■■■AYAの宝塚歌劇 観劇記■■■


月 組

三井住友VISAミュージカル
エリザベート
−愛と死の輪舞(ロンド)−




2005年 2月4日(金)〜3月21日(月) 宝塚大劇場公演

2005年 4月8日(金)〜5月22日(日) 東京宝塚劇場公演



金子亜矢さん=観劇

2月15日→1階14列63
2月19日→2階B席(母と)

劇場:宝塚大劇場



HP主人 森(=SUN)筆。

今回も、金子さん メール投稿劇評 ありがとうございます。

金子さんはちゃんと2月20日(観劇の翌日)に送信してくださっているのに、
実際こうして私が更新しているのは、3月25日。

すまぬ。

謝ってるの本日二つ目。

さてさて。

花總まりは日本演劇界においても
稀代のエリザベート役者ではないかと思えてきた。

と、上記を金子さんは書いている。
そのとおり。
そのとおりどころか、彼女がいたから「エリザベート」は、ここ日本にあるのだ!
そして、宝塚で女性が主役の下記作品は、花總まり がいたから出来た!

「カルメン=激情」
「トューランドット=鳳凰伝」
「ジャンヌ・ダルク=傭兵ピエール」

トップ在位12年目。
12年目。

男役トップの宝塚で、娘役トップでこの在位歴。
3年ほどで卒業していくトップ男役の数倍の在位歴。

もっと在位してて。

花總まり、礼讃。

最新「エリザベート」
ルキーニの霧矢大夢を、観たかった聴きたかった。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。




三井住友VISAミュージカル
エリザベート

−愛と死の輪舞(ロンド)−


        脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ
           音楽/シルヴェスター・リーヴァイ
オリジナル・プロダクション/ウイーン劇場協会

        潤色・演出/小池修一郎


<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 19世紀末。
ヨーロッパ随一の美貌を謳われた、
オーストリア=ハンガリー帝国后妃エリザベートが、
イタリア人アナーキスト、ルイジ・ルキーニに殺害された。
ルキーニは独房で自殺を図る。
煉獄の裁判所では、犯罪行為から100年たったにも拘らず、
暗殺者ルキーニを未だ尋問している。
ルキーニは「エリザベートは死と恋仲だった。エリザベートが死を望んでいた」
と主張し、自分の行為を正当化する。
そして、それを証明する為、
エリザベートと同時代を生きた人々を霊廟から呼び起こす。
最後にトート(死)が現れ、エリザベートを愛していたと告白する。

(ちらしより)


<メインキャスト>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


トート(死、黄泉の帝王)
:彩輝直

エリザベート(オーストリア=ハンガリー帝国皇后)
:瀬奈じゅん

フランツ・ヨーゼフ(オーストリア=ハンガリー帝国皇帝)
:初風緑

ルイジ・ルキーニ(エリザベート暗殺者)
:霧矢大夢

ルドルフ(オーストリア=ハンガリー帝国皇太子)
:大空祐飛

皇太后ゾフィー(フランツ・ヨーゼフの母)
:美々杏里

エルマー・バチャニー(ハンガリーの革命家)
:月船さらら

他 月組「エリザベート」組


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「宝塚はまず『美しい』のだ」

 『エリザベート』という作品のすばらしさは昨年の梅田コマ劇場
(4月から梅田芸術劇場メインホール)
で東宝版をみたときに語りつくしてしまったので、重ねては書かない。
ただ、このミュージカルのすばらしさは、誰もが避けて通れない「生」と「死」を
融合させてしまったテーマの偉大さにある。
それは「愛と死の輪舞」という副題であきらかであるが。
子供以外の観客にはなにかを考えさせてしまう深遠さ、高尚さがあり、
だれもがそのテーマにひれ伏すのだ。

