SFセミナー2000参加レポート

#5月3〜4日
SFセミナー2000に参加してきた。
セミナーに参加すべく色々と善処してきたが、どうしても会社の雰囲気は俺一人だけGWに出勤しないことを許してくれる様子ではないのでぎりぎりまで迷って昼を過ぎた頃に、ようやく足はお茶の水方面へと向かっていた。
仕事が片づかないあげくに何やら頭痛もするという体調の悪さ。出足が遅れたものの、今年から変わったという昼の部の会場は我が愛する日大理工学部駿河台校舎9号館に近接した場所であり、勝手知ったるなんとやらで、去年の同じ場所へ行け、といわれるのよりも簡単にたどり着くことができた。webで予約を入れておいたので去年よりはるかにスムースに受け付け登録完了。上記の様な体調で明日も仕事なので「寝部屋は大丈夫ですかね?」と聞くと「そんな、寝部屋のことは毎年わからなくてよ。おほほほ……」という悲しいお返事をいただく。まぁ、これは実際夜になって分かったことだが、例え事前申し込みしようと、布団の上に荷物を置いて場所確保したつもりでも眠れない人は眠れないようだ、ということだ。俺が寝ようとしていた部屋ではPS2を持ち込んでゲームをしていた一団がいて、「この部屋は彼らのために割り当てられているのか?」とか思って退いてしまったりした。これも「セミナー合宿の寝部屋なんてこんなものよ」の一言で済んでしまうんでしょうかねぇ……。ま、こっちも無理矢理場所GETして誰かを泣かせている可能性もあるのでこのくらいにしておく。
合宿企画の開始とか内容とか部屋割りとかがせっかくwebページがあるというのに公開されていなかったのでプログラムブックを見て初めて、森太郎さんに召還されているネット者の企画は深夜に行けば良いというのを知る。それで会社へ行ってから合宿途中参加でもいいか、と思ったのだが「せっかくだから角川春樹社長だけでも見ていけば?」と云われて、それもそうだな、と思い会社の後輩の携帯に「ぐぉー、死ぬ!死にそうなほど調子が悪いので今日はサボる!どうしても必要な場合は呼ぶこと」というメールを突っ込んで一番出口に近い位置に座る。
というわけで、今回は孤立していた感じだったので誰それと会ってメシ喰ったとかのレポートにはなっていないはず。(>小浜さん)

あと、プログラムブックを紛失してしまい、記憶力一本槍で書いているのでなかなかつらいです。他の人のレポートと突き合わせながら書くほどマメじゃないし。というわけで間違いなどありましたら遠慮なく掲示板かメールでお知らせくださいませ。

<パネル企画>
いきなり綺麗ドコロのお二人による「SFセミナー2000!」のハモりで幕開け。魂がひっこ抜かれそうになるが、そのとたんに携帯電話が震えて「ぎえー!」という感じで一旦外へ出る。んが、後輩からの返事は「ボクも今、パチスロやってますから、ドーゾ」という妙に安堵を誘う内容であった。と、いうわけでややリラックスして席に戻る。

・角川春樹的日本SF出版史
「獄中から復帰して、よし、SFだ!と思ったわけですよ」
「それはどういう?」「原点に帰る!」
流石です。春樹社長!!

