■■■AYAの宝塚歌劇 観劇記■■■


雪 組

ミュージカル・プレイ
青い鳥を捜して


ショー・メッセージ
タカラヅカ・ドリーム・キングダム




2004年11月12日(金)〜12月14日(火) 宝塚大劇場公演

2005年 1月 2日(日)〜 2月13日(日) 東京宝塚劇場公演



観劇日:金子亜矢さん=観劇

12月 9日→11階 6列85→ビデオ収録日、瀬奈じゅんさん、大空祐飛さん観劇
12月13日→ 1階13列66→金子にとって初めて、芝居で舞台中断する

劇場:宝塚大劇場



HP主人 森(=SUN)筆。

今回も、金子さん メール投稿劇評 ありがとうございます。

金子さんは怒ってますねー、この作品。

どこかにいそうな人物造型。
私は演出していて大事に思うことです。

「どこかにいそうな」とは、人格のことを差します。

職業ですと「二重スパイです」とか、おいおい凄いだろう。
会った事ないし、「二重スパイ」とか「お洒落泥棒」とか「捕鯨船の人」とか。

みたいなことになるので、「こういうキャラはいるかもね」みたいな事。
リアル感ってなものは、そこに宿るのでは、と思っています。

人の感情に共感出来る箇所を見出せるかどうか。

12月17日に千秋楽を迎えた「トタン屋根の女」
それはそれは濃い人々が12人。

トタン屋根の下、ひと組の母娘を軸に、濃い人々が集いました。

舞台ってもののライブ感満載の公演でありました。
いいカンパニーを作り上げたんだな、うちらって、と
爆笑&謝りの、千秋楽前公演だったものよ。

ありがとう お客さま。
お花、お酒、頂く。
酒とバラの日々。
なんて幸せ。

人は様々。
人生様々。

千秋楽の日は、第一次打上げ。
そして翌日も本打上げ。

皆と、美味しい酒を飲め語れる幸せよ!

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。




ミュージカル・プレイ
青い鳥を捜して



作・演出/石田昌也


<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 幸せは自分のすぐ近くにある、幸せとは気付くことである、
というテーマを描いた大人向けのさわやかなラブ・ストーリー。

 ジェイクは全米シェアトップの下着メーカー「エルグランド社」の御曹司。
一ヵ月後にはエルグランドのイメージガール、女優のブレンダと
お互いの利害が一致しただけの策略結婚が決まっていた。
かつて、母親の死をきっかけに夢を捨て、信仰を捨て、
現実的なものだけを信じる人間へと変貌したジェイク。
そんな神も占いも奇跡も信じないジェイクの心に、ある日、思いがけないことが起こり、
義弟のフィンセントたちと運命の人を捜して旅にでることになるが・・・・。

(ちらしより)



<メインキャスト>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

宝塚歌劇団 雪組

ジェイク・マクノートン(下着メーカー、エルグランド社の重役)
:轟悠

フィンセント・マクノートン(ジェイクの弟)
:朝海ひかる

ジーナ(修道院の施設の世話係の女性)
:舞風りら

デニス・ハワード(女優・ブレンダのマネージャー)
:貴城けい

アンソニー・マクノートン(ジェイクの父親、エルグランドの社長)
:立ともみ

マザー・フローレンス(修道院長)
:邦なつき

ジョルジュ・クレベール(悪カギ・ピエールの父親)
:未来優希

ミルボン(エルグランド社員)
:壮一帆

シモーヌ(元エルグランド社員)
:音月桂

スーザン(ジェイクの秘書)
:愛耀子

ブレンダ・バートン(女優、ジェイクの婚約者)
:白羽ゆり


特別出演:
専科/轟 悠・立ともみ・邦なつき

<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「御伽噺はもう結構」

 「幸せはすぐそばにある」、このテーマは昨今大流行のような気がする。
宝塚においても昨年の『永遠の祈り』、今年の『ラ・エスペランサ』
(英語じゃないからつづりは忘れました)に続いて3作目だ。
そしてまたちらしにある「大人向けのさわやかなラブ・ストーリー」、
今回のプログラムの理事長の言葉から引用すると「大人向けの童話」、
これもまた『ラ・エスペランサ』から続いている。
そして同じく現代物、あまり期待はせずに行った。

