クエート日記タイトル
1998年4月
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1998年4月30日
(MOHARRAM 3, 1419 AH)
今日の朝食:ホテルのビュッフェ
今日の昼食:サンドイッチ(計0.3KD)
今日の夕食:インド料理屋で牛肉炒飯、春巻き、中国茶(計2.8KD)
今日の新聞一面:新聞を局に忘れてしまい、わかりません(^o^)

今日も朝からカンカン照り。ただし昨日と違い湿度が低いのでいくらかはまし。通信機械室に入ってもクウェート人はだれもいない。全体朝礼でもあるのかといたが新聞を広げてわかった。そこにはWeekend specialの文字が。そう、今日は木曜日で役所はお休み。曜日の感覚がすっかり麻痺している。
UAEやカタールと打合せし今日は12時半で引き上げ。帰り道サンドイッチを買って帰る。このサンドイッチ、日本で食べるような物を想像してはいけない。写真を見て判るとおりホットドッグに使うパンに色々な物をはさんである。その代表格はシャワルマ(手前)アラブでは代表的な食べ物で街のあちこちで目にすることができる。もう一つはコロッケのようなもの。

夜は昨日のインド料理屋で中華。昨日の昼に引き続き炒飯。だって好きなんだもん(^_^)
食後はスーク巡り。スークにもランクが有り分かりやすく香港に置き換えると出稼ぎの人が良く行くような「女人街」クラス。中級クラスが集まっている「タイムズスクエアー」クラス。貧乏人は近づかない「ペニンシュラアーケード」クラスだ。わからない人はいますぐ香港に行こう。今年は飛行機もガラガラですよ。(^_^;
初めに出掛けたのは「女人街」クラス。こちらはキオスクのように、何でもごちゃ混ぜで置いてある店が多い。面白かったのは出稼ぎ風の客と店員が女性用の下着(異常にでかいブラ)を手にとりながら交渉していた事。奥さんに買っていくのだろうか、それとも。。。このクラスは異常に活気はあるが購買意欲をかき立てる物は無い。
次は「タイムズスクエアー」クラス。こちらは店のディスプレーもしっかりしているし、品物もいい物が揃っている。明日の昼にもう一度出掛けて、服と湯沸かしポットを買おう。
明日は、クウェートに来て初めて丸々一日休みが取れる。でもどうして過ごそうか。。。。

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1998年4月29日
(MOHARRAM 2, 1419 AH)
今日の朝食:ホテルのビュッフェ
今日の昼食:タイ料理屋でシーフードフライドライス、みそ汁、水(計2.5KD)
今日の夕食:インド料理屋でマトンコルマ、ナン2枚お通しの煎餅のようなのも、水(計1.85KD)
今日の新聞一面:新聞は配達されなかった

今日は朝からメチャ暑い。局まで10分間歩いただけで汗ばんでくる。こんなのはここに来て初めてだ。きっと夕べの雨で湿度が高くなっているに違いない。

ワークステーションのCD-ROMドライブのチェックに現地の業者のインド人が来た。CDドライブを本体に取付け立ち上げてみると、あ〜ら不思議チャンと動く出はないか(^_^;インド人の持つ不思議なパワーのせいだろうか。。。
結局彼はそれだけで出張手数料として25KD(約一万円)も持っていった。これにはお客さんのクウェート人もビックリ!!

3時過ぎに昼御飯。タイ料理屋でとる。牛肉炒飯を頼むが「今日の牛肉は固くて美味しくないのでやめた方がいい」とのこと。やけに正直な店だこと。

夕べはなぜか気分が昂り眠れなかった。仕方なくテレビをつけると映画をやっていたがこれがまたこんなのをイスラムの国で放映していいかと思うようなシーンの連続。これでますます眠れなくなった(^_^;そのため今日は異常に眠くホテルに帰って早速昼寝。

