■■■AYAの観劇記■■■



ミュージカル
Dawn-ドーン・夜明け


シアター・ドラマシティ(大阪)

2001年11月25日〜29日


観劇日:2001年11月26日(月)19時(6列17番)

構成・演出・振付:謝珠栄

作曲:斉藤恒
作詞:謝珠栄・荻田浩一

【CAST】
姿月あさと
石原慎一
平沢智
奥山由美子
笠原竜司
伊藤明賢

   他


<はじめに>

 かくいう金子、
一応姿月あさとオフィシャルファンクラブのメンバーである。
なぜ入ったかというと、
ひとえに彼女のコンサートのチケットを取るため。
宝塚時代からのファンでもないし、人柄がどうこうでもないし、
あの歌が死ぬほど好きでもないし、
ま、ズンコほどの大物のコンサートは行って置きたい、
というミーハー心理だけである。
よって今回のこのミュージカルも、
ファンクラブでチケットを扱っていたので、内容も会報でわかるわな、
と思っていたら、会報もチラシもみてもさっぱり筋、
というものが分からなく、そのまま劇場にいってしまった。
「エリザベート」CDを2バージョンとも買ってしまったあとで、
懐が超さみしいので、「絶対、プログラムなんて買うものか」
と決めていたのだが、こうも筋がわからんままみていいだろうか、
と諦めの胸中でプログラム代を用意しかけて劇場の中に入った、
するとロビーに「あらすじ」なるものが書いて貼ってあるではないか!
1000円浮きましたぞえ。
そのあらすじを下に書く。


<あらすじ>

 現代社会に生きる、シンガーソングライター、ダイアンは
このところ自閉症で自殺願望すら持っている。
彼女が向き合うのはコンピューターだけ。
それでも上手くいかず、イライラしている。
そんな彼女のパソコンにある少年からのメールがはいる。
その少年は文明社会を拒否して一人で森に住んでおり、犬と友達になり、
ネイティブの年上者や自然から「自然の摂理」を学んでいる。
その学んだことをダイアンに送ってくるのだ。
しかし、少年も森のなかで一人でいるうちに「孤独」を感じ、
だんだんと「人間の存在」についても習得していく。
そして、山火事にあったのち、
ダイアンへのメールはぷっつり途絶えてしまう。
そのとき、ダイアンはその少年こそ、
死んでしまったと思っていた自分の弟だということに気づき、
自分も「孤独」の呪縛から解放されて旅にでるのだ。
2人には夜明け=Dawn が訪れたのである。

金子=筆。


HP主人森(=SUN)筆。

ズンコ(姿月あさと)のミュージカルね。
謝珠栄さんの作品とくれば興味がわく。
でも、あんまり・・っていうか 全く
よろしくなかったようだねえ。

でも、謝珠栄さんの演出・振付作品って
結構好きなのあるんです。

でも今回理屈っぽいか。
そっかー 今までは演出・振付に専念されていたのが
戯曲も手掛け出したからなのかな。
ああ、でもねえ、理屈はイカンよミュージカルに。
ミュージカルじゃなくっても
理屈だけで会話が展開される作品ってのは宜しくない。

言葉は理屈を伝えるが、
理屈は何も伝えはしない。

文字にした言葉だけで、伝えようとするから
理屈だけのモノになる。
舞台には、それを感情や感覚に昇華する役者がいる。
舞台美術、照明、衣裳、音響、音楽がある。
劇場という空間そのものがある。
そして観客がいる。
その存在を忘れて 言葉を紡いではイカンのです。

理屈だけの作品への全体論でした。
今回この作品は観てないんで。

ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。





[亜矢の観劇評]

<感想>

 なにがテーマか、といえば、
「自然回帰」と「人間存在」の賛歌だと思う。
割合でいえば前者80%、後者20%と感じた。
しかし、もう我慢できないので言ってしまう。

「金かえせぇ!」

本当に正直にいうが、金子、こう思ったことは生まれて初めてである。
ま、宝塚歌劇もヒドイ芝居はあるが、
あそこの場合ショーがついているので、
それで結構挽回されてしまって、
「ああみた」
となるのである。

