(MOHARRAM 3, 1419 AH) 今日の朝食:ホテルのビュッフェ 今日の昼食:サンドイッチ(計0.3KD) 今日の夕食:インド料理屋で牛肉炒飯、春巻き、中国茶(計2.8KD) 今日の新聞一面:新聞を局に忘れてしまい、わかりません(^o^)
今日も朝からカンカン照り。ただし昨日と違い湿度が低いのでいくらかはまし。通信機械室に入ってもクウェート人はだれもいない。全体朝礼でもあるのかといたが新聞を広げてわかった。そこにはWeekend specialの文字が。そう、今日は木曜日で役所はお休み。曜日の感覚がすっかり麻痺している。
夜は昨日のインド料理屋で中華。昨日の昼に引き続き炒飯。だって好きなんだもん(^_^)
1998年4月29日 (MOHARRAM 2, 1419 AH) 今日の朝食:ホテルのビュッフェ 今日の昼食:タイ料理屋でシーフードフライドライス、みそ汁、水(計2.5KD) 今日の夕食:インド料理屋でマトンコルマ、ナン2枚、お通しの煎餅のようなのも、水(計1.85KD) 今日の新聞一面:新聞は配達されなかった 今日は朝からメチャ暑い。局まで10分間歩いただけで汗ばんでくる。こんなのはここに来て初めてだ。きっと夕べの雨で湿度が高くなっているに違いない。
ワークステーションのCD-ROMドライブのチェックに現地の業者のインド人が来た。CDドライブを本体に取付け立ち上げてみると、あ〜ら不思議チャンと動く出はないか(^_^;インド人の持つ不思議なパワーのせいだろうか。。。 3時過ぎに昼御飯。タイ料理屋でとる。牛肉炒飯を頼むが「今日の牛肉は固くて美味しくないのでやめた方がいい」とのこと。やけに正直な店だこと。 夕べはなぜか気分が昂り眠れなかった。仕方なくテレビをつけると映画をやっていたがこれがまたこんなのをイスラムの国で放映していいかと思うようなシーンの連続。これでますます眠れなくなった(^_^;そのため今日は異常に眠くホテルに帰って早速昼寝。 夕食はペニンシュラホテルの1階(日本の2階)にあるインド料理屋。地下は先日ラーメンを食べた中華屋だ。テーブルに着くと「インディアン?」と訪ねるので当然「ノー」と答えると、今度は「チャイニーズ?」と聞いてくる。これも当然返事は「ノー」。するとまたまた「インディアン?」と訪ねるので当然「ノー」と答える。今度はもう一度「チャイニーズ?」と聞いてくる。これも当然返事は「ノー」。変なおやじだなと思っていると「ここはインディアンレストランだけどいいか」だって。 どうやらたまに地下の中華屋と間違えて入ってくる客がいるらしい。。。今日は値段も安かった。
その後海の方へ散歩にでる。海沿いを通っているアラビアンガルフストリートに出ると、子供たちの歓声が聞こえてくる。公園だ。夜10時近いというのに凄い人出。やっぱり暑い昼間を避けて夜家族で出掛けているようだ。ここには昼間街ではなかなか見かけないアバヤ(アラブ女性の来ている黒い服)を纏った女性も大勢いる。とその内の一つの集団が僕を見るなり「チャイニーズ、チャイニーズ」と言いはじめた。その口ぶりは決して友好的ではなく、小馬鹿にした言い方だ。すっごく不愉快な気分。アラブの石油成り金の女性たちはどうも態度がでかい様な気がする。
1998年4月28日 (MOHARRAM 1, 1419 AH) 今日の朝食:ホテルのビュッフェ 今日の昼食:抜き 今日の夕食:ホテルのビュッフェ(驚きの9.6KD> 今日の新聞一面:新聞はお休み
今日はイスラム歴(ヒジュラ歴)のお正月にあたり休日。でも街にはそのような雰囲気はかけらもない。ラマダンや明けや、巡礼後の方がはるかに賑やか。このイスラム歴は純粋な太陰暦を採用しており、太陽暦よりも11日短い。だからお正月が冬に来たり夏に来たりする。正月くらいならまだいい。ラマダンが夏に来ると流石にこたえるらしい。どう考えても不便だよなぁ。ちなみに今回のプロジェクトの他の国(バーレーン、カタール、UAE)の国は、昨日が正月だったらしい。イスラム歴はあくまでも月が基準になりその満ち欠けで判断するため、このようなことになると思う。誰か詳しい人教えて。 食事が終わったあと外は風も雨も止んでいた。。。。
1998年4月27日 今日の朝食:ホテルのビュッフェ 今日の昼食:タイ料理屋で天ぷら盛り合わせ、タイ風牛肉入り焼きそば、コーク、水、中国茶(計3.0KD) 今日の夕食:多国籍レストランでベジタブルクフタ、サラダ、ナン、水(計2.2KD) 今日の新聞一面:Sheikh Saud warns of economic catastrophe.(Sheikh Saud=クウェート石油大臣) 面倒くさいので今日は本文はお休み!!
