12月31日
 今週怠っていた原稿を必死で書く。
 ふと気が付くとノドが完全にいかれ、ガラガラ声になっている。それもまぁ仕方が無い。むしろ自分のノドにはレコーディングとライヴが続く間よくもってくれたと言ってやるべきかも知れない。
 普段だったらあれだけミスをおかしたライヴの翌日はドヨ〜ンと落ち込むところ。だが斉藤ケーシンとお客さんには本当に申し訳ないのだが、今日はちょっと違う。26日から30日にかけて、自分の集中力の限界まで音楽に浸ることができたことの方があまりにも幸福で、自分の内面としては、落ち込むというよりも、何か出し尽くしたというような充実感の方が大きいのだ。
 もちろんもっとタフになって、今回のスケジュールくらい楽勝で乗り切れるようになりたいという欲もあるけれど。
 まぁこんな幸福な年末を迎えられたのも、僕を応援してくれる人達がいるからこそ。どうもありがとうございました。こんなだらしなくふてぶてしい人間ですが、来年もよろしくお願いします。
 
そしてみなさま、良いお年をお迎え下さい!



12月30日
 午後3時にやってきた斉藤ケーシンとひとしきり歓談の後、二人で一時間だけスタジオでウォーミング・アップ。
 午後5時半にマザーに入って会場の設定。実際に演奏を始めたのは7時20分。しかしどうもこれまでのライヴとは勝手が違った。思いきり入り込める瞬間と、どうしようもなく集中力が散漫な瞬間が交互にやってきて、普段だったら考えられないようなミスを繰り返し、斉藤ケーシンの足を引っ張りまくる。自分の抱えたコンディションの中でベストは尽くそうとしたのだが、どうしようもなかった。それでもお客さんに温かい拍手をいただいたのは、せめてもの救い。
 自分達のステージが終わった後で、僕はKALAS with 山田淳と、彼らの代表曲「月を越えよう」にセッションで参加。そこでようやく思いきりいけたような気がしている。
 ライヴ終了後は知人にレコーディングのラフ・ミックスを渡し、電車を逃した友人と結局始発まで飲む。


12月29日
 レコーディングの興奮が持続していて、体はくたくたなのに4時間ほどで目が覚めてしまう。夕方から学生時代の友人の忘年会に顔を出し、帰りにNeverNeverLandによって、明日のライヴで使うマイク・スタンドとマイクを借りて帰宅。早く寝ようとするのだが、結局朝6時近くまで寝付けなくなってしまっている。


12月28日
 レコーディング当日。正午にスウィング・バンブー・スタジオに入る。今回レコーディングするのは「BLUE BOY」「BOYS ON THE EDGE 2003」「光の中へ」の3曲。
 26日に書いたような事情で、この『花よ 大地よ 月よ 銀河よ』の内容はかなりヘヴィだ。しかも「光の中へ」だけは今年完成した曲だが、「BLUE BOY」は15年前、「BOYS ON THE EDGE」も12年前に書いたもの。特に「BOYS ON THE EDGE」は、ヘヴィすぎるのでライヴでも数えるほどしかやってこなかった。放ちたいのに放つきっかけがなかった自分の想いをようやくこうして形にできる喜びは格別である。

 それにしてもTeaserのリズム・セクションの素晴らしさ! そして一番足を引っ張るのは、やはり自分のギターとヴォーカル(苦笑)。
 今回は僕のソロ名義ということで、選曲、曲順、アレンジなどは、僕の独裁。それにもかかわらずメンバー全員が、リズムを録り終わってからも、コーラスでも貢献してくれたし、全ての行程に立ち会い、見守ってくれたのは、ありがたいとしか言いようがない。

↑「光の中へ」でコーラスを入れるメンバー。
(左から
ユーピン、斉藤ケーシン、伊藤孝喜)

