■■「The Weir」現場より■■




2000年 50周年アトリエ公演 3本。

稽古場日記が 「マイ シスター イン ディス ハウス」しかない。
(これは出演者の山谷典子さんのサイトより)

「なんか寂しい」と、村治さんからメール。 10月9日のこと。

そういうわけで、
「ザ・ウィアー(堰)/The Weir」の現場から。

ま、個人サイトですし、酒場の話ですし。
(「ザ・ウィアー」は、アイルランドの田舎のパブでの物語り)
まぁ、気楽に。

あ、私はデジカメ持ってないので写真はないよ。

私はスタッフ参加です。

このアトリエ公演3本。
その中の1本の「ザ・ウィアー(堰)/The Weir」もっぱら担当。
が、他も係わってます。
ので、
アトリエ公演全般いろいろ話題に出てきます。

千秋楽まで、突っ走れ。


出演者の山崎美貴さんの個人サイト「ひとりごと」のコーナーに
稽古場日記コーナーがある。


    10月 2日【稽古はじまる】
    10月10日【総合打ち合わせ】
    10月11日【眠るような=筋書き含む=
    10月3〜9日【稽古場と時間と】
    10月3〜9日【読み&直し】
    10月12日【小道具やってくる】
    10月13〜15日【稽古OFF】
    10月13日【特別編】


【稽古はじまる】 - 2000年10月02日

明日から怒濤のアトリエ公演の稽古だ。

何故「怒濤」かと言えば、
(私が勝手に言っているだけなんだが)
今回は3舞台いっきにやろう公演 なのです。
アトリエ50周年記念。
で、自主企画公演といって、一人芝居と二人芝居の二本立て
というのもある。

するってえと、文学座にて 同時期稽古は5本。
で、その上に 10/20初日の本公演「缶詰」の稽古もしている。

いやあ、どうなるか楽しみですな。
ト、他人事みたいに言ってるが、
私もどっぷり渦中に潜りましょうかといったところ。
自分事だ。

そのアトリエ公演の千秋楽の12月20日が楽しみだ。
いったいどんな思いで迎えるのか。

作り手も 受け手も
「やってよかったね」
と言い合える そんな千秋楽であることを願おう。

それが叶わないなら
いっそやらないほうがいいのです。

大変だって わかりきってやるんだから。
楽しまないで どうする。

そんなわけで、観に来てくださいな。
怒濤の文学座を。


【総合打ち合わせ】 - 2000年10月10日

本日18時から、文学座第二稽古場 通称「もりや」1Fにて。

アトリエ公演の打ち合わせ。

3本の舞台。

3人の演出家。
総合美術家。
総合照明家。
スタッフ達。
制作。

3本の舞台が、
今日の昼は「A」 夜は「B」 明日の昼は「C」
てな具合に一ヶ月の公演。
その舞台は、基本形はあるものの 様変わりする。
装置 小道具だけでなく、照明も。

観客にとって「照明」は、その実体を感じさせない効果だ。
ま、反対に、その実体(器具としての)を感じさせてはイケナイものでもある。

実体ではなく、その場の空気を 最も具現化するモノというか。
・・・わかりにくいかな。

あかりがあるから みえるのだよ。

本日は、舞台装置と照明との関係が もっぱらの中心。
もちろん、装置はすごく重要。
それは当然承知。

照明は、いつも後回しだ。
プランも、作業も。

なんてことを、実感出来るのは、
私が文学座に来る前は、照明関係をやってたから。
舞台じゃなくて、建築&インテリア系だけどね。

だけど、その当時でも、現場によっては
建築と照明が、プランの段階から、一緒に創っていくものもあった。

「この構造だと、ツライかな」
「こうすれば、出来るよ」
そうやって相乗効果で、より素敵なものが完成する。

共同作業の醍醐味とは、そういうものだ。


【眠るような=筋書き含む= - 2000年10月11日

只今稽古中のアトリエ公演3本中の1本
「ザ・ウィアー(堰)」。
これが私のもっぱらの現場だ。

時は今。
場所はアイルランドの田舎のパブ。

地元の中年男達の馴染みのパブ。
そこに、ダブリン(アイルランドの首都)から
ひとりの女がやってくる。

その訪問者と、酒の酔いと、
アイルランドの妖精達の不思議な空気も手伝ってか、
各々に、一人語りをしはじめる。

そんな、素敵な酒場の物語りだ。

筋書きは ここまで。

酒場でも、その酒宴の場合によって、
それは全く違うわけで。
その場に「この話題はないだろう」
っていう話題もある。

が、その話題をフラれたら、
「ちょっと、今かい・・」と思いながらも、
その話をしないといけなくなるわけで・・・・
とか思いながらも、その多数の前で話せるのだから、
結構もう本人は決着ついてる物語りであるわけだが。