夕食はペニンシュラホテルの1階(日本の2階)にあるインド料理屋。地下は先日ラーメンを食べた中華屋だ。テーブルに着くと「インディアン?」と訪ねるので当然「ノー」と答えると、今度は「チャイニーズ?」と聞いてくる。これも当然返事は「ノー」。するとまたまた「インディアン?」と訪ねるので当然「ノー」と答える。今度はもう一度「チャイニーズ?」と聞いてくる。これも当然返事は「ノー」。変なおやじだなと思っていると「ここはインディアンレストランだけどいいか」だって。 どうやらたまに地下の中華屋と間違えて入ってくる客がいるらしい。。。今日は値段も安かった。

その後海の方へ散歩にでる。海沿いを通っているアラビアンガルフストリートに出ると、子供たちの歓声が聞こえてくる。公園だ。夜10時近いというのに凄い人出。やっぱり暑い昼間を避けて夜家族で出掛けているようだ。ここには昼間街ではなかなか見かけないアバヤ(アラブ女性の来ている黒い服)を纏った女性も大勢いる。とその内の一つの集団が僕を見るなり「チャイニーズ、チャイニーズ」と言いはじめた。その口ぶりは決して友好的ではなく、小馬鹿にした言い方だ。すっごく不愉快な気分。アラブの石油成り金の女性たちはどうも態度がでかい様な気がする。
ホテルに戻る途中あちこちのオープンエアーのカフェ(そんなにかっこよく無いけど)で男たちが水タバコを吸っている。辺りは甘い匂いが充満している。この水タバコ、バニラ味とか苺味とか子供の好みそうな味付けがしてあるのだ。 いくら涼しい夜とはいえ30分程歩くと汗をかいてきた。

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1998年4月28日
(MOHARRAM 1, 1419 AH)
今日の朝食:ホテルのビュッフェ
今日の昼食:抜き
今日の夕食:ホテルのビュッフェ(驚きの9.6KD>
今日の新聞一面:新聞はお休み

今日はイスラム歴(ヒジュラ歴)のお正月にあたり休日。でも街にはそのような雰囲気はかけらもない。ラマダンや明けや、巡礼後の方がはるかに賑やか。このイスラム歴は純粋な太陰暦を採用しており、太陽暦よりも11日短い。だからお正月が冬に来たり夏に来たりする。正月くらいならまだいい。ラマダンが夏に来ると流石にこたえるらしい。どう考えても不便だよなぁ。ちなみに今回のプロジェクトの他の国(バーレーン、カタール、UAE)の国は、昨日が正月だったらしい。イスラム歴はあくまでも月が基準になりその満ち欠けで判断するため、このようなことになると思う。誰か詳しい人教えて。
サンのワークステーションに入っているソフトの様子がどうもおかしいのでここ数日調査していたが、再インストールすることになり、昼飯を喰いそびれてしまった。終わったのは4時。僕はまだいいが日本でサポートした人は夜の10時まで付き合ってくれた。ご苦労さま。でも、明日は休みだしゴールデンウイークもすぐだからいいよね(^_^;
局舎をでるとなんと外は雨!
ちょっと躊躇してしまったが、クウェートで雨に濡れながら歩くのも一興だと思い、ホテルまで10分程歩く。ホテルの前にパトカーが止まっている。思わずシャッターを切る。カタールと同じ車種だ。因みにドバイのパトカーはベンツ。
昼食をとるには遅すぎるし、夕食には早すぎるのでNHKの衛星放送が終わる7時まで我慢する。今日はチャーハンが食べたくなったので中華屋にでもと思いロビーに出ると、なんと外は台風のような大雨、大風!!おまけに雷までなっている。これではチャーハンは諦めるしかない。ちょっと高いけど隣接しているアーケードの中にある韓国料理に行こうとするが、ホテルとの通路は閉鎖されている。しかたない、ホテルで食べよう。いつも朝飯を食べているレストランでビュッフェ。朝のビュッフェが3.5KD(基本的に部屋代に含まれている)だから7KDくらいとふんでいると、なんと驚きの9.6KD(-_-;
しかもコップ2杯の水が0.6KDもする。絶句!!しかし平静を装い伝票にサインした。10KDも払うのだったらタクシーを使って「慶」で定食を頼んだ方がよっぽどましじゃないか。まあいい。これも勉強だ、まだ後3カ月以上ある。