 宝塚においては5回目の上演であり、その間に東宝版が上演されたので、
その比較をしてみると、まず、「性的要素」が薄くなっている。
それは黒天使とトートダンサーの動きや衣装の違いなどではっきりすると思うが。
またフランツの浮気のくだりでも婉曲である。
これは女性ばかりの劇団ということと
「清く 正しく 美しく」がモットーである劇団、
という特徴に動かされているのだろう。
それは宝塚でやる以上仕方がないことかもしれない。

 次に、「美化」という点が宝塚には多い。
一番象徴的なのが、ラスト、
東宝版はトートがエリザベートを棺に閉じ込めてしまうのに対して、
宝塚は2人で昇天するという点だ。
これは観る人の好みだが、個人的には宝塚版のほうが好きだ。

 一方「世紀末の退廃色」というのが、宝塚には薄い。
東宝版は「♪ミルク」だけでなく、
ヒトラーを思わせるハーゲンクロイツの場面もあり、崩れ行くヨーロッパ、
というのを感じたが、宝塚ではフランツの「ハプスブルグ600年の歴史」の
言葉くらいだろうか。

 さて、今回の月組について先に点をつけるならば85点というところか。
マイナス10点ははっきり言うと客席への迫力が感じられなかったことである。
コーラスのレベルが低いとかいう意味でなく、
この作品の持つ圧倒的なテーマを訴え切れていないような気がした。
しかし、これは兵庫でもまだ3月まで続くし、東京公演もあるのだから、
練り上げられればいいものになると思うし、
「組」という体制を取っている宝塚はそうなる要素を持っている。
あとのマイナス5点は特に主役2人のレベル、特に歌唱力のUPを望みたいところだ。
脇役陣がしっかりしているだけに、がんばって欲しいところだ。
あとは人別に。


 トートの彩輝直
出てきたとたん
「これだけのビジュアルなら、中身はどうでもいいわあ!」といわせてしまう。

歴代トートを演じたジェンヌが、トートの
「人間の姿を借りたこの世のものではない」
というところを飛び越えるのに苦心していたのに、
彼女にさせるとこの壁は一足飛びだ。
彩輝という人に対しては、個人的にはいつも
「もっと、もっと」と思うばかりで満足させてもらったことがないのだが、
今回は初めて、そして最後にして「いい」と思った。
彼女の特徴である「妖しさ」が、このトートという役とマッチしてまさに
「この世のものではない」雰囲気をかもし出していた。
いや、彼女の「妖しさ」を生かすにはこのトートのような役が必要だったのでは、
とすら思ってしまった。

確かに歌唱力やダンスは歴代の中ではっきり言うが最下位だが、
あのルックスで黙らせられてしまう。
演技に関しては、エリザベートに愛されたいという気持ちと、
最後までそれが拒絶されるゆえの憎しみ、が2つの振り子となって、
愛憎激しいトートだった。
新人公演時代に本役だった、麻路さきによく似ている感じがした。
それでも今までの彼女と比べればよくがんばっていたと思う。
こういうのを「有終の美」というのだろう。
ただ、東宝・四季しか認めない御仁には
「トートのファションショーか?」
といわれる危険性は十分はらんでいることは認めるが。


 エリザベートの瀬奈じゅん
エリザベート像というのは9年前は
「苦しい運命を粛々と受け止め、ひたむきに人生を歩んでゆく楚々とした高貴な女性」
という感じだったが、この10年の間に9年前に連想され、
悲劇的な結末に至ってしまった、イギリスの故ダイアナ元妃、そして日本でも
(これ以上はどなたでもお分かりだと思うので書かない)、と
「エリザベートの現代版」とでもいえる、皇室の女性がでてきたので、
今のエリザベート像は
「自分というものはなんとしても守る、自我に目覚めた自立した女性
 〜普通の精神構造を持つ女性が皇室に入った悲劇」
という面が強く打ち出されていると思う。
今回は男役がやるせいもあるかもしれないが、
より現代的な普通の女性に近かったと思う。

