■■■AYAの舞台評■■■



宝塚星組公演

観劇日:1998年11月3日(火・祝)
    <JCBカード貸し切り公演>

劇場 :1000Days劇場

『皇帝』
    作・演出:植田紳爾
      演出:石田昌也

『ヘミングウェイ・レビュー』
    作・演出:草野旦

座席→8列44番


解説=歌劇1998/10月号より。

『皇帝』

悪逆非道の暴君として歴史に名高いローマ皇帝ネロの精神性の軌跡に、
新しい視点で照明をあてる。
この公演では、星組トップスター、麻路さきのサヨナラ公演となる。


解説=歌劇1998/10月号より。

『ヘミングウェイ・レビュー』

文豪ヘミングウェイの生誕100周年を記念して、
彼が好んで書いた世界、
第一次世界大戦のイタリア、
スペインで命を懸けてけて戦う闘牛士、
アフリカの大地、紺碧のカリブ海等を、
レヴューの世界に持ち込んだ、個性的で色の濃い作品。



今回の劇評も、金子亜矢さんからです。

またもや自分で更新してない体たらく。
亜矢さんに感謝です。
このマリコさん(=麻路さきサヨナラ公演)の公演は観に行けそうにないので、よしとするか。

話しは変わるけど、ヘミングウェイの作品では
「海流の中の島々」ってのが、わりに私は好きかな。


ってことで、亜矢さんの劇評をどうぞ。





『亜矢の観劇評』

星組1000Days劇場公演
『皇帝』『ヘミングウェイ・レビュー』

 観劇日→1998年11月3日(火・祝)
 <JCBカード貸し切り公演>
 座席→8列44番

 まず思ったことは、
「タカラヅカしてきた!」ということである。
そして、じわじわと
「マリコさんは、色んな意味で大きかったな」
という感傷がおしよせてきた。

 はじめの「タカラヅカしてきた」には、3つの理由があると思う。
1つは、この前に観た宝塚が雪組の『凍てついた明日』だったので、
この対極ともいうべき大芝居とショーの基本的な組み合わせに、
ファンとして満足したのであろう。

2つめは、座席である。
1000Daysが出来た途端から、A席に座る資力がないので、
「肉眼でスターが見られる」なんてことは諦めていたのだが、
8列目というB席の最前列で、その上ショーは何度も銀橋に出てこられるので、久しぶりの臨場感で感激してしまったのである。
実際、A席の最後列とは、1mも空いていなかった。

3つめは、「This is サヨナラ公演」とでもいうべき、
「宝塚のサヨナラ公演」としてお決まりの
「別れの台詞」がそこかしこにこめられていたからだ。
やはり、こうでなくっちゃ、と古いファンの自分はそこで安心してしまった。
色々、理由はあっても真矢のサヨナラ公演も少しは、
「サヨナラを意識」した作品にして頂きたかった。
同じサヨナラ公演でも、全然違う印象をうけた。

 次の「マリコさんの大きさ」であるが、
実質も(失礼!)大きい方なので、ショーのオケボックスに当たるところのセリ上がりは、本当に前で見ていると迫力万点であった。
しかし、そんなこと以前に麻路の芸風というのは観客にたいして
「さあ、いらっしゃい」
と手を大きく広げていてくれるところに特徴がある。
観客はその腕の中にすっぽりおさまれば、
「麻路ワールド」をなんの疑問もなくうけいれられ、
それが「宝塚」だと感じて帰ることができるのである。

それに対して、真矢は観客にたいして、
「さあ、この手に捕まって」
と手をぐっと差し出してくる。
この場合、その手に捕まることが出来なければ、
2時間半で「宝塚」の実感は難しい。
しかし、なんとしても自分の手に観客をつかませることが、
トップの使命であろう。

この2つのアプローチの仕方が両者の違いだと私は思っていた。
どちらかというと、真矢型のトップが多いと思える昨今、
麻路をみているとこちらに
「手を広げてくれているトップ」
への気持ちをゆだねることの心地よさを味わうと共に、
この型のトップの最後の牙城が麻路だったのではないか、
今後この型のトップが出てくるだろうか、
という感傷に浸ってしまったのである。
別の私的理由として、私は真矢のファンだったのだが、彼女の退団後、
「好きなスターさんがいない浪人ファン」
であったので、以前より麻路を受け入れる気持ちが素直になっていたのだろう。

 さて、内容に移ろう。
『皇帝』であるが、今回は予習をバッチリした。
その上で見ると、この作品は、「歌劇」の劇評にあったように、
「暴君ネロ」という枠組みの中に、
浄瑠璃『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』を換骨奪胎して入れこんだものである。
女役のキャラクターは、
上の浄瑠璃からとったのが、母のアグリッピナであり、
『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』のもとの話といわれる、
説経節『しんとく丸』の朝香姫からとったのが、
妻のオクタヴィアである。

また、内容でもネロが母を捨て切れないところは、
1986年初演の寺山修司作の『身毒丸』
(これは、現在レンタルビデオで再演を観ることが可能)
からとってあるようである。
つまり、「しんとく丸」伝説に関する話で必要なところを取って作ったのが、この作品の「暴君ネロ」のこと以外のすべててある。