しかし、たった今聞いた相手達にとっては、
たった今だけに
決着つけれない物語りになる。
まあ、そういうのが
「その場に不適切な話題」というのだが。

プライベートな「呑み」の場ならともかく、
(「ザ・ウィアー(堰)」において、
  それはプライベートな呑みの場)
(プライベートでは、反対に
 「よく話してくれたよ」だったりする)
「公」の呑みの場では不可なんだよね、
そういうのは。

まあ、その話題をフッた当人に
悪気はないのはわかっているが、
フラれたこっちは「おいおい」ってな感じだ。

でも ま、「そんなことがあったんだよ」
てな感じなんだけどね。もう。

「そんなことがあったんだよ」

なんていうコトを繰り返して、人生なんてものは
過ぎていくものです。

そうして実人生の全てが、
仕事(舞台)の糧となる、私のこの仕事を、
「酷い商売だね」
と 言った友人がいる。

酷い商売なんだろうね。
でも、まあ、どんなことがあっても、
それが「糧」になるんだったら、
それは素敵なことじゃないか。

そう言った友人は
「あんたの人生 舞台になるぜ」
な人生なんだけど。

『どうせ死ぬのだ。
 眠るような良いロマンスを書きたい』
と、太宰は言った。

まったくだ。


【稽古場と時間と】 - 2000年10月3〜9日

稽古は10月3日からはじまった。
それから「現場日記」書いていなかった9日までのことを、ザッと。

稽古場所は、四谷三丁目のYビル3階。
この4階には、文学座の本科生(文学座の研修生さんたち=その一年目) が毎日授業に通っている。

Yビル3階は、「ザ・ウィアー(堰)」だけでなく、
アトリエ自主企画公演の方々も稽古している。
(自主企画組は 以前より稽古開始している)
ひとり芝居「森の石松」と、ふたり芝居「蝶のやうな私の郷愁」。
時間を分け合っての稽古。
文学座のもりや(アトリエの隣にある第二稽古場)の1、2階では、
アトリエ公演組
「マイ シスター イン ディス ハウス」と
「エレファントマン」が稽古。

文学座アトリエでは、文学座本公演「缶詰」稽古中。
10/20紀伊國屋サザンシアター初日。
アトリエというのは、公演場所としてだけでなく、稽古にも使用する。

アトリエ公演 5本の「稽古場所と時間割表」
各舞台の舞台監督達が しっかり作りあげた。
私は1スタッフってだけで、
その完成された「スケジュール表」を手にとっただけ。
大変だっただろうな、これ作るの。スゴイ!

怒濤の同時期稽古in文学座。
その滑り出し。
順調。


【読み&直し】 - 2000年10月3〜9日

稽古は10月3日からはじまった。
それから「現場日記」書いていなかった9日までのことを、ザッと。

稽古は「読み稽古」
机に座って台本を読む。

稽古場には、演出家、出演者、翻訳家、舞台監督、スタッフ、制作。

でまあ、その「読み稽古」
読んでるだけってことではなく。

「これはどういうつもりで言ってるのかな?」
とか、ま、そういうことを延々と。
演出家からの問いだけでなく、出演者からの問いも もちろん。

日本語だけではなく、翻訳家の方もいらっしゃるので、
「原文では、なんて言ってるの?」
「ナンタラカンタラ・・」
「ああ、それだと・・こうもとれるか」
翻訳家、鴇澤さんと 演出家、鵜山さんとの原文戻り確認もやる。