1998年4月26日 今日の朝食:ホテルのビュッフェ 今日の昼食:抜き 今日の夕食:カフェでハンバーガー、コーヒー(計2.8KD) 今日の新聞一面:Iraq threatens to break sanctions.(イラク以外に記事は無いのか!)
クウェートのお客さんはカタールやUAEのように出稼ぎのインド人等がでシステムの監理を行っているのではなくクウェート人で行っている。でも実際職場で何をしているかというと、皆で集まってお茶を飲みながらだべっているだけ(仕事の話とは思えない)。アラブ人は暇が有ればお喋りにうつつをぬかしているように見える。ホテルのロビー、レストランの軒先等々。。。
1998年4月25日 今日の朝食:ホテルのビュッフェ 今日の昼食:ビーフシチューの様な物、いろいろ入ったライス、サラダ(計1.1KD) 今日の夕食:中華料理屋で牛肉入りラーメン、餃子、中国茶(計3.85KD) 今日の新聞一面:Tentions rise over sanctions review
バーレーン沖のケーブル修理の為に、カタール、バーレーン、ドバイに日本から要員が到着した。しかし、それと同時に明日から始まる予定の作業が30日以降に変更になった。皆やること無く待機だ。可哀相にゴールデンウイークは中東で過ごす事になった訳だ。でも僕だけは修理作業に関係なく、クウェートにとどまらないといけない。
1998年4月24日 今日の朝食:ホテルのビュッフェ 今日の昼食:なし 今日の夕食:近所のレストランでアメリカンチョプシー、ロシアンサラダ、マンゴジュース(計3.7KD) 今日の新聞一面:新聞は休み
今日は金曜日。仕事は休みだが仕事に行く。ホテルのロビーで日本人らしき若い女性の二人組を見かける。S氏が加入しているインターネットのアカウントをそのまま引き継ぐことになり設定をする。このプロバイダーは固定料金制で、月に65KD(約26000円)ただしS氏は学生料金で契約しており月45KD(約18000円)で済んでいる。日本だと一年分の料金だがクウェートの電話料金は基本料金さえ払えば市内通話はただ。つまり一日中繋ぎっぱなしに出来る訳だ。そのかわり常に話し中だし、日本のサーバーにアクセスしようとするとメチャメチャ遅い。やはりクウェートは遠い国だ。
1998年2月23日 今日の朝食:ホテルのビュッフェ 今日の昼食:韓国レストランで石焼きビビンバ 今日の夕食:日本レストランで鰻の蒲焼、鉄板焼き 今日の新聞一面:Danger of war looms over Iraq.(おいおい、本当か??)
