過去の“今週の1曲”

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●2003年6月第5週●

「ワイルド・モンタナ・スカイ」

"Wild Montana Skies" (1983)

●あれはモンタナ州のビタルート・ヴァリーに住む、僕の医者の家に遊びに行ったときのことだった。ある日僕は、よく覚えてないけど荷物か何かを取りに、ミズーラまで車を運転しなくちゃいけなかったんだ。

ともかく、前の晩に気温が氷点下まで下がったうえに霧が出ていたので、あらゆるものがクリスタルのように凍ってしまっていたんだよ。美しい光景だったけど、運転するには少々苦痛な状況でもあった。

行きと帰りの道すがら、僕はこの物語を書いたんだ。移ろいゆく世の中を理解できないままに成長してゆく男についての物語をね。そして彼の信仰は、彼を遺して逝ってしまった母親が、息子のために捧げた祈りに根ざしているんだ。

〜Cherry Lane Music刊『John Denver: A Legacy Of Song』より


・収録アルバム:『イッツ・アバウト・タイム』(1983)、『故郷の詩第3集』(1984)
・ライブ録音『ワイルドライフ・コンサート』(1995)、『Sing Australia』(1994)、『The Harbor Lights Concert』(1995)


●2003年6月第4週●

「スイート・サレンダー」

"Sweet Surrender" (1974)

●「スイート・サレンダー」は『遙かなる小熊の森(The Bears And I)』 というウォルト・ディズニー映画(テレビ映画)のために書いた曲だった。戦争から帰ってきた若いヴェトナム退役兵が主人公で、彼は自分の父親と、戦死してしまった海兵隊の戦友のために、あることを清算しようと北部の森林地帯に向かうんだ。彼は自分の人生の目的を見失ってしまい、休暇を取って戦友の最後の願いを叶えてやろうとするんだ。

そんなわけで曲の最初の部分では、未来に何が待っているのか見当も付かないし、かといって先を見ようと焦っているわけでもない、という気持ちを歌ってみた。次に曲のテーマは、人生に対してわが身を委ねてしまおう、という発想へと移っていくんだ。これは生きる上で誰もが辿る道筋だと思うんだよね。人によって違った形で、違った局面で訪れることなのだろうけれど、どうあれ僕らはみんな同じ道を歩んでいるんだよ。

喜びというものは、実は、人生がもたらす事象に対して身を委ねてしまうということなんだ。だから委ねてしまおうよ、深く考えたりせずに。それは、あきらめたり屈服してしまうのとは違う。自分の足で前向きに歩を進めることなんだ。じっと座って、何かが起こるのを待つのとは違うことなんだ。怖いからといって、しりごみしてしまってはいけない。身を任せてしまえばいいんだ。立ち向かって、自分を委ねてしまえばいいんだよ。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・収録アルバム:『バック・ホーム・アゲイン』(1974)
・ライブ録音『ジョン・デンバー・ライブ』('74)、『Sing Australia』('94)


●2003年6月第3週●

「わが故郷アスペン」

"Starwood in Aspen" (1971)

●「わが故郷アスペン」は、これから自分の「巣」(aerie)にしようと考えていた場所について書いた曲なんだ。アニーと僕は、まるで故郷のような懐かしさをこの場所に感じたのさ。コロラド州アスペン近くの、山がそばにある美しい場所なんだけど、一度訪ねただけで、これこそが僕らの故郷だと分かってしまったんだよ。

そこに住んだことがあるわけでも、滞在したことがあるわけでもなかったんだけれど、聴衆に伝えたいことを始めから明確に頭の中に思い描くことが出来たんだ。音楽活動を始めたLAから、いかに遠く離れた場所かということをね。

僕は長いこと、この曲でコンサートの幕を開けていたよ。自分がどこから来たのか、ここに来ることができてとても嬉しいということを伝えるために。この場所からデンバーまではやっぱり遠い道のりだったこと、長いこと空を飛んで、遠く故郷を離れてやって来たんだってことを伝えたかったんだ。

でも本当は故郷から離れてはいないんだけどね。どこであろうと、自分が今いる場所が故郷なのだから。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・アルバム『友への誓い(Aerie)』(1971)に収録。1973年の『故郷の詩』で再録音。
・ライブ録音『ライブ・イン・ロンドン』(1976)