食事が終わったあと外は風も雨も止んでいた。。。。

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1998年4月27日
今日の朝食:ホテルのビュッフェ
今日の昼食:タイ料理屋で天ぷら盛り合わせ、タイ風牛肉入り焼きそば、コーク、水、中国茶(計3.0KD)
今日の夕食:多国籍レストランでベジタブルクフタ、サラダ、ナン、水(計2.2KD)
今日の新聞一面:Sheikh Saud warns of economic catastrophe.(Sheikh Saud=クウェート石油大臣)

面倒くさいので今日は本文はお休み!!

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1998年4月26日
今日の朝食:ホテルのビュッフェ
今日の昼食:抜き
今日の夕食:カフェでハンバーガー、コーヒー(計2.8KD)
今日の新聞一面:Iraq threatens to break sanctions.(イラク以外に記事は無いのか!)

クウェートのお客さんはカタールやUAEのように出稼ぎのインド人等がでシステムの監理を行っているのではなくクウェート人で行っている。でも実際職場で何をしているかというと、皆で集まってお茶を飲みながらだべっているだけ(仕事の話とは思えない)。アラブ人は暇が有ればお喋りにうつつをぬかしているように見える。ホテルのロビー、レストランの軒先等々。。。
現場で装置の設定をしていたら3時半。お腹が空くまでこんな時間とは気が付かなかった。さっさと切り上げて昼食をと思うが、なかなか思うような店が開いていない。シャワルマ(そのうち写真を乗せますね)でもと思い注文してみると鳥しかないらしい。僕は鳥が嫌いなのでパス。そのままホテルに帰る。
5時過ぎにいよいよ我慢出来ずホテルに隣接しているショッピングアーケードのカフェで軽くハンバーガーを頼む。ところが出てきたのは超でかい!!これなら夕食は必要なさそう。
新聞に目を通すとF1の記事が。今日はイタリアグランプリがあるらしい。今年のF1は面白いので是非みたいところだが、メリディアンホテルはスターTVが写らない。契約をしていないらしくスクランブルがかかっているようだ。いままでどんな安ホテルでも見られたのにまさかこんな高級ホテルで見られないとは、信じられない。

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1998年4月25日
今日の朝食:ホテルのビュッフェ
今日の昼食:ビーフシチューの様な物、いろいろ入ったライス、サラダ(計1.1KD)
今日の夕食:中華料理屋で牛肉入りラーメン餃子、中国茶(計3.85KD)
今日の新聞一面:Tentions rise over sanctions review

バーレーン沖のケーブル修理の為に、カタール、バーレーン、ドバイに日本から要員が到着した。しかし、それと同時に明日から始まる予定の作業が30日以降に変更になった。皆やること無く待機だ。可哀相にゴールデンウイークは中東で過ごす事になった訳だ。でも僕だけは修理作業に関係なく、クウェートにとどまらないといけない。
仕事中喉が渇き紅茶が飲みたいと思っていると、クウェート人達に雇われている雑用係が僕に「紅茶を飲まないか?」と聞いてきた。僕はそんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか。ミルクのタップリ入った紅茶を入れてきてくれた。美味しい。彼はパキスタンからやってきたらしい。僕に「イスラム教徒か?」と聞いてきた。そしてデジカメを指差し「これはカメラか?」とも聞いてきた。写してやるといったら、気を付けの恰好でポーズをとったのが可笑しかった。
2時過ぎに仕事を終わらせ食堂を探す。サンドウィッチやシャワルマの店ばかりで、僕の探しているインド系の店はなかなか見つからない。やっと一軒見つけて入ったが、カレーやブリヤニはなかった。隣の人が食べているシチューを指さすと、肉は無いらしい。構わず注文した。ジャガイモだけのシチュー、混ざり物の入った米、青唐がらしと生のタマネギの入ったサラダ、ビニールに入った市販品のナンを持ってきた。そのナンをみてガッカリ。ドーハではそのようなナンを出す店を見たことがない。シチューの味はまずまず。結局ナンには手を出さなかった。
8時過ぎに夕食にでかける。綺麗なフィリピン人のいる中華の店があると聞いていたので行ってみる。でもインドかパキスタンといった感じのウエーターしかいない。。。
牛肉炒麺、蒸し餃子、中国茶をたのむ。麺と餃子はそれなりの味(日本の味とは違う)だが、お茶は出涸らしの日本茶のようで、頂けない。探せばあると思うが、カタールやドバイの方が食事に関してはいいような気がする。
食事のあと昨日日本の女性を見かけたホテルの前の「アル・ムタナ・コンプレックス」に出掛ける。昨日は休日で閉まっている店が多かったが、今日は大半の店が9時前だというのに開いている。高級指向の店が多い。ラジコンの車を買おうと思ったが、ホテルの近くには走らせる場所が無い。残念。今まで気が付かなかったが全身黒づくめの女性は以外と少ない。髪だけ隠しているか、全く隠していない女性が多い。もう保守的?な恰好をしているかと思っていたのでちょっと意外だ。

