■■■AYAの舞台評■■■



宝塚雪組公演

観劇日:1998年9月 8日(火)15時
    1998年9月11日(金)13時<NHK録画日>

劇場 :宝塚大劇場


    舞踏詩『浅茅が宿』
          −秋成幻想−

          作・演出:酒井澄夫

解説=歌劇1998/8月号より。

上田秋成の「雨月物語」より”浅茅が宿”をメインに数話よりヒントを得て、人間の果てしない夢とこの世の無情を、日本の四季の絵巻として、また愛の舞踏詩として描く。



    グランド・レビュー『ラヴィール』

        作・演出:中村一徳

解説=歌劇1998/8月号より。

宝塚の伝統である豪華絢爛なレビューに、テンポのある現代的なダンス場面を織り混ぜた華やかなバラエティー・ショー




今回の劇評は、里帰りして東京復帰の金子亜矢さんからです。
「Tokyo劇場」主催者の私も、この公演を大劇場で観劇しましたが(観劇日=9/5)劇評は書いておりません。
何故か。
つまんないんだもんってゆうか、
「雪組かわいそうだよ」状態=「作品にこのところ恵まれなさすぎる」
そういうわけで、劇評もなにも放棄してしまいました。
しかし亜矢さんは、こんな「ろくでなし観劇者」の私にくらべてなんて立派なんだ。
どっちが舞台という世界を生業にしているのか・・・。

今回、でも亜矢さんと意見が違うのは『ラヴィール』。

全部どこかで観たことのあるものばかり
=作者のオリジナルが感じられない
=よろしくない。

という論法になるのだよ私は。
これは前作もそうだったね、中村一徳さん。

あれだけの技術を持つキャストと優秀なスタッフに、
己の世界の具現化を託せるのに
「何やってるんだよ」と、
まだ丁稚の身分で演出が出来ない私は怒るのです。

ってことで、亜矢さんの劇評をどうぞ。



「亜矢の観劇評」

『浅茅が宿』

 いつものように、先に点数からつけてしまうと65点である。
雪組は日本物が続いている組で、日本物に慣れるところまで努力していて、レベルも高くなっていることは買うのだが、私にはどうもこの作品はピンとこなかった。

 近頃の私にしては珍しく、この原作は予習した。
そして、江戸文学の専門家にも、
「宝塚でやる」といって、劇化についての少し意見を聞いてみた。
すると、その人からは

「『雨月物語』は5つぐらい話を組み合わせないと、
 そんな、95分の芝居にはならない」

という答えであった。
やはり、この作品の3つの話からだけではストーリー性が薄すぎる、と私も感じた。
それがピンとこなかった一番の理由ではないかとあとで思った。
私個人としては、日本物なら、先の『春櫻賦』のような芝居と舞踊ショーの組み合わせのようなものは勘弁願いたかった。
先の専門家の言うように、
「5つぐらいの話を組み合わせた、
 がっちりとした筋のある日本物の芝居」か
「日舞ショー」のどちらかはっきりした演目にして欲しかった。

 しかし、この『浅茅が宿』はタイトルの前に、
「舞踊詩」と銘打ってあるのだからショー的要素を重点において作られていると私は考えることにした。

 だから、ショー的な場面から見ると、桜の花に大きな意味があって、最後も桜で終る、というのは、「またか」という気がした。
9月といっても宝塚は暑かったし、12月の東京もちょっと桜の季節には合わない気がする。
「日本人の季節感」を大切にするために来年は元旦が初日だそうだが、この演目の中では、少なくとも私の「季節感」はフィットしなかった。
「梅にすればいい」とは、私の80代の祖母が言っていたが、なるほどと思った。

 そして、芝居の面であるが、やはりストーリー性が薄いために、それぞれの役に余り魅力を感じなかったのが本当のところである。
轟の勝四郎は、プログラムに「声を高めにしている」とあったが、そうすることで、いつもの轟の安定感(いうなれば「強さ」)を弱くして、女に魅了される、という設定に持ちこむ解釈なのだろうが、計算が見えてしまっている感じがして、観ている側には今一つだった。
やはり、日本文学なら『宝塚アカデミア』に載っていた、『坊ちゃん』のほうがお似合いである。
妄言多謝。

 月影は、宮木はニンに合っていて良いが、それ以上に眞女児の時が良かった。
特に扇をわざと落として勝四郎に拾わせる件。
「歌劇」にも書いてあったが、カルメンのようで、ぐっと女の情念を感じた。
雪組に来て、上がり調子で観ていて嬉しい。

 香寿は相変わらず手堅い。
ただ、曽次郎という人物像が脚本に余り書かれていないために、手持ち無沙汰の感もした。
他の話から取って、彼女も2役なら面白かったかもしれない。

