観劇日:6月13日(土) 15時<ペルソナカード貸切> 6月14日(日) 11時と15時<JCBカード貸切> 劇場 :宝塚大劇場 ミュージカル『SPEAKEASY』 −シカゴの純情な悪党たち− 作・演出:谷正純 解説=グラフ1998/4月号より。 『SPEAKEASY』は、禁酒法時代の「もぐり酒場」の意味。 イギリス古典オペラ「三文オペラ」を現代的にリメイクしたミュージカルで、1920年代のシカゴを舞台に、暗黒街の顔役マックと、彼と対立する詐欺師の総元締の妹ポーリーとの恋を縦軸に、裏社会に生きる人間の純情を描く。 ショー『SNIPER』 −恋の狙撃者− 作・演出:石田昌也 解説=グラフ1998/4月号より。 これがサヨナラ公演となる花組のエンターティナー真矢みきの持つ魅力を100%引き出す、ストーリー仕立てのバラエティー・ショー。 多彩なアイディアを駆使しながら、刺激的で現代的な場面、オーソドックなレビュー場面を織り混ぜて構成する。 今回の劇評は、またまた金子亜矢さんからです。 「Tokyo劇場」主催者の私、まったくなっていません。 しかもこの花組サヨナラは大劇場で観劇しているのに。 (観劇日=5/28) 3月初めから6月末まで文学座の旅公演で放浪しておりまして (その放浪先にて花組を観劇した) で、その間の「Tokyo劇場」の更新は金子さんの劇評だけとは・・・。 金子さん、ありがとうございました。 さて、亜矢さんの観劇評だ。 「亜矢の観劇評」 『SPEAKEASY』 今回、この感想を書くに当たって、先に私自身が真矢みきファンであることを、言っておかなくてはならないだろう。 いわゆる「ファンモード」的な感想は書きたくないので、 なるべく冷静に書いたつもりだが、 モードに突入してしまった向きはご容赦願いたい。 いきなり点数をつけてしまうと、98点である。 「あんな、サヨナラはない」 と化粧室のあたりで怒っている人もいたが、 私は「これが真矢みき、なのだ」 と実感させる作品・役はこれしかない、と思った。 先にマイナスの要因を挙げると、 やはりミュージカル作家の存在である。 ランディを語り手にするなら、最後の「明るいフィナーレ」もランディが変えたほうにした方が、妥当だと思った。 しかし、これは原作からの見方かもしれない。 私はまだ原作を読んでいないが、最後は「マヤミキ劇団」のフィナーレ、と考えればある程度、納得がいくのではないだろうか。 つまり、『蒲田行進曲』と同じだと考えればいいのである。 そうすると、益々ランディの存在は必要なくなってくるのだが、改善策はあると思う。 私なら、せっかくの二重構造なのだから、先にマックとランディの監獄での出会いをやっておいて、ランディのプロローグは「風の町シカゴ」であり、それをやり始めたら、マックが「おいおい」に変えれば、「マックの作った明るいプロローグ」=「マックの作った明るいフィナーレ」とつじつまは合うのではないだろうか。 お堅いことは、この辺りにして、出演者の方に移りたい。 まず、愛華みれ。 「よくなった」と思った。 特に歌。 口のあけ方が、ちゃんとしていて何を言っているのか良く分かった。 こういう「伝統的二枚目」でない方が、彼女は上手くこなせる。 このことで彼女はいわゆる 「白バラの貴公子」 路線を当てはめて欲しくない、 またそれでは世間がついてこないことを主張しているように感じた。 とにかく、時期トップが自分のカラーを主張できたことは大きな収穫であった。 次に千ほさち。 やはり、といってしまってはダメなのだが、 しかし、彼はキツい役が「はまり役」なのだろうか。 正直言って、もう少し他の面がある役が観たかった。 でも、「気の強い役」系統でも今回が一番、良かった。 もう少し、最後のマックとの面会のときに、崩れ落ちそうなもろいポーリーの一部分を出せたらもっと良かったと思う。 彼女は、マックの台詞を借りれば 「感情に身を任せる」 タイプの人だと思うので、もう少し計算してやることを覚えると、ガラリと良くなるのではないか、と私は信じている。 ただ、一緒に3回観た連れの友人が 「3回観て千さんだけが、お芝居全く同じだった」と指摘した。 宝塚を観るのは三回目の人が、こう言う理由を考えて欲しい。 やはり、舞台とは「ライブ感」が命なのだから。 歌は、愛華同様、上達している。 匠ひびき。 彼女も真矢の最後=2番手への道、が開けたということで、なにかふっきれたのだろうか。 