■■御役御免話 2000■■■




生まれて初めて骨を折る。
松葉杖初めて。
病院では車椅子に乗せられる。
これも初めて。

ここ2年間ほど
「はじめてなんですよコレガ」
の怪我が多い。

あと怪我からみも含め やってないことはなんだ・・・
入院。
ああ! 縁起悪すぎ、考えるの止めよう。

若い時スポーツやってた人のほうが歳とると
「出来るもん」みたいな感じでやっちゃって、
でも身体はついていかず
こうやって怪我をするのかもしれん。

「5年前と同じように身体は動かん!」
ということを知って動くことをしろっていうことだな。

勤労感謝の日は「私的初骨折記念日」ということで。
勤労感謝の日に御役御免というのも、なんともいえず・・


「御役御免」になったのは、以下の公演。

公演期間:2000年11月15日〜12月20日
  劇場:文学座アトリエ

『アトリエ50周年記念公演』

「マイ シスター イン ディス ハウス」初日/11月15日
「エレファント・マン」−−−−−−−−−初日/11月18日
「ザ・ウィアー(堰=せき)」−−−−−−初日/11月21日

上記3作品中、もっぱら「ザ・ウィアー」に係わる。


    11月23日(木)[着地失敗]
    11月23〜26日[引き継ぎ 等々]
    11月27日(月)[日々日常のこと]
    11月28日(火)[観劇]
    12月 5日(火)[ギプス]
    12月12日(火)[遠方より来たる]
    12月20日(水)[千秋楽]


11月23日(木)

[着地失敗]

では、その時の模様を。

11月23日に客席で作業中に脚立が倒れて、
(脚立の高さはね、
 文学座アトリエ天井まで届くくらい≒3メートル?くらいか)
で、倒れるときに天井の梁をつかんでブラサガリ
一緒には倒れないようにしたものの、着地点がなんせ狭くて
(客席での作業だから、着地点が、
 通路に倒れた脚立の 踏み段と踏み段の間の正方形
 みたいなとこしかない) 

右足はうまく着地出来たが、
左足の外側を脚立の足に乗っかる形でしか着地出来ず、打撲。
で、左足小指の骨を骨折。
小指の骨といっても、場所的には、足の甲の中間辺りのいっちゃん外側。

落下距離はぶらさがってからの落下距離としたので
(これが最も落下距離を少なくし、且つ、落下地点を確認できる)
身長分くらい落下。

咄嗟なんで、指先でしかぶら下がれず、
瞬間のことでありましたよ。
もうちょっとの間ぶら下がっていられたら、
助けを求める時間もあったんだろうねえ。

祝日なので、文学座の近くの慶応病院の救急に行く。
歩けないんで自転車でいく。
きれいに素直に折れているので、じっとしてれば痛みもない。
体重かけたりすると激痛!
ギプスされて 松葉杖持たされての帰り
「自転車乗って帰っては・・・駄目 ですよねやはり」
「駄目です」

ああ! あと2センチ着地点を右側にとれていたら!
この2センチのズレが、歳をとってしまった ということなのだ!!
5年前ならイケテタハズ・・・
そして、5年後には、5センチとなり、10センチとなり・・・
器械体操をやっていた者として
(もう15年も前のことなんだが)
着地が決められなかったのは悔しいものがある。

出来ていたことも、出来なくなっているのだということを、
身体が示しはじめている
ここ2年程のことよなぁ。

などと詠嘆調になっている場合ではない。
これはそもそもが脚立の足を正常に開いて作業しなかった私のミス。
客席が作業場で足を開くスペースがとれないなら、
(だから脚立の足が閉じてしまって、で、倒れた=バランスの問題)
介添えをつけなかった私のミスである。
ああ! かなりバカみたいなミスだ。
松葉つえ生活6週間(今のとこ お医者はそう診断)はじまる。