 で、結果は上の最初の文のとおりである。
現代物だからこそ、ある程度のフィクションはあっても、
現実に起こるような設定・話を繰り広げなければ共感は得られない、それがないのだ。

 まず、「赤い服の女は誰だったのか」、
そして「パリから祝電をジェイクに送ってきたジーナは何者だったのか」
ということが解決されずに終わるのも問題だ。

 しかし、それ以上に、「3組のカップルのうち2組があっという間に結ばれる」
というのは、確かに恋愛は直感的なものかもしれないが
3つのうち2つというのはまずありそうにないし、

「ジェイクの目にだけ見える、
 鳥占いの老人は東南アジアにもパリの飛行場にも現れる」
というのは、ジェイク幻想、とでも考えるほかないし、

また、
「マザーと世話係しか出てこない修道院に工場を建てるほどの土地があるのか?」
と思ったし、

最高におかしく思ったのは
「ジェイクの死んだ母親の臓器を提供してもらった人
(レシピエントというのだそうな)が、義理の弟フィンセントを産んで捨てた母親と
 同一人物」ということだ。

100%あるはずない、ご都合主義もいい加減にしてくれ、といいたい。

 ということで、こんな絶対現実にありそうにない御伽噺が繰り広げられて、
何に共感しろというのか?
ましてや感動など出来るはずがない。
1回目、緞帳が下りるとき「はあ?」と口が開いてしまった。
「くだらない。観客をバカにするのもいい加減にしろ!」とはっきり書いてしまおう。
まだ1作残しているが、今年最低のものを観てしまった気がする。
これでは東京公演即日完売しないわけだ。

 また、ジェイクの台詞に「産むだけなら豚でも出来る」や、
頼りない教師に対して「豚野郎」という言葉は、たしなめられはするものの、
聞いていて不快だ。
ちょっと人権を考えて欲しい。

 また、筋も90分持たせるべくひねりがあるのだが、
少しずつあちこちひねってあるのであまり面白くなかった。
例えば、鳥占いの老人が教えたのは運命の人その人の名ではなく、
運命の人を気づかせてくれる人(=運命の人を教えてくれる人)の名であるとか、
いいとは1つも思わなかった。

 石田先生の作品だが、現代物ならひねりが1つですっきりしていた『再会』(99年)
のほうがずっといいと思うし、
やはり原作がきちんと出来ていた『長い春の果てに』(02年)や
『傭兵ピエール』(03年)のほうが上等である。
日本物では『誠の群像』などいい作品があった先生だけに、
ここらでひとつ方向転換すべきときにきてしまったような気がする。

 まあ、こうやって12月に入ると今年の総括、ということも考えるのだが、
宝塚大劇場においては、輝かしい90周年に『天使の季節』から始まって、
この作品まで、『ファントム』を除いてすばらしい作品がなかったことが残念だ。
もっと構築力・テーマの深さがある作品を来年はお願いしたい。あとは人別に。


 ジェイクの轟悠
人のことなど考えず、営利追求主義の重役が、運命の人の名を教えられ、
その名を名乗る女性が現れることで調子が狂ってくるのだが・・・、
という二枚目半に近い役である。
日本物が多かった轟(理事だから「轟先生」というべきかな)にしては
軽いスーツ物の芝居で、こんな簡単な役はお茶の子さいさい、だろう。
ジーナと名乗っていたのはケイトだ、と知ったとき冷たく突き放すところは、
母親を早くになくした人間がもつ独特の孤独感がみてとれた。


 フィンセントの朝海ひかる
一言で言えば、いい弟さん、である。
拾われたことから、大人になっても家族にまで遠慮するなんて、
できた人物そういないだろう。
ケイトにまで心配りが出来る、ジェイクにない面を一杯持ったやさしい人物を、
こちらも方の力をいれずに演じていたように思う。


 ジーナ(本当はケイト)の舞風りら
マザーがいうように「良い人過ぎるのかもしれない」やさしい女の子である。
彼女の持つムードからするとこういう役が似合うのかもしれないが、
一度個性的な役もやって欲しい。
ジェイクに一目ぼれして「私はジーナ」と嘘をついてまで愛されたいとするが、
ジーナでないとばれて、彼から離れようとするものの、できなくて、最後は・・、
という宝塚主演娘役の典型的のような役を楽にこなしていた。


