ゆうきのスタンドなエッセイ(西荻番外地)

##現代SFの基礎体温法!〜ニシオギ式〜


掲示板ネタでめらめら来たが、掲示板に書くには重いので緊急かつ迅速に今のSFが抱える問題を俺的に分析・解説。相変わらず勢いで書いているので支離滅裂だが、そこが無責任素人文章のいいトコロ!許せ、神よ。


##というわけで、これを書くきっかけになった元ネタの掲示板発言を不揮発メモリに抜粋だ##(98/7/24)



##華氏六六六〜地下ネットにOCRスキャン文章垂れ流せ!〜

『非合法電子化テキスト』、実は俺、かなりマジでやる覚悟があるんだけど、まだ裁判で負けてもイイ覚悟がないので、そーゆー状態になったら俺はやるかも(笑)
コンピュータソフトの違法コピーモノのもぐりサイト設置とやってることは一緒だから裁判にされたら負けだけど、だーたでソフト使いたいってのと、お金だしても手に入らないものを配布するってのは俺内部的に根本的に違うからなぁ。法外な値段で出してくれてもいいし、国がキチンと図書館においてくれてもいいしなぁ。誰もやらなけりゃ俺がやる。って感じ。そこまでSFに尽しても見返りないけどさ。好きなモンに尽すのって愛だからねぇ。女に貢ぐのと一緒か。(あれはもっとよこしまか)
ネットの著作権問題があいまいなうちにずががん!とやっちまって新聞沙汰にでもなれば少しは「電子出版」とかのはずみになるかなぁ、なんてことを夢想中です。
考えるだけなら犯罪じゃねぇよなぁ。くそう、もっと目につくところで考えたろか?!

##新しくないSF〜夢なき90年代〜

かつきさんのところかどっかで書いたんですが、60年代後半にすでに地球人類がケツに火をつけるという強引な方法ながらも「地球人」以外になれる方法を確立してしまったあたり、SFって現実に追い越されて死にそうになってるんですよね、「古典」と今いってるSFが現役で、野田元帥が今講義してるやつが古典だったころ。
科学技術で負けるわ、アメリカ文化はドラッグ&ヒッピーでそりゃもう、生バーバレラって感じで倫理観も瓦解。科学演繹と社会風刺のSFは確実に現実に叩きのめされてるときにバラードを筆頭にイギリス作家なんかが中心に「ニューウェーヴ」をひっつれて、まーだ「プロトン砲」だの「ワープ」だのにしがみついてる連中のあたまを豆腐の角でガツンとやったわけですな。で、70年代ヴァーリー筆頭のLDGがニューウェーブをもうちっと「SFらしく」して持ちなおし、そして衝撃のギブスン、「サイバーパンク」が80年代に登場すると。あぁぁ、なんかSF歴史講座になってしまいましたな。
じゃあ、90年代は?
そーなんですよ、空白なんですよ(笑)
科学技術と人口増加曲線はもう、無限点に向けてぐぐぐっと伸びちゃってる真只中にきちゃったんですよ。(皆さんの「社会科」の教科書にあったでしょ?あの天上に向っちゃう人口増加曲線)石油がなくなる時代もまじでもう1世代くらい先にきてますからね、でも地球人類にはシズマドライブも波動エンジンもないわけですからね、月にも火星にも植民地はなく、ミール以外の宇宙ステーションもない。原発はたたかれまくりで、太陽神は人類の手に収まってくれそうにない。おお、現実が息詰ってる。つまりねぇ、夢のない世代なんじゃないかなぁ。90年代って。SFって夢物語だから、肥料のない土地に草木が育たぬように、夢のない世代には夢の文学が育たんのですよ。