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1998年4月24日
今日の朝食:ホテルのビュッフェ
今日の昼食:なし
今日の夕食:近所のレストランでアメリカンチョプシー、ロシアンサラダ、マンゴジュース(計3.7KD)
今日の新聞一面:新聞は休み

今日は金曜日。仕事は休みだが仕事に行く。ホテルのロビーで日本人らしき若い女性の二人組を見かける。S氏が加入しているインターネットのアカウントをそのまま引き継ぐことになり設定をする。このプロバイダーは固定料金制で、月に65KD(約26000円)ただしS氏は学生料金で契約しており月45KD(約18000円)で済んでいる。日本だと一年分の料金だがクウェートの電話料金は基本料金さえ払えば市内通話はただ。つまり一日中繋ぎっぱなしに出来る訳だ。そのかわり常に話し中だし、日本のサーバーにアクセスしようとするとメチャメチャ遅い。やはりクウェートは遠い国だ。
昨日おかしくなったワークステーションはどうやらCD-ROMが壊れていたようだ。取り敢えずCD-ROMを外しておいた。
ホテルに帰り自分のパソコンを立ち上げると、なんとブートセクターが壊れている為DOS互換モードになっている。特に使えないことはないが、ZIPドライブは使えない。画像を保存出来ないので不便。カタールでも前使っていたパソコンが同じ症状になった。どうやら方角よくないらしい。それにしてもワークステーションに続いて、自分のパソコンも壊れるとは。。。。
暇なので散歩にでかける。ホテルの周囲は人気が少なく活気がないが、スークの周りは大勢の人が出て非常に賑やか。そしてホテルの前のスークに足を延ばすと、朝見かけた日本人らしき女性2人組がいるではないか。よーく見ると地球の歩き方を手にしている。間違いなく日本人だ。声を掛けてみる。「こんにちは。朝マンダリンホテルで見かけましたよ。」彼女達は髭面にサングラスをかけた怪しい人間に声を掛けられて一寸顔が引きつっていた。(^_^;
どうやら彼女たちはクウェート大学で勉強をしているようで滞在3カ月目。来年の1月までいるようだ。一体何の勉強をしているのだろう。それにしても可愛い人達だったので、クウェートの街を歩いていても注目の的だろう。

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1998年2月23日
今日の朝食:ホテルのビュッフェ
今日の昼食:韓国レストランで石焼きビビンバ
今日の夕食:日本レストランで鰻の蒲焼鉄板焼き
今日の新聞一面:Danger of war looms over Iraq.(おいおい、本当か??)