●2003年6月第2週●

「ジョセフとジョー」

"Joseph and Joe" (1978)

●「ジョセフとジョー」は、僕の2人の素晴らしい友人たちのことをテーマにした曲なんだ。僕と多くの曲を共作したジョー・ヘンリーが、この歌の中のジョーだ。ジョセフは、(ミッチェル・)トリオ時代からの古い友人、ジョー・フレイジャーのことだよ。彼は今、英国国教会派の司祭をしているんだ。

何年か前の夏、ジョーとジョーが、アニーと僕を訪ねて、偶然にも同じ時期にアスペンに来たことがあった。その時、僕らはささやかだけど、とても素晴らしいユニットを形成したんだよ。そして案の定、このユニットの中から曲が生まれてきたんだ。

そこへ行けば新しい世界が拓けてくる、そんな場所がいくらでもあると分かっているのに、不慣れな場所だからと言ってそこへ行くのをやめてしまう。この曲は、そんな感覚を表現してもいるんだ。その場所を頭に思い描いたり、情報を集めただけで、行った気になってしまうことってあるでしょう。そこにたどり着くには、単に自分の体を使って、足を踏み出すだけでいいのにね。

知識はいくらでも得られるんだよ。知ることの妨げになっているバリアーを打ち破りさえすればね。人間なら誰しも、このバリアーを持っているんだ。僕らはみんな、両親や環境や世間によって、このバリアーを植え付けられているのさ。物事の真理を見極め、核心を捉えるためには、こうしたものをすべて打ち破っていかなければいけないんだよ。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・1978年のアルバム『大いなる飛翔(JD-John Denver)』に収録。



●2003年5月第3週●

「上海ブリーズ」

"Shanghai Breezes" (1982)

●次の曲は、僕が初めて中国を旅した時に書いた曲なんだ。あれは1985年*のことだったかな。上海を訪れたんだよ。信じられないだろうけど、上海というのは夏になると、この辺のどこよりも暑くてムシムシする街なんだ。でも幸いなことに、揚子江が、中国西部から太平洋に至る道のりの途中でこの上海の街を流れてくれていて、毎日午後になると決まってこの川からそよ風が吹いてくるんだよ。まるで神の恵みみたいにね。

とにかく、僕は最初の妻・アニーとの14回目の結婚記念日にその場所に居合わせたんだ。その時点で僕らはもう何度も別居を経験していたんだけど、その晩、僕は彼女の夢を見たんだよ。朝、目が覚めてから、ベッドにもたれながらそのことを考えて、コロラドの家に電話をかけてみた。コロラドはその頃、夕暮れ時だったんだけどね。

彼女が電話をとってくれたのは偶然で、ちょうど外出から帰ってドアから入ってきたところだった。彼女は一日中、僕らの友人たちとハイキングに出かけていたんだ。ハイキングは長いこと僕ら二人の共通の趣味だったんだけど、その日は二人の特別な日だったので、僕のことを考えてくれたのだそうだ。彼女が言うに、ハイキングの途中で、うちの近所にあるマルーン・ベルズの山の向こうに月が昇っているのに気が付いたそうだ。で、それを見て彼女は、あれは僕が中国で見ているのと同じ月なのかしら、と思ったのだそうだよ。

…そうだったのかもなぁ。分からないけどね。

でも、その発想は本当に素晴らしいと思ったし、とても感動してしまったんだよ。とにかく、僕らはしばしの間、とても良い会話をすることができたんだ。

電話を切った後、僕は中国に一緒に来ていた友人達と、当時の上海アメリカ総領事だったビル・アンダーソンと会うことになっていた。彼と彼の奥さんが、普通なら旅行者が見られないようなものを見せてくれたり、特別な人物や政府関係の人なんかにも会わせてくれることになっていたわけさ。でも本当のことを言うと、今思い返しても、そのとき行った場所や、やったことや、会った人物のことなど、まったく頭の中に入ってなかったんだ。というのも、その日のある時点から、曲が浮かんできてしまっていたからね。

