Part of Nobumi Iyanaga's website. n-iyanag@ppp.bekkoame.ne.jp. 4/9/05.

aabmfjlogo picture

This page is in UTF-8

第23回
2003年11月13日
瀬戸 直彦
早稲田大学教授、前早稲田大学図書館副館長(中世フランス文学)
聖王ルイの図書室

日仏図書館友の会、日仏図書館情報学会共催

はじめに:
 フランス人に人気のある3人の王様、その一人が聖王ルイである。あとの二人は、メロヴィング朝のロベルト王、16世紀宗教戦争を収めた王アンリであるといわれる。その聖ルイについては、王の家令であったジョワンヴィルが作った「聖ルイの伝記」が最も知られている。『この聖なる君主は、かくもフランス政治を治め、あれほど大きな喜捨を行なって、あれほど多数の美しい建造物を建てたのである。そして写字生が自分の本を作り、金色や青色でその本を彩色するのと同じように、王国の自分の建立した美しい修道院、数多くの病院、ドミニコ会やフランシスコ会など多くの宗派の僧院を彩色したのである』と描いている。
 ルイの業績を字を書き本を作るという比喩を用いて称えているのだ。自分の国を飾ったという事と美しい写本を作ったという事とに同じような価値を置いていることに、驚きと違和感を覚え興味を持った。
Jacque Le Goff による聖王ルイ9世伝
 1924年生まれた社会学者で「煉獄の誕生」の作者。ルイの伝記「聖ルイ」を1996年に出版し、2001年には翻訳が出た。従来の伝記のように聖者伝や文学のテクストをそのまま用いるのではなく、聖ルイ王の業績をその場その場での王の決断がどうされたか、裁量権とその行使を精密に検討して“聖と俗”の両方を兼ねるこの王の内側に《宗教と政治》、《モラルと現実》という本来重ならないものが矛盾して存在し、それを結果的に上手く両立させた。中世は何事も神の判断に委ねる、個性のない時代というイメージがある。Le Goff による伝記は、王の親族、殊に祖父フィリップ2世の影響(聖ルイは短命の時代にあって祖父を知る初めての王だった)や、誕生から死後聖人に列せられるまでを考え、社会と個人の対立概念を乗り超えようとした。
聖王ルイの伝記の資料
 ルイは、1214年に生まれ12歳で即位、1270年に十字軍の途中、チフスで死亡する。1297年に聖人に列せられる。死後27年、聖人になる為に資料が集められた。
 ジョワンヴィル、サンパチウス、ボウリィユウ等々の資料は、性格も様々だが共通している点は、“王が書物を好んだこと”、それに関連して“信仰が深かったこと”である。例えばサンパチウスの伝記によれば『王は、注釈付きの聖書とか、アウグスチーヌスや他の聖人のテクストや聖書を手元に所有して夕食と就寝の間にそれらを読んだり読ませたりした。ミサから帰るとトロワ・ピエ(約1m)の蝋燭が燃えている間中、聖書や聖人伝を読んだ』と王の姿を描いている。
 ルイが書物を集めたことに関しては、第6、7の十字軍の間の挿話がある。サラセンの王が哲学者達に有用な書物を探させ書写させ図書館を充実させている話を聞き及び「暗闇の子供達(イスラム教徒)が光の子供達(キリスト教徒)より思慮深くサラセンの戒律の信仰においては、教会の子供がキリスト教を信仰するより熱心である」と考え、「帰国したら聖書に関する有益で権威のある書物を全て書写させて多くの修道院の図書室に持ってこさせるべきである。自分や知識人や宗教家が廻りの人を教え導く為それらの書物を研究するのが目的である。」このように考えて帰国すると実行に移し、安全な場所である彼のチャペルの宝物館に保管した。自らもそこで研究し他の人にもつかうことを許した。古い書物を購入するよりも新しく書かせることを好んだ。フランスの王で本の収集に熱を上げたのは、ルイの孫の孫、ジャンからと言われる。その息子シャルルが bibliophile として特に名高く、その図書室 Bibliothèque Royale(手書の時代に千冊以上を所有)が今日の Bibliothèque Nationale である。
ルイの蔵書