文学座アトリエの舞台のほうは、
3作品初日も開いておちついているんで、
裏方仕事の引き継ぎをちゃんとしてから休業。
休業というか「役立たず状態=御役御免」。
HPに休業宣言かいていたら、自身も休業に。
なんてこったい。
迷惑かけまくり。

私の歳は、今年で前厄だそうな。
(「骨 折ってさ」と友達に電話してたら「今年前厄」と言われた。
 「そういうのは気にしないだろうけどさ」と前置き付きで)

そういうのは気にしないが、
こうも文学座で仕事するとき連続はちょっとねえ・・・。
まあ、この先何年かぶん一気にやっとく と思っておこう。
ってより、いいかげん
「5年前と同じように身体は動かん!」
ということを知って動くことをしろっていうことだな。
そういうことでいえば、
この年令が災難被りやすい年令ってことになるのかな。
「厄」ってことでいうと。

怒濤のアトリエ これから1ケ月公演期間の
「厄」は全部森が持っていったということで、
許してもらえんだろうかと思っておる。
そう、そういうことで、この公演は
もうきっと無事に千秋楽まで突っ走れるさ!


11月23〜26日

[引き継ぎ 等々]

ねえもう、
余分に仕事を引き継ぎしなければいけないスタッフの方々には
「迷惑な話だ!」
なことですよ、本当に。

役者の方々も、急にスタッフ交代は迷惑なものです。

申し訳ない。
謝るばかりである。


11月27日(月)

[日々日常のこと]

本日は家でおとなしく、こうやってHP更新している次第。

松葉杖ってのはねえ、上半身筋力アップには最適さ。
長距離は疲れる。

JR信濃町から文学座までの道程は、正直キツイ。
これはどうしてかというと、
歩道って車道に向かって斜になってるでしょ。
この斜歩道なのだよ、その道程は。
この斜が曲者。松葉杖者にとって。
水平状態を歩く倍以上の疲労度なんじゃないかなあ。
と、どうして、こんなにこの道程が疲れるのかな
と思いつつ歩いてて上記に思い至った。
斜歩道は何とかすべきである。
車椅子にとっても、辛い歩道だ。

これはいい体験だ。
車椅子の人や、そういう人の気持がとってもわかる。
新宿JR駅はエスカレーターが少なすぎる とかね。
階段や、そういう段差がいかに危険か とか。
モノを手にとりながら買い物が出来ない とか。
ファーストフードとかの自分で持ち運ぶスタイルは不可能 とか。
雨が降ったらどうしよう とか。(今のとこ晴続き=ラッキー!)
そういう何でもなかった日常が、違う角度で見えてくる。

買い物はリュックに背負って帰ればOK。
お風呂は、シャワーだけですます人なんで
(だって今の部屋ユニットバス)
バスタブにイス入れて、ギプスの足は縁にガンと乗せて、
イスに座って結構快適シャワー。
指切って 片手だった時のほうが
お風呂に関しては難儀してましたね。

怪我の部位によって、不自由なとこも変わるものだ。

まあまあ、やるべきことはやって。
あとは無理せず。
(親からは何度も「無茶をしないように」と言われる。
 っていうか「横着すぎ」と怒られる。
 我が親は子供が暴れん坊なことをよく承知しております)

おとなしく怪我の治癒に勤めましょう。
休養と適度な運動。

間違っても
階段から落ちて右足も骨折
というベタなギャグをしてはいけません。
これ以上迷惑をかけてはイカンのです。

明日は慶応病院へ行く日だ。
レントゲンだ。
さて、経過はどうかな? いいかな?