曲を書く時というのは、何とかそれをモノにしようと懸命に取り組むし、それが一月もかかってしまう場合もあるのだけど、自分の中からふつふつと沸き上がってきてしまって、手のつけようがないときもあるんだよ。だから、自分が今どこにいようと関係ないんだ。僕の生活の中では、いつもそんなことが起きてしまうんだけどね。

僕は、世界のどこに行っても今の話をしたいと思っているんだよ。英語圏のお客さんにはね。さっき、僕のシーズンはまだ終わっていないと言ったけど、このあと2週間は国内をツアーして、その後、日本に行って東京シンフォニーとコンサートをして環境会議に参加、続いて10月にはヨーロッパ中をツアーする予定なんだ。それから11月にまた中国に戻ってコンサート・ツアーをするから、そこでこの曲を歌おうと思ってるんだよね。どこに行っても、さっきの話をしようと思ってるよ。通訳が必要な時もあるけどね。でも、英語圏で話すときだって、通訳が必要なんじゃないかって思ってしまうこともあるしね。

でも、このことは覚えていてほしいな。話す言葉や、肌の色、政治・宗教の違いはあろうとも、僕らはみんな同じ月と星が見える、この地球に住んでいるんだっていうことを。お互いにそんなに遠く離れているのではないってことをね。

*訳者註:正しくは1981年。

〜1995年9月9日録音『The Harbor Lights Concert』のMCより


・収録アルバム『シーズンズ・オブ・ザ・ハート』(1982)。第1弾シングルとして発売され、ビルボード第31位を記録、5年ぶりにして最後のトップ40ヒットとなった。同誌アダルトコンテンポラリー・チャートでは第1位を記録。
・ライブ録音『ワイルドライフ・コンサート』(1995)、『The Harbor Lights Concert』(1995)


●2003年5月第2週●

「明日への希望」

"Take Me To Tomorrow" (1968-70)

●「明日への希望」は、僕の目に映った世の中への不満を綴った曲なんだ。今この曲を歌ったとしても当時と同じように違和感なく歌えると思うよ。僕は、激しく駆り立てるような曲で不満や怒りを表現したかったんだ。いわゆるプロテスト・ソングだね。この種の曲を書いたことは少なかったんだけど、当時の僕は、自分が暮らしている世の中に嫌気がさしてきていたんだ。この人類が作り上げた世界というものにね。

世の中は絶えることなく矛盾にあふれていて、人々はお互いのために生きるのではなく、対立し、孤立して、わざわざ人生をぎこちないものにしてしまっている。僕は、もっと未来に目を向けたいと思っているんだよ。僕には、世の中をもっとうまく機能させるために活動していきたいという目標がある。そういう生き方をしたいんだよ。

僕を明日に連れて行ってほしい。今、連れて行ってほしい。こんな暮らしを続けてきて、心は悲しみで一杯なんだ。明日に連れて行ってほしい、それが僕の居場所だから。そこに行けば明後日が待っていてくれるのだから。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・ミッチェル・トリオの末期、「Denver, Boise and Johnson」名義のシングルとしてレコーディングされ、1968年にリプライズ・レコードから発売された。
・ソロ・デビュー後、セカンド・アルバム(1970)のタイトル曲として再録音された。


●2003年5月第1週●

「さすらいのカウボーイ」

"I'd Rather Be A Cowboy" (1973)

●「さすらいのカウボーイ」も、お気に入りの曲だね。その頃、男女のつきあいの中で、女性の方が不満を感じていて、でも自分の考えを表に出す機会がない、というケースが多いことに気づき始めていたんだ。で、彼らは一個人として完全に自立したいと思っているから、その相手と別れる必要を感じてしまうんだよね。

僕はこの曲で、森や山の中で非常に質素な暮らしをしている男女のことを描いてみた。たぶん彼らには、友達はあまりいないだろうし、自分が暮らしている以外の世界を目にすることも滅多にないのだと思うよ。そこで女性の方が都会へ出ていくことを決意し、男にも一緒に来るように望むわけさ。でも彼の方は、自分はカウボーイでいるほうがマシさ、この山の中に住んでる方がいい、と心に決めてしまっているんだ。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・アルバム『さらば、アンドロメダ』('73)収録。
・ライブ録音『ワイルドライフ・コンサート』('95)。『An Evening With John Denver』(2001年に発売された2枚組CDにボーナストラックとして収録された1973年8月デンバーのレッドロック・シアターでのライブでこの曲を演奏している。)


