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「フランスとドイツでの音楽修業と演奏活動」

チェリスト 田中友子

 2000年3月6日の公開講演会は、はじめて音楽家を講師の先生に迎えて、これまでの例とは違い歓談会の形式をとって、聴衆との質疑応答を交えながら、和気藹藹とした雰囲気の中で行なわれた。
 何よりも印象に残ったのは、すぐれた才能と強い勇気に恵まれた若い芸術家が、必ずしも平たんではないだろう自分だけの道を切り開いてこられた姿だった。そこには、多くの悩みや苦労もあったに違いないが、そうしたことを感じさせない明るく積極的な生き方に、聴衆の一人として感銘を受けた。
 はじめての渡仏のときに5年間を過ごした恩師のチェロの先生のお宅での日常生活、ドイツの音楽学校でレポートの作成を助けてもらった友人との交友、学友たちとともに教会のホールを借りて開いたコンサートなど、自分自身で開拓した人的ネットワークを支えとしながら、ヨーロッパでの「恵まれた音楽生活」を過された講師の興味深いエピソードを交えて、話題が絶えなかった。
 最後に、バッハの「無伴奏チェロ組曲」の一曲、そしてサン・サーンスの「白鳥」の美しい演奏を聴いて、余韻を残して印象深い講演会が終わった。

(彌永信美・記)

以下は講師御自身による要旨である。

 私は子供の頃から将来は音楽家になりたいという夢があり、ピアノやバイオリンなど、いろいろと試してみたのだが、中学2年のときにようやく自分に合った理想的な楽器、チェロに出会うことができた。そして上野学園音楽科に入学することになるのだが、高校2年生のときに、当時師事していたチェロの先生が私の将来のことなどを考えてくださり、芸大のチェロ科に名誉教授としてフランスから長期間日本に滞在されていたレーヌ・フラショ先生を紹介してくださって、彼女にもレッスンを受けることになった。まだ高校生であった私には、外国人の偉い先生にチェロを教わるということが非常に新鮮な感動であり、技術的にはまだ未熟で先生の高度なレッスンについてゆくことが正直に言って大変なこともあったが、月2回の先生のレッスンが楽しみで、一生懸命お宅に通ったことをよく覚えている。
 そのうちに先生がフランスに帰国されることになり、私も先生の後を追って、前からの夢であったフランスへ留学してチェロの勉強を続ける決心をした。1975年のことであった。これが私のフランスとの出会い、そして長期にわたる海外生活の幕開けとなるのである。フランス語も短期間に急いで勉強して頼りない状態であったが、若かった私は大変な希望に燃えていた。フランス留学の最初の5年間は、当時先生が御家族とともに住んでおられたパリ郊外のベルサイユのお宅に下宿させていただくという幸運を得られた。その5年間はフラショ先生にチェロの勉強だけでなく、フランス語やフランス人の生活習慣や考え方など、いろいろなことを学べた貴重な日々であった。また先生の元には、世界各国からレッスンを受けるためにいろいろな学生が集まり、実にインターナショナルな雰囲気であった。また第一線で活躍中の音楽家の方たちとも先生のお宅で交流がもてたことも幸運であった。先生は残念ながら2年前の1998年に亡くなられたが、私の人生の視野を大きく広げてくれたことと、彼女の広い大きな心に深く感謝している。フラショ先生宅での生活は、私の青春時代の素晴らしい思い出となった。学歴はベルサイユ音楽院とパリ・エコール・ノルマル音楽院に在籍して、それぞれディプロムを取得して卒業した。