いや、もう今後は「春樹ちゃん」という呼称は映画監督としてだけ使用することにさせていただきます。以後はキチンと社長と呼ばせていただきます。俺が今までに会ってきた数々の日本の社長の中で、もっとも社長らしい人となりでした。
いや、<プレジデント>だの<日経××>だのに掲載されているどんな社長の言葉よりも社長らしい発言&風格でした。
いや、この人がSFの後押しをしてくれるんだったらこれほど心強いことはない。実はハルキ文庫が2000年以降来るであろう来るべき「SFブーム」への布石だったとは!緻密だ。あまりにも緻密すぎる戦略だ!
実際「SF者オフ」をやった時はSFクズ論争などを引きずっており、「SF冬の時代」なんて気分があって俺は俺なりに憤慨していたわけだけれども、ここ最近の出版状況(森下一仁先生の著作やアンソロジー本の出版など)を見ているとなんだか元気になってきたんじゃないか?という気がしていた。それに今、ミステリーより元気があるように見える「ホラー」というジャンルのある部分はSFと確実にかぶっており、このホラーブームも角川春樹社長の思惑通りだったというのを聞くとなんともはや、絶句である。
小松左京賞の創設に際して、小松左京氏の家を訪れたトコロ、何も云わないうちにいきなり「断る!」と云われた、というエピソードには爆笑。「生きているうちから賞なんぞ作って俺を殺すな」というわけらしい。社長は「横溝正史賞も作ったが、横溝さんは8年生きましたからねぇ。小松さんのような憎まれっ子は二十年か三十年は生きるでしょう」とか云っている。しかも小松さん家にあった絵をふんだくってきたというおまけ話付き。さらにはあの『虚無回廊』の残り原稿から「3」を近日中に出版し、続いて小松さんに鞭打って続編を書かせ、生きているうちに必ず完成させると豪語する。なんかそれだけでももうごっつあんです、と云いたくなる感じである。その受賞作が出版されてから3年後にブームは頂点に達するだろう、というから今から2004年のSF界がどうなっているか楽しみというものだ。
「希望的観測は外れるが、第一直感というものは当たるんだ」
というのだから案外、SFブーム再来、というのは来るのかもしれない。現にSF者オフを実施した頃に比べてSFっぽいホラーのおかげかもしれんけど、様々な関連書籍も出版されて、マトリックスが売れちゃったりして、なんだか最近SFって元気じゃん、と思っていたところだからね。
小柳ゆきがアレクサンダー戦記に使われていたことや福井晴敏のターンAガンダムのノヴェライズのしょぼさなどをツッこんで、社長をぎゃふんと云わせていた大森さんはすごかった。
「なにしろSFだけで担当が4人いますからね、4人」繰り返し社長が力説していたフレーズである。「昔は角川春樹、一人でしたからねぇ。人件費だって馬鹿になりません、元は取り返しますよ」だって。SFフェアとかいって平井和正を一気にドバーっと出す予定も有るらしい。確かに<ゾンビ・ハンター>は俺が国内SFに親しんだ重要な作品だけどねぇ、一気にだされても困るかもなぁ(笑)。消費税導入の時にある種のラインナップが一気に消えたことについて「もう起こりませんよね?」という大森さんのツッコミは、はぐらかされてしまった。
過去、「強盗の角川」と自称して国内SFの文庫を出しまくった頃の話も興味深かった。
早川、角川という出版社の壁を越えてSF普及について福島正実氏と尽力した、というあたりの話はなかなか迫力があった。すべては俺が生まれた頃の出来事である。
俺としては弟さんとの「ハグゥ」問題などを掘り起こす質問などをして会場を湧かせてみたかったのだが、それは話がつまんなかったときの話でここまでグレイトなSFに対する野望を聞かされてしまってはもうメロメロパンチ状態になっていたので却下。
でもやっぱ、映画の話あたりで「俺は神様だぁ」って云ってたよ(笑)。
あと「UFOはいつどこで見たんですか?」と野田大元帥に問いつめられたとも(笑)。
いや、実に愉快な日本の社長さんの姿を拝むことができたわけですよ。はい。