●2003年3月第4週●

「太陽を背に受けて」

"Sunshine On My Shoulders" (1971,73)

●「太陽を背に受けて」には面白い背景があるんだよ。その頃、制作中だった映画があって、僕はその映画のために曲を書くよう依頼されたんだ。その映画は死んでいく二人のことを描いた話なんだけど、彼らは自分たちでも死ぬことを知っていて、そんな彼らがいかに最期の日々を過ごしたかが映画のテーマだった。

あるシーンで、彼らは浜辺で笑いながら水遊びをしていて、それから愛し合うんだ。でも、その間中ずっと、何にも増して悲しい感じが漂っているんだよね。

僕はこの曲を、「冬の終わり、春の始め」と自分で呼んでいる時期にミネソタで書いたんだ。あれはとても陰気な日で、灰色に曇って地面もぬかるんでいたっけ。雪がまだ残っていて、外に出て遊ぶにはあまりにも寒すぎだった。

でも、なんたって気分は春だからね。誰だってまた表に出たいと思うし、お日様が照るのが待ち遠しい。ただ太陽が出てるってだけでいかに気分が良くなるものか身にしみて感じてしまうのさ。「サンシャイン」は、そんな感傷的な精神状態のときに書いた曲だったんだよ。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・アルバム『詩と祈りと誓い』('71)が初出。73年のベスト・アルバム『故郷の詩』に収録する際にオーケストラのオーバーダブがなされた。このバージョンは上述のTV映画『サンシャイン』(日本では劇場公開された)の放映に合わせてシングル・カットされ74年春に全米1位の大ヒットとなった。
・セルフ・カバー集『大地の詩〜リメイク・ベスト』('90)、『カントリー・ロード〜96年最新ライブ・ベスト(Unplugged Collection)』('96)で再録音された。
・ライブ録音『ライブ・イン・ロンドン』('76)、『ワイルドライフ・コンサート』('95)。


●2003年3月第3週●

「心は翼」

"The Wings That Fly Us Home" (1976)

●もともとジョー・ヘンリーが書いた詞に、僕が1,2行書き足して、曲をつけたんだ。僕の記憶が間違っていなければ、ジョーは僕たち二人の関係のことを書いてくれたんだよ。物事の見方について、真理を突いている詞だよね。人は、それぞれの立場や地位によって物事を違ったように捉えてしまうものでしょう。でも、本当の真理というものは、僕たちみんなの中にある「魂」なんだよね。僕らはみんな一つの兄弟姉妹だし、この「魂」こそが、僕たちをこの世界に送り出し、やがては現世から天国の故郷へと連れ戻してくれる存在なんだよ。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・収録アルバム『心の詩 (Spirit)』('76)。


●2003年3月第2週●

「岩を砕く花のように」

"The Flower That Shattered The Stone" (1990)

●『岩を砕く花のように』は、ジョー・ヘンリーとジョン・ジャーヴィスが書いた曲だよ。詞を書いたジョー・ヘンリーはカウボーイ兼詩人の僕の友達で、歌を共作したこともあったし(「風の詩」「スピリット」「イーグルズ・アンド・ホーシズ」等)、『Lime Greek』という、アメリカ西部を描いた未完の大河小説の作者でもある男なんだ。曲を書いたジョン・ジャーヴィスは、知名度はまずまずといったところだが、とても才能のあるナッシュビルの作曲家だよ。ジョーは随分前にこの曲を僕のところに送ったと言っているのだけれど、 どうやら僕はそのテープに耳を通さなかったか、ちゃんとは聞いてなかったらしい。とにかく、僕はこの曲をオリビア・ニュートン=ジョンのアルバムで耳にして、すっかり気に入ってしまったわけさ。母なる地球への賛美歌みたいに思えてね。これは本当に美しい曲だし、ジョーが書いた中でも最も優れた詞のひとつだと思っているよ。