 1. 母親フランシス・カスティーユの祈祷書2冊、2.サントシャペル6冊の詩編集、美術史上非常に名高いインゲボルグの詩篇集、聖ルイ王の詩編集等、3.十字軍から帰ってきて(1254年)作った図書室(ルイ王の遺言によりフランシスコ会、ドミニコ会、シトー会に寄贈された)4.自分が勉強する為に使った教育用書籍。
 ルイ王が集めた書籍は、宗教上の一般的なもので、百科全書的な、平均的知識人が持っているような物を網羅的に集めたといえる。
Speculum majus 大鏡(鑑)
 ルイは、ヴァンサン・ド・ボウヴェというドミニコ会の修道士のパトロンとなった。「ルイ王が王国を統べるようになってから、教会や多くの宗教上の建造物を建立しはじめた。その中でも“ロワイヨウム”が名誉の点でも規模の点でも群を抜いている」。これは、シトー会の修道院だがヴァンサン・ド・ボウヴェに与え、ここを使って彼はチームを作り中世最大の百科全書である“Speculum majus=大鏡”を書いた。この大鏡(百科全書)は、4つからなる。1.自然の鏡、2.学問の鏡、3.歴史の鏡、4.道徳の鏡(これは後から書き足された)。この内、“歴史の鏡”はアダムとイヴからヴァンサン・ド・ボウヴェの時代までの年代史だが、絶大な信用を得、現在残っている写本が、数十ある。14世紀にはラテン語からフランス語訳された。が、17世紀になると誰も読まなくなってしまった。1960年代にオーストリアで復刻された。1974年にナンシィ第二大学でアトリエ・ヴァンサン・ド・ボウヴェが出来、少しずつ電子化されている。
 ルイは、聖だけでなく俗の王でもあるので、この歴史の鏡に自分の立場と政策を正当化し〈シャルルマーニュとルイのみが最大の勝利者にしてキリスト者である〉と礼賛させている。
結論として
 「もしおまえの心が正しければその時はすべての被造物は、人生の鏡となるであろう、聖なる知恵の書物となるであろう」ということが『キリストに習いて』という本の中に書かれている。即ちすべての地上にあるものは、一冊の超越的な書物のなかに鏡としてその形が現れてくる。世界を書物に喩える、あるいは、鏡に喩える比喩の形は、デカルト、モンテーニュの中に形を変えて現れる。デカルトは、「世間という書物を知るためには、本を捨てて一度世間に出たほうが良い」と言っている。トレゾール(百科全書)がダンテの神曲ではダンテを導いている。すべての真理の発見というのは、知識、神によって造られたもの、を整理して、纏めることが大事であったのではないか、と考える。
 ルイは、Vincent de Beauvais のパトロンとなって Speculum majus(大鏡)を作らせまた、自分の本を集めて図書室をつくった。
おわりに
 同じ頃、Richard de Fournival という人が、Biblionomia(書物の題名)という本を書いた。自分の書物をジャンル別にし、アルファベット順に別け、蔵書記号を付けていた。実在しない想像上のものと考えられていたが、これらの本がソルボンヌ大学の図書館に入り、その存在が確認された。そしてソルボンヌの学寮を作ったロベール・ド・ソルボンヌは、ルイ9世の知識人の一人、ブレーンでありその縁はルイ9世へと繋がっていく。ロベール・ド・ソルボンヌは、ジョワンビルと共にルイの食卓で“有徳の士”について議論をするなど王の魂を救済してくれる貴重な存在であった。
 13世紀のルイの図書館は、Speculum majus の中に再現されている。即ち“聖と俗”の知識を纏めたもので、図書室としては、大したものでなかったようではあるが、作品のなかに現れている。

文責 塩路支満江(『日仏図書館情報学会ニュースレター』より転載)


日仏会館図書室友の会・ホームページへ | 公開講演会・要旨ページへ


Go to NI Home Page


Mail to Nobumi Iyanaga


This page was last built with Frontier on a Macintosh on Sat, Apr 9, 2005 at 5:46:21 PM. Thanks for checking it out! Nobumi Iyanaga