11月28日(火)

[観劇]

経過は順調。
また来週検査。

「蹄(ひづめ)みたいなのは まだ駄目なんでしょうか?」
と お医者に聞いてみる。
「蹄」というのは正式名称じゃないが、 ギプスされた足のかかと部分に
靴のかかとのようなもんを取り付けること。

「まだ駄目です」
と言われる。 まだ、左足を付けて歩いてはいけないということだ。

診断終わって文学座へ行く。
夜の回の「マイ シスター イン ディス ハウス」まで
5時間近くある。
事務所で 今回の仕事の経費の精算をする。

こんな「途中で仕事降りるハメになった役立たず野郎」に
事務所の皆さんは優しい。
柿を御相伴にあずかる。

そして アトリエ客席に開演までいる。
アトリエ当番の方々、出演者らと談笑。
松葉杖おもちゃ状態。

幕が上がる。

本当なら 私はあの袖の向こうで仕事をしているハズだ。
暗転で転換をしているハズだ。
その舞台を客席から観る。

自業自縛で、途中から放り出すように仕事がやれなくなった舞台だ。
ちゃんと観て 刻み込んでおくことだ。
これは とても恥ずかしいことだぞ と。
この舞台に ものすごく申し訳ないことをしているのだぞ と。

文学座へは、来週の通院まで行かず。

今日は一段と寒い。
ギプスから飛び出している指先が
シモヤケになりはせんか と思う 既に冬空オリオンの下。

来週また。


12月5日(火)

[ギプス]

1週間ぶりに通院の日。
経過を診る為に 最初にしたソフトギプスを外される。
腫れている。内出血もまだひいてないね。

診療台に普通に腰掛けていたら
「その姿勢は駄目です。足を上にあげて」
と言われる。
これではまちがっても
「舞台を観るんです これから。今までにも観てます」
とは言えない。

生足のまま診断を受ける。
さっき診察前に撮ってきたレントゲンを診て
「ぁあ?」と お医者。
前回と前々回のと診比べて「ああ、ズレてないか」
そういう感嘆詞は、一般に患者の前では言わないほうがいい。
胸の内でダメを出してみる。

「ギプスは やはり6週間外しては駄目ですか」
「駄目です」
「松葉杖も」
「駄目です。松葉杖も両方ついて、左足もつけないで下さい」

お医者は、この患者が どうやらとても自分の怪我に対して
暴れん坊だということに気付きはじめた。

ハードギプスをされる。
いっそう不自由になった。
蹄もないし。
(左足つけるな と何度も言われる)

診察を終え、廊下へと。
「駄目です。そんなに歩幅を大きくとっては」
看護婦さんにまでダメ出しをされる。
ダメだらけの骨折患者。

そして文学座へ。
「ザ・ウィアー」は昼夜の2回公演の日。

ずっと一緒に 稽古場から観てきた舞台。
アトリエ公演に演出助手という職種はないが、
そんなようなものを兼ねてやっていた舞台を観るのは、
たとえスタッフとしても本番についていたとはいえ
(その仕事が今は出来ず、代わりのスタッフの方には誠に申し訳なく)
「仕事 今出来て無い! 申し訳ない!」
だけではないところが多大にある。

今日も開演前、役者さんたち全員舞台上。
「ああしよう、こうしよう」
考え合って、話し合って。
そんな姿を開演前の客席から観る。
稽古場で、毎日のように繰り広げられていた光景だ。
舞台はライブだ。稽古場から。
積み重ねて。消して。思い起こして。
公演中ずっと そのライブを聴き続けていたかったです。

信濃町駅へ歩く。
駅前の慶応病院を臨む。
「舞台観る お医者のダメ出し効果なし」

来週また。


12月12日(火)

[遠方より来たる]

「今から行く」
「は? 今どこにいるの?」
「新宿」

電話から聞こえる ちょっと大阪なまりの声に驚かされた数日前。
大阪から、東京出張なんだそうな。
骨を折っていることを知っているので、
ココまで来ると言ってくれている。