今日は木曜日。アラブの国々は週末に突入。仕事場(クウェート通信省、昔の電電公社みたいなもの)にもお客さんの姿は見えない。
明日帰国するS氏と引継ぎを行う。その一環としてサンのワークステーションをいじっているとなんと画面にエラーメッセージが溢れ、スクロールが止まらない。日本に連絡するも担当者にも判らないのでメーカーに問い合わせるとのこと。
2時過ぎ仕事を終わらせ昼食へ。S氏の案内でホテルに隣接しているショッピングモールにある韓国レストランへ。二人とも石焼きビビンバを頼む。衝立の向こうからは韓国語や、日本語が聞こえてくる。日本人のほうは家族連れのようだ。小学生と思われる子供の一緒だが、少年期をクウェートのような国で過ごすことは本人にとって、「いい事」か「悪い事」かとお節介な事を考えてしまう。
ここのレストランの従業員はフィリピン人だ。この国でもレストランので働いているのはフィリピン人の仕事のようだ。彼らの愛想の良さがかわれているのか?それとも単に給料が安いだけなのか??
夕食は7時過ぎに、クウェート一の高級ホテルと呼ばれる「サフィールホテル」にある日本食の店「慶」でとる。ここも店員はフィリピン人。外国の和食の店によくある現地人に着物を着せるというパターンだ。どの国でもいま一つ似合わないのは、彼女たちがガニ股で歩いているからに違いない。
昼食が遅いのでお腹は空いていない。鰻の蒲焼とサーロインと帆立ての鉄板焼きを注文する。鰻は本当に美味しい。天然のペルシャ湾産だろうか。しめて8KD(1KD=約\400)なり。高い!けど仕方ない。ここはクウェートだ。
食後同じホテル内にあるボーリング場に行く。8レーンしかない小規模なところだ。先に2ゲーム分の料金を払う。一人4KD。これまた高い。どうやらクウェートは全体に物価が高いようだ。僕等の他に2グループの子供たちがプレイしている。どうやらクウェートではボーリングは子供のスポーツかもしれない。

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1998年4月22日
朝5時15分にモーニングコール。異常に眠い。睡眠時間が短いのに加え時差ぼけもあると思う。シャワーを浴びる。お湯しか出ない。一年前の記憶が蘇る。そうだ、ここは灼熱のアラブ。屋上の水タンクは太陽の熱で温まりお湯タンクと化しているのだ。
ホテルの車で空港へ。チェックイン、出国手続きを済ませ、免税店を通り過ぎ奥のカフェテリアで朝食を採る。コーヒーとサンドウィッチで1.4BD(490円)。まだ搭乗時間まで1時間以上ある。バーレーンの免税店は明るく、品数も多く、綺麗なので見ていて非常に楽しい。ただ買いたい物はない。ゲートに向かうと如何にも中国人といった風体の3人組みがいる。安っぽいスーツを着ているし、ボタンの数も多い。しかも袖のところにブランドの札を付けっぱなし。更にごみ箱の上で梨の皮を剥いている。余りにも典型的な行動なのでなぜか嬉しくなってしまう。
飛行機はガルフエアーGF211便。A320で座席は14F、窓際だ。しばらくすると一人の老人が僕に「席を替わってくれと言ってきた。」どうやら夫婦で通路を挟むような席割りになったらしい。可哀相なので替わってあげた。ところが、14Eの席は空いていたではないか。しまった!!クウェートを上空から見たかったのに(-_-;。
離陸と同時に機内サービスが始まる。パンと紅茶、コーヒーだけ。たった1時間のフライとだからしかたない。一旦後始末が終わると今度はジュースと水を持ってきた。ジュースをぐいっと飲んだあと、「パラサイトイブ」の続きを読む。スチュワーデスがコップを片づけたのでテーブルをたたむ。すると隣の老夫婦があっ!!と声を上げると同時に、なぜか僕のズボンがびしょ濡れになった。どうやら隣の夫婦が僕のテーブルの上に水の入ったコップを置いたらしい。なんて事をするんだ!飲みおわったら自分のテーブルにおけよ!!この田舎者!!!!(-_-;と思いつつも文句のいえない僕(^_^;この老夫婦、着陸後シートベルトも外せない。僕が外してあげた。
窓の外にクウェートの大地が見えてきた。茶色の地面と黒い道路、それと油田の炎しか見えない。やがて着陸。9時45分定刻に到着。