 デニスの貴城けい
ブレンダに振り回され続けるのだが、急に自分が愛しているのはブレンダだと気づく
マネージャー役である。
ブレンダと2人、テンションが高くて、久しぶりに戻ってきた雪組で楽しそうだった。
轟と朝海に髪をくしゃくしゃにされるところなどおかしい。


 アンソニーの立ともみさん。こちらもご立派なお父様、である。
フィンセントが家族に遠慮しているのを聞くと、
思わず殴りかかってしまうほどの愛情、
そして亡き妻の写真に向かって語りかけるところは、
一番ありそうでしみじみさせられた場面だ。


 マザーの邦なつきさん。
いつも粋な方なのだが、そんなところは微塵も出さず、
最後にジェイクとフィンセントを抱きしめるところまで、
いかにも聖職者という感じでよかった。


 ジョルジュの未来優希
息子と2人だけ、この物語では悪人か、とおもいきや、
最後は改心して情報を教えるという人物を
出番が少ない中でもきちんと演じ分けていた。


 ミルボンの壮一帆
いわば伝達係で頼りなさそうな社員だが、まあ今回は出番が減っても仕方ないだろう。


 シモーヌの音月桂
女役に挑戦、であるが、声を変えていないのであまり違和感はなかった。
こちらも純粋でやさしい女の子の設定で、
男役がやるなら、もう少し設定を変えてもいいかと思う。


 スーザンの愛耀子
四角四面の秘書か、と思ったら、意外と気が利くやり手である。
デニスの言葉を「そこまでお聞きすれば十分です」といって
去っていくところは好感が持てた。


 ブレンダの白羽ゆり
ダントツに目立つキャラクターである。
自己中心的な上にぶりっ子でなにもできない女優。
漫画にでてきそうなキャラクターである。
こけまくるところや、自分で「ハッピーバースデー・ブレンダちゃん」といいながら
嘆くところや、最後に「デニス、デニス、デニスよ!」と気づくところなど
観ていて実に面白かった。
そして、一歩間違えると嫌味な女に見えるこの役を、隣の3人連れの女性に
「かーわいい、ブレンダちゃん」と
いわせるほどかわいく思わせるように表現したのは成功だろう。
新聞の劇評(読売新聞夕刊)にもほめてあったが、彼女の演技の幅が広がっただろう。


 出演者の出来がよかっただけに、
脚本の出来がはっきりいうと最悪なので東京までに大幅改定できないだろうし、
東京の方はショー目当てに行っていただきたい。





ショー・メッセージ
タカラヅカ・ドリーム・キングダム



作・演出/三木章雄・藤井大介・齋藤吉正


<解説>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 宝塚歌劇の永遠のテーマである「夢」を取り上げ、

三木章雄(Part3「夢の城〜夢は消えるのではない、ただ人が忘れるだけ〜」)、
藤井大介(Part1「ROSE〜真紅に染まる夢」)、
齋藤吉正(Part2「白昼夢〜IMITATION DREAM・栄華/幻―」)

の3人の演出家が競作し、それぞれの視点で見た「夢」を綴ったショー。

(ちらしより)


<感想>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「どう考えても宝塚の舞台に新宿の街はいらない」

 この3人の先生による競作は年頭の『アプローズ・タカラヅカ!』以来だが、
個人的には1本のショーは1人の先生の担当が望ましいのだが仕方ない。
1本のショー、としてみれば、
パート2の齋藤先生の場面以外は見応えがあってよかった。
ということで80点。

また、それぞれパートの主題歌に関しては、
パート1の曲はテーマと歌う朝海ひかるの音域をきちんと捉えていて
さすがベテラン高橋城先生である。
パート2はあまりインパクトがなかったが、
パート3の主題歌は実に雰囲気があってよかった(斉藤恒芳先生)。
ただ、3つとも場面の導入役に貴城けいをもってくるのは
ワンパターンのような気がしたのだが。
また、舞風りらも全体を通して芝居とは違う大人っぽさを要求されていて、
彼女の新しい面を見た気がする。
あとは場面別に。