・ブックハンターの冒険
ディーラーズに出ていた書き込みたっぷりの古本の放出元は牧眞司さんであった。
俺が見たときは銀背は函付きで状態良いけれど持っているものばかり、という印象だったのだがどうやら他の日記をみるとサンリオSF文庫などけっこうイイモノが放出されていたらしい。ふむ、こーゆー時「スタッフ特権」というのはうらやましいなぁ、と思いつつも最近はめぼしい古本はyahoo!オークションスーパー源氏などで入手済みで、物欲はおとなしめであり、今回のオークションにも出るつもりはなかったのでまいいっか、と。
んで、牧さんの著書『ブックハンターの冒険』もどうせ普通の書店じゃみつかるまい、と思って入り口で買ってしまったのだが、本当のトコロを云うと俺は学生の頃、ヨコジュンの『日本SFこてん古典』なんかは、出てくる本だと古すぎて(当時)欲しいとは思わなかった人なんで、どの程度楽しめる本なのか、という疑問はあった。つまり俺が読みたくて入手不可能な本は「最近の古本」なのだった。
小浜さん曰く溝口さん「最近の古本のコレクター」ということになるらしい。神田神保町で多く扱われている本当の「古書」というとやはりSFマガジン創刊以前のものを指すんだろうか。以前、「アンティークと呼ばれるものは百年以上経っていないとダメだ」という話を聞いたことがある。フリーマーケットで入手できるようなものは「最近の骨董品」ってことになるんだろう。それと同じ意味だろうと解釈する。
俺がSF研に入るその前の年にサンリオ文庫は絶版になったので、買おうと思えばまだ間に合う時期だったんだけど、SF本への執着心がそのころはまだ培われていなかったのだ。当時の俺にとって銀背はでかくて黄ばんだ嫌な本だったし、サンリオSF文庫は知らない作家ばかりの安げな表紙のパッとしない本だったのだ。だがしかし、大学卒業する頃には「(SF的に)貧弱な坊やだった僕もすっかり立派なSF者に!」という感じで神田古書店巡りを始めていたわけで、現在も続く「最近の古本」集めに余念がない。まぁ、稀少なら嫌いな作家の本でも買う、とかはないのでコレクターにはなっていないと思うけど、学生の遊び場としてはおおよそふさわしくない街で青春の日々を送っていた身としては牧さんの話はなかなかに興味深かった。
SFオンラインの記事を予習していたせいもあり、わりとすんなり聞くことができた。しかし、ネット接続環境にない人は時々出てくる「SFオンライン」という言葉をどう感じただろうかね?
司会役は銀河通信のダイジマンさん。あまりしゃべる人ではないというイメージがあったのだけれど、好きな古本の話題のせいか淡々とした口調で話を進めていて良かったと思う。
「絶版で買えないことを嘆く人が多いけど、欲しい本はもっと古本屋をまわって自力で集めなさい」と牧さんは云う。こうはばかり無く云われるとちょっと感動する。
んー、とはいいますが、なかなか欲しい本が入手できないのが実状でしょう、と思いつつもただ嘆いていても読めない本は読めないわけで、牧さんの云う事は正しい。ま、俺はどっちかって云うと自分が読めないことよりも、俺のオススメの本を他人が手に取ることが出来ない状況を嘆く事の方が多いんだけれどもね。(図書館だってけして万能ではないのだ、ということを学生時代思い知ったものだ)
「普通は古本を集めてる人なんかはコレクターであることとか否定するんだけれども僕は意外と平気で公言しています」という発言にも好感が持てた。そう、俺は自分の欲望に正直な人が大好きなのだ。
「僕は物欲の人なので帯とか月報とかがあると嬉しいんですね」とも。うぐぅ、最近までは帯や本の間に挟まっているものは買った瞬間に捨ててしまう男だったんだけど最近こーゆー意見を聞くようになってからあんまり捨てなくなりましたよ。帯はともかく、月報は読み物として情報がある、というところに根性の違いを感じましたな。俺ときたら小学生の頃はコミックスのカバーとかも読むのに邪魔だから捨てちゃう人だった。「本は中身」だと思っていたんである。
「<宇宙塵>に参加して、こいつら年は取ってるけど全然自分より本を読んでいない、とか思って馬鹿にしてたんですね。いやな中学生だ。そんな自分より唯一読んでいる人がいた。あたりまえだけど、それが柴野さんでそれで自分は随分救われたんですね」という。俺は読書家でなく映像系の人だったのだけれど、SF大会とかに出かけていって特撮系の部屋に行ったのに自分より知識がない人たちばっかりで同じ様な憤慨を持った記憶があるので良く分かる気がしますな。一人でも尊敬できる人が居る、というのは重要なことなんですわ。
「好きな本は何冊でも買う」というのに苦笑。さすがに本ではやらなかったけど、映画「Fire Fox」だけはTVでやるたびにエアチェックして本も洋書からパシフィカの表紙違いまで集めたのでここも良く分かる。今は普及用とか云ってついつい好きな作品は古本屋で見つけるたび買いそうになるし。
「銀背って最近の言葉だよね?」というのは初耳。とにかく俺が大学SF研に入った時(十二年前)にはその呼び方は定着していたと思うのでどの辺りを「最近」と呼ぶかだと思うんですけど。俺もその辺興味ありますな。
んで、サイン会の時、牧さんは「いや、どうもお久しぶりです」と云ってくださって、嬉しかったけれどもちょっと驚く。そりゃ確かに去年のSFセミナー以来なのでお久しぶりなんですが、俺ってば顔覚えてもらうほどお話したかな?と思わず首をひねってしまう。牧さんもこーゆー趣味故、「ファイリング能力」の高い人なんだろうか?俺も人の顔以外はファイリング能力高いんですけどねぇ。
(ちなみに去年、中村融氏の合宿企画に参加したんだけれども、お茶の水駅で目の前に居る人が中村氏だと確信するまでに随分時間がかかってしまった。これじゃ神田で他のプロの方に会っても気が付かないだろうなぁ)

・日本SF論争史
すごく高いことはわかっていたのできっと買わないだろうなーと思っていたのだが、それが一割引=500円引きで買えるとなるとどうしてもお買い得感が沸き起こってしまう俺は秋葉原やスーパーなどで良い餌食になっている衝動買い野郎タイプであり、「今買うとこの一つも欲しくないはずだったブツがセットで」とか云われても騙されてしまったりするのでやはり4500円だして発売前の『日本SF論争史』を買ってしまう。んで少しぐったりしていたのだが、この企画が始まって「論争の一部をありのままに収めたアンソロジー」である──すなわち巽さんの書いた文章がメインではない、というのを知って少し驚きながらも牧さんがまとめたという年表も含めて実は資料性の高い本なのだなぁ、と知り資料本としての価値を見いだすことになる。もっと評論調のものなのかと思っていただけにビックリ。
禁断の兵器(人格否定攻撃)まで繰り出して血みどろの争いを繰り広げる地球人類(SF者)の上に「この戦いは不毛だ!」と云って天から降りてくる大天使(第三者)のヴィジョンが脳から離れません。半分焼き込み完。
小松左京氏とハインライン先生の威力がSFの根元にあって、それをひっくり返そうとしてニューウェーヴやサイバーパンクが現れる、という構造がSFとは何か、という論争の基本構造なのかな?そして世界に名だたる安部公房先生にはおそれ多くて誰も口出しできない、というのが最後から二番目の真実なのかな?というのが全体を通しての印象。
田中隆一氏という名前は実は恥ずかしながら初めて聞いたのだが、「その先進的な物の見方によって<既に殺されていた>のに殺されていることにすら気付かずに執筆活動を続けていた作家がいた」というパートが印象的だった。なんかまさに量子宇宙論的だよねぇ。
福島正実氏は角川春樹社長の話にもあったとおり、日本SFの黎明期においてジュブナイル出版や作家の育成、SFの社会認知度の向上、出版状況の改善などに尽力した人、というイメージが強いが、SF覆面座談会における豊田有恒氏などとの深い確執が<本の雑誌>で紹介されたりしていたので「このブタめ!」発言も知っており、「人を誉める言葉を知っている人は人を罵倒する言葉も良く知っている」という言葉には心打たれた。俺も罵倒語だけでなく誉め言葉を覚えたく思うところである。
司会の森太郎さんが頑張っていたのが良い良い。流石、「私を見にきてください」と云っていただけのとこはありますよ。最初、牧さんがポツネンとしていて彼をどう絡めてくるのか?と不安にもなったけど、共同執筆者(協力者?)だったことがわかって納得。
本を買う時、「SF界の論争なんて、あらかたみんな勉強して知ってるでしょ?」とか云ってたら企画後にある人から「クズSF論争って何ですか?」という質問を受けたりしたのでふむん、こーゆー本も必要なんだろうなぁ、と感慨に耽る。日本SFの論争史だけでもこんなにあるのに海外のヤツとかも含めるとSFってジャンルはおのがアイデンティティーを求めてずいぶん血を流し続けてきたんだなぁ、と思う。
ただ俺に云えることは、SFというジャンルの有りようというのはそれにかかわる人間が作り出すものであり、人間の社会というものが時間と共に変容していくかぎり、それらによって形成されるSFというものも変容を余儀なくされるであろう、ということだ。古いSFの定義に縛られる者に訪れるのは「時代遅れ」という名の死であろう。
では、お馴染みの梅原「サイフィクト」論争は取り上げられていないのか、と云ってみたところ、「アレはSFじゃないから」という簡単なお答えを各方面からいただきました。なるほど。

