映画「愛よりも非情」には、サーカスのライフル撃ちのフランチェスカ・ネッリさんとアントニオ・バンデラスとのロマンチックなラブシーンがあります。●それで、君は何人の男と付合ったの?このときのアントニオの「私」(Yoヨ)は、とてもきれいに響いて聞こえます。明るくてきれいな音です。ところがメキシコの美声ルイス・ミゲル君も南LAのロス・ロボスも、CDではみんな(Yoジョ)。ジョ テ キエロハ(Yo te quiero.-あなたが欲しい)。嫌なんですね〜気になりますね〜。南米のスペイン語って、どうしてそうなの?スペインから南アメリカに移民すると、なんで濁っちゃうのかな。いつごろからジョになったんだろう?あっ、17世紀、ゾロのころのカリフォルニアは、どう発音してるのかしら?って、あの映画は英語でしたね。
●もう、やきもちをやいてるの?それなら、あなたは?
●僕?僕が何人の男と付合ったかって?
ところが最近のスペイン映画「週末の惨劇」なんかでは、ジョなんですよ。アメリカかぶれ、かしら?それとも、国際化?アントニオのYo が、きれい過ぎるのかなあ。
**なんと、「オ−プンユアアイズ」のえぐい美青年エドアルド・ノリエガ君のお母さんはアルゼンチンの人だそうな。スペイン映画界には南米出身者が多いのかも。**
「私たち」は(nosotrosノソトロス)。長いです。こんなに大事な単語が、本当にこんなに長いのか?ホントに使っているのかなあと、思ったら。●俺が話してるのは、あの女の子のことじゃない。俺たちのことなんだよ。「暴走遊戯」の友達がアントニオに言い聞かせるところ。敵側スペインの女の子と付合い始めたアントニオを、バスク独立の闘士に引き戻そうとして、というよりも、女より俺を選べと言う嫉妬心〜。もちろんアントニオも彼の気持ちは重々承知。色っぽいなあ。このときの「俺たち」は、長くて言いにくくて、力こもってて、迫力あります。