1幕はほとんど、少年の「自然とのふれあい」で、
少年がびっくりすることも、
文明社会に生きる我々に容易に推察できることだったので、
「早くおわらない?」という気持ちで一杯であった。
幕が下りた時、初めての「金かえせ!」がでてしまった。
夜の公演だったので、
「夜も更けて帰るのが遅くなるので、ここでやめてもう帰ろうか」
とすら思ってしまった。

そして、2幕である。
今度は、もう5分おきに、
「あの、ちょっと休憩して、頭整理させてくれません?」
になってしまった。
上の2つのテーマでいいたいことは、
「自然の摂理には逆らえない」と
「(人間は)ひとりでいるけど、(本当は)ひとりじゃない」
ということなのだろう。
しかし、こんなシンプルなことを言うのなら、
そう理屈っぽくする必要はあるのだろうか?
次から次に、台詞だけならまだしも、歌を使っても理屈なので、
もう頭がぐるぐるしてきてしまった。
最後の方では、上演中にかかわらず

「自分はバカなのではないか?」

とすら思えてきてしまった。
それに、その理屈の台詞、歌、が
劇団四季なみに一語一句もらさず分かるなら救われるのだが、
そうはいかなかったので、段々眉間に皺がよってきているのを感じた。
ミュージカル、と銘打っている以上、いや、劇場という場でやる以上、
私はエンターテイメントであるべきだと思う。
観客の眉間に皺よらせていいのか?

私がいままで最低のエンターテイメントではないかと思ったのは、
観劇後脱力感におそわれた雪組バウホール「凍てついた明日」であるが、
今回は「なんやねん」と怒りがきてしまった。
「楽しい」とはぜんぜん感じなかった。

ま、謝先生の作品は、
前作「天翔ける風に」のときもむつかしく感じたが、
BS2の放送でみた父が「理屈っぽいなあ」と言っていた。
そういう作風なのだろうか。
でも、これ以上の理屈ぜめは受け入れられないだろう。
一観客がいうのもなんだが、もう一度

「エンターテイメント」=「楽しみ」

の根本に立ち返って創作していただきたい。
それと、テーマが2つ、というのは欲張りすぎだと思う。
「キャッツ」なんかがいい例であるが、テーマは1つ、
ぽーんと最後にクリアーに分かるのがベストだと思うのだが。
いかがでしょう。

あと、細かいことであるが、
少年がダンアンにメールしているシーンがないのに、
2人がメールで繋がる、というのも無茶すぎると思う。
また、スクリーンに映るダイアンからのメール文章が
変わるのが早すぎて読めないのは、トイレでほかの人も指摘していた。


まず、少年とダイアン2役のズンコさん。
元男役だし、現在はバリ島にお暮らしだそうなので、
自然の中で生きる少年役の方が時間も多くさいてあったし、良かった。
ダイアンの方はもう少し無機質な感じが欲しい。

このミュージカルの一番の見所といえば、
やはりズンコさんの歌でしょう。
曲数が多く、ご本人は大変かもしれないが、
裏声も大分でるようになってきたので良かった。
特に良かったのは、伸ばすところである。
これは圧倒的であった。
ただ、このミュージカルに出るなら、年末全国コンサートでもして、
好きな音域のあう歌でも歌ってるほうがいいのではないか、
とファンクラブメンバーとして思ってしまった。


第二の見所は、バックのダンサーの皆さんである。
布の間からでたり、ジャンプしながら舞台に登場など、
ダイナミックな、素人の私から見ても高度な振りが多く、
その上、1人が何役もしなくてはいけないので大変だと思う。
それをこなす体力だけでも尊敬してしまう。


あと、役としてあるのは犬の平沢智さんと
少年の年上の指導者の石原慎一さんだが、
平沢さんは少しさめた感じで、ダンスも良かった。
石原さんは「天翔ける風に」の時から思っていたのだが、
歌の歌詞がはっきりしないので、今回のように歌で理屈を語るのには、
少し・・・であった。


以上、ぜんぜんいいことを書いていない感想になってしまったが、
金子の思い違いであったらご容赦を。
読んでくださってありがとう。
また、筆者へのメールも募集しております。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□劇評■筆者□□□□
金子亜矢
bacew609@jttk.zaq.ne.jp
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