・新人作家パネル
惚れたぜ!三雲岳斗さン!!俺はあんたの魂にゾッコンさ!!
という感じ。
「女の子にも読んでもらえるSFであるとか、YA系の読者にとってSFへの橋渡しになるような作品を書いて行けたら、と思います」という様なことが彼の口から出てきた時、俺は正直、感動にうち震えた。いやぁ、なんかあんまりSFらしくないジャン、という彼の作風にそんな戦略&思いが込められていたとはっ!!まさしく、2年半前のSF者オフで必要とされていたのは彼のような志を持った新人作家ではなかったか?!どこかの口先だけのサイフィクト人ではなしに!!っつー感じですな。その志の高さに俺は痺れましたヨ。しゃべり方や全体的な雰囲気はなんとなく涼元さんを思い起こさせるところがあった。
「生まれた時から周りはSFを連想させるものばかり」といった、そのまさにサイバーエイジを生きる世代の正しい発言とかに始まって、死んだ恋人と電脳人格を同格に持ってきて話をしている時点で超合格でしょう。生身の部分に人間性を見いだしている古い世代の次にはやはり生身の女性にではなく、死んだ恋人に操を捧げるような世代がやってきているのだと俺は思っている。それは、誰もが意図していない恐ろしい事態、あるいは新しい感覚であり、ギャルゲーだのに入れ込んでいるある種のオタクはその最先端を意識することなしに走っているのだ。というのは俺の持論。ひどくグロテスクに感じられるかもしれないが、人間が人間と関わることの煩わしさや様々な確執、負の感情、そういったものから逃れたいと思う心が最終的に行き着くのは抽出された人間の優しさというか、あく抜きされた擬似的な人間性になってくるわけで、誰かが意図したわけではなく、インタラクティヴ性を持った擬似人格(今のギャルゲーで使われているのと同種のもの)が必ずある種のセラピー文化として、今とまったく違った用途で近い将来、台頭してくると思うんだが、まぁ、これもくだらない俺の予言の一つってことで。「死んだ恋人を選んでしまったらそれはもう文学(したがってエンターテイメントとしては失格でしょう)」という言葉も印象的でした。終始俺はうなずきっぱなしだったのだが、最後の「ちょっと『ときメモ』とかになっちゃうとわかんないんですけど」だけが残念。何故だぁ!?俺が電脳時代の擬似恋愛について教えてあげますさかい、ダサコンに来ませんか?!
という三雲氏対して、『BH85』を書き、「最後は肉体的なモノに依存してしまう」と意見表明されたのはダサコン3に来てくださった森青花さん。私はダサコン3でお話していなかったので、彼女がが後半、すげー勢いで色々意見を述べていたのが印象的。そうですか、恋愛は思い込みと妄想ですか。既にヴァーチャルなものですか。結構大胆な意見である。
そこに司会のみらい子さんの「実はSF者の心をとらえたのは<おセンチ・ラヴな要素>だったのではッ?」(<>内は俺的解釈)という大胆予測に悶絶!
企画としては「今年の12月、『夏への扉』のダニーがコールドスリープから目覚める、そういう時代を生きているんですよねぇ」という森青花さんの言葉に始まり、各人のSF原体験を語ってもらい森・三雲の世代間サイバーギャップを浮き彫りにし、その狭間で揺れる、藤崎慎吾氏を置く、という構成は見事であり、どこまで打ち合わせで決まっていたのか?と思わず勘ぐりたくなるほどだった。
どちらかというと森さん寄りである藤崎氏が<宇宙塵>に参加していた強者だったことも初めて知った。電源を切られることで「死んでしまった」電子ゲームのキャラクターを思って涙する少年のエピソードとALの研究をしているのは人間以外の知性体とのファーストコンタクトを体験するためだという研究者のエピソードとの間で揺れる藤崎氏も自分の作中でサイバーな演出はしているものの、サイバーパンクでひっかかって一旦SFから離れたくちらしい。俺もそういえば一時「サイバーパンクこそ敵だ」と思っていたんだけれど、自分が表現したいと思っていたモノが実はサイバーパンクの手法で描かれようとしているものそのものだと気が付いてからは「黒丸尚訳」と「サイバーパンク」は別モノとして捕らえられるようになってどっちも好きになっていったんだけどねぇ。
うぐぅ、森さんの本は読んでいるので残りのお二方の未読の作品群を消化せねばっ!と思ってしまった。良い企画でありました。