今日は木曜日。アラブの国々は週末に突入。仕事場(クウェート通信省、昔の電電公社みたいなもの)にもお客さんの姿は見えない。
1998年4月22日 朝5時15分にモーニングコール。異常に眠い。睡眠時間が短いのに加え時差ぼけもあると思う。シャワーを浴びる。お湯しか出ない。一年前の記憶が蘇る。そうだ、ここは灼熱のアラブ。屋上の水タンクは太陽の熱で温まりお湯タンクと化しているのだ。 ホテルの車で空港へ。チェックイン、出国手続きを済ませ、免税店を通り過ぎ奥のカフェテリアで朝食を採る。コーヒーとサンドウィッチで1.4BD(490円)。まだ搭乗時間まで1時間以上ある。バーレーンの免税店は明るく、品数も多く、綺麗なので見ていて非常に楽しい。ただ買いたい物はない。ゲートに向かうと如何にも中国人といった風体の3人組みがいる。安っぽいスーツを着ているし、ボタンの数も多い。しかも袖のところにブランドの札を付けっぱなし。更にごみ箱の上で梨の皮を剥いている。余りにも典型的な行動なのでなぜか嬉しくなってしまう。 飛行機はガルフエアーGF211便。A320で座席は14F、窓際だ。しばらくすると一人の老人が僕に「席を替わってくれと言ってきた。」どうやら夫婦で通路を挟むような席割りになったらしい。可哀相なので替わってあげた。ところが、14Eの席は空いていたではないか。しまった!!クウェートを上空から見たかったのに(-_-;。 離陸と同時に機内サービスが始まる。パンと紅茶、コーヒーだけ。たった1時間のフライとだからしかたない。一旦後始末が終わると今度はジュースと水を持ってきた。ジュースをぐいっと飲んだあと、「パラサイトイブ」の続きを読む。スチュワーデスがコップを片づけたのでテーブルをたたむ。すると隣の老夫婦があっ!!と声を上げると同時に、なぜか僕のズボンがびしょ濡れになった。どうやら隣の夫婦が僕のテーブルの上に水の入ったコップを置いたらしい。なんて事をするんだ!飲みおわったら自分のテーブルにおけよ!!この田舎者!!!!(-_-;と思いつつも文句のいえない僕(^_^;この老夫婦、着陸後シートベルトも外せない。僕が外してあげた。 窓の外にクウェートの大地が見えてきた。茶色の地面と黒い道路、それと油田の炎しか見えない。やがて着陸。9時45分定刻に到着。
まずはビザのオリジナルを手に入れるべくビザカウンターへ。長い行列が出来ているが、係員は2人しかいない。案の定スリランカ等から来た出稼ぎの人達は後回しにされている。僕はすかさず掟破りの横入り(^_^;何度も湾岸諸国に出入りしていると、コツというか、悪知恵も判ってくる。
1998年4月21日 いよいよクウェートに向けて出発。 地元の蕨駅に着いた瞬間、クレジットカード入れを忘れた様な気がした。歩いて帰ると間に合わないのでタクシーで引き返す。途中で鞄の中を調べるとやっぱり出てきた(^_^;そのまま駅に引き返し手もらうが、時間が非常に気になる。どんなに時計を見ても早く着かないのはわかっている筈なのに、満員の京浜東北線の中で何度も時計を見てしまう。 電車が日暮里に着くと、京成線のホームまでダッシュ!したくでも人込みのせいで出来ない。ホームに着くなりスカイライナーが入線してきた。間一髪で間に合った(^_^)V
手荷物を受け取りキャセイのカウンターへ。バーレーンでのホテルはキャセイが手配する筈なので予約状況を聞いてみると判らないとのこと。しかも「荷物はクウェートまでスルーになっているので、ホテルは手配してないのでは?」だって。しつこく訪ねてみるとお姉さんは、上司を連れてきて調べてもらっていた。ホテルについては後で別のカウンターに来てほしいとのこと。荷物はすでにクウェート行きのタグを付けて行ってしまった後。バーレーンで受け取れるかちょっと心配になる。 ラウンジでNIFTYにアクセスし、メールをだしたりパティオに書込をする。これが有るので、ラウンジにこだわるのだ。(^_^)でもつい熱中しすぎて気が付いたらなんと出発の10分前。走ってゲートまで行ったが、係の人は当たり前のように通してくれた。キャセイはあれ程口を酸っぱくして20分前にゲートに行くようにと言っていたのはなんだったの。ま、お蔭で助かりましたけど。。。
バーレーン行き(最終目的地はドバイ)の機体はB777。客の入りは半分よりは多いといった感じでしょうか。相変わらずフィリピン人が多く、タガログ語での機内アナウンスも行う。窓側に座っている僕の隣は日本人のお兄さんで、石油会社勤務。初の海外出張で、2週間で湾岸諸国をグルグル回る。結構大変な仕事みたい。 荷物を待っているとポーター兄さんがすかさず寄ってきたのでそのまま雇った。(ちょっと引きずり回したので、1BDも払った)税関でなんと荷物を開けさせられた。5回目のバーレーンだけど初めての事だ。案の定、クウェートに持っていく装置の修理完了基板が引っ掛かってしまった。インボイスを見せクウェートで使う物だ!と言ってもなかなか解放してくれない。事務所へ連行されたが、上司にお伺いをたてるとあっと言う間に釈放。馬鹿みたい。