さて、瀬奈であるが、1回目は彼女の娘役姿になれていないせいか、
違和感が始めのほうはずっとあったのだが、
2回目は「強い女性」というのを強く感じた。
問題の歌だが、「がんばって、稽古して、出るだけ出しています」という感じで、
普段の彼女からすればよくがんばった、と思う。
しかし、彼女は基本的に男役であるのだから、これで評価するのはどうか、と思う。
次回メインホールでばりばりの男役でこの女役を経ての成果を出してくれるものと
信じている。

というのは、どうしても、初演・宙組での花總まりのイメージが大きいのだ。
柳のように細く折れんばかりの腰、神秘・威厳・気品、
そういったエリザベートに要求されるものすべてを
彼女は身に着けていたような気がする。
彼女の右に出るのは難しい、いや花總まりは日本演劇界においても
稀代のエリザベート役者ではないかと思えてきた。


 フランツの初風緑
歴代では一番弱弱しい男性に感じた。
歌に関してはいうことなし。
彼女もプログラムで述べているが、フランツがかわいそうに見えるのは
「超真面目ゆえの悲劇」なのだろう。
母・妻・息子のことも話半分で聞いて対応していれば、ここまで振り回されて、
惨めにならなくても済んだかもしれない。
難しい役だと思うがさすが専科でフランツについて理解が得られるように
造形してあり好感は持てた。


 ルキーニの霧矢大夢
歌に関しては歴代の中では最高ではないか。
もう少し低音が出れば完璧であるが。
ただ、歴代が好演してきただけに、彼女ならではのルキーニを創り上げるのは
難しそうだが、観ていると
「いつか人があっというような大事件を引き起こしてやろう」
という考えに取り付かれた男、という感じがした。
ただそこに「狂気の中の一分の真実」というもの、
つまり重みがあればもっとよかったと思う。
ただ、狂言回し、という役のせいでもあるが、
客席に対してのつかみ・迫力はすばらしかった。


 ルドルフの大空祐飛
普通の環境で育つことが出来なかった人間がやっと持つことの出来た
1つの思想をその立場ゆえ両親に否定され、孤立してしまった悲しさは
よく出ていたと思う。
「♪闇が広がる」での彩輝との顔合わせは美しい。
歌唱力も大分UPしていると思う。
かつての彼女はその怜悧な美貌からか、
どの役をやってもクールなイメージが消えなかったのだが、
この2年ほどで大きく変った。
今回も子供のときからの成育歴による人恋しげで、成長しても認めてもらえない
焦りの2面性が短い場面でよく現れていたと思う。


 ゾフィーの美々杏里
現在の宝塚最高のディーバだと思うこの人に、
いつかこの役をやって欲しいと個人的にはずっと思ってきたのだが、
退団とは残念である。
最後にして熱演であった。
あの声がすばらしい。
ゾフィーとしての威厳、傲慢さ、歴代に劣るところがない。
最後のエトワールはこれぞエトワール、聴いていて魂が上っていきそうだった。


 エルマーの月船さらら
B席から観たときに気づいたのだが、
ふっとこの人にオペラグラスを向けてしまうのである。
スター性ということに関しては、誰にも奪えない抜群のものがある。
さて、人物造形についてだが「革命家」ということに重点を置くなら、
もう少し熱血漢でもいいのではないか。
革命家、というのはもともと自分や他人の命が少々どうなろうとも、
自分の考えが正しいのだ、という人であり、
テロリストとも通じる面がるのではないだろうか。
彼女のトートもいつの日か観てみたい。


 以上いろいろ書いてきたが、この辺で終わろうと思う。
とにかく『エリザベート』という作品は誰がやっても感動できる。
この作品は『ベルサイユのばら』『風と共に去りぬ』と同じように長く宝塚で愛され、
上演され続ける作品だと思う。
ただ、宝塚オリジナルでないのが悔やまれるところだ。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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