 ア〜ンド斉藤ケーシン!! 実は彼はこうした正規のレコーディングは初めてなのだが、本番での強さには恐れ入った。エレキでの活躍はもちろんだが、彼のアコースティック・ギターが、全体にものすごい広がりを出してくれたし、「BLUE BOY」での彼のコーラスは、ヘヴィな歌詞をポジティヴに聴かせるために素晴らしい貢献をしてくれた。
 結果的に「本当に4人だけで演奏しているの?」といわれるくらい振り幅の広い音作りになったと思う。でもこれはこの4人でなければ絶対にあり得ない音楽なのだ。
 スタジオでは別の部屋でパンタがリハをやっていたりという状況の中、途中で顔を出してくれた
塚本晃に「俺はメンバーに恵まれている!」と思わずのろけてしまった。(一方で塚本と伊藤孝喜の絆の強さにはやけたりすることもあるんですけどね)


↑アコースティック・ギターをダビングする斉藤ケーシン



いっさい力を出し惜しみすることなく、全ての行程を支え、27時レコーディング終了直後に力尽きたリズム・セクションの二人


 27時半にラフ・ミックスを受け取り、地獄の底から復活したメンバーと共に渋谷に。29時、居酒屋にて祝宴を終え、帰宅。
 31時、ヘッドフォンでラフミックスを爆音で聴きながら、狂喜乱舞してから就寝。

 メンバーのみんな、エンジニアの鈴木さん。
本当に本当にありがとうございました!

 さて、
30日のアコースティックTeaserではケーシンとのデュオで素晴らしき今年を締め括るぞ〜!!


12月27日
 昨日と同じくたっちゃんのスウィング・バンブー・スタジオで、午後3時〜7時までリハ。徐々に自分の精神状態が特殊なモードに入っていくのが分かる。

12月26日
 たっちゃんのスウィング・バンブー・スタジオで、午後3時〜7時まで、レコーディングのためのリハ。今回の作品は、メンバーは、伊藤孝喜、斉藤ケーシン、そしてユーピンと、要するにTeaser。しかし名義はあえて僕のソロにさせてもらった。タイトルは『花よ 大地よ 月よ 銀河よ』。
 そもそもこの作品を作ろうと思ったのは、このホームページの中で
「カンボジア−−天女の生きている国、戦争のあった国」というコラムを連載してくれている山中ひとみさんが、僕らにとってあまりにも深刻な影響を与えた加藤仁という大切な友人が亡くなってから来年でちょうど20年になるので、イヴェントをやろうと発案したのがきっかけ。僕の歌の原点は、加藤仁に死なれた悔しさをぶちまけざるを得なかったところにあるので、そうした追悼の想いを込めた歌をひとつの作品としてまとめ、イヴェントに来てくれた人や遺族の方達に渡したい、という非常に個人的な動機からスタートしているので、バンド名義にすることでメンバーにそうした思い入れを共有することを強制するのは抵抗があったのだ。
 リハ終了後はスタジオの近くの飲み屋で気勢を上げ、さらに下北沢に移動して、石毛さん達と合流して、計三軒をハシゴ。
 

12月23日
 
今週後半からはレコーディングとライヴに専念したいので、出来る限りの原稿を書いておく。ひと息ついたところで、30日のライヴでジョイントするKALASから電話が入り、きゅうきょ午前一時から地元のスタジオでセッションのためのリハを行う。
 今回は彼の曲をいっしょに歌うつもりなのだが、聴こえて覚えているメロディと実際に本人が歌っているメロディの微妙な違いが分かってとても面白かった。その後は地元でほんの一杯だけ。弾き語りで全国を回っている彼のツアーの話に抱腹絶倒。本当にタフでなければ弾き語りのツアーなんてできないものだ、と感心させられた。