・小中千昭インタビュウ
小中千昭さんてあんまり知らないのよね。無論彼の扱ってきた作品も。王立宇宙軍ともかく、あとはlainとティガの最終回くらいかな?
というわけで、途中から参加&頭痛薬を飲んでぼーっと聞いていたのだが、司会の方が巧妙で飽きさせない展開になっていたと思う。前のめりにならなかったのは俺自信の興味度の問題だったと思うな。
作品世界を表現するためのディティールの話で、あるゲームで「モデムが描かれてたんスよ、モデムがぁ〜」のくだりが最高に笑えた。
我々も下請けのソフトハウスを使う身であり、「前の仕事が良かったから」と会社全体を評価していると、必ずしも会社の末端にいたるまで統一されたレヴェルで仕事ができているわけではないという事実を思い知る、というイイお話でした。いや、職人さんだねぇ。
小説や漫画など、個人で行う創作作業と違って、ゲームやアニメなどの組織で行う創作作業における力有るクリエイターの苦労話として興味深く拝聴した。俺としては後輩が実際ゲームのプロデューサーとして独立してきて色々な話を聞いているだけに他人事ではないし、一時期エロゲー社長も目指していたので色々と組織でクリエイティヴな仕事をするにあたっての教訓として注意深く心に留めておこうと思ったことも2、3あったですな。

正直に云うと、昨年の神林長平、森岡浩之、篠田節子といったゲストに比べて今年の昼のパネル企画はまーったく参加意欲が起きない感じだったのだが聞き終わった時の満足感はかなり高いものになっていたのだった。ふむん、何事も体験してみるまでわからないものだよねぇ。

<合宿企画>
「今回はダサコンの紹介はしなくていいやねー、3終わったばっかだし」とか云っていたのにオープニングでコンベンション系ときて真っ先に名指しされてしまって、びびりながらも一応ダサコン4についてちらりとしゃべる。
「総統やってます」といったらどよめきが起こって少しびびる。やはり<総統>というのは一般民間人用語ではないらしいことを悟る。
ネット環境を所有している人に挙手を求めて、その多さに少し驚くが、それでもダサコンの知名度はそれほどでもないような気は今もしている。が、それは俺の認識不足なんだろうか??
ネット者の有名どころ、として溝口さん、安田ママさん、ヒラノさんArteさんまで紹介されていた。ミスコン代表としてジョニイたかはしさんまで立ち上がることに。特にヒラノさんが「この人は、北村薫にあなたの小説がつまらないのは何故ですか?って聞いてしまう強者ですよ」と紹介され悶絶していたのが印象的だった。

・中年ファンタジーの時代は来るのか?!浅暮三文改造講座
浅暮先生を売れる作家に改造する、という話題にかこつけて色々とつまびらかにされる出版状況に関する様々な情報が興味深かった。数値なんかは克明に覚えているけど、それをここに書いたところで意味がない気がするので黙っている。データの提供元は創元徳間倉阪鬼一郎さん(笑)。浅暮さんがうらやむほど倉阪さんが「売れてへんって」というのが結構驚きだったデス。
まずは表紙・装丁に込められているものが読者を引きつけるだけの情報を持っていなくてはいかん、という「本というハードウェア」の話になる。小浜さんの「サンリオSF文庫が不発に終わった理由」なんかは面白かったなぁ。それが真実かどうかはわからないんだけれども、説得力はあった。
とりあえず、『宇宙消失』もそうだったけど、とりあえず帯のようなそのものずばりなタイトルをつけないと最近はダメだ!という話になる。
計画その1。『カニスの血を嗣ぐ』文庫化の際、改題。名付けて『犬探偵』。こ、これはダメだろ〜(笑)。
浅暮さんの既に売っている2冊の著作。2冊とも「なんの話か?」と問われると答えに窮する部分がある。浅暮先生曰く「中年ファンタジー」という新ジャンルである、というが会場の意見としては何か既存のジャンルで何本か書いて作家とジャンルイメージを定着させた方が良いのでは、という話になる。そのためにはもう少し多作にならないと。
計画その2。今年からは年3冊ペースで行きますよ〜、とのこと。これは良い感じ。
倉阪さんの場合は作家・作品とも「キャラ立ち」に成功していて、この作家がどんな作品を書いてくるか、というイメージ戦略が既に出来上がっているところが違う、という話になり、『活字狂想曲』に対抗すべくバブル渦中のコピーライター時代を書けば良いだろうというと「それが嫌で作家になったんですぜー!」と云われてあえなく却下。色々模索の上、計画その3。「バンドマンの話」を書けば良いのではないか、という線で落ち着く。しかも「密室殺人」にすれば創元から出版しても良いという小浜さんのお墨付き。出たら買いまっせ〜。
その他おもしろかった話では、福井健太さん提唱の「デジタル作家とアナログ作家論」。大変興味深い。新本格はデジタルで、純文学はアナログなんだそうで。浅暮さんも倉阪さんもこの点ではアナログ作家と自覚している様子。
『ダブ(エ)ストン街道』が紀行モノとして扱われていた店もあったという話から、書籍の売り上げは書店員のスキルにかなり依存する、という話も面白かった。安田ママさんのお店ではきっと文芸書の中でもSFやファンタジーの占める度合いが高いのだろうと想像してみたり(笑)。
まぁ、最後、アンケートで出た結論は、浅暮先生の魅力は「人格」「ヒゲ」。という結論に達したのでなんとかTVでもネットでも雑誌でも使って世間への露出度を高めてもらいたいと思った、マル。