##ライトノヴェル〜小説じゃねぇ、アニメだ〜

それとアニメ世代ね。俺より若い人、君らが生れたとき、地球人類はすでに月面にその一歩を記し、「やる気になりゃ、できんのよ。お金がないのよ」、地球脱出という夢が夢でなくなって予算がないという現実がすでに横たわっている世代であり、目が開いたときには電波飛びまくりでカラーテレビがちかちかしており、日本的にはオリンピックと万博ですっかり戦争ではたいた大枚をとりもどして、角栄がファントムにミサイルくっつけていつゴジラがやってきても安心、冷戦は米ソがやってるけど僕らが絶交してる国はないヨという平和で便利で総天然色の世界だったわけですな。夢は玩具メーカーの提供で与えられ、手塚治虫センセが日本にいたおかげでねずみだの猫だの犬だのじゃなく、ロボットや宇宙船という夢をセル画やフィルムで秒24コマ単位で与えられるというスバらしい環境に生れてきちまってるわけです。外国はカラーテレビはあってもせいぜいエンタープライズとピカードの禿頭としゃべる車のナイト2000ぐらいしかないし、アニメはせいぜいチキチキマシンのハンナ・バーバラですからねぇ、大人になってジャパニメーションだのNECのパソコンゲームだのにはまっちゃう人もいるわけですな。そういうわけで、我々「アポロ以降の世代」は徹底的に夢のない世界で、テレビアニメ(ウルトラマンや仮面ライダーもフィルムですが同じ扱いにします)というお手軽媒体で無意識に夢を供給されてきてるわけですよ。
今時の夢見がちな少年少女は「宮崎カントク」の奴隷になることとか声優さんになることが夢ですからねぇ。夢は動画のなかにあって、自分が表現可能なメディアでそれをなぞる世代なんですわ。同人漫画とか、ガレージキットとか、LD買いまくりとか。テレビ+アニメはスキルのいらない受動能力オンリーメディアです。本を読む、という「能動的」な部分を必要としないんですよ。あと野田元帥もいってるけど、「SFは絵だ」ですから、自分の左脳経由で右脳で絵を組立てる必要がない、最初から絵で供給されるアニメはどんどん「SF読み」の能力を軟弱化させていくわけですな。
早川のSFハンドブックで野田元帥と高千穂遙(昔の「スタジオぬえ」の親分)がまぁ、早川SF文庫20周年記念の本だから「文庫がすべてを変えたよね」みたいな話してるんですが、その中でやはり野田さんが「高千穂遙たちが絵のSFをぐいぐいすすめた」とかいってたような気がする。野田さん古い人だから、アレな文章だけど、要はダーティーペアだのクラッシャージョウだの、そのまま文章がアニメになるような、というか俺の説によればアニメをそのまま文章に焼直したようなSFが増えたよな、と指摘してるわけですな。高千穂もそれに気がついて「自分の作品はアニメにならないです」と返している。SFを「読める」世代の高千穂さんはいわゆるアニメを文章にした「ライトノベル」と自分の作品を混同されたくなかったんでしょうな。俺もいってやろう、高千穂遙、お前の作品はアニメだ。見事なジャパニメーションだ。

##俺の結論〜フォーマット不一致だ〜

というわけですげー前振りが長くなったが、ライトノヴェル(ヤングアダルトってのも正解なのか?)というのはですね、テレビアニメ(なんかおっさんくさいいいまわしだ)の別媒体なのであって、基本的に我々が取上げようとしてるのとは物質的に似た形態をとっているだけであってビスケットとディスケットぐらい違うものなんだと俺は力説したい。アニメ世代がアニメ関連グッズを買っている。だからライトノヴェルは市場としてにぎわっている。今はゲームとアニメだけが元気な市場ですからね。
「じゃぁ、ゆうきさんがライトノヴェル読む後輩を誉めるのはなぜ?」といわれそうだ。それは口があいているならば、ビスケットのかわりにディスケットを突っ込むことが可能だからで、突っ込むことができれば神の御慈悲でそれを味わってくれるかもしれないからです(笑)。ドラえもん、ロボットなんだからさぁ、実はどら焼きの替りにDVD突っ込んだらデータ読むかもしれないじゃん、とかそーゆー感じです(あぁ、なんか自分でも無理があるような気がしてきた)
うん、ビスケットとディスケットは無理があるので、せめて1.2MBフォーマットのFDと1.4MBフォーマットのFDくらいにしておきますか。というわけで互換性のないメディアなので、ライトノヴェル作家が普通の小説を書くことはないんじゃないかな?藤本ひとみあたりは3モードFDなんじゃないのかな?(苦笑)読者も3モードFDじゃなくて固定モードの人が多い、それだけでしょうな。読取り装置の改造は難しいので最初から3モードの人を探す方が早いかなとか思うわけです。俺はとりあえずディスク突っ込んで読めるかどうか試すわけですな。あからさまに「NEC 1.2MBフォーマット済」とラベルに書いてあるとディスクを入れさせてくれないので「お楽しみソフトウェア(馬鹿な話満載)」とかのラベルを貼って食わせてみる、と(笑)。
互換性のない相手と対話するのをあきらめたくない、というジョニーさんの気持はわかりますが、所詮、ヘレン・ケラーvsサリバン先生だと思います。ま、たまに後輩が「うおー!(水)」と叫ぶので俺は当分サリバン先生やめられませんが(笑)。
俺の考えはジョニーさんの野望からするとかなり後向きでさびしいものかもしれませんが、ペシミスティックな現実にいかにオプティミストとして立ち向うかが俺の人生テーマなのでご勘弁。非常な現実は俺の内部に取込まないと加工できないと思ってますからね。まぁ、「世界」へのアプローチは人それぞれだし、「ゆうきさんの考えは間違ってる」でもいいと思うんですが、俺は当面これでいくつもりですね。俺の脳を革命する新説を期待してます(笑)