まずはビザのオリジナルを手に入れるべくビザカウンターへ。長い行列が出来ているが、係員は2人しかいない。案の定スリランカ等から来た出稼ぎの人達は後回しにされている。僕はすかさず掟破りの横入り(^_^;何度も湾岸諸国に出入りしていると、コツというか、悪知恵も判ってくる。
イミグレ、税関も問題なく通過。これだったら酒の持込みも問題なし。思いっきり後悔する。
ホテルまでは車で15分程度。カタールより街の造りが大分立派。目の前に大きな塔が見える。雰囲気からして通信省の建物と思われる。
ホテルはメリディアン。なかなかのホテルだ。料金は高めだが、1カ月以上泊まると逆上って半額になるとのこと。
一休みして前任者のS氏と現場へ。昼食は仕事が終わった2時頃タイレストラン。ここは個室の座敷になっており、思いっきりくつろげる。S氏はずっとここで時間を潰すらしい。 夕食はなし。

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1998年4月21日
いよいよクウェートに向けて出発。
地元の蕨駅に着いた瞬間、クレジットカード入れを忘れた様な気がした。歩いて帰ると間に合わないのでタクシーで引き返す。途中で鞄の中を調べるとやっぱり出てきた(^_^;そのまま駅に引き返し手もらうが、時間が非常に気になる。どんなに時計を見ても早く着かないのはわかっている筈なのに、満員の京浜東北線の中で何度も時計を見てしまう。
電車が日暮里に着くと、京成線のホームまでダッシュ!したくでも人込みのせいで出来ない。ホームに着くなりスカイライナーが入線してきた。間一髪で間に合った(^_^)V

手荷物を受け取りキャセイのカウンターへ。バーレーンでのホテルはキャセイが手配する筈なので予約状況を聞いてみると判らないとのこと。しかも「荷物はクウェートまでスルーになっているので、ホテルは手配してないのでは?」だって。しつこく訪ねてみるとお姉さんは、上司を連れてきて調べてもらっていた。ホテルについては後で別のカウンターに来てほしいとのこと。荷物はすでにクウェート行きのタグを付けて行ってしまった後。バーレーンで受け取れるかちょっと心配になる。
ようやく搭乗券を渡してくれたが、ラウンジの券がない。少なくとも成田では使える筈だし、香港でも使えるように代理店が手配したはず。成田はともかく香港で2時間の待ちがあるので、香港では使いたい。3時間の待ちが有ると空港の外にでるのだが、2時間では短い。おねえちゃんに確認すると、「あっ」と行って発券してくれた。たのむでしかし。。ホテルの方もラマダホテルがとれたようだ。バーレーンで利用券を発行するとのこと。
買物をしたりしているとあっというまに搭乗の時間。キャセイは2月から新しいターミナルに変更になったようだ。
香港行きの機体はB747-300。エコノミーでもパーソナルビデオ付きだ。ラッキー。でも最後の香港カーブを楽しむ為に指定した右窓際の席「37K」の席は窓が見えない!!!こんなことなら喫煙席の方にすればよかった。相変わらず香港線は乗客が少なく僕の列は他に客がいない。
離陸すると機体は雲の中へ。結局香港到着まで雲の上を飛ぶこととなった。食事は流石はキャセイといったところで、JALのビジネス並。4時間30分後香港到着。僕にとっては最後の啓徳空港へのランディングになる筈である。一体なんどこの空港に降りたことだろう。ちょっと感慨にふける。

ラウンジでNIFTYにアクセスし、メールをだしたりパティオに書込をする。これが有るので、ラウンジにこだわるのだ。(^_^)でもつい熱中しすぎて気が付いたらなんと出発の10分前。走ってゲートまで行ったが、係の人は当たり前のように通してくれた。キャセイはあれ程口を酸っぱくして20分前にゲートに行くようにと言っていたのはなんだったの。ま、お蔭で助かりましたけど。。。