最初に「気持」や「背景」を語り合って、
共通認識を持ち合おう。
という作業ってわけだ。

で、ある日の一番の話題は、
出演者の小林勝也さん演じるジャックという男が、若い時恋人がいて、
『彼女が「ダブリン(アイルランドの首都)に一緒に行こう」
 というのに、自分は恐くって行けなかった』
と、語る。
ま、それで彼女と別れて、で、自分イヤんなって、
みたいな話しになる。

で、「どーしてダブリンに行くのが恐かったんだろ?」
ってことになった。
「都会に行きたいって思わないかな」
みたいなことになったり。

ある日は「オヤジギャグ合戦」
勝也さんと鵜山さんの二人バトルとなる。

「『妖精の道』のお話だあぁ? そんな話しは よーせい・・」
とか。(でも、結局上記ではないギャグ(?)が採用された)
これも遊んでいるわけでなくて、
台本をね、創ってる作業なんだなこれが。

あと アイルランドの田舎なまりを色々ためす。
もう、「お前はどこの生まれだ?」って感じ。

そんなことを喋り合っているのです。
面白すぎる現場であるのだよ。


【小道具やってくる】 - 2000年10月12日

昨日11日は稽古休み。

今日は朝から、アトリエ公演3本の
「稽古用(本番使用のもあるが)小道具」が
高津映画装飾からトラックでやってきた。
高津映画装飾とは、文学座がいつもお世話になっている
小道具レンタルの会社だ。
舞台、テレビ、映画 等々。

先ず、アトリエ隣のもりや(第2稽古場)の1階に、
「マイ シスター イン ディス ハウス」と「エレファントマン」の小道具をトラックから降ろして、入れる。
もりや1階は、昨日までの読み稽古用の机&椅子をとっぱらい、
実寸はとれないが、アトリエでの本番舞台をバミル。
(バミル=ビニールテープで、まあ、平面図をとること)
総合舞台監督の黒木さん、各々のスタッフ活躍。
「マイ シス」の出演者の娘さん方も作業に参加。
お疲れ様でした。
その後、「マイ シス」はすぐ立ち稽古へと。

そして、四谷三丁目のYビルまでトラックにきていただく。
小道具を「ザ・ウィアー(堰)」3階の稽古場に入れる。

3階では、自主企画公演の「蝶のやうな私の郷愁」組が稽古中であった。
稽古中断していただき、ありがとうございました。

で、「ザ・ウィアー(堰)」は17:30〜稽古。
アトリエで、16時くらいに出演者の粟野くんに会ったので、
そのまま拉致して(ウソだよ)Yビルまで連行し、
小道具の整理等手伝っていただく。
ナイスガイ粟野。
今回舞台監督の望月くんは、本日は図面と格闘中。

さて、本日は、台本を製本に出す前の最終日。
読めば読む程直しが入る。

翻訳という作業は、その翻訳者の主観(言葉)を通して、
その作品が我々に掲示されるということだ。
強い言い方をすれば、だが。
それくらい翻訳家の存在ってのは、大きいのです。

今回、何度も原語に立ち返っての「本読み&直し」
演出家の鵜山さんからの「問い」だけでなく、
出演者たちからの「問い」だけでなく、
翻訳家の鴇澤さんの方から、稽古が進む中で、自ら訳した「言葉」を
「探り直す」ことをしていっている。

「気持」や「背景」を語り合って、
共通認識を持ち合おう。

という作業を重ねるなかで、その翻訳は、
今、この「ザ・ウィアー(堰)」組の為のモノが完成されつつある。

翻訳者というのは、翻訳ものの戯曲の、
第一の演出者なんでしょうね。
今回翻訳者、鴇澤麻由子さん。

これから先、私が何か演出する際に翻訳が必要になったら、
鴇澤さんにお願いしよ。
いいですよ、鴇澤さん。

早くみんなでアイリッシュ・パブに経費で飲みに行きましょう。
ゴメンナサイ 嘘です。自分達で払います。

今日は衣裳で「ザ・ウィアー(堰)」担当の板原さんがいらした。
「次回は原物(衣裳)もってくるわ」
と、朗らかに帰って行かれた。

明日から連休。


【稽古OFF】 - 2000年10月13〜15日

稽古OFF=10月13、14、15日。

15日はちょこっと作業有り。


【特別編】 - 2000年10月13日

村治さんから、
メールで写真がやってきた。

ってことで「特別編」
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