・電脳ラヴァーズ〜SFとアダルトゲームの妖しい関係〜
SFとエロゲーの話、というのでかなり期待して参加。んが、結果から先に書くと、司会が進行役を5分で投げ出し、まとまった方向性のある話にはならなかった。
司会役が牽引してくれない以上は参加者同士が勝手な雑談モードに入ってしまってもしかたあるまい。でも俺個人としてはちゃんとこーゆー話が出来る人が何人かでもいたってことで随分満足している。「合宿企画」が何か特別なものじゃなくてダサコンの車座でなされてるいくつかの輪の一つだと思えばいいではないか、って感じでしたな。要するにオフ会のノリ。
とりあえず、水鏡子さんオープニングでの発言が洒落じゃないことが分かって悶絶。エロゲー・マニアだったんスね(笑)。しかもエロゲーに対する視点というのが非常に俺と近いことを確信したのだった。
・エロゲーが「新しい何か」であるかもしれないという予感に期待していた。
・エルフの「ELLE」というゲームのラストの大ギャフン落ちを心に留めていた。
・一部の鬼畜系ゲーム(あるいは調教系ゲーム)の持つ病的な部分へ感じる危うさ。
などなど。お互い部屋の反対側の隅っ子に位置していながら、半分くらい二人でやりとりしていた気がする。
まぁ、色々話した中でも驚いたのは水鏡子さんがLEAFの「ホワイトアルバム」のシナリオの完成度の高さをしきりと誉めようとすると、その場にいたほぼ全員が「えーーっ!?」と非難したことだった。たぶん、ホワルバ擁護派は俺だけだったかもしれない。どうも彼らの口振りからすると「あそこまでキツイシナリオだと本来の目的に使えない」とかゆーかなり俺からするとかなりヌルイ意見が多かったように思う。要するに内容が深刻すぎてエロゲーとして見ていられない、あるいはもっと具体的に云うとこんなシビアなシチュエーションじゃオナニーできませんという趣旨のものだ。せっかく女子から隔離された状況だったので「みなさんはご褒美シーンをちゃんと使用していますか?」くらいの質問をしてもよかったと思うが、いかにもご褒美シーンを目的にゲームやってませんな感じの鈴木力氏ではそこまで掘り下げることは出来なかったであろう。しかしホワルバをやっていなかったとしても「水鏡子さんはエロゲーにおけるシナリオの完成度の話をしているのであって、君らがオカズにできるか否かは別の問題だ!」と切り捨てることくらいはやって欲しかったなぁ、と思う。
司会役のひとり、須藤玲司氏は普通の(SF系)ゲームに無意味なエロ(ギャル)の要素が取り込まれていることについて話を持っていきたかったような節もあるがそれはそれ自体が昔からゲーム制作者が開発に行き詰まった時に実践されるナンセンスな一手であり、深く論じられる部分ではないと思うのでそっちを攻めるならそれなりの覚悟が必要だったはずなのだ。
鈴木力氏はたぶん、話題の「To Heart」や「ONE」「Kanon」に見られるエロゲーの中に含まれるSF的要素ついてを主題にしたかった節もあるのでそっちに話を持っていけばよかったんだと思う。それはたとえPS版=エロなし版からその世界へ入門した身であってもなんら恥ずることなく語れるものだと思うので、要は企画の方向性をしっかり練ってこなかった主催者側に大きな落ち度があると思う。まぁ、前提知識ゼロの浅暮さんの乱入が予想外であったとしてもね。それを押さえるのが仕切役の仕事でしょ。
美少女ゲーム(ギャルゲー)及びエロゲーについては過去に俺が読書日記で紹介しているようなムックや雑誌記事を追っているだけでもLEAFであるとかKeyであるとかの今回おそらく主題にしたかったであろう純愛系エロゲーと市場における状況やゲーム制作者についての最低限度の知識は得られるわけで、その程度お予習と企画の方向付けが明確化されていれば参加者の知識はそれほど高くなかったんだから案内役はさほど牽引に苦労しなかったと思われるので、とにかく残念でならない。
飛び交っていた意見の中には「選択肢を選ぶことで別々のストーリーが完成する、というところにパラレルワールド体験的な感覚があり、それがSF者の心を捕らえているのでは?」という面白いものもあっただけにおしい企画であった。
あと『エンドレスセレナーデ』はコンビニを舞台としていながらSFしているらしいとか『終末の過ごし方』は間違いなくSFであり眼鏡マニア必須なんだがシナリオのしょぼさは激昂ものだとか、少し役立つ情報も入手できた。
あまりにもシナリオがどう、とかいう話がでるので俺はエロゲーのノヴェライズの話もしたかったのだが「基本的に本とゲームは違う」と一蹴されてしまう。おそらく読んでもいない人の発言であり、そんな風に断定していいのか?と憤っていたがここでもまた水鏡子がゲームと本ではプレイヤー(読者)の「進め方」に差があるので、って話が出てきて納得してしまうのだった。俺は大場惑がエロゲーノヴェライズを書いていることとかも話したかったんだけどねぇ。
しまいに「ランスをやっていきていないエロゲーマーの意見なぞ信用できん」という司会進行役批判も飛び出したが、あの場のダレかたに憤りを感じるのもわかるが怒ってもしかたないわけで、ま、それは極論だったと思う。
俺は98全盛期はゲームから身を引いていながらも光栄の「団地妻の誘惑」から「177」「天使達の午後」「電脳学園」「鬼畜王ランス」をなどをはたから見て、時にはプレイさせてもらって、エロゲー界の様子は見守ってきた身であり、今や電子空間やダッチを使った射精についてはちょっとうるさい男になっているわけであり、まぁ、ダサコン3で茅原さんに語って聞かせたくらいの内容なら俺一人でも語れるんだけどねぇ。ってわけで来年もまだエロゲー界にSFの匂いというか、そこがSF者として期待する市場であり続けるならば俺が続編を仕切ってもいいんですけど、とか思ったのだった。

