観劇日:2001年11月26日(月)19時(6列17番) 構成・演出・振付:謝珠栄 作曲:斉藤恒 作詞:謝珠栄・荻田浩一 【CAST】 姿月あさと 石原慎一 平沢智 奥山由美子 笠原竜司 伊藤明賢 他 <はじめに> かくいう金子、 一応姿月あさとオフィシャルファンクラブのメンバーである。 なぜ入ったかというと、 ひとえに彼女のコンサートのチケットを取るため。 宝塚時代からのファンでもないし、人柄がどうこうでもないし、 あの歌が死ぬほど好きでもないし、 ま、ズンコほどの大物のコンサートは行って置きたい、 というミーハー心理だけである。 よって今回のこのミュージカルも、 ファンクラブでチケットを扱っていたので、内容も会報でわかるわな、 と思っていたら、会報もチラシもみてもさっぱり筋、 というものが分からなく、そのまま劇場にいってしまった。 「エリザベート」CDを2バージョンとも買ってしまったあとで、 懐が超さみしいので、「絶対、プログラムなんて買うものか」 と決めていたのだが、こうも筋がわからんままみていいだろうか、 と諦めの胸中でプログラム代を用意しかけて劇場の中に入った、 するとロビーに「あらすじ」なるものが書いて貼ってあるではないか! 1000円浮きましたぞえ。 そのあらすじを下に書く。 <あらすじ> 現代社会に生きる、シンガーソングライター、ダイアンは このところ自閉症で自殺願望すら持っている。 彼女が向き合うのはコンピューターだけ。 それでも上手くいかず、イライラしている。 そんな彼女のパソコンにある少年からのメールがはいる。 その少年は文明社会を拒否して一人で森に住んでおり、犬と友達になり、 ネイティブの年上者や自然から「自然の摂理」を学んでいる。 その学んだことをダイアンに送ってくるのだ。 しかし、少年も森のなかで一人でいるうちに「孤独」を感じ、 だんだんと「人間の存在」についても習得していく。 そして、山火事にあったのち、 ダイアンへのメールはぷっつり途絶えてしまう。 そのとき、ダイアンはその少年こそ、 死んでしまったと思っていた自分の弟だということに気づき、 自分も「孤独」の呪縛から解放されて旅にでるのだ。 2人には夜明け=Dawn が訪れたのである。 金子=筆。 HP主人森(=SUN)筆。 ズンコ(姿月あさと)のミュージカルね。 謝珠栄さんの作品とくれば興味がわく。 でも、あんまり・・っていうか 全く よろしくなかったようだねえ。 でも、謝珠栄さんの演出・振付作品って 結構好きなのあるんです。 でも今回理屈っぽいか。 そっかー 今までは演出・振付に専念されていたのが 戯曲も手掛け出したからなのかな。 ああ、でもねえ、理屈はイカンよミュージカルに。 ミュージカルじゃなくっても 理屈だけで会話が展開される作品ってのは宜しくない。 言葉は理屈を伝えるが、 理屈は何も伝えはしない。 文字にした言葉だけで、伝えようとするから 理屈だけのモノになる。 舞台には、それを感情や感覚に昇華する役者がいる。 舞台美術、照明、衣裳、音響、音楽がある。 劇場という空間そのものがある。 そして観客がいる。 その存在を忘れて 言葉を紡いではイカンのです。 理屈だけの作品への全体論でした。 今回この作品は観てないんで。 ってなことで、金子さんの劇評いってみよう。 [亜矢の観劇評] <感想> なにがテーマか、といえば、 「自然回帰」と「人間存在」の賛歌だと思う。 割合でいえば前者80%、後者20%と感じた。 しかし、もう我慢できないので言ってしまう。 「金かえせぇ!」 本当に正直にいうが、金子、こう思ったことは生まれて初めてである。 ま、宝塚歌劇もヒドイ芝居はあるが、 あそこの場合ショーがついているので、 それで結構挽回されてしまって、 「ああみた」 となるのである。 1幕はほとんど、少年の「自然とのふれあい」で、 少年がびっくりすることも、 文明社会に生きる我々に容易に推察できることだったので、 「早くおわらない?」という気持ちで一杯であった。 