そういう視点でこの作品を観ていると、
そう前評判ほどしんどくもならず、
だれもせずに観ることが出来た。
しかし、オリジナル作品と名乗る以上、
換骨奪胎は少しルール違反かな、とも思う。
ここでマイナス4点で、あと、これぞ評判の悪い難語句の頻出
(例えば「悔恨の苦汁の涙を車軸に降らすがよい」)、
でマイナス4点、で92点にしたい。

 さて、出演者の方に移ろう。
今回は、麻路の腕の中にすっぽり入ってしまうと、
麻路に関しては歌以外は完璧である。
とくに、最後の死ぬシーンは圧巻、の一言に尽きる。

稔は、この役ばかりは原作のどの話にも見当たらないのだが、
最初のソロから快調で、充分安定感があって良かった。
ただ、もう少し出番を作って、知的な面とかが書かれているといいのだが。少し、書き込み不足の役かな、と思っていた。

星奈は、「すみれの花」と形容されるにふさわしいたたずまい。
原作よりもさらに、ネロやアグリッピナに対して文句を言わないので、
「出来すぎた妻」というだけで終りそうな感じであったが、
最後の自分を手にかけるようにネロに懇願するシーンで、
雪組時代に培った力がでたのか、しっかりと印象に残った。
今後も悲劇が続きそうだが、一度明るい役も観て見たい。

絵麻緒のブラッスル。
この役は、しんとく丸を追い落とそうとする、次郎が原作のモデルだろうが、説明台詞が多いので、あまり印象に残らなかった。
始めから、ネロを嫌っていたら稔の役と対比が効いて面白かったかもしれない。

そして、最後に皇太后役の邦。
こういう難しい役をさせるならこの人である。
しかし、最後のネロに殺されるシーンの台詞が、
余りにも『摂州合邦辻』の浄瑠璃調で、浄瑠璃を意識しているのかなと感じた。
少し、ここだけ浄瑠璃調すぎであった。

サビナの彩輝。
やっと、お腹から台詞が出て来た感じで、しっかり役目を果たしていたと思う。

あと、目立ったのが、剣士の朝澄けい。
すらっとした容姿で今後に期待が持てそうである。

 さて、ショーの方に移ろう。
このショーは今年のショーの中では1番の出来であると思った。
100点である。
一言で言うと、随所で「広さ・大きさ」を感じた。
一番の成功の要因は、ヘミングウェイの人生、というちょっといままでなかったアウトラインに出演者の個性が上手くのったからだと思う。
あとは、緩急・明暗のつけ方がはっきりしていていい。

 それでは、場面別に。
プロローグは主題歌がいいので、入りやすい。

次の「男の時代」は稔の「お手のもの」シーンで、
オネエサマ達も面白い。

そして「イタリア戦線」のシーンは、
先の『スナイパー』のアウシュビッツのシーンと同じ戦争シーンでも
こうも違って作れるか、と真矢ファンとしては、羨ましさもあった。

とにかく、星奈の頑張りに拍手のシーンである。
2度の坂登りは大変そうだったが、
こなすところに、風花のダンスの持つ、
「強さ」のようなものが星奈からも感じられた。

あと、彩輝・音羽の二人も印象的である。
でも、このショーを通しての、麻路と星奈のダンスの息の合い方は見ていて気持ちいい。
もっと長く、このコンビのダンスを観たかった。

中詰は、明るくて朋・千秋
(これで最後とは…星組としては大戦力の喪失である)
のデュエットが聞き応えあり、これもよかった。

そして、ロケットの後の「カリブ」のシーンでは、
麻路の懐の大きさを堪能した。
私が観た時は15回のリフトであったが、手を抜くこともなく、
すがすがしさが感じられ、このあたりから
「ああ、マリコさん最後なのだな」
とじわじわ寂しさが襲ってきた。

最後に寄り添う彩輝の猫が妖しい。
こういう妖しさはこの組では彩輝の独壇場である。
次の「戦争〜ヘミングウェイ・カクテル」のシーンは、
まさに明と暗がはっきりしている。
酔って踊った後の自殺。
でも、その前のすがすがしさが残っているのものだから、
悲しさより、稔たちの台詞のように
「またあえると信じている」という思いの方が勝る。
という台詞を聞いているうちに、次の「天国の門」でまた麻路にあえる。
なんとも心憎い演出である。
そしてまた、曲の間のサヨナラのメッセージが、効いている。
やはり、一番のメッセージ(今回の場合サヨナラ)を意識させるのは歌よりも台詞だな、と実感した。

どうも『スナイパー』
「本当は臆病で寂しがり屋の僕なのさ〜♪」
では、パンチがない。
今回の「めぐり合えてよかった」は、
『忠臣蔵』の「もう、思い残すことはござらん」
に次ぐ、名サヨナラ台詞になると思う。

最後の、フィナーレ前。
稔の歌も充分力が入っているし、麻路・星奈のダンスは海へ繋がるような広がりを感じた。
最後のデュエットダンスは定番であるが、
サヨナラショーはやはり、ある程度定番であるほうがファンとしては嬉しい。

 以上、麻路の腕の中にすっぽりはまって堪能して帰ってきたが、
その腕がもう広げられることがないのだな、と思うとじわじわと、
「マリコさんって色々な意味で大きかったな」
という寂寞感が襲われた。
マリコさん、お疲れ様でした。めぐり合えてこちらもよかった。


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