バーレーン行き(最終目的地はドバイ)の機体はB777。客の入りは半分よりは多いといった感じでしょうか。相変わらずフィリピン人が多く、タガログ語での機内アナウンスも行う。窓側に座っている僕の隣は日本人のお兄さんで、石油会社勤務。初の海外出張で、2週間で湾岸諸国をグルグル回る。結構大変な仕事みたい。
雲の中へ離陸後お兄さんは、他の席に移動し隣の席が空き幾らか楽になりましたが、エコノミーで9時間はハッキリ言って辛い。最新の機体と言っても座席の間隔はそんなに広い訳でもないし、パーソナルビデオが付いている訳でもない。(どうしてCXは777にパーソナルビデオを付けないのだろう。747-300とA330から順次取り付けるらしいが、既存の機体に付ける位なら新規購入の機体に取り付ければいいのに)どうせだったら、ドバイ経由でエミレイツにすれば良かったかも。。。
機内食はこれがキャセイの食事と思うくらい貧弱。東京→香港間の食事は満足だったから、やはり路線によって金のかけ方が違うのかも。香港→バーレーンなんてフィリピン人の出稼ぎ便だし。前の席のフィリピン人はアラブでは酒が飲めないので、ガンガン飲みまくっている様子。スチュワーデスに飛行機で飲み過ぎると、早く酔っぱらうので程々にしてね。とたしなめられてた。普段はあんまり飲まない僕も酒とお別れと思い、いつもより多く飲んだけどね(^_^)
機内の暇つぶしに持ち込んだパラサイトイブ(最高に面白ですね。)を読んだり、成田で買った「魚のタマゴッチ」をやっていたら、眠れなくなってしまった。そうこうしているうちにバーレーン到着。(現地時間午後9時、日本時間午前3時)イミグレーションでビザを購入。5ディナール(約1370円)なり。ところがTCしか無いので、銀行で両替をさせられ折角前の方に並んでいたのに一番後ろ(^_^;。

荷物を待っているとポーター兄さんがすかさず寄ってきたのでそのまま雇った。(ちょっと引きずり回したので、1BDも払った)税関でなんと荷物を開けさせられた。5回目のバーレーンだけど初めての事だ。案の定、クウェートに持っていく装置の修理完了基板が引っ掛かってしまった。インボイスを見せクウェートで使う物だ!と言ってもなかなか解放してくれない。事務所へ連行されたが、上司にお伺いをたてるとあっと言う間に釈放。馬鹿みたい。

ホテルはキャセイが手配しているので、クーポンを貰おうと係員を探すが見つからない。空港案内所で聞くとなんと目の前で待っていた。30分のロス。クーポンを貰い指定の場所で車を待っているが来ない、来ない、来ない、来ない。痺れを切らし結局タクシーでホテルに移動。40分と6BDのロス。ラマダホテルと聞いていたので、カタールの☆☆☆☆☆ホテルを連想していたけど、☆☆☆と言ったところ。NIFTYにアクセスしようとしたけど既に11時。
取り敢えず身の回りを整理してラウンジへ。最低でも一ヵ月はお酒は飲めないのだ。ハイネケンとフライドフィッシュをオーダー。暫くするとフィリピンバンドの登場。演奏は別としてエンターテイメントとしてはNG。ボーカルのおねえちゃんの露出度は低いし(^_^;動きも少ない。お負けに客の少女をステージに上げ、スパイスガールの曲を歌わせた時にはガックリしてしまった。他の曲は大喜びだったけど(-_-;12時に終了し部屋に帰ると速攻で寝た。明日は5時15分にモーニングコール。既に日本は朝の6時なのだ。