「1時間くらいしかいられないんだけど」
そう言って、笑って家の駅までやってきた。
「カメラ持ってくればよかった」
夜御飯を食べて、そうして笑って去っていく。

電車の中からであろう、携帯からメールが届いていた。
Subject「いいもん見た!」
同い歳の彼女の厄よけにでもなっただろうか、
この松葉つえ姿は。

高校時代からの友にも会う。
仕事の合間にランチ。
こちらも東京出張中。
やはり笑ってやってきて、笑って去っていく。

数日前に生誕1周年になった嫡男と、その母にも会う。
母親ってすごいな と思う。
ただもう純粋に「生きる!」状態の嫡男から
ナチュラル・パワーを浴びてくる。
松葉杖は、嫡男に大変気に入られる。先ず咬む。よじ登って遊ぶ。
やっぱり笑って見送られる。

松葉杖で 一見弱そうになっているのが面白いに違い無い。
ちくしょう。
なーんて。

何故だか、普段会えない人々に続けて会えていたこの1週間。
数カ月ブリ イヤそれ以上の久しぶり。
ま、この先見られない姿だろうから「見とけ見とけ」てな感。

そして、本日12日は慶応病院通院の日。
先ずレントゲン。
経過は大変良好。
「骨ズラさなきゃいいんじゃん」無茶もなんのその 胸の内で呟く。
今回は お医者からダメ無し。
優良患者。かなりインチキ。

結構 出歩いている。
電車移動。
「大変だね、がんばって」
駅から地上への階段途中に、声援を送ってくれる親父殿。

「まあ、どうしたの? スキー?」
券売機にて 隣あった御婦人。

「持ちましょうか?」
「いや・・これがないと、降りられないんです」
階段下降時、片手を手すりに 片手に2本松葉杖つき
の状態を見て、若い娘さんが手を差出してくれる。
邪魔そうに見えたんだろう 松葉杖。

電車内にて 幾度も席を譲られる。
なんと、ランドセル背負った女子小学生に譲られた。
こんなことは、この先40年はないであろう。

「大変ね、ご不自由でしょう」
診断待ち合いのソファで、隣あった老婦人に話し掛けられる。
静かにゆっくりと話す彼女は、娘さんらしき方に手をひかれて、
穏やかに去っていく。

普段、バイクのスピードに慣れてる人だから、
三足歩行の速さでしか見えない何か、なんてのが見えるかも。

そう書かれたメールが届く。
なるほど、そういうこともある。

診断後、文学座へ、
「マイ シスター イン ディス ハウス」を、昼夜と観る。

骨折自体は 苦ではない。
いい体験だと、正直思っている。
その不自由さに ちったぁイラ立っていたのも事実だが
散歩が出来ない とか。
なんて。
何より、仕事を途中で降りたことへのイラ立ちなんだろうけど。

イラ立ちってより、
フテ寝に近かった初期の頃であったものよ。

骨折と松葉杖という非日常が 日常になってきた
そんな1週間であった。

来週また。


12月20日(水)

[千秋楽]

すべてのよきことには終わりがありますね。
ちょっぴりせつない。
弁天

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弁天

ポスペをやってる人ならわかると思うが、
ペットは自分で勝手に飼い主にメールを送ってくる。
上記は、私のポスペ=ネコの弁天から送られてきたものだ。
本日アトリエ千秋楽にて、家に帰りメールチェックをしたら、
コレが届いていた。
なんとも・・タイミングの素晴らしい。
そして、このメールのタイトルは「真理?」
出来過ぎだ・・・弁天・・・。

なんていう他愛もないことが楽しいポスペだが、
機能的にはとっても使いにくい。
でもね、仕事でバシバシにメール使っているわけでもないので
まあ、いいか とか思って使っている。

ポスペの話しはおいとおいて。
アトリエ。

15日 自主企画公演「蝶のやうな私の郷愁」「森の石松」
17日「マイ シスター イン ディス ハウス」
19日「エレファント・マン」
本日、20日「ザ・ウィアー」