Part1 ROSE〜真紅に染まる夢

 ここは朝海ひかる、というショースターの代表作となる場面になるだろう。
それほど朝海の中性的でダンスのすばらしいところを上手くみせた場面である。
あの、はっきりいうが悪趣味な『TAKARAZUKA舞夢』はなんだったのですか、
藤井先生、といいたいぐらい、歌詞にあるように「
清らと 淫らが 背中合わせ」である。

前半は顔見世的なプロローグだが、
後半はANJU先生の激しく、ストーリー性のある振りを完璧にこなし、
自己陶酔の域にまで達しているのではないか、と感じさせる朝海の独壇場である。
ここでは朝海は舞風とは無機質に絡み、轟悠とはその硬派な存在を挑発し、
もてあそび、最後は破滅させる。
そして歌って去ってゆくのであるが、スターとしての自信が感じられた。


Part2 白昼夢〜IMITATION DREAM・栄華/幻―

 「どう考えても宝塚の舞台に新宿の街はいらない」と書いたのは
この場面のことである。
無国籍風だが、「歌劇」の座談会に新宿といっていたので間違いないだろう。
「夢」を売る宝塚で「現実」そのもののような新宿の街はいらない。
宝塚の舞台に、ロリータやニューハーフが要るだろうか?
いくらプロとはいえ、ニューハーフをやらされている「彼女」たちが可愛そうだ。

その上、ここにロケットも中詰めも持ってくるのですごく長く感じた。
というか、一度ロケットも中詰めもないショーがあってもいいのではないか。
そのほうがこの3部構成では自然だ。
また、ストーリーもプログラムを読んでいない と細かく変るのでわかりにくく、齋藤先生には芝居もショーも
「わかりやすさ」というものを観客に提供することをしていただきたい。
プログラムの「演出家に聞く」でも、1人、長く、理屈っぽい。
また、轟と女役が絡む殺陣もなぜいるのかよくわからない。
なんか長くてわかったような、わからないようなうちに終わる場面だ。


Part3 夢の城〜夢は消えるのではない、ただ人が忘れるだけ〜

 始めに横尾忠則先生の芸術的な、重厚感のある装置に魅了された。
平面以上の表現力があった。
そして、導入役の貴城の「幸せの王子」が長い鬘も衣装も合っていて、
目が見えない儚い所がどんぴしゃりだったので、
つくづくこの人が現在の宝塚における最高の「プリンス」役者だな、と思った。

 この場面は轟の包容力を上手く利用した場面だ。
轟、朝海、貴城、舞風、4人のバランスが一番良く取れている場面でもある。
荻田先生の場面のようであるが、実は三木先生の場面。
バラエティショーのイメージが強い三木先生がこんな場面を作られるなら、
1本立てのときでもこれからはシックな場面も期待させてもらおう、と思った。
最後に暗く、深遠な印象が強く残る場面だ。


第22場〜24場 フィナーレ

 その「夢の城」の夢になった住民たちがスターになって総踊り、
と考えれば納得できるフィナーレである。
少し変っているが、やはり90周年は燕尾の総踊りで終わるのがふさわしい。

 昨年の花組公演に比べて轟が踊ってくれたのはうれしいし、
美穂圭子、未来優希、愛耀子、の3人が
全編を通じて歌唱力のあるところを示していた。
齋藤先生だけ御一考願えればなあ。
1時間の価値のあるショーだった。


<金子のよしなしごと>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 今回は「セカチュー」と「冬ソナ」。

 一応流行に乗り遅れてはいけないので、
前者は映画・本、後者は本を読みおわったところである。
映画館はみんなが大泣きモードで、金子も2回泣いてしまった。
後者については、テレビドラマをみればいいじゃないの、といわれそうだが、
NHK総合で放送されているときは放送時間が、
普段「ニュース10」でも寝てしまってみないで過ごしている金子にしては、
アウト・オブ・クエスチョン。
年末の一挙放送をDVDハードディスクに録って見ます。

この雪組公演を観た帰り、ふと思った。
「宝塚で『冬ソナ』やれないかな。
いや、日本の劇団では宝塚以外では劇化できない」と。
宝塚ならヨン様役を誰がやっても、
ヨン様ファンには女ということで許してもらえるような気がするのだが。
ホント『青い鳥を捜して』をやるぐらいなら「冬ソナ」やったほうがいいような。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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