〜Cherry Lane Music『John Denver- A Legacy Of Songs』より


・オリビア・ニュートン=ジョン版は'89年のアルバム"Warm And Tender"に収録。JD版は翌'90年春発表のセルフ・カバー集『Earth Songs(大地の詩〜リメイク・ベスト)』に収録されたのが初出だったが、このアルバムは当初、通販とコンサート会場だけでしか発売されなかったため、一般的には同年秋発売のアルバム『The Flower That Shattered The Stone(一輪の花)』のタイトル・ソングとしてのお目見えとなった。こちらには、南こうせつとデュエットで歌うバージョンも収録されて話題になった。


●2003年3月第1週●

「貿易風」

"Tradewinds" (1977)

●『貿易風』は、またしてもラブソングだね。僕とアニーが初めてバハマを訪れた時のことなんだけど、その美しくて新鮮な風景を眺めながら、二人して寝そべって本当に楽しく過ごしたんだよ。このラブソングは、まさにその限定された状況・限定された天候・限定された場所の中から生まれてきたものなんだ。曲もメロディも歌詞も、あの特別なシチュエーションを表現するためだけに作られたものなんだよ。いつもの山の中のことではなくて、あの海でのことをね。それが本当に楽しかったんだよ。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・収録アルバム『生きる歓び(I Want To Live)』('77)。'78年に発売されたサード・シングル「生きる歓び(I Want To Live)」のB面にカプリングされた。


●2003年2月第4週●

「フライ・アウェイ」

"Fly Away" (1975)

●『フライ・アウェイ』は、まだ人生がうまく軌道に乗っていない人のことを歌った曲なんだ。不幸せで、自己実現が出来てなくて、満たされぬ思いを抱えている人のことさ。その人は恋人がほしいと切に願っているし、子供を持つことを夢見てもいるんだけど、それを実現させるのに必要な責任を負う勇気をどうしても持てずにいるんだ。まだ自分の幻想の世界に甘んじてしまっているんだな。だから彼女は幻想の中で、いつも空を飛んで逃げるしかないんだ。といっても、彼女の気持ちは飛ぶことが出来ても、心までは飛べないんだけどね。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・収録アルバム『風の詩』('75)。'76年にシングル・カットされ、ビルボード第13位のヒット。オリヴィア・ニュートンジョンとのデュエットが話題に。
・ライブ録音『Live At The Sydney Opera House』('77),『Sing Australia』('94),
 『ワイルドライフ・コンサート』('95)


●2003年2月第3週●

「四季の組曲」

"Season Suite" (1972)

●『四季の組曲』はミネソタで制作された、季節をテーマにした映画のために書いた曲だった。僕はしばらくの間、座って心の中にそれぞれの季節を思い浮かべ、自分にとって意味するところを思いついたままに組み合わせてみた。5番目の季節として「冬の終わり、春の始め」を付け加えることにもした。この時期には雪解けが始まり、そこいらじゅうが泥だらけになるんだけど、人々が一息ついて、日光を浴びてリラックスしようと旅行に出かけたりするものなんだ。

作曲はすべて、当時の伴奏者だったデイック・ケネス、マイク・テイラーと一緒に手掛けたよ。僕らは曲にメロディをつけないまま、節と構成だけを決めていった。次に、あの素晴らしいギター奏者のマイク・テイラーが、まる一日かけて全曲を通しで弾いてみようと試みたんだけど、これがうまくいかなかったんだ。その日の終わりには、5つの別個の曲が出来上がってはいたんだけど、全体としてのまとまりや一貫性はなかった。何かを始めたはいいけど、終わらせることが出来ず、遂には分解してしまったわけだ。

最後に、クリス・オコナーと僕は座ってそれぞれの曲に何度も耳を傾けてみることにしたんだ。僕らは一貫性とメロディを発見し、曲の成り立ちと阻害の原因を見つけることができたよ。あのアルバム(『ロッキーマウンテン・ハイ』)は、そうした作業を混ぜ合わせることで形作られていったし、結果的には素晴らしい作品集になったと思うな。リー・ホールドリッジがオーケストラで演奏したバージョンは、僕がこれまで聞いた中でいちばん美しい音楽の一つだね。このことは、多くの人が一緒に仕事をして一つの事を胎動させるという、好例だと思うよ。ギター演奏のマイク・テイラー、クリスとミルト、それにエンジニアのレイ・ホールには我慢強く最後までつきあってくれたことに感謝しているよ。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より


