エルヴィスは、そこにいた 
1999年11月22日、東京国際フォーラムにて

1.

 1999年11月22日。ETC初日。晴れ。午後6時。
 日が暮れ、人工色の華やかな光で満ちあふれる銀座の街から、くすんだ有楽町駅を横目に、コンサート会場である真新しくそびえる東京国際フォーラムへと向かう。
 左側奥、これからコンサートが行われるフォーラムA。その向かい側右手に、透き通った巨大なオブジェのようなフォーラムGが立っている。その巨人の向こう側に小さく切り取られた黒い夜の空を、美しい白い月がゆっくりと昇ってゆくのを見た。
 満月にきわめて近い大きな月は、これから繰り広げられるであろう流れ来る時間に対して大きく胸を膨らませている私達を、低く暖かく見守っている。
 AとGの間の底に、ほの暗く浮かび上がる細長い路地。そこに低く植樹された木々達は、私達にその未来の歌を歌ってくれるのだろうか。
 入口近くに敷き詰められた暖かいクリーム色をした光を放つ足許の石板は、私達にその過去の物語を語りかけてくれるのだろうか。

2.

 午後7時15分。
 日本で初めてのエルヴィス・ザ・コンサートが、たった今、始まった。
 「2001年宇宙の旅」のテーマが始まる。ピアノのとても低い音が場内に力強く鳴り響く。オーケストラが、ホーンズが、ティンパニが、コーラスが、大きな会場をじわじわと包み始める。サーチライトが、包み込まれた会場を、グルグルと照らし出す。興奮してきた。
 息を詰めてステージを見つめる観客達の思いが、ひしひしと伝わってくる。意識はステージに集中している。
 突然、TCBバンドの躍動するリズムが、観客席にたくさんの矢を放ち始める。「シー・シー・ライダー」の、ホーン・セクションのイントロがはじまる。今まで何度となく耳にしてきた、あのパラッパー、パラッパーのフレーズが、生の演奏で場内に響きわたる。期待は、頂点に達する。
 さあ、そして、いよいよエルヴィスの登場だ!
 巨大スクリーンに

 …

 正直に告白しよう。

 私は、はじめ、のれなかった。
 この主人公のいない前代未聞のコンサートにおける、主(あるじ)がいないという当然の事実に、どうも体が馴染んでいかない。頭では分かっているのにもかかわらず、体がついていかない。
 せっかく東京まで来てのコンサートだ。一回、一万円のコンサートだ。このために飛行機に乗って雲を越えてやって来たのだ。のらなきゃ、そんそん。
 などと、心の中で自分を叱咤しても、だめだった。
 エルヴィスという、本来であればステージの真ん中に堂々と立っていなくてならない、偉大なる歌い手が、実際にはそこにいないという違和感。そのことが、どうしても、私の体の中でしっくりとこない。
 ステージに、本物のTCBバンドがいる。あのスウィート・インスピレーションズもいる。すごい。とてもうれしい。感激だ。
 でも、エルヴィスは、いない。

 そんなこと思ってる間に、曲は、どんどん進行していく。「バーニング・ラヴ」「スティームローラー・ブルース」……私は、口をぽかんと開けたまま、ステージを見つめていた。
 舞台の上に掲げられた大きなスクリーンに、さらにそれよりも大きく彼は映し出されている。彼の歌声も聞こえる。
 しかし、舞台の上に彼は立っては、いない。
 「ジョニー・B・グッド」における、TCBバンドのインストルメンタル・ジャム。最高の演出である。ジェームズ・バートン、ジェリー・シェフ、グレン・ハーディン、ロニー・タット。すばらしいプレイヤーによる、ファンタスティックなソロ演奏が繰り広げられる。後期エルヴィスを支えたグレイトなバンドの連中だ。
 今、画面の中では見たことのある、そんな彼らの姿を直に見て、その演奏を直接聴いている私は、とても幸せだ。
 しかし、エルヴィスの肉体は、ステージの上にはない。スクリーンの上のエルヴィスは微笑み、その「録音された」歌声は聞こえている。曲は、続いてゆく…

 「ジャスト・プリテンド」で、少し、クラッときた。とてもとても、好きな曲だ。つらかった時、この曲をよく聴いた。今でも。
 しかし、まだその奇妙な違和感からは、解脱できなかった。

 初めてのこのような形態のコンサートに、とまどっているのだろうか。
 もともと、石橋を叩いても渡らないという性格は持っている。しかし、それ以上に、未知なるモノ、新しいモノは大好きで、好奇心は人一倍旺盛な方だと思っている。
 そんな私も、ついに、頭と体が保守化してしまったのだろうか、などと、いろいろ考えていたら、なんだかちょっぴり悲しくなってしまった。

 けれども、神は私を、見捨てることはなかった。
 転機は訪れた。

 突然、今までずっと、右手奥に位置していたインペリアルズの三人が、ステージ中央にやって来た。そして、曲紹介の後 「He Touched Me(神の手に導かれ)」を、そのすばらしい和声で、歌いはじめたのである。


 録音されたヴォーカルではなく、肉体を持った生の歌声が、このコンサートの過程において、ある意味で初めて出現したのである。
 彼ら三人により奏でられる、美しいハーモニーの一粒一粒が、会場のすべてに行き渡り、染み透ってゆく。
 ここのところで、今までの私のどうしようもない違和感に、ひびが入り始めた。それは、一緒に歌いたくなるほどの、すばらしい本物の歌声達であった。

 「 He Touched Me(神の手に導かれ)」を歌い終わると、インペリアルズの三人は、中央から右前方に、移動した。そして、観客席から向き直ると、今度は、ステージ中央(のエルヴィス)に向かって、まるで捧げるように歌いはじめた。「How Great Thou Art(偉大なるかな神)」の、最初の部分のコーラスであった。
   アー、アー、ア、アーーーーー。
   アー、アー、ア、アーーーーーーーーーー。

 すると、まるでインペリアルズのその歌声に呼応するかように、エルヴィスの声が、静かに、厳かに、そして力強く、ステージ中央から聞こえた。
   「オー、ロード、マイ、ガァッド。」
 ここで、今までの私は、がらがらと音を立てて崩壊した。私の違和感は、こなごなに砕け散った。涙が出た。

 本物のエルヴィスが、そこで、このステージの真ん中で、本当に歌っていたのだ!!!
 私は、神に感謝した。


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