Part of Nobumi Iyanaga's website. n-iyanag@ppp.bekkoame.ne.jp. 12/4/05.

aabmfjlogo picture

現代日仏マスコミ事情――その共通点と相違点について

第27回講演会 2004年12月6日(月)
現代日仏マスコミ事情――その共通点と相違点について
谷口侑 (国際フランス語プレス連合 (UPF) 国際委員)

1.活字メディアの歴史の違い
日本では今年、読売新聞が創刊130周年を、また、朝日新聞が創刊125周年を祝った(毎日新聞は132周年)。一方、フランスでは、メディアにとって、現代史上深い意味合いを持つ年に当たる。まず、8月25日は「パリ解放60周年記念日」。パリ市民は自分たちの手でナチ・ドイツ占領支配下にあったパリを解放しようとして武器を手に立ち上がった。このときから、親ドイツの新聞は姿を消し、レジスタンスの中から生まれた新聞が36も街頭にあふれた。日本の新聞は、敗戦の時に、このような激動を体験していない。次いで万聖節(諸聖人の日)の11月1日は、130年にわたる仏植民地主義支配からの独立を求めてアルジェリア人民が武器を手に立ち上がったアルジェリア戦争開始50周年記念日。仏メディアは血で血を洗う凄惨な戦争の真実の姿をいかに伝えるか、苦しんだ。アルジェリア戦争の傷あとは、今日もなお両国関係に残っている。わたし自身、10年余のパリ特派員時代に、この2つの日付の持つ意味を痛感させられた。日本は戦後、すべての植民地、占領地を失い、このような体験を免れているが、近隣諸国との問題をいまなお抱えている(中国とは現在、“政冷経熱”の関係にあるとさえいわれる)。
2.活字メディアの危機 
両国民とも新聞好きで知られるが、テレビやインターネット情報の速さ、利便さのあおりを受けて新聞は危機に直面している。フランスでは、「パリで刊行され、全国的に読まれている新聞」はあるが、いわゆる日本流の全国紙(全国の各地で編集・印刷され、ほぼ同時刻に配布される新聞)は存在しない。そのフランスで、北欧から始まった無料新聞(広告料だけに頼る新聞、いわゆる papiers gratuits)が若者・女性層の間に急速に部数を伸ばし、一般紙の部数が減る現象があり、新聞経営の基盤が揺らいでいる。地方紙のなかには、みずから無料紙を刊行するものも現れている。日本の大新聞は、独特の専売制度と配達網を保持しており、まだその脅威を受けていないが、予断を許さない。
3.ステレオタイプ化した報道に注意
かつて68年5月革命当時、パリ発信の記事の見出しが「花の都パリはゴミの山」となっていてあぜんとしたことがあった。言語学者ジャン=ポール・オノレ教授(マルヌ・ラ・ヴァレ大)は、仏メディアの「阪神・淡路大震災」報道に見られた「日本に対する偏見的常套句」について研究・発表している(2003年10月27日、青山学院大学)。最近ではニコラ・サルコジ仏与党 UMP 新総裁の「スモウは知的スポーツじゃない」発言(スモウびいきのシラク大統領への当てつけと受け取られた)について、「日本嫌い」の表れ、とする見方も日本側にある。スポーツ・趣味の領域では、人さまざまであることに留意すべきであろう。
4.文化遺産である自国の言語
フランスの活字メディアのほうが自国言語について厳しい。とくにアングロサクソン言語表現の流入に対しては警戒心が強い。わたしは、日本で定着してしまった「グローバル化」という新語表現について常に異論を唱えている。フランスは、mondialisation, altermondialiste といった表現を頑として守っている(英語表現のハングル化に平気な韓国でさえも、漢字表現を保持している)。表意文字である日本語のもつ利点をわたしたちは十分活用し、保持すべきではないか。
5."La francophonie" の持つ意味
 La francophonie(よくフランス語圏、と訳される)という表現は19世紀末、フランスの地理学者 Onésime Reclus (1837-1916) が造り出したものだ。La francophonie, la Francophonie, l'espace francophone という表現の微妙なニュアンスの差をわたしたちは学ぶべきだろう。世界では、さまざまなフランス語が話されている。
***
 以上、講師が用意された講演要旨を再録したが、講演の過程では多くの実例や体験が語られて、魅力にあふれる内容となった。なかでも、フランスのメディアがレジスタンスの戦いを受け継いで再生したことを裏付ける、「中尉」と呼ばれる L'Humanité(仏共産党機関紙)の女性記者の逸話や、1968年5月のパリで警官隊に追われた学生たちを France-Soir 紙構内に導きいれて逃がした印刷工の話など、強い印象を残した。また、アルジェリア独立戦争に関連して、最近フランスで盛んに取り上げられている「記憶の義務 devoir de mémoire」の問題と、当時のメディアが必ずしも真実を伝えなかったがゆえにメディア関係者が抱えることになった「傷」との関係などにも触れられた。文化としての言葉と francophonie に関しては、フランス語と日本語だけでなく、ロシア語や中国語、韓国語などの例も引きながら、自国語を大切にすべきことを強調されると同時に、英語やフランス語に典型的に見られるように、一つの言葉と見られているものにも実際には多くの姿があり、そのそれぞれが全体を豊かにしていることが説明された。


日仏会館図書室友の会・ホームページへ | 通信目次ページへ


Go to NI Home Page


Mail to Nobumi Iyanaga


This page was last built with Frontier on a Macintosh on Sun, Dec 4, 2005 at 9:00:07 AM. Thanks for checking it out! Nobumi Iyanaga