・収録アルバム『ロッキー・マウンテン・ハイ』('72)


●2002年12月第4週●

「アマゾン」

"Amazon (Let This Be A Voice)" (1991)

●この曲は、この世界の中で自分が何者であるのかを見つめ、自分にとって何が重要で、それについて何をやっていきたいのかを考えている中で生まれてきたものなんだ。

僕はシンガーソングライターなので、自分の成功にしたがって某かの声の代理を務める機会に恵まれてきた。時として、それは人々の感情を言葉に表したもので、彼らは自分以外の人間がその感情を感じているかどうかもわからず、自分の力で言葉に置き換えることも出来なかったのだけれど、それを僕が彼らの為にしてあげることができたというわけさ。

またある時には、もっと重大な問題をテーマにすることもあって、飢餓問題であるとか、また話題の焦点をエネルギーや資源の問題へと移して、バックミンスター・フラーが言うところの「兵器(weaponry)」から「生活機械(livingry)」までを取り扱ったりもした。そんな中で、僕が自然や森羅万象を見つめ、その声の代理を務めたいと願うという状況が発生するわけさ。実際にこれまでもそうした「声」の役割を務めてきたように自分では感じているんだけどね。

特にこの曲の中で言いたいのは、僕の歌を森の声だと思って聞いてほしいということなんだ。僕の願いは人々がこの曲を聞いて「この歌を砂漠の声だと思おう、海の言葉だと思おう、夢見る者の言葉、子供達の気持ち、悔やむことを知らない声だと思おう」と繰り返してくれるのを聞きたいということなんだ。彼ら自身の言葉としてね。なぜなら、仏教徒の言葉に「人にとって後悔とは、鳥にとっての空、魚にとっての川のようなもの」というのがあるからね。だから少なくとも仏教徒の哲学・観点からすると、我々はみんな後悔の世界に住んでいるわけなんだ。そして、ここでいう後悔とは「あの木を救おう」とか「水路を掃除しよう」とか「空気をきれいにしよう」「あの花や子供を大事に育てよう」と思っているのにその機会を逃し、立ち上がって声を上げないことなんじゃないかな。だから、その気持ちを声にしよう。

僕は生きている限り自分が信じていることや繋がりを感じているもののために歌っていくつもりだけど、そうしたもののほとんどは環境に関係があるし、自分は自然の一部分でこそあれ隔たった関係にあるとは思っていないんだよ。

〜1992年ワールドツアー(Plant A Tree Tour)のプログラムより


・収録アルバム『ディファレント・ディレクションズ』('91)
・ライブ録音『ワイルドライフ・コンサート』('95)


●2002年11月第4週●

「ウィスパリング・ジェシー」

"Whispering Jesse" (1988)

●スノウマスにウィスパリング・ジェシーと呼ばれるスキー・コースがあってね。その名前がつけられた裏話についてはまったく知らないんだけど、でもずっと気に入っていて、その名前をタイトルにした曲を書きたいと思っていたんだよ。

今、僕にはジェシーという名前の娘もいて、彼女とこの歌に何らかの関係があるんじゃないかとも思っている。とはいえ、この歌ができたのは彼女が生まれるずっと前のことだったんだけどね。

僕はアスペンからさほど遠くない高地に山小屋を持っているんだけど、数年前、そこに滞在していたある晩のこと、僕は一人の老人のことを夢に見たんだ。彼は老人ホームのポーチでロッキンチェアーに腰掛け、遠くの山々を眺めながら、これまでの人生を振り返っていた。人生を共に過ごした女性のことや、彼女と愛し合った日々、それに二人が「家」と呼んでいた山小屋のことを思い出していたんだ。

目が覚めると、僕の目には涙があふれていたよ。僕はしばらく目覚めたまま横になって、その夢のことを考えていたけど、また眠りに落ちてしまった。すると僕はまた同じ夢を見てしまい、目が覚めるとまたしても涙が流れていた。今度は僕はベッドから起きあがってギターを持ち出し、湖畔まで出かけて、夜が明けるのと共にこの曲を書いたんだ。今では僕の個人的なお気に入りの曲になっているよ。