##売れ線の小説とは?〜犯人はスタンド!とか?〜

「エレベータか降下する16秒の間にバラバラにされたOLの殺人事件」なんてーのを見せられると「おお、これが21世紀直前特大号なのか?」とか目眩がしますがね。どうなんでしょう。まだ読んでないし。京極はまだ読んでないのでなぜ売れるか謎です。SF読みの先輩も面白いといっている。
ライトノヴェルは決着が俺内部でついているけれど、「黒豹」(あ、カワカミさん好きですよね)だのインチキ・シミュレーションノベル(荒巻さんのは志があったけど、なんか今いっぱい売ってるのはオカシイ。歴史改変モノというよりただの妄想だ)だのが売れているのがすごぉーく謎だ。あれは書いてる人の知識レベルが一般民間人のもっとも標準的なレベルとたまたま一致してると売れるんだろうか?一般民間人の教育レベルってとっても恐いもんね。二次対戦中はヒトラーだかヒムラーだかが、「ユダヤ人との性交で遺伝子が濁る」って云って大抵の人は信じちゃったってゆうんだからなぁ。(遺伝子、性病)=伝染(うつ)る、って理屈がぼやぼやーんと受入れられてしまう程度に平均化された知性化がされてんだよねぇ。人を脅かすのには「化学成分」が「発ガン性」だの「脳の働き」だのに影響するよ、っていえばいいんだもんね。>脳内革命、MMR(笑)
我々は「物書き屋さん」じゃないので、面白いSFを生み出そう!はできないから、どうすりゃいいんでしょうね?俺は学生時代は少し野望があったけど、日本語の語彙があまりに貧弱なのと才能を要求される世界で競争しても飢死だと思って挫折しちゃったんですけどね。

##俺達まだまだ若いんだ!もっと読ませろ!

*シルヴァーバーグの法則:SFファンの平均年齢は毎年1づつ上がる。
ま、要するにSF者は今の人間で固定されてるって皮肉ですが(笑)SFを受入れられる「世代」がある時代、ある世代、ある嗜好の人々に固定化されてしまうのは、俺がいったようにカウンターカルチャーとして万人受けする手法としてのSFが時代的に役立たずになっている以上しかたがないのかな?と。(あー、後向き)
じゃあ、その固定化されたメンツで楽しくやらなくてどうする>出版社!
というのが俺の叫びです。ガレキ(ガレージキット)屋が、モデラー相手に商売してあんなに繁盛しているのに、あんたら何やってんの?というのが俺の憤りです。
人限られているんだけど、増えも減りもしないんだから、なんか計算してうまくやれないか?的ないらいらがあるんですよ。俺、商才ないからそううまくいかんのだ、と説明されれば一発で納得するかもしれないけどね。
年寄りにだけ偉そうな顔されるのが死ぬほど悔しい。
ここに出入してる人たちはみんなそうじゃないですか?あと5年か10年(たったそれっぽっちですよ!)早く生れてればなぁ、ですよ。
それも「それの書かれた時代にリアルタイムで読みたかった」というわけじゃない。それが出版されたときにお金がなかった、とか気がついたら売っていなかった、という理由ですぜ。『パヴァーヌ』なんて「68年」作で日本での出版が「87年」ですから、時代の同時性なんて求めちゃいないんですよ。はなっから。(『神の目の凱歌』の訳者さんは93年出版の本が98年に訳されたことを恥じていたが、まったく問題ナスに思えるでしょ?)それでそれより面白い作品の方が少ないんですから(ま、主観的意見ですが)どうしようもないですな。スリランカ在住のジジィが5行くらい書いて名前を拝借してるような作品出してるすきがあればこーゆー作品をなぜ並べない?とか思うんですよ。普通の人間だったらそう思いませんか?
新しいだとか古いだとか云う前に「良い」「悪い」ですよ。古いから太宰治は全部、絶版品切、だってそうしないと五木寛之の本がおけないんだもーん、とか、あの角川だってやってないわけですよ。早川については俺はそれをやられてる気がする。シマックの『都市』だのスリランカ在住のジジィがまだ元気だった頃の『都市と星』が目録落ちだから。倉庫事情もわかるんですが、じゃあ、フェアとかで何年に一回かは復活させてよ、という気もしますわな。うーん、一回の発行部数と売れる数を考えるとどうしても無理なのかなぁ。電子化してほしいよなぁ。前、溝口さんのところで書いたけど、俺は本がなくなってもいいんだよな、ただ「作品」が埋れるのが許せん。
もう一度云おう、かつきさんのページにあったように、俺は若い連中に選択肢を与えずに偉そうなことを云ってる年寄りが許せん。それはマニアの半可通いじめと同じだ。で、半可通しか生み出せないような出版状況ではもうSFが駄目になってしまう、と俺は怒っているのである。SFが駄目になるということは俺の趣味がなくなるということであり、「ひどいわ、こんな体にしておいてなくなっちゃうなんて」という事態がすごくい嫌なので騒いでいるのだ。そーゆー思いはミクロマンと変身サイボーグだけで充分だ。(あ、再販されたけどねぇ)

なんかリビドーのままにまた雄叫びをあげて終っただけの気もするが、なんとなくすっきりしたので、隅田川花火大会にいってきます(笑)。

p.s.まじでSFモノOFFでもやりますか?酒入るとすげー愚痴大会になりそでこわいんですけど(笑)

1998.7.25 wrote.

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『SFのざわめき1』
『SFのざわめき2』


1998.8.10 add.