---スペイン語映画のお楽しみ。2004年の感想文---

◆◆◆◆◆◆◆ジャスティス 闇の迷宮◆◆◆◆◆◆◆1 Sep. 2004
Imagining Argentina
*NEW*
アントニオ・バンデラスの2003年度アルゼンチン映画ジャスティスはエマ・トンプソンを迎えて,ベニス映画祭のオープニングを飾りました。この映画は多分、俳優バンデラスの大切な映画の一つなのだと思います。
アントニオの父親像は共感できないし、超能力を得ると言う胡散臭い仕様に仕立てて、しかもエンタティメントとしても成功していない様だし。しかし。
映画が始まると、アントニオの柔らかい声が続いていきます。 長く連れ添った恋人の耳もとに話すみたいに、あるいは愛娘の手を取って話し聞かせる様に、哀しみに付き添う様にナレーションは続いていきます。単なるデータ。失踪者の記録から、私たちは何を想像できるでしょうか。
それから、私たちの時代に起きたアルゼンチンの哀しい事実を、映画は一つ一つ映像でなぞって行いくのです。たとえば、
---深夜に恋人の名を叫ぶ、連れ去られて行く女。
---下着のまま銃殺される少女。
---教会から公然と拉致される尼僧。
---路上に残された靴を壁に掲げて、落とし主の声を届けようとする女。
市井の人たちのきれぎれの記憶を連ねて、こんなことも、こんな事もあったのだと語る。
ストーリーよりも先に、70年代のアルゼンチンが忘れないで,思い起こしてと語ってくるようです。
そう古いことではありません。現場に居た人たちは今もそこで、変わらずに生きているのでしょう。加害の側も残された家族も。悲しいと言って生きる。辛いと言って生きる。
今の生を引き受けて戦うだけ。耐える事はぶざまではなく、
闘いは英雄だけのものではない。

印象的な場面がいくつかありました。アウシュビッツを語ったのは、映画人としてスペイン語圏の人間として、広告塔としてのアントニオに何が出来るのか、一連のホロコースト映画に習う決意があるのかもしれません。ただ,違うのは、民族の問題にしていなかった事でしょうか。アルゼンチンだけではないと、未来へも目が向けられた事でしょうか。
銃を構えたカルロスが撃たなかった事、死のうと思って海に沈み,死ななかった事。苦しいと言い続ける事を選んだ事。生きるという事は無条件ですばらしい事だと私は信じているのだけれど、ただ一市民として生きるという事が何と雄々しい事か。これは映画ではなくて、アントニオの演劇人生を言ってるのだけれども。(^-^)
事実からすくい上げられたシーンは、象徴的で胸を打ちます。
でも、レイプのある映画は嫌い。あちこちは忘れてしまいました。もう一度見る気はしないし。
大切な秘密の様に辛い映画はリボンをかけて、封印してしまいましょう。その時代を生き延びた女たちの、恐ろしい傷の様に。
でもそれは多分、アントニオが願った意図とかなり、違うだろうなあ。


参考:エンディングにアントニオ・バンデラスの歌う「マリアマリア」は、アルゼンチンの世界的歌手メルセデス・ソーサが歌っている。彼女はこの映画の時代に、これからはフォルクローレばかりではなく政治的な歌を歌っていくと公言し、ライブの途中で逮捕、投獄された。翌79年に国外追放になり渡欧。83年までマドリード他で歌い続ける。アントニオが移動劇団を止めてマドリードにやってきた時期でもある。

ふろく:イメージすること、について、あれこれ。
映画の中で、非力なカルロスが「想像する」ことは誰にも止められない。と語る場面がある。演劇は嘘を語って真実を露呈してみせることがある。観客の「想像する」ちからを、喚起するからだ。それはアートも文学も同じだけれど。アントニオが移動劇団をやめたころ、スペインでも軍に批判的という理由で劇団員が逮捕される事件があった。舞台芸術はもっと安価で効率的?な映画に、やがてアニメに変転していってるけど、アントニオはやはり舞台、なんだなあと思わせる情景も見所の一つ。
アントニオはサベラ基金のために、ジョンレノンのイマジンを歌っています。アントニオのイマジン、好きです。    

 ”君たちは僕の事を夢想家と言うだろうけれど
   ”いつかは君も同じ夢をみるといいね。
   ”そうして世界はひとつみたいになるんだね。
想像力過多だと、幻視妄想の世界「禁断の掲示板」の世界に入っちゃうけどね。アントニオと同じ夢、見たいですー。

***あらすじ***
70年代、アルゼンチンでは人が分けも無く「失踪」し、それを追求する人も少なかった。言えば「失踪」してしまうからだ。カルロスの妻セシリアは記者としてこれを取り上げる。その時から家族と友人を巻き込んで、カルロスの戦いが始まった。「失踪」した人の姿が幻視されるのだ。彼は友人や娘の死を,まざまざと見るのだった、、。

◆◆◆◆◆◆◆レジェンド・オブ・メキシコ◆◆◆◆◆◆◆

*遅すぎた復習
ロドリゲス監督の映画は文句無く楽しめる。スパイキッズやフロムタスク・ティル・ドーン、パラサイトも、楽しいティーンエイジ映画だった。でも、サン・ミゲル・アジェンデという町で撮影されたこの映画は、ちょっと違う味付けがしてあった。イザベル・アジェンデの2つの映画に出演し、抹殺者の主演をして、イメージング・アルゼンティーナを制作・主演したアントニオ風味たっぷりなのだった。
選挙で選ばれた大統領がクーデターで暗殺される、その後将軍が国を制圧した後、米国がそれを壊す、または維持する。という物語を、チリで、エルサルバドルで、アルゼンチンで繰り返し語ったアントニオは、、、。そう、今回ついに、ついに反撃に出たのでした!
クーデターに反対する市民が、市街戦を繰り広げる中、名無しのマリアッチは大統領の命を救うのです。折しもそれは死者の日。亡者の仮面をつけた無名の市民たちが、装甲車に対抗する。「市民が、大統領、あなたを守ろうと戦っているのですよ!」ああ、何ということでしょう。歴史は代えられないけれども、伝説は新たに生まれ、人の心に灯り続けるのでしょうか。
アントニオが国旗を肩にかけている写真をみて、おかしいなあと思ったのです。これじゃあまるで愛国者のメル・ギブソンだなあ。コスモポリタンの彼らしくないなあって。メキシコの子を名乗り、事実ではなく伝説と言うこの娯楽映画で、メキシコの名の陰に隠れて、アントニオはチリの亡者たちの遅すぎる復習を遂げようとしたのでしょうか。なるべく、誰も傷つけないように、映画で復讐、ですが。
ウィレム・デフォーを悪役に迎えて、バウンティ・キッドの様な、上質な映画になりました。でも、もっとラブシーンがあってもよかったけど。
それから、あのジョニー・デップは素晴らしかったです。ゴスな少女たちでなくとも、歌舞伎で言えば助六さん、夢中になりますとも。
***あらすじ***
大統領暗殺をはかるマルケス将軍を殺すために雇われた名無しのマリアッチ。しかし彼はサンズCIA捜査官の筋書きに従わず、大統領救出に向かう。

◆◆◆◆◆◆◆捕われの唇◆◆◆◆◆◆◆

*


***あらすじ***
目次にもどる BackNoeDoll+Dogs のHPの始めにもどる Top ReikoさんのHP AB-Labにもどる

Lastmodiffied:3/Sep/2004   CreatedByEtsuko