〜Cherry Lane Music刊『John Denver: A Legacy Of Song』より

・1988年オーストラリアで発売された「For You」のB面として発表。
・収録アルバム『ハイアー・グラウンド』('88)『カントリー・ロード〜最新ライブ・ベスト』('97)
・ライブ録音『Sing Australia』('94)
 『ワイルドライフ・コンサート』('95)『The Harbor Lights Concert』('95)


●2002年11月第3週●

「フライング・フォー・ミー」

"Flying For Me" (1986)

●僕が宇宙空間を飛行したいという願望を抱いていることについては、ほとんどの皆さんが知っているのではないかと思うし、民間人を宇宙に送り出そうというNASAの計画に微力ながら一枚噛んでいたことも、ある程度ご存じのことと思います。僕は計画の進展を興味津々で見守っていましたし、(教師の)クリスタ・マコーリフが飛行することへの期待にも胸を躍らせていました。

息子のザッカリーから緊急の電話が入ったとき、僕はコロラド州のジョージタウンで(テレビ映画の)『クリスマス・ギフト』の撮影をしている最中でした。ザッカリーは僕らの宇宙計画に対して大きな関心を持ってくれていて、僕の宇宙飛行がいかに実現に近いところまで迫っていたかもよく知っていました。その彼が、チャレンジャーに起こったことを連絡してきたのでした。僕がようやくテレビの前に座ってこの悲劇的な大事故の映像やリポートを見ることができたのは、長い一日の仕事を終えた深夜になってからのことでした。そのニュースをテレビやラジオや新聞で知った誰もがみんな、チャレンジャーとその勇敢な乗組員を失ったことに心を痛めていることが分かりました。でも僕はそれ以上に大きなショックを受けていたのです。

激しい感情的ストレスを受けたときは大抵そうするのですが、気が付くと僕はギターを手にして、ある種の音楽的瞑想状態に入っていました。それがこの曲を作る発端となったのです。その晩、夜通しで書き上げたその曲は、クリスタと乗組員たちだけのためではなく、これまで宇宙飛行をしてきたすべての人々、その実現のために裏方で支えてきたすべての人々に捧げたものでした。ライト兄弟からウェルナー・フォン・ブラウン、リンドバーグにユーリ・ガガーリン、ニール・アームストロング。そして星々への憧れを抱き続けた数え切れないほどの名も知れぬ人々の為に捧げた曲なのです。まさに彼らは僕達のために飛んでくれたのだし、僕のために飛んでくれていたのだと思うのです。

〜Cherry Lane Music刊『John Denver: A Legacy Of Song』より

・1986年のアルバム『ワン・ワールド(One World)』に収録。
・ビデオ/DVD『A Portrait』にはNASAが制作に協力したビデオクリップが収録されている。


●2002年11月第1週●

「詩と祈りと誓い」

"Poems, Prayers & Promises" (1971)

●「詩と祈りと誓い」は自分でも大好きな曲だね。時々思うんだけど、あの曲を書いてた時、僕はまだ自分が歌っていることの意味を完全には理解していなかったんじゃないかな。まあ直感的には分かっていたんだろうけどね。この曲は家族や友人が集まって輪になって座って楽しい時を過ごしている、そんなとても甘美な空間から生まれてきたものなんだ。時間に追われたりとか、欲求不満だとか、恨みごと、後悔といったことは一切忘れて、みんなして人生を楽しんでいる、そんな一時さ。平和な時間を一緒に過ごし、他ではあまり言えないような、心の奥深くで感じていることまでを打ち明け合ったりするんだよ。で、そうしているうちにも、心の中に、言葉では伝えきれないような気持ちがわき起こってくるんだけど、みんなもそれと同じことを感じているって分かってしまったりするんだ。こういう瞬間には、「人生って何て素晴らしいんだろう」って思ってしまうよ。自分は一人じゃないんだってことが分かるからね。

〜Cherry Lane Music『John Denver Anthology』より

・1971年「故郷へ帰りたい(カントリー・ロード)」のB面として発表。
・収録アルバム『詩と祈りと誓い』('71)『故郷の詩』('73)『Rocky Mountain Holiday』('83)
・ライブ録音『ジョン・デンバー・ライブ』('74)『Sing Australia』('94)
 『ワイルドライフ・コンサート』('95)


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