・ネットワークのSF者 Returns
俺は前の企画からの続きということでそのまま部屋の奥の隅に陣取っていたのだが、意図的でないにしろ、この布陣がそもそもいけなかったのかもしれない。
ついうっかりと俺の居る側にネット系の知り合いが集結してうっかりダサコンの「牙城」が築かれてしまっていたのだった。
そもそも集団で小浜さんを取り囲んでぎゃーぎゃーとわめきたてるのが目的ではなく、森太郎さんは単に最初の一発目で軽く「小浜さんのSFオンラインでの発言」に対する説明を求めただけだったのだが、酔っぱらっていて調子が今一つだったのか、小浜さんの弁舌がイマイチふるわず、繰り返し一貫性のない発言を繰り返していたため、結果、その発言に対して不満を持っていたネット者たちが異議申し立てる状態になってしまったわけだ。
小浜さんも確かに照れ隠しみたいな部分もあったろうし、そもそも発言が俺を初めとする去年のセミナーに来ていたダサコンスタッフへの揶揄だったこともあったのだろうが、少なからずあの発言に不快感を抱いている人たちを前にして、回答内容が二転三転するばかりか、肝心のところは同じぼかし方をした答えの一点張りで、あれじゃ場がもつれるのも当然だと思った。企画終了後にあの森太郎さん「私ですら小浜さんの云っていることをなかなか理解できなかったのだから、(場が収束しなかったのは)しかたがない」と云っていたのが印象的。司会進行役が翻弄されてしまったのだから話が収束しなくて当然というわけだ。
とはいえ、私は森さんだけを責めるつもりはない。途中でみらい子さんが我々が集団で小浜さんをつるしあげていると思ったらしく、挑発的な発言を始めたので話がさらに収拾が付きにくい方向に迷走し始めたあげく、森さんと協調して場を収束させる役目を担うはずの鈴木力氏が方向修正をせずにこの討論を押し進める形の交通整理を始めてしまったのはいただけなかった、と思うのである。(ああ、なんか沢山責めてしまってスミマセンね>鈴木力氏)
当初、森さんが今回の企画に俺を呼んだのは、前回の幕引きがイマイチ中途半端だったのでダサコン総統として何か意見を求められるのだろう、くらいに思っていたのだが、大部屋で小浜さんのSFオンラインでの発言のプリントアウトを見せられて「げっ、俺を小浜さんにぶつけようという野望をまだ捨てていなかったのかい!?」と驚いたのだが、まぁ、それがメインになるわけでもあるまい、と思っていたのだ。実は「ネット書評」や「オンライン書籍販売」などの話をしようという意図はまったく聞かされていなかった。まぁ、そういうネタを用意していると事前に聞かされてあの部屋に来てまったくそれとは異なる一見、非生産的な議論に付き合わされてしまったヒラノさんなんかが猛烈に不満をまくし立てる気持ちは大変よく分かる。
しかも、会話の中で冗談めかしながらも小浜さんは「森さんが俺にu-kiを紹介しなかったのが悪い」とか「お前が俺に挨拶もなしに『ダサコンスタッフ会議を始めるぞ』と云ったのが気に障った」とか。しまいには「お前が飯屋を予約した(のでダサコン勢が群れて行動した旨のレポートが多くなった)のが悪い」とか俺や森さんに云っていたわけで、「じゃぁ最初から不特定多数に向けたような書き方をするな!」とヒラノさんは怒っていたように思う。そして、森さんはここでいつものように「はいはい、それはスミマセンでしたね」で済ませて当初予定していたという話の方へ起動修正すべきだったんである。まぁ、いずれにせよ、その頃には周囲の「納得いかーん!」熱がピークに達していたので洒落で済まなくなっていた気もするんですがね。
俺はあの発言が実は俺という特定人物に向けられていたことと、え、そんなことが気に障ったのか、とぐったりしつつも自分の非礼さにも気付かされたわけで無駄じゃなかったと思う。けれど、あの部屋にいたその他大勢はつまんない見せ物を見てしまった、と感じているかもしれないわけで、そこが大変残念である。
(後にこれがネット上で尾を引くことになるわけだけど、小浜さんの発言の意図についての答えは既に出ているわけだから、感情的で非生産的な内容になるのは当然で、それも残念に思う)