幕が下りた時、初めての「金かえせ!」がでてしまった。 夜の公演だったので、 「夜も更けて帰るのが遅くなるので、ここでやめてもう帰ろうか」 とすら思ってしまった。 そして、2幕である。 今度は、もう5分おきに、 「あの、ちょっと休憩して、頭整理させてくれません?」 になってしまった。 上の2つのテーマでいいたいことは、 「自然の摂理には逆らえない」と 「(人間は)ひとりでいるけど、(本当は)ひとりじゃない」 ということなのだろう。 しかし、こんなシンプルなことを言うのなら、 そう理屈っぽくする必要はあるのだろうか? 次から次に、台詞だけならまだしも、歌を使っても理屈なので、 もう頭がぐるぐるしてきてしまった。 最後の方では、上演中にかかわらず 「自分はバカなのではないか?」 とすら思えてきてしまった。 それに、その理屈の台詞、歌、が 劇団四季なみに一語一句もらさず分かるなら救われるのだが、 そうはいかなかったので、段々眉間に皺がよってきているのを感じた。 ミュージカル、と銘打っている以上、いや、劇場という場でやる以上、 私はエンターテイメントであるべきだと思う。 観客の眉間に皺よらせていいのか? 私がいままで最低のエンターテイメントではないかと思ったのは、 観劇後脱力感におそわれた雪組バウホール「凍てついた明日」であるが、 今回は「なんやねん」と怒りがきてしまった。 「楽しい」とはぜんぜん感じなかった。 ま、謝先生の作品は、 前作「天翔ける風に」のときもむつかしく感じたが、 BS2の放送でみた父が「理屈っぽいなあ」と言っていた。 そういう作風なのだろうか。 でも、これ以上の理屈ぜめは受け入れられないだろう。 一観客がいうのもなんだが、もう一度 「エンターテイメント」=「楽しみ」 の根本に立ち返って創作していただきたい。 それと、テーマが2つ、というのは欲張りすぎだと思う。 「キャッツ」なんかがいい例であるが、テーマは1つ、 ぽーんと最後にクリアーに分かるのがベストだと思うのだが。 いかがでしょう。 あと、細かいことであるが、 少年がダンアンにメールしているシーンがないのに、 2人がメールで繋がる、というのも無茶すぎると思う。 また、スクリーンに映るダイアンからのメール文章が 変わるのが早すぎて読めないのは、トイレでほかの人も指摘していた。 まず、少年とダイアン2役のズンコさん。 元男役だし、現在はバリ島にお暮らしだそうなので、 自然の中で生きる少年役の方が時間も多くさいてあったし、良かった。 ダイアンの方はもう少し無機質な感じが欲しい。 このミュージカルの一番の見所といえば、 やはりズンコさんの歌でしょう。 曲数が多く、ご本人は大変かもしれないが、 裏声も大分でるようになってきたので良かった。 特に良かったのは、伸ばすところである。 これは圧倒的であった。 ただ、このミュージカルに出るなら、年末全国コンサートでもして、 好きな音域のあう歌でも歌ってるほうがいいのではないか、 とファンクラブメンバーとして思ってしまった。 第二の見所は、バックのダンサーの皆さんである。 布の間からでたり、ジャンプしながら舞台に登場など、 ダイナミックな、素人の私から見ても高度な振りが多く、 その上、1人が何役もしなくてはいけないので大変だと思う。 それをこなす体力だけでも尊敬してしまう。 あと、役としてあるのは犬の平沢智さんと 少年の年上の指導者の石原慎一さんだが、 平沢さんは少しさめた感じで、ダンスも良かった。 石原さんは「天翔ける風に」の時から思っていたのだが、 歌の歌詞がはっきりしないので、今回のように歌で理屈を語るのには、 少し・・・であった。 以上、ぜんぜんいいことを書いていない感想になってしまったが、 金子の思い違いであったらご容赦を。 読んでくださってありがとう。 また、筆者へのメールも募集しております。 金子亜矢 bacew609@jttk.zaq.ne.jp □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ |