがショック、これからもありうるということか。


「光る物体が落ちて爆発した」
投稿日 2月15日(金)21時09分 投稿者 な@疾風会 削除

釜石の仮設住居におられる婦人Bamiさんから天文ニュースがもたらされた。
「ロシアに彗星が落ちたそうです」
彗星? 流星、隕石、 いずれ区別がついていないようだ。
「名前がついていないのか?」との質問だが、ちょっと返事は保留している。
以上、速報のみ。


アニメ応援団による校歌斉唱
投稿日 2月7日(木)12時30分 投稿者 佐藤(泰) 削除

みなさんご存知かもしれませんが、「白堊応援団30」↓のHP表紙
中段にある「校歌用意!」をクリックすると、見事なM旗を振るアニメと校歌斉唱
が見聞きできます。

どうやって作ったのだろうとスゴイの一言です。「白堊栄誉賞」などを
設けたとすれば候補の一つですね。星館長に拍手。

また、スゴイのは在京白堊25会、在京白堊35会、在京白堊三喜会の内容の豊かさ、その
他にも森に迷い込んだように多彩な内容の多くの同窓HPがズラリあります。

一度ゆっくりご覧ください。徹夜しても見切れません。日本一の同窓HP群と言って
よいでしょう。

http://www10.ocn.ne.jp/~hakuaoen/


在京百堊会
投稿日 2月2日(土)14時29分 投稿者 佐藤(泰) 削除

今年の在京白堊会の幹事年である昭和56年卒が在京百堊会(3年のとき
創立100年)と称しホームページを立ち上げました↓。

本HPのリンク欄にも付け加えましたのでおおいにご活用ください。

http://zaikyohyakuakai.jimdo.com/


〈夜空に夢見る星めぐり〉323 八木淳一郎 1月31日盛岡タイムス掲載
投稿日 1月31日(木)21時54分 投稿者 な@疾風会 削除

  表記の先輩の記事を抜粋転載をお許しください。

PANSTARRS(パンスターズ)彗星は今年3月から5月にかけて地球に接近します。まずは3月中旬ころから夕方の西空に注目しましょう。
彗星は日に日に北上しながら、うお座、アンドロメダ座、4月下旬にはカシオペア座を縫って北極星の方へと移動していきます。3月下旬あたりからは明け方の東の空にも見ることができますし、4月下旬以後は周極星といって、北の空にあって沈むことなく一晩中見えるようになると予想されています。

  ところで、どれほど明るく見えるのかが最も気になるところです。
これは経路と違って予想通りとはいかないことがあります。過去に騒がれた彗星が期待外れに終わったという例がたびたびありますから、期待半分のつもりでいた方が失望しなくてすみそうです。

  しかし、そうは言いましてもやはり期待に胸膨らみます。計算では最も明るくなった時でマイナス3等ほどとなっていますから、宵の明星、明けの明星で知られる金星と今天頂付近に輝いている木星との中間ぐらいの明るさでしょうか。予報がいい方に外れて、もっと明るくなることだってあるかもしれません。

 いずれにしても、彗星は雲の切れ端のような広がりのある天体ですから恒星や惑星のような光とは異なります。望遠鏡や双眼鏡を通せば雲状の中心に核と呼ばれる光の点を見ることができるかもしれません。子ども科学館や小岩井まきばの天文館、各地での観察会で大勢で一緒に見るのも楽しいものです。ぜひ参加してみてください。


隕石が鹿島灘海上に落下した?1月20日午前2時40分頃
投稿日 1月21日(月)21時21分 投稿者 な@疾風会 削除

私らの流星観測でも、まれに「火球」や「流星痕」を見た。
しかし、写真に残すような僥倖に見舞われることはさすがになかった。(もしあれば、誠文堂新光社「天文ガイド」誌に掲載されるのは間違いない)

また、当時も獅子座やペルセウス座の流星群はもちろん毎年あったが、いわゆる「大流星雨」と呼ばれる現象は、最近の10年くらいの間に初めて体験したもので、記憶としては「昔の流星群はさびしかった」と思う。

 なお、現在の高校天文部は、流星を目視で観測はしていない。
かわりに電波観測なのだそうだ。天気に関係なく、パソコンに時間当たり流星出現数がパルスで記録されているだけだ。面白くもない。


たいへん失礼いたしました
投稿日 1月10日(木)09時01分 投稿者 佐藤(泰) 削除

在京白堊会は事務局長に山田君が就任されたと同時に船越さんが事務局次長に
就任されています。疾風会HPでちゃんと周知しておらず失礼いたしました。在京白堊会の
屋台骨は在京疾風会が担うことになります。皆で支えていきましょう。


流星観測の記録係は、たいていクドウF人先輩(@41会)だった。
投稿日 1月4日(金)21時51分 投稿者 な@疾風会 削除

場所は校舎屋上の天文ドームをさらに出たてっぺんの高いところ。
床板と寝袋をならべ、全天を分割分担して持ち場に陣取り、流星を待つ。
もちろん真っ暗な中で、記録係だけが懐中電灯の赤い弱い光で机に向い、空は見られない。

JJY短波放送が「只今からxx時xx分xx秒をお知らせします」の音声をずっと繰り返している。
工藤先輩はいつでもニコニコ、冗談話かリルケの詩をそらんじている方だった。

「アッ流れた」とか発声すると、瞬間に時刻を記し、経過時間を(あいうえお、を1秒で数える練習をしておいて)0.4秒、とか報告。位置を、起きて行って記録紙に「ここからこのへんに」と説明し、光度は1等星!とか言うのである。
星座を知っていないと困難だし、続けてたくさん流星が出現した時はどうだったか案じられるが、何だか正確さに欠ける情報だったようだ。
いつしか部員らは目をつぶって眠ってしまう。

空飛ぶ円盤を呼ぶのは、流星観測が退屈した合間に行われた。
「急にグキッと曲がった!」とデタラメか、幻覚を言い出す者が出たのだった。


謹賀新年
投稿日 1月1日(火)07時36分 投稿者 佐藤(泰) 削除

今年も掲示板の活用、よろしくお願いいたします。

たしかにベントラーと唱えてUFOを呼びましたね。
ほとんど記憶が薄れてますが、、、


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