 あと、目に付いたのは汐風の「日本物らしさ」。
いかにも、この後連歌でもやってそうな殿様、という感じがした。
貴城はもう少し押し出しが良くなると、もっとインパクトのある役になると思うのだが。

 原作上、仕方の無いことだが、同じ形態の前作より、役のある人が減っていて、汐美・貴咲などの役は小さすぎる。
新人公演がない中堅には、もう少し見せ場を作っていただきたかった。

 以上、注文ばかりつけてしまったが、日本物としては前作よりずっといいし、ジュザブロー氏の着物も少し斬新である。
しかし、平均点の60点の上に努力点の5点しか足せない。
これは、私自身の「日本物ばなれ」のせいなのか、と内省しつつ、
「日本物のじっくりとした芝居が観たかった」という思いが残っている。



『ラヴィール』

 雪組のショーとしては、最高に近い出来であると思う。
93点である。

中村一徳先生のショーは、故小原先生と岡田先生の特徴を足したような伝統的スタイルが守られていて、それだけで、ファンを納得させるところがある。
今回は、特に小原先生の雰囲気を感じた。

 まず、マイナス点の内訳から書く。
雪組のメンバーの「ショーのみせかた」への工夫をもっとしてもらいたいのでマイナス2点、
選曲でマイナス2点、
構成でマイナス3点である。

選曲から書くと、中詰の「ベサメ・ムーチョ」は今までと違ったアレンジでいいのだが、パレード前の「テンプテーション」は困ってしまった。
やはり、岡田先生の同名場面が思い出される。

アレンジも同じで、紫苑ファンであった母は「ううん」とうなっていた。
あそこは前の曲がロックなら、タンゴでも雪組の前作のデュエットダンスと違う雰囲気が出せたのではないだろうか。

次に構成であるが、ラインダンスが2回共、ほとんど同じようなのは改善していただきたい。
ロケット・ボーイを出してもあまり印象が変わらない。
一度は小道具を使ったり、タップダンス系のものにするといいと思った。
雪組のメンバーの「ショーのみせかた」であるが、これは一言でいえば観客へのアピールである。
少々、そっけなく感じるところがある。「これじゃ、くさいかな」と思っても、やってしまった方がいいと思う。
WOWOWの「宝塚スターの小部屋」で早乙女が、「雪組は真面目ね」と言ってらしたが、その通りで、もう少し「遊び」があってもいいと思うのだが。

 各場面を見ていこう。
プロローグは久しぶりに、セリから大セットとともにトップの登場で「大劇場らしさ」を感じて破綻のない出来。
次の「ナイト・カフェ」は香寿の「キザり方」が板についているものだから、「男役」が全面に押し出されて、観ていて気持ち良かった。
欲を言えば、相手役の貴咲にもう少し色気を。

次の「エジプト」は、私は勝手に『美女と野獣』をオーバーラップさせてしまったのだが、轟はやはりこういう黒っぽい感じの方が、ステレオタイプと言われてもいい。
視覚的に、衣装替えの時間がありそうだから、黒豹から人間に変わるならもっと分かりやすかったと思う。
セットはここは良かった。

中詰は散々聴いているはずの「ベサメ・ムーチョ」だが、轟のムーディな歌い方もいい。
又、一曲たっぷり使うのは、岡田先生方式であるが、これも曲が印象に残るのでいい。

一番の見所は次の「ダンス・ジャズイン」である。
振りも小粋で、雪組全員よく踊っているのだが、もう少し、余裕、つまり「遊び」の部分が欲しい、と言うのは望みすぎか。
私の観た11日は、収録日のせいか、200%ぐらいの力で皆が踊っていたので、観ているこちらは少し疲れた。
なかでも、やはり五峰・楓のカップルが目立った。
でも、この場面をこなすことによって、雪組のショーの力はぐっと上がるのだろう、と信じている。
フィーナーレは先に書いた「テンプテーション」でさえなければ、スターの順番も分かりやすくていいのだが。

 今回のショーでは『Let‘s Jazz』の時より、ずっと雪組の団結力のようなものが固まっていて、総踊りのシーンでは格段の説得力があった。
また、中村先生も昨年に引き続き、ということでメンバーの個性をよく捉えられていて「座付き」の面目躍如であった。
私は、『プレスティージュ』から中村先生のショーは好きなのだが、今後益々期待したくなった。
もっと、他の組でもショーを作っていただきたい。
ともあれ、東上一作目としてはいい出来のショーである。

 さて、今回は自分の都合で「宝塚というものを一度観たい」と言っている20歳の女子学生四人に、次の月組かこの雪組のどちらを勧めるべきか、ということをずっと頭においていたのだが、総合計点からしても雪組である。
「ショーはいいよぉ」と言ってやるつもりである。



「宝塚というものを一度観たい」と言っている20歳の女子学生四人。
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