12月22日
 
新宿の厚生年金会館にて安全地帯のツアー最終日。玉置浩二はヴォーカルものりまくっていたし、エレアコのカッティングが素晴らしく快い。このツアーは初日の9月5日も見ているのだが、その時に較べると、バンドとしての一体感も見事なまでにパワーアップしていた。特に田中裕二のドラムスは、9月に見たときとはまるで別人のよう。編成としてはソロ名義でライヴをやっていた時期と大きく異なるわけではないのだが、きっと約10年ぶりに安全地帯を名乗ることで、各メンバーが背負うものはかなり違うのだろう。
 客席の空気も非常に熱っぽかった。
 これで来年以降、武沢豊もライヴに復帰したならば、さらにすごいことになりそう。そうなることを切に願いたい。


12月21日
 
下北沢の ぐ にて朴保の忘年ライヴ・パーティ。詳細は朴保MUSEUMの中の朴保ライヴ日誌を参照。 


12月19日
 
斉藤ケーシンとアコースティックTeaserのリハ。今月は30日のライヴ直前にレコーディングがあるので、事前にライヴの方の選曲などを決めておく必要があったのだ。
 結果的にかなり欲張りな構成になってしまった。後は体調と気力を整えていかなければ。


12月18日
 
他に見たいライヴもあって迷ったのだが、結局昨日に続いてリキッドルームにてソウル・フラワー・ユニオンへ。今日のフロント・アクトは女性ヴォーカリストと男性ベーシストのユニット桃梨。ベースのJIGENは昨年から頭脳警察でも活躍している人物である。民謡カヴァーなどにも積極的なヴォーカルと、ファンキーで骨太なベースのコンビネーションが面白い。
 ユニオンは昨日のメンバーに内海洋子がゲスト参加。曲も「戒厳令下」など、意外なものがあって、連ちゃんでも楽しめる構成になっていた。
 しかしこの2DAYSの究極の醍醐味は桃梨とのセッションで行ったアンコール。ツイン・ベースによる「もののけと遊ぶ庭」のド迫力には思わず我を忘れて盛り上がってしまった。JIGENのアクションも演奏も圧倒的。こうした野性味のあるユニオンを今後も見てみたいものだ。


12月17日
 
今日入るはずだった仕事が延期になり、行けないと思っていたリキッドルームにてソウル・フラワー・ユニオン。フロント・アクトのズボンズを見るのはかなり久しぶりだが、すごいテンションのライヴ・バンドになっていた。歌詞はほとんど聞き取れないのだが、フロント、ドン・マツオの危険なほどのエネルギーをまき散らすパフォーマンスが素晴らしい。
 ユニオンは中川、河村、奥野、伊藤、山口と珍しく全編男だけのステージ。お囃子のパートを山口がメモを手にしつつやる献身ぶりが、微笑ましい。


12月13日
 
斉藤ケーシンとアコースティックTeaserのリハ。風邪をひいてからずっとノドの調子が悪かったのだが、ようやく本調子で声が出るようになってきた。こうなるといきなり元気が良くなってくるのは、我ながら単純だなと思う。


12月9日
 
さいたまスーパーアリーナにて“ジョン・レノン スーパーライヴ”の記者会見&ライヴ取材。記者会見では僕が大好きなオノ・ヨーコに質問できるとあって、ついファン心理むき出しの質問をしてしまった。
 ライヴ本編はトータス松本、山崎まさよし、坂本龍一など、豪華な顔ぶれが登場し、いずれもかなり良かったのだが、最後に出てきたオノ・ヨーコが「I LOVE YOU!」と一声放つだけで、場内の空気を全部かっさらってしまう。アンコールは「イマジン」の合唱というベタな構成で、シニカルな僕としては恥ずかしくなってしまいそうなものなのだが、涙をこらえながら声を放っているヨーコを見ていたら、完全に引き込まれてしまった。これぞ音楽のマジック。ヨーコさん、はやく自分のライヴも日本でやってください!


