■■■SUNの舞台評■■■



仮面のロマネスク〜宝塚雪組公演

観劇日:1997年7月17日(木)
    17:30〜(3階 イ列 31番)

    1997年7月26日(土)
    17:30〜(1階 ヌ列 14番)

劇場 :東宝宝塚劇場

        ラクロ作「危険な関係」より

        脚本・演出:柴田侑宏
           音楽:寺田瀧雄

      ヴァルモン子爵/高嶺ふぶき
   メルトゥイユ侯爵夫人/花總まり
      ダンスニー男爵/轟 悠
     ジェルクール伯爵/和央ようか
     トゥールベル夫人/星奈優里
         アゾラン/安蘭けい
          セシル/貴咲美里

              雪組一同


行ってまいりました。
ユキちゃんのサヨナラ(雪組トップ高嶺ふぶきの退団公演)だ。

この「仮面のロマネスク」はフランスの作家ラクロの「危険な関係」の歌劇化です。映画にもなってるね。私はまだ見ていないけど。

幕前のいつもの場内アナウンス
「雪組の高嶺ふぶきです。ようこそ・・・」
がないままに客電が落ち、指揮者への拍手、音楽。
ややあり、上下(かみしも)花道からセリ上がり登場のトップ二人。
二人は高嶺ふぶきのまま、花總まりのまま、優雅に客席に一礼、
そこに幕開きのアナウンスが重なる。
と、一変して二人は劇中の人物となる。
ヴァルモンに、メルトゥイユに。

素の自分から、その役に入るまでに、役者というものは各々に、各々のやり方を持つ。やり方を持ちながら、それでも苦しみもがく。
それは、役者が一流であればあるほど。
なぜなら、彼等、彼女等は舞台の怖さを、よく知っているから。
もちろん、素晴しさも。

人間を、もう一人自分の中に住まわせるのだから、
その心もちの変化の負担は伺いしれない。
それを、高嶺ふぶきと花總まりは舞台上で瞬時にやってのけた。
彼女等は一流だ。
そして、そんな演出が出来るということは、
それだけ彼女等を信じているからこそでもある。
柴田侑宏は役者を信じることの出来る演出家ということだ。
そういう役者に出会えたことを、そういう演出家であれたことを、
私はうらやましく思う。
私もそういう演出家でありたいものだ。

お話しはね、19世紀前半フランス社交会で繰り広げられる恋のゲームです。で、そのゲームの花形2人
(当然、ユキちゃん(高嶺ふぶき)と花總まり演ずるところ)
が、お互い好きなんだけど素直になれなくて、以下の台詞のやりとりなんてしてしまう。

ヴァルモン(高嶺ふぶき)が新しい女(=トゥールベル夫人/星奈優里)に目をつけたのを見とめたメルトゥイユ侯爵夫人(花總まり)とのやり取り。

メルトゥイユ「うまくいけばご褒美をあげるわ」
ヴァルモン 「ごほうび?」
メルトゥイユ「わ・た・し」
ヴァルモン 「(にやっと笑って)よし、闘志がわいてきた。
       それでは失礼する」
軽くキスをして下手に立ち去る。

勝手にやっていろ、と言いたくなる。
そのプライドの高い、嘘つき(=仮面)な二人が、王宮防衛のために死ににいく(時は1830年7月革命前夜)覚悟のヴァルモンとの別離のデュエットでやっと素直になる。
そうして幕は閉じるのだ。

花總まりについていこう。
あやか(白城あやか)が去って間もないというのに、私は決めてしまった。それくらい花總まりの成長は著しかった。
醍醐家の血なのか、あの存在は。
この公演で退団するというトップ(=高嶺ふぶき)を膝まづかせ、
恋われてもなお慄然とそこにあることの説得力。
だからこそのメルトゥイユであり「仮面のロマネスク」だった。

ヴァルモン 「愛している」
メルトゥイユ「結構よ」
ヴァルモン 「証拠は見せる」
メルトゥイユ「お友達でいいじゃない」
ヴァルモン 「お友達は嫌だ! 彼女を捨てればいいんだろう」

そして、その後の「仮面舞踏会」のシーン。
ヴァルモン(=高嶺ふぶき)を中心にメルトゥイユ(=花總まり)とトゥールベル(=星奈優里)。
三すくみの状態。
一瞬の緊張。

ヴァルモンはメルトゥイユを選び踊る。
その瞬間のメルトゥイユ(=花總まり)の勝ち誇った
(それだけではないのだろうが)笑み。

とにかく、花總まりだった。目が離せない。

この公演、2回観たのだが、初めは3階だったこともあり、
幕開きしばらくの舞踏会での群衆シーンでは誰が何を話しているのか、
遠すぎてわからなくて、筋が追えない状態だった。
これは演出の責任。

だいたい「舞台」という生の空間を伝える広さを、
宝塚劇場は超えている。
ショーはさておき「芝居」としては。

それは承知の演出なのだから、というより、だからこその演出をしなければいけないのだから、群衆シーンでの立ち位置というものにもっと気を配るべきだ。
柴田侑宏氏が眼がご不自由であられるのなら、演出助手の怠慢だ。
演出助手中村一徳氏、バウと大劇場の空間の違いというものを、もっと理解すべきでした。
もう一人演出助手の方がいらっしゃるようだけれど、中村氏はバウをもう何本も演出しているのだから。

ああ、なんだかむちゃくちゃ言いたい放題やなあ・・・。
きっとこれは演出もしてないのに、こうして他人の作品を批評しているしかない私のうらやましがっている心なのでしょう。

「今に見ていろこの俺も、他にとりえはないけれど・・・」
と植木 等さんではないけれど
(って、誰がわかるんじゃ! と自分でつっこみをいれておこう
 =でもクレイジー・キャッツはいいよ)

次回雪組、轟の御披露目は本拠地の大劇にて観劇の予定なのだが、
なんせ、予定は未定。

それにしても、花總まりは3代のトップと組むわけか。
で、うわさでは4代(初代?)もいくかもね。

なにはともあれ、今の花總まりを見逃すな。

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