ブルデュー社会学と日本 感想
池内 清 友の会 会員
1999年6月21日(月曜日)
「ディスタンクシオン」それは、他者と自己を区別することであり、それによって自己を卓越化することである。そして、この操作は、個人のレベルに止まらず、既成の階級構造を再生産する不可視のメカニズムとして、社会のあらゆる局面に於いて不断に機能している。例えば、「趣味」という、一見、全面的に個人の自由な判断に委ねられているかに見られる領域に於いても、その個人の属する階級、もしくは集団に特有の知覚、評価方式の体系が、すべての選択を規定し、方向付けているのであり、そこに、他集団との違いを際立たせようとする「卓越化」の戦力が介入して来ることは免がれない。
著者は、本書に於いて、音楽、会話、写真、スポーツなどの、いわゆる趣味をはじめとして、政治のような社会的実践から、科学や服装、しゃべり方や立ち居振る舞いなどの日常活動に至るまで、広義の「文化」を構成するあらゆる慣習行動を対象として取り上げ、それらを暗黙のうちにヒエラルキー化していく分類図式の根底にある、種々の性向の体系、すなわち階級の「ハビトゥス」を抽出しながら、各集団に特有の生活様式が織りなす差異の体系としての社会空間を描き出す一方、この空間を構成する多様な場に於いて、自らの正当性を他者に押しつけようとして繰り広げられる階級間、或いは、階級内集団間の、ダイナミックな象徴闘争の実態を、膨大な統計資料を駆使しながら、克明に、かつ緻密に分析、解明して見せる。
その意味で本書は、まさに副題にもあるとおり、社会学的観点から書かれた現代の「判断力批判」(カント)であり、しかも、たんなる社会学の枠に納まらず、人文・社会諸科学の総合を図ろうとする著者、ブルデューの野心的試みの、最高の成果であると言える。
だいたいこのような内容が、我が国の実例も素材に用いながら話され、著名な新社会学の核心に触れ得た、充実の一時であった。
(池内 清、1999年7月記)
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