ホテルはキャセイが手配しているので、クーポンを貰おうと係員を探すが見つからない。空港案内所で聞くとなんと目の前で待っていた。30分のロス。クーポンを貰い指定の場所で車を待っているが来ない、来ない、来ない、来ない。痺れを切らし結局タクシーでホテルに移動。40分と6BDのロス。ラマダホテルと聞いていたので、カタールの☆☆☆☆☆ホテルを連想していたけど、☆☆☆と言ったところ。NIFTYにアクセスしようとしたけど既に11時。
1998年4月20日 朝事務所に行くと、週末に現地からビザが届いたとF社から電話があった。 先ずは先日押さえておいた航空券の確定。 マイレッジが溜まらないのは覚悟の上で、キャセイを主体に予約。 どうしてキャセイはビジネスクラス以上でしか、マイレッジが加算されないのぉ(-_-; 成田→CX501→香港→CX733→バーレーン(一泊)→GF211→クウェート (CX=キャセイパシフィック、GF=ガルフエアー) 続いて手荷物の託送依頼。いつものABCに電話すると、予約は2日前までらしい。。。まさか朝の満員電車の中をスーツケースは持ち込めないし。何より駅まで歩いて15分も掛かるのに。 駄目元でエイジェントのに電話すると、キャセイは託送サービスを行っているらしい。予約も前日の12時までらしいので、まだ間に合う。電話をしてみると、12時から19時の間で集荷にくるらしい。それにしても時間帯に幅が有り過ぎ!!急いで家に帰り隣の管理人さんに荷物を預け、再び会社へ。 19時まで仕事をしたあと同僚と最後の一杯をやりに行く。明日からしばらくの間お酒ともお別れ。 帰り道に紙パックの焼酎を買ってクウェートに持ち込もうと思ったらなんと酒屋は休み(;_;)成田の免税店に紙パックの酒ってあったっけ?どうして紙パックの酒にこだわるかというと、湾岸諸国の空港では手荷物や機内預かりの荷物をX線にかけ、缶やボトルをチェックされる。ところが紙パックだとX線に掛けられても判らないし、荷物を開けられても税関の人間は紙パックの酒など想像がつかない。皆さんも中東の出張者には紙パックのお酒を差し入れしましょう。
1998年4月14日 今日余りの歯の痛さに意を決して歯医者に行った。出発の日も決まっていないので、間に合うかどうが一か八かだったが先生も理解してくれて、何とか今週中に治療を終了してくれそう。ただし、一番痛む左上奥の親不知は抜く事にした。生まれて初めての抜歯だし、麻酔もなかなか効かなかったので凄く不安だったが、が痛みもなくホッとした。でも歯を抜かれるときの軋み感とでも言うのでしょうか、あれが頭から離れず困っています(^_^; インターネットエクスプローラー(IE3.0)が死んだ。部屋中を引っかき回しても、CD-ROMが出てこない。IE4.0はいくらでも出てくるのに。。。でもIE4.0では僕のマシーンには荷が重いので、諦めよう(;_;)そうなると、HPのメンテナンスにもすごーく支障が出るけど、勘で更新するしかなさそう。
1998年4月13日 今回のプロジェクトの元請けであるF社に電話をしてみると衝撃の事実が。。。 なんと日曜日に再びバーレーン沖で、海底ケーブルに障害が発生したらしい。で、まだ正式に決まったことではないが、僕に再びカタールに行って欲しいとのこと。出発は25日頃で、ケーブルの修理が終わりしだいクウェートに派遣されるらしい。果してカタールとクウェート、どちらが本当の島流し??あっ、どっちも島流しか。。トホホ。。 それにしても今回のプロジェクトはこんなのばっかりで嫌になってしまう。
1998年4月10日 大宮で新しいパスポートを受領した。 事務所に戻り営業にパスポートのコピーをFAX。ビザの手続きについて問い合わせたところ、ビザは日本で申請するのではなく、現地のスポンサーを通じて申請するらしい。ということは、いつ出発するかは現地での手続き次第ということか。。。。出発は17日頃かな??
1998年4月3日 チラホラと漏れ聞いた、クウェート出張は4月14日出発に決定したので、パスポートの増補に行くことにした。 なにせ、前回の中東出張のお蔭でパスポートの残りは1ページ。いくらなんでもこれでは出張には出れないからだ。 軽い気持ちで大宮のパスポートセンターの窓口へ。女性にパスポートを差し出したところ。。。。
なんと、僕のパスポートに表紙に小さな穴が開いているので、増補を認めないだって(-_-;
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