●ドイツへ行ったいきさつ
 1984年に帰国して日本で音楽活動を再開したが、当時はあまりうまくいかず壁に突き当たった私は、もう一度フランスでチャンスを試すべく渡仏してオーケストラのオーディションなどを受けてみたが不合格になり、ここでまた壁に突き当たることになる。方向性を失って悩んでいた矢先に、パリの知人宅でドイツのニュールンベルグで活躍していた日本人彫刻家と知り合い、ドイツで新しく音楽家としての可能性を試すことを勧められた。彼は現地で第一線で活躍している日本人音楽家と親交があり、思いがけずコンタクトを取ることになる。もう一度チェリストとして新しい可能性を試してみたい、という強い意志に燃えていた私は、そのまま運命の波に乗って、未知の国、ドイツへと向かった。1987年の秋であった〔注〕。
 同じヨーロッパとは言っても言葉はもちろんのこと、生活習慣や考え方がフランスとは異なる点の多いドイツでの最初の一年間は、カルチャーショックもあり戸惑うこともかなりあったが、少しずつ克服することができた。最初の年1987年から約2年間、地元のニュールンベルグ市立音楽院に入学してドイツ音楽やチェロ奏法を改めて学んだ。1991年にバイエルン州文部省所轄の「国家教員免許認定試験」を受けて合格、チェロ教師としての資格を取得した。その後は、資格を生かしてニュールンベルグのギムナジウムのチェロ講師として11〜19歳の生徒にチェロを教えたり、オーケストラや室内楽の活動もした。
 ドイツでの生活にもすっかり慣れて、素晴らしい音楽仲間もできたが、気がついてみたら12年という月日が経過していた。年齢的にもちょうど人生の折り返し地点に立っているし、自分の将来のことなどをじっくりと考えた末に、長いヨーロッパ生活に終止符を打ち、帰国することを決意した。音楽的に恵まれた生活、私のような外人でも実力があれば現地の人間と平等に扱ってくれた彼らの寛容の精神など、学ぶことの多かったヨーロッパの生活に別れを告げるのは多少の勇気が必要であったが、日本で演奏活動を再開するのならば今帰国しなくてはならないという自分の中に大きな確信のようなものがあった。そしてその決断は間違っていなかったと思っている。これからは日本に落ち着いて、長年私がフランスとドイツで学んだ貴重な体験を生かせるような活動を展開してゆきたいと願っている。
 また、私がこのような恵まれたヨーロッパでの音楽生活を送ることができたのは、フラショ先生をはじめ、多くの素晴らしい人々と巡り合い、そして支えられてきたおかげである。あらためて感謝の気持ちを表明したいと思う。

●ヨーロッパでの音楽活動
1.フランスでの演奏活動
 フランスで印象に残っている演奏活動はまず、レーヌ・フラショ先生を中心に、彼女の生徒達で結成されていた「チェロ・アンサンブル」のメンバーの一員に入れていただいたことである。パリでのコンサートを始め、フランス各地での演奏旅行も行なった。先生はチェロだけのアンサンブルがとてもお好きで(チェロだけのオーケストラも響きに迫力と深みがあって素晴らしい)、たくさんのレパートリーを持っておられた。次に思い出深い演奏活動は、「シャルトル室内楽協会」の主催者で、自らもピアニストである婦人と知り合いになって、有名なシャルトルのカテドラルの隣りにある美術館のホールで、定期的に二人でピアノとチェロのデュオを組んで演奏会を開いたことである。サロン・コンサート風のとても雰囲気の良い演奏会であった。

2.ドイツでの演奏活動
 ドイツでは室内楽(弦楽四重奏、ピアノトリオなど)を組んで多数の演奏会を開いた。また、「ニュールンベルグ・コレギウムノリクム」というオーケストラに所属して、数々のドイツ音楽を演奏し、レパートリーが増えたことも幸運であった。モーツアルトやヴェルディのオペラのコンサート形式での上演も数多く行ない、オペラの伴奏経験のない私にはとてもよい勉強になった。

3.最後に
 フランスとドイツの両方に共通することであるが、教会で演奏する機会が多かったことをとくに述べておきたい。教会の素晴らしく厳かな響きの中で演奏したレクイエムやミサの数々は、私にとって生涯忘れることのできない素晴らしい思い出である。また、教会や教会の集会所では、気軽に無料でコンサートが開けて、私のようなキリスト教信者でない人間にも快く場所を提供してくれた。改めてヨーロッパのキリスト教文化の根強さと、キリスト教を基盤にして生み出されたクラシック音楽が、いかに生活と密接に結びついているかを認識させられたのであった。

〔注〕ニュールンベルグはバイエルン州に位置しており、同じ州に属するミュンヘンの次ぎに大きな都市。

(田中友子・記)


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