選挙キャンペーンの台詞はまだ、なにを言っているのか良く分からないが、「大砲ソング」での真矢との掛け合いは、真矢と十二分に渡り合えていて、頼もしく感じた。 今回の彼女には、真矢の『キス・ミー・ケイト』の時のような勢いが感じられた。 いわゆる、「ターニング・ポイント」となる役ではないだろうか。 女役では、詩乃優花のジェニーが絶品。 最後の「古い女だねぇ、あたしも」という去り際の台詞は、なんとも心地よかった。 そして、カッコイイ・可愛い女を十分に表現し得ていた。 上の友人は「詩乃さんのジェニーとのシーンが一番良かった」と言っていた。 ただ、このジェニーとマックのやり取りのシーンの台詞が、台本に殆ど舞台どおりに載ってなかったのは悔やまれる。 渚のモリーも可愛く、憎めない。 ポーリーとの喧嘩が下品になりすぎなかったのは、渚の力だろう。 これから、頑張らねばならない位置に彼女も立ってしまったが、いままでの力を信じている。 あと、目についた人を挙げると、貴柳みどりのポーリーの母。 星組にいたときには目立った、アクの強さが存分に出せる役で、これまた「はまり役」だった。 若手男役を一括して言うのはいけないが、マックの部下達はカッコはいいのだが、「美学」がない。 それぞれが、「美学」を持ち得たときに、 「ボス=スター」になりえるのだろう。 でも、毎回改善しようという心意気は十分伝わった。 最後に、真矢みきである。 私は1回目観て「なんやかんやいおうと、これがあなたの役なのですよ」 と先生が言っているように感じた。 実際プログラムを見てみると 「最も相応しい最後の役」と谷先生は書いておられる。 そして、2回目には二階席で「楽しいフィナーレ」なのに泣いてしまった。 あまりにも、真矢の本質とは全く反対の性質の役を、本質 (裏の多分、割と神経質で、完璧主義と推測される) のかけらも見せずにこなす彼女。 その「役者根性」に、私達は惚れ、私は酔わされていたのだと思うと、その「プロ意識」に感服すると同時に、感謝したくなってしまった。 そして、3回目は本当に笑えた。 彼女の「サヨナラを意識、なんてバカなことするんじゃないよ。 最後まで自分は『宝塚スター 真矢みき 』で、 通して去っていくのだから。」 と言われているような気がしたからだ。 今まで、特にトップになってから、真矢は「演技者」と「宝塚スター」の間でかなりの相克をしていたのではないだろうか。 前者は、芝居には必要である、 でも「宝塚歌劇」をやっている以上、後者も常に必要とされる。 この2つのブレンドの仕方が、男役スターの「個性」である。 芝居のときは「演技者」であるが、 そのプラスアルファがそのスターの個性なのだ。 これは、「演技者」でない、つまり演技を身上としないスターだと、「宝塚スター」が表に出る。 その例を挙げよ、と言われたら、失礼を承知で姿月である。 真矢は二番手の時は、芝居のときは「演技者」であることのほうが多かった。 しかし、トップになってから、「演技者」ではだめだ、上手いだけではダメだ、といつも感じてやっているように、私には見えた。 しかし、ショーでは、二番手時代と変わらぬ、「宝塚スター」であったことは、ファンにとって「救い」であった。 ところが、今回は最後ということで、芝居・ショーともに最後まで 「宝塚スターの真矢みき」でいた。 退団、ということ、そしてこのマックという役がそうさせたのだろう。 迷いのない彼女を見る、我々ファンは幸せである。 彼女の舞台から差し出される目に見えない手に、ぐっとつかまっていれば良いのだ。 ミキさん、本当に有難う。 私はあなたを知って、色々なことを学び、人生が豊かになりました。 これからも、その「個性」を応援します。 『SNIPER』 前評判はHPなどで仕入れていて、かなり先入観を持たないようにしていったのだが、やはり甘くて50点の出来である。 石田先生は、真矢のことをプログラムで 「プロのタカラジェンヌ」 と表しておられるが、あまり愛情を感じなかったのは事実である。 とにもかくにも、問題はショーの構成である。 はっきりいって、プロローグ・フィナーレ前・フィナーレしか印象に残らない。 まず、「ハリマオ」のシーンであるが、私達世代にはさっぱり分からない。 それと、「ライト兄弟の夢」のシーンだが、一応中詰が飛行機と繋がりはあるのだろうが、岡田先生の元にした場面とは大違いである。 