・企画終了後
さて、企画が終了し、大オークションが開催される時間になったがその部屋ではそのまんま小浜さんをつつく人々と<企画の時間中>に出来なかったネット出版の話を話し始める人に別れた。まぁ、企画の時間中に<他の有意義な話>をしたかった人たちが怒りを募らせているが、ダサコンと同じように泊まり込みでだべるオフ会だと思えばあまり腹もたたないような気がする。(この発想がそもそも勘違い君、なのかもしれないけどね)話し相手が集う<場>は既に提供されているのだから、あとは自分たちの好きなように過ごせばいいのだ。パンフレットに時間と予定が刻み込まれている間は主催者側が何かを提供してくれるような錯覚があるが、結局それはダサコンのタイムスケジュールの空白の時間帯と同じ様なモノだと思えば良いのではないか?(あくまで私見。)
まぁ、期待ハズレであったのならその無念さを語ってもイイとは思う。ダサコンにだって失望する初参加者は居ると思うので、その旨きっちり主催者側に伝えてやれば次回はきっと改善されていることだろう。
無論、改善を期待するまでもなく、今回の件で「SFセミナーの合宿は肌に合わん」と思って参加しない自由もあるわけで、「昼間のパネル企画がメインで合宿はオマケである」とか「合宿では参加者側も積極的に楽しむ努力をしろ」というスタンスを主催者側がとり続けることも許されると思う。イベントはイベントを企画する側にだって楽しむ権利があり、誰かが何かを犠牲にする場所ではないのだからお互いに譲り合うべきところは譲り合っていけばいいのだと思う。

あと、言い訳めいたことを一つ書かせてもらうと、「u-kiがでかい声で『ダサコンスタッフ会議招集』とか云っていたことも気に障った」と小浜さんが云ったことで、セミナー合宿でダサコン参加者が再集結して何かダサコンの話をしていた、という誤解を一部の人は持っているようだがそんなことはない。セミナーにダサコン参加者が集団で押し掛けたという事実があるだけだ。
俺も去年のレポートを見て思い出したけど、ネット企画(その部屋の最終企画)終了後の部屋にセミナー会場にいたスタッフを居残らせるために「会議するぞ」と云っただけで、溝口さんなんかはオークションに参加しており、残った面子でぼやっと数分間話し合っただけである。あとは何故かその場にわらわらと人が集まってきた(すいていた、というのが主な理由か?)のでとりとめもない話をしていただけであったはず。その『ダサコンスタッフ会議招集』された部屋集まってきた人とは、大森さん、三村さん、堺さん、喜多さん、みらい子さんなどだったはずで、他にダサコン参加者もいたはずだろうけど、シュールストレーミングやガンドレスやチョンクォやセミナー昔話などがされていたんである。ここが俺の記憶違いだったら指摘して欲しい。
ダサコンとしての目立った活動をした覚えもないし、そもそも大声をだして招集をかけた記憶もないのだが、俺の地声はでかいのでたまたま小浜さんの耳に入ってしまった、ということなのかな、と思っている。もしくは記憶違いで「俺の知らないところで何か『ダサコンスタッフ会議』とか、コソコソやっているのが気に障った」と云っていたのかも知れない。小浜さんはネットに出現してくれそうもないし、他の人の記憶も曖昧だろうから、ここはつきつめられないし、そもそも俺の個人的な言い訳なのでつきつめる意味もないのかもしれない。

・最後に
ここにネット活動とファンダム活動の関係とについての雑感を書こうと思っていたのだけれど、まとまらないのでカットした。
気力があれば後日、ここに追加するか、別エッセイとして書きますんで、どうかご容赦。
─以上─。



(00/5/14 wrote.)
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