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1998年4月20日
朝事務所に行くと、週末に現地からビザが届いたとF社から電話があった。
先ずは先日押さえておいた航空券の確定。
マイレッジが溜まらないのは覚悟の上で、キャセイを主体に予約。
どうしてキャセイはビジネスクラス以上でしか、マイレッジが加算されないのぉ(-_-;
成田→CX501→香港→CX733→バーレーン(一泊)→GF211→クウェート
(
CX=キャセイパシフィックGF=ガルフエアー)
続いて手荷物の託送依頼。いつものABCに電話すると、予約は2日前までらしい。。。まさか朝の満員電車の中をスーツケースは持ち込めないし。何より駅まで歩いて15分も掛かるのに。
駄目元でエイジェントのに電話すると、キャセイは託送サービスを行っているらしい。予約も前日の12時までらしいので、まだ間に合う。電話をしてみると、12時から19時の間で集荷にくるらしい。それにしても時間帯に幅が有り過ぎ!!急いで家に帰り隣の管理人さんに荷物を預け、再び会社へ。
19時まで仕事をしたあと同僚と最後の一杯をやりに行く。明日からしばらくの間お酒ともお別れ。
帰り道に紙パックの焼酎を買ってクウェートに持ち込もうと思ったらなんと酒屋は休み(;_;)成田の免税店に紙パックの酒ってあったっけ?どうして紙パックの酒にこだわるかというと、湾岸諸国の空港では手荷物や機内預かりの荷物をX線にかけ、缶やボトルをチェックされる。ところが紙パックだとX線に掛けられても判らないし、荷物を開けられても税関の人間は紙パックの酒など想像がつかない。皆さんも中東の出張者には紙パックのお酒を差し入れしましょう。

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1998年4月14日
今日余りの歯の痛さに意を決して歯医者に行った。出発の日も決まっていないので、間に合うかどうが一か八かだったが先生も理解してくれて、何とか今週中に治療を終了してくれそう。ただし、一番痛む左上奥の親不知は抜く事にした。生まれて初めての抜歯だし、麻酔もなかなか効かなかったので凄く不安だったが、が痛みもなくホッとした。でも歯を抜かれるときの軋み感とでも言うのでしょうか、あれが頭から離れず困っています(^_^;
インターネットエクスプローラー(IE3.0)が死んだ。部屋中を引っかき回しても、CD-ROMが出てこない。IE4.0はいくらでも出てくるのに。。。でもIE4.0では僕のマシーンには荷が重いので、諦めよう(;_;)そうなると、HPのメンテナンスにもすごーく支障が出るけど、勘で更新するしかなさそう。

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1998年4月13日
今回のプロジェクトの元請けであるF社に電話をしてみると衝撃の事実が。。。
なんと日曜日に再びバーレーン沖で、海底ケーブルに障害が発生したらしい。で、まだ正式に決まったことではないが、僕に再びカタールに行って欲しいとのこと。出発は25日頃で、ケーブルの修理が終わりしだいクウェートに派遣されるらしい。果してカタールとクウェート、どちらが本当の島流し??あっ、どっちも島流しか。。トホホ。。
それにしても今回のプロジェクトはこんなのばっかりで嫌になってしまう。

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1998年4月10日
大宮で新しいパスポートを受領した。
事務所に戻り営業にパスポートのコピーをFAX。ビザの手続きについて問い合わせたところ、ビザは日本で申請するのではなく、現地のスポンサーを通じて申請するらしい。ということは、いつ出発するかは現地での手続き次第ということか。。。。出発は17日頃かな??

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1998年4月3日
チラホラと漏れ聞いた、クウェート出張は4月14日出発に決定したので、パスポートの増補に行くことにした。 なにせ、前回の中東出張のお蔭でパスポートの残りは1ページ。いくらなんでもこれでは出張には出れないからだ。 軽い気持ちで大宮のパスポートセンターの窓口へ。女性にパスポートを差し出したところ。。。。

なんと、僕のパスポートに表紙に小さな穴が開いているので、増補を認めないだって(-_-;
その小さな穴とは、前回の出張時に現地のイミグレーションで、係員が入国に必要な書類をホッチキスで留めた物です。(写真の下に見える五つの点々がそれ)
『そんなの俺が付けたんじゃないやい!』といいたいところですが、小心者の僕には言えません。。。。
向こうの言い分は、『目的地で入国を拒否されても、困るのは貴方です。』という言い方をされてしまいました。 皆さんもくれぐれもご注意。ちなみに、日本を出国すると入国用の用紙をホッチキスで留められますが、あれは査証欄だからいいそうです。
こうして僕は4冊目のパスポートを申請したのです。

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