つまり、プログラムに「過去の作品を石田流にアレンジした」とあったが、「アレンジ」しても、やはり作者が違うものだと、違うものなのだ。 そこを、再考していただきたい。 巷の声で「東京では『ダンディズム!』を」といわれても仕方ないと思う。 むしろ、そういう英断も歌劇団は必要なのではないか、とすら思った。 そして、「アウシュビッツの空」であるが、これはやはり、「冒険」のしすぎである。 戦争世代の父は「そんなもの宝塚で観たくないな」と言っていたが、 これが我々ファンの本音である。 せめて、石田先生の『TAKE OFF』の同様のシーンと差し替えて欲しい。 あまりにも客にも救いがないシーンである。 そんな中で、出演者について書くのは辛いのだが、 芝居と同じく真矢以外から見て行こう。 愛華みれ。 「ハリマオ」はともかくとして、「パパラッチ」は良かった。 芝居と同じく、捨て身でかかれるようになって、ストーリー性のあるショーもいけるのではないか、と感じた。 ただ、この場面の銀橋の歌は、テンポが速いせいか、歌詞が聞き取りにくかった。 千ほさち。 芝居より、やさしい表情も出て、歌も中詰の「夜間飛行」は良かった。 でも、「パパラッチ」のシーンで私が最後に観た回には、客に後ろを向けて、自分でスカートをめくってしまうのはどうだろうか? 感性が豊か、というべきか、なんというのかまだ言葉が見つからない。 このサービス(?)の後の「アウシュビッツの空」のシーンで、貞淑なところに違和感を感じてしまったのは私だけだろうか。 全体的に見て、髪形の工夫・場面ごとの切り替えなど、まだ目につくことは多いのだが、最後まで力を抜かずにやっていることは買えるので、これから色々なショーをこなして、精進を望むばかりである。 匠ひびき。 やはり、ダンスの人であるのだが、二階席からみると、まだ「女性」であることがチラつく時がある。少々、自身オーバーアクションに思えても、「クサく」やるのも必要な時期に来たのではないか。ダンスからなにか、もっと引出しを増やして欲しい。 あと、伊織はパンチが相変わらず効いていて、出番が増えても安心して見ていられる。 春野はソロの歌を初めて聞いたのだが、丁寧に歌っていて、メロディーラインが良く分かった。 彼女こそ愛華を見習って、上を目指してやっていってほしい。 サヨナラの詩乃。 真矢との「一獲千金」のシーンは息があっていて、楽しそうだった。 ダンサーでもあった、彼女の存在は大きかった。 そして、同じく活きのよいダンサーであった桜木の退団も惜しい。 2人とも、躍動感のある女役だったので、なにか大きく穴が開く感じであった。 さて、真矢みき。 彼女が「エンターティナー」と言われる理由が、はっきりするのが 「一獲千金」と「ヘイ!リポーター!」のシーンである。 どちらも、内容はこれといってないシーンである。 しかし、彼女が出てくるとなにか、パアッとする。3回目は隣が、老婦人二人連れだったのだが、 「あの人が出てくるだけで楽しい感じになる」 というようなことを言っていた。 「なんてことのない場面」を「楽しくみせる」。 これが、エンターティナーなのではないだろうか。 どちらの場面も、なにやら焼き直しのイメージがあり、新しいのはフライングぐらいのものだが、なんだか楽しい。理由がないのだ。 そして、「アウシュビッツの空」では、捕らえられたときの下から見上げる意志のある目、昇天して久しぶりに舞台を大きく使って踊る真矢の表情が見物だった。 ダンスははじめから、上手い人ではなかったが、「個性」と「努力」のブレンドで十分見せるダンスができるようになっているのだ。 そして、最後の大階段での曲。 曲自体は、一度で覚えられないのだが、歌詞はファンとしては、ジンときた。 それ以上の言葉が見つからない。 この歌詞が全部プログラムに載ってないのも大いに残念だ。 なぜなら、最後に真矢は自分の本質をチラリと歌っているからだ。 「本当は臆病で寂しがり屋の僕なのさ、と心の中では叫んでいるのさ」 という所である。 ここで、やはりサヨナラは意識されてしまう。 でも、そのあとのフィナーレは元気一杯、客を 「狙い撃つ」真矢である。 私達、ファンは狙い撃ちに会って、 「宝塚スターとしての真矢」を堪能して終わるのだ。 これからも、その「個性」は客を「狙い撃ち」続けて欲しい、 と願ってこの長い感想文を終わりにする。 最後に一言、「ミキさん、大好きです。」 |