12月8日
 
恵比寿ガーデンホールにて“ケルティック・クリスマス”。ただここのところとばしすぎたやめかバテ気味で遅刻したら、ハウゴー&ホイロップはすでに終わり、ダーヴィッシュの演奏中だった。それでもキャシー・ジョーダンのヴォーカルは華奢なようで実は逞しく楽しめた。トリはアイリーン・アイヴァース・バンド。NYを拠点としているようでパワフルなミクスチャー感覚が楽しい。アイリーンのフィドルも豪快だが、個人的にはChulo Gatewoodのベースにも惚れ惚れした。

12月7日
 
ユーピンの友人達と共に初台ドアーズにて、原爆オナニーズと外道を見る。どちらも以前見てから10年位経っているはず。意外な顔合わせに見えるかも知れないが、実は原爆オナニーズは外道のカヴァーなどもやってきているのである。原爆オナニーズは前半はオリジナル、後半はカヴァーという構成で、20年前に結成されて以来、一貫してパンク・ロックを追求してきた彼らのバックボーンもよく分かる選曲だった。ノリまくる観客とバンドとのやり取りが、なんともあったかい。フロント、TAYLOWのアクションがどことなくユーモラスで、人柄の良さがじわっと伝わってくる。嬉しそうにゆったりとヘッド・バンキングをしているユーピンの姿に、元スターリンの横顔を見る思い。
 外道は相変わらず音数の多い加納秀人のギターをガンガン聴かせる。でもテクニックで押し切るのではなく、観客にも声を出させようと仕切る仕草がどこかおちゃめ。フュージョンにもハード・ロックにも収まり切らない独特のスタンスは、筋金入りだ。
 外道の演奏に原爆オナニーズのメンバーがコーラスで参加したアンコールも楽しかった。

 終演後、初台で飲んでからは下北に戻って
KALASと30日のライヴの打ち合わせ。ライヴ告知の情報も更新しておいたのでご覧下さい。


12月6日
 
昨日インタヴューしたトム・ラブランクが、千駄木の古本屋ほうろうにてポエトリー・リーディングのイヴェントを行うので出かけていく。ここではしばしばこうしたイヴェントが行われているらしい。司会はムロケン、山口洋がエレアコ、細海魚がアコーディオンで共演。
 最初はトムが一人で朗読を行ったのだが、マイクへの声のノセ方が半端じゃなくすごい。パフォーマンスが始まると同時に異界に引き込まれたよう。中学生の時にドアーズを初めて聴いた時の、怖いようなドキドキするような気分を思い出した。
 山口と細海は途中から演奏に加わった。山口はエフェクトを駆使してエレアコの音色を縦横無尽に操る。しかも即興で! そして演奏している時の山口の表情は、エゴのカケラさえもなく、彼自身が音そのものになっているかのよう。透明に透き通っていきそうな美しさに思わず息を飲む。リスペクトする対象に自分を委ね、自我を明け渡さなければ、ここまで純化された表現はできないのではないだろうか。それにしてもあの頑固なロケンローラーが、こんな演奏を聴かせるとは! 
 年明けの山口の新バンドの始動もメチャクチャ楽しみになってきた。
 終わってからも興奮はさめず、現地であったライターの友人と千駄木で飲む。終電ギリギリで下北に戻ってからは、一人でNeverNeverLandに繰り出し、そろそろ帰ろうとしたところで今度は
ユーピンと遭遇。結局朝5時過ぎまで飲んでしまった。


12月5日
 
MUSIC MAGAZINEの取材で、スー族の母親と日系アメリカ人の父親の間に生まれた詩人、トム・ラブランクにインタヴュー。12月18日にリリースされる『イーグル・トーク』は、山口洋と細海魚が、演奏でバックアップした傑作である。既成のジャンルに収まりようのないこの作品を、世に送り出すために大活躍したのは山口洋。ギターも素晴らしいが、彼のスタッフ・ワークもスピリチュアルとしかいいようがない。そのいきさつは山口洋の日記にも詳しく書かれているので、興味のある方は是非、山口洋のホームページの中の“ROCK'N ROLL DIARY”をご覧になることを強くお薦めする。
 ところでトム・ラブランクとは、もうひとつステキな因縁がある。僕が朴保のレパートリーの中で最も好きな「ONENESS」は、トムの書いた詩に朴保が曲を付けて歌っているものなのだ。この詩は今回の『イーグル・トーク』の中で、トム本人も朗読している。
 当然、インタヴューする僕としても燃えざるを得ない。事前の準備として彼の半生を綴ったブックレットの他、編集者のアドヴァイスに従って、豊浦志朗(=船戸与一)の「叛アメリカ史」(ちくま文庫)にも目を通した上で、音楽だけでなく先住民族の運動にもつながるような質問も用意した。
 実際に対面したトムは、CDで朗読している時そのままの深い低音で、こちらの質問に穏やかかつユーモラスに応えてくれた。彼が作品の中でネイティヴ・アメリカンという言葉でなく、インディアンという言葉を頻繁に使う理由、先住民族の問題に取り組む中で出会った喜納昌吉の印象など、かなり興味深い話をきくことができたと思う。