5作品、全てが千秋楽を迎えた。


作り手も 受け手も
「やってよかったね」
と言い合える そんな千秋楽であることを願おう。

それが叶わないなら
いっそやらないほうがいいのです。

大変だって わかりきってやるんだから。
楽しまないで どうする。

そんなわけで、観に来てくださいな。
怒濤の文学座を。

そんなことを、「ザ・ウィアー稽古場日記」初回の
明日から稽古が始まろうとしていた10月2日に書いている。

あの時は、この千秋楽が遠い遠い彼方に思えたものだ。
もうきてしまった。
三ヶ月。
まさか、骨を折るとは思ってもなかった。
で、御役御免になってやんの。
かなり間抜け。

間抜けなどころか、
他のスタッフは、休みもとれず、身体壊して。
己は骨が折れているだけで、アトは元気だというのに。
しかも自分の不注意でやっておいて。
何をやっているのか。
言葉もない。
どうせ折るなら もう2,3本折っとけばよかった。
厄の持っていき方が甘かったのかもしれん。
などと・・・。

そう 自分には呆れ果てながらも、
5作品を、同時期に稽古をし、
同じ舞台で、日変わり昼夜変わりで、本番を一ヶ月間。
それを、やり遂げた「アトリエ50周年記念公演」関係者各位。
心から、敬意を。
観に来てくださった方々に感謝を。


昨日19日(火)は、慶応病院通院の日。
ギプスを切断され、経過を診る。

このギプス切断
電動丸ノコギリで切断。
ソレが自分の足にあてられて「ギュイィィィーン」とやってる様は
「ホラーだよな・・・これ・・」
と、切断している若いお医者の真剣な顔を見ながら思う。

生足で、レントゲン。
そして診断。
大変経過順調。
お医者は笑顔でそう診断。

「早くよくなれ」
「治るな治るな」
「メリークリスマス」
「ヤンキー森」
等の、暖かい落書きメッセージ&サインがされたギプスは、
役目全うし、外された。

ところで、私は過去にヤンキーだったことなどない。
同じ御仁が書いた「来年まで持ち越したく無いこと」も、
ちゃんと、外しておきましたよ。

「骨くっつくよ、ヒーリング効果バッチリ」
ライブにての ソニックウェーブ・シンガー(自称)の歌声のおかげも あるのかもしれない。

お守り(みたいなもんか)
お祈りしてくれてありがとう。

いろんな御陰様にて、早い回復状態であります。

そして足底板。
(ソクテイバン)土踏まずを支えて歩けるようにする為の金属板。
それを作る為に「○○製作所」と刺繍された作業着の親父殿が、
左足をスッポリ型取ってくれる。
病院の出入りの業者さん。

「下駄骨折っていうんだよ」

そう教えてくれる。
「通称だよ、正式じゃないよ。
 調度、下駄の鼻緒が足にあたるところでしょ、
 だから昔、下駄を履いていた頃、
 コケた時なんかソコを骨折したんだよ。
 それで、下駄骨折」
左足の小指の骨。足の甲の中間のいっちゃん外側。
それが私の骨折箇所。

体重は、まだかけちゃあいけない。
ってなくらいの心持ちで、2足歩行 可能。
が、全くもって松葉杖でのほうが早い。
鍛わってしまった上半身。
足底板は、来週の通院に出来上がるという。
それまでは、ふきっさらしの左足。
ふきっさらしで松葉杖。

千秋楽後のアトリエは、次なる公演へと組み直されていく。
ふきっさらし松葉者は、担当の小道具片しと、返しのトラック見送って、
それ以外は役立たずにて、
そのアトリエを後にする。

ふきっさらしたままは寒いんで、日本手拭いまきつける。
御役御免の御役は終わり。
終わって、この「御役御免話」も終わりです。

本年も残すところ10日あまり。
21世紀がやってくる。
世紀末の1999年、2000年と「御免」ということばかりにて、
まったく・・言葉もなく、言葉もなく。

甘い、注意が足りん。
自分怪我したら仕事が出来なくなるということをもっと真面目に考えよ。
ちゃんと人生生きてきた我が親は、腑甲斐無い子供を叱るのです。

さて、2001年。
先ずは、地に足を踏みしめて、歩くことからはじめましょうか。

よいおとしを。





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