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フランス工業技術史と摩擦学――18世紀を中心に

第7回講演会  98年月9月4日(金)
フランス工業技術史と摩擦学――18世紀を中心に  吉武立雄

 摩擦は地球上のあらゆるところに存在している。地震を引き起こす海底プレートにも、富士山を形成している粒子にも摩擦は発生している。身近なものとしては、自動車のタイヤの摩擦がある。この摩擦を総合的に、学際的に研究する学問が摩擦学であって、tribologie と呼ばれる。その名称が正式に決定したのは1966年、英国であったが、その成立の直接的な動機になったのは、GNPの約 1,5 から 2 パーセントに達すると推定される摩擦、それに伴う潤滑、摩耗の不備による経済的損失を防止したいという考えであった。最近ある軸受メーカーが日本経済新聞の1面全部を割いて、軸受業界が摩擦抵抗を1割低下させることに成功すれば、大型原子発電所25を廃止できるとPRしたのも摩擦低減効果の一例である。
 ところで、この摩擦の本質は非常にとらえがたい。研究が進んでも永遠のくらやみとして残るのではないかといわれているほどである。しかし、実験的に包括的な摩擦の法則が確立したのは、フランスであってそれには約1世紀を要した。それにいたるまでの過程をまず説明したい。
 摩擦はそれを低減する場合と、利用する場合の2つのケースがある。新幹線のパンタグラフと架線、車輪とレールの関係を考えていただければよい。後者においては、摩擦の面から、時速 300 km が限度と考えられていたが、現在では TGV は時速 500 km の営業運転を目指している。これは摩擦力の把握がいかにむずかしいかを物語っている。
 人類の摩擦力の利用は木と木を擦り合わせて発火させることから始まったとしてもよい。このことはプリニウスも博物誌に記載しているし、日本でも古事記の記事は登呂の遺物によって確認された。エジプトの弓きりもその変種である。ところで、摩擦低減のいちばん簡単な方法は、物体をころがすやりかたである。車が出現するのはその意味で必然性がある。ホメーロス、ヘシオドスが身近な車について述べていることはよく知られている。この車が車輪からさらに歯車、ころがり軸受、すべり軸受という形で機械装置のなかにとりいれられた。現代はその意味でも車の時代であって、摩擦問題が全面に登場してくる必然性が理解できる。
 工学的に意味を持つ軸受が登場したのは約2000年前であって、アレキサンドリアのヘロンのさまざまな工夫あるいはカリグラ時代の実物の発見によって、古代の技術水準の高さは推定可能である。中世を経て、馬車、機械類が大きく発達したことはアグリコラの著作にうかがうことができる。これを踏まえて、摩擦力は接触面積に関係せず、垂直力の約3分の1となる等の摩擦の法則を実験によって証明したのがダヴィンチであったが、この事実は20世紀にいたるまで忘れ去られていた。
 この法則を再発見したのが、フランス科学アカデミーのアモントン(1699年)であって、その手がかりになったのが、毛織物と並んで当時のフランスの主要産業である板ガラスの研磨を手作業から火力による自動研磨への切替のための実験であった。かれの説はド・ラ・イール、パランといった科学アカデミーの同僚の実験によって、また計算によって補強されて17世紀初頭には一応広く認められるにいたったが、確認テストによって矛盾した結果が出るに及び、さまざまな議論が行なわれることになった。論争に参加したのは、オイラー、ライプニッツ、ミュッセンブローク、カミユその他であった。ディドロも百科全書で大きなスペースを割いて説明している。なかでも注目すべきは、ニュートンの友人のデザギュリエの接触面が平滑でも摩擦が発生するのは、分子間の凝着力が接触面に作用するからであるといういわゆる凝着説(いわゆる万有引力の拡張説)であって、これはアモントン以来の表面の凸凹説と正面から対立した。フランスにニュートン説を持ち込んだのはヴォルテールで、ニュートン説そのものは広く受け入れられるにいたったが、凸凹説自体はその後もフランスを中心にして信奉されて20世紀にまでいたった。
 その後、摩擦理論を集大成したのはクーロン(1781年)であって、かれの確立した法則はそれ以後アモントン、クーロンの摩擦の法則と呼ばれ、今日にいたっている。当時の英仏間の戦いにおいては、シーレーンの確保が最大の課題であったが、進水時の摩擦熱による航海中の事故、あるいはロープの摩擦抵抗による操船上のトラブル解決のための実験によってこの法則が導きだされた。かれはこのほかにも羅針盤の軸受の研究もおこなっているが、これは時計の技術、さらには現在の航空機、ロケットの誘導技術にも結びついている。電荷に関するクーロンの法則は余りにも有名である。なお、クーロンは、後にエコール・ポリテクニックになるメジェールの工兵学校で、物理学、化学などの正規の教育を受けた世界最初の技術者であったことを強調したい。この教育システムはドイツの各技術大学、アメリカの MIT に代表される高等教育機関に引き継がれる。当時の政策立案者の先見性に脱帽したい。
 ところでクーロンの摩擦理論は19世紀中ごろまで精緻化がフランスで続けられるが、20世紀に入って凝着説が有力になって現在にいたっている。いまではミクロでは凝着説、マクロでは凸凹説と考えるべきだとされている。
 なお17世紀前半におけるフランスを中心とした摩擦学の現状は、帆足万里がミュッセンブロークをもとにして論述した窮理通(天保年間の写本)で詳しく紹介されたのが始めてである。

(文責・吉武)


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