 それにしても「叛アメリカ史」という本もちょっとした衝撃だった。最初に出版されたのは1977年と、四半世紀も前に出された書物だが、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーン、セオドア・ルーズベルトといった近代史上の偉人が、ことごとくアメリカ・インディアンの掃討政策を押し進めた人物として、イメージが反転してしまう。
 大学時代の前半に、僕は南北問題のゼミに入っていた。その頃にやはりこうしたいきさつを知った時に、「デモクラシーの正当性の根拠をどこに求めたら良いのか」というようなことを発言しようとしたら、当時の担当の教授が慌ててそうした疑問を回避した議論に持っていったことを思い出した。もちろんそれから20年も経った今になってみると、教授の進め方ももっともだと思う。要するにそんなことまで思い出すような取材だったということだ。

 そうした中でトムは、歴史への報復ではなく、平和を愛するアメリカ・インディアンのスピリットを音楽を通して伝えることに可能性を感じるということをニコニコと語ってくれた。
 取材を終えての別れ際に、『イーグル・トーク』をリリースするリスペクトレコードのガンちゃんが言った「きな臭いご時世だからこそ、年内にリリースすべきだと思った」という言葉も、まさにトムの考え方をきちんと受け止めた発言だと思う。
 しかしながらジャンルで括りようのない作品だけに、レコード店によっては本作をサントラやヒーリング・コーナーに置こうとするところもあり、対応に苦労しているとのこと。伝えられるべきことがそれにふさわしい方法を得て、きちんと広がっていくことを、僕も心から願う。


12月4日
 
プレイヤーのライヴ取材でNHKホールの元ちとせ。先週の大阪公演と今日が彼女にとって初めてのワンマン・ホール公演であるが、そうとは思えないクオリティの高さ。KYONをバンマスとするバックのアレンジも舞台の演出もまったくスキがない。しかも恐るべきことに、彼女の歌は場合によってはそうしたアレンジや演出さえも説明過剰に感じさせるほどの堂々たる説得力を放っていた。ライヴ2曲目の「ハイヌミカゼ」で、すでに涙が出てきてしまったのには我ながら驚く。
 すさまじいライヴを目撃してしまった。おそらく今日の公演は後々まで語り草となるに違いない。


12月2日
 
赤坂BLITZにてUA。まず開演前に布をびっしりと張り巡らせた舞台美術に仰天。アコースティックな要素と音響的な要素を合体させたディープな音作りにもびっくりさせられた。ビートでのせるようなことをあえてせず、イマジネーティヴなアレンジと歌声の説得力に賭けようというステージなのだ。感動したというほど入り込めたわけではないし、入り込みやすいステージとは思えない。僕の耳ではまだとらえ切れていない部分がたくさんあるような気がする。だがお手本のないことにものすごい集中力で取り組んでいる姿に、何だかよく分からないうちにひたすら圧倒されたという印象。
 ASA-CHANG、朝本浩文、鈴木正人、大野由美子、名越由貴夫、坂本弘道、勝井祐二という顔ぶれもあまりに豪華だが、それ以上にAJICOの活動を終了してから、短い間にここまでのことをやり遂げたUAのエネルギーが素晴らしいと思う。