渡辺康建築研究所
WATANABE YASUSHI architect & associates



地域の関係

朝日新聞の2008年9月27日夕刊に落語家楽太郎のお母さんの話が載っていました。
”私は子育てのことなんか忘れました。忘れるというかね、実になにもしていないん
ですよ。全然です。本当よ。・・・長屋に住んでいてね。・・風呂は銭湯で、台所は
家の前の空地・・・あのころの下町の人たちは、子供を育てたとは思っていない・・
町全体が子供を育てた。そのほうが、親はみんな楽できたしね。”5〜60年ほど前の
印象的ないい話です。
”子供は地域に繋がる唯一の契機となる”と読んだことがあります。子供はの成長に
おいては、社会や他人との関係なしには考えられず、未来との関係においても同様に
起点となるといいます。確かに父親は子供の行事でもなければ地域との接触はほとん
ど無いですし、主婦の大変さも地域の人間関係だったりするようです。
50年ほど前というと、1957年に公団の団地に鉄製の玄関扉とシリンダー錠が登場し
たのだそうです。つまり鉄の扉一枚で外部と内部が鍵一つで縁を切れるようになった
ようです。それ以前の日本では、小津安ニ郎の映画で昔の団地のシーンなどで玄関扉
は木製でガラスの窓が開いていたり、玄関入ると土間で厨房と繋がっていたり、場合
によっては炊事場は廊下にあったりします。多分50年の間に経済的に豊かになること
で防犯が必要になる変化が功罪両方を生み出しているのかもしれません。
そのような状況で閉じるだけでは問題は大きくなるでしょう。かといって開くといっ
ても、道に対して大きく窓をあけても、いつでもカーテンで閉め切ってしまうのでは
地域に開かれません。敷地境界に沿って中途半端にあちこち目隠しフェンスで囲われ
た家も社会を拒絶しているようで感じ悪いものです。
多くの住宅地では、自分の家は良くし安心したいが、住環境まで良くすることまでは
思い至らないか諦めているかで、現状地域の環境を良くしようという視点があまりに
少ないように思います。防犯やプライバシーも考慮しつつ、そのような住んでいる地
域とのちょうど良い関係も、つかずはなれずだという気がします。
スイスの集合住宅では門扉がしっかりあるのですが、ところどころ開け放たれていて、
”どうぞ皆さんいらしてください”というサインになっている、と聞きました。また、
プライベートな囲われた庭を作ると同時に、外の道路から手入れをする外への庭を以
前つくりました。時間によって場所によって地域に開く部分を作るということです。
道行く人とも垣根越しに伺い合うよりも、ずっとリアルな関係が生まれると思います。
そのように、他人との関係や地域との関係をうまく結ぶには住宅や集合住宅の住戸の
あり方はどのようにするのが良いのかを考えなければならないと思います。


2009/8/17


コペンハーゲンの最近できた学生寮

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