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文明の十字路・地中海――フェルナン・ブローデルをめぐって――

浜名優美 南山大学教授
1999 年 4 月 2 日(金)

今回は、「図書室友の会」と「日仏会館」が共催企画した講演会で、F.ブローデルの大著『地中海』(藤原書店)の翻訳者である浜名氏の文明論と同著の紹介・批評が中心となった。

1.文明論としての「地中海」の意義
 今日、NATO 軍の空爆にさらされているコソボは、かつて大セルビア王国の都だった。オスマントルコ帝国がこれを征服した14世紀からアルバニア人が移り住み、今では 10 % にもみたないセルビア人が居座って紛糾する根の深い問題である。日本なみ銀行不良債権と破綻は、近代初期イタリアの私設銀行の破産や公立銀行化、ナポリの財政破綻などにも見られた。

 ブローデルにならって、「文明」と「文化」を比較してみよう。文明とは、道路、港、城塞など、可視のかたちをとってあとに残るものだ。物質文明は具体的に確認できるが、文化とはまだ成熟の段階にはない途上のもの、直接見えにくいものといえる。つまり、文明>文化の関係にあり、諸文明は他文明の挑戦を受け、受容も衝突もする。だがそこには、ほとんど動かない、やたらに変わらないものもある。文明の定義として、次の3大ポイントが重要だ。

a) 文明とは空間の概念で、ラインとドナウをこえるとラテンやギリシャ文明にかわる。 b) 文明とは借用である。道路や河川、港ぞいに流れ込むイタリアにあこがれてヴェネチアから借用した要素がまじるアウグスブルグは、半分イタリア、半分ドイツ的になった。 c) 文明とは拒絶である。自分のアイデンティティをかたくなに守るところがある。イスラム文明とキリスト文明。80 名のキリスト教徒がアルジェリアの海賊の手に落ちた日から、カスバの酒場でまじわり、たがいに交流もしたが、流れは今日のマグレブ移民と逆である。

2.山・河・砂漠、同じ風土・統一世界=地中海文明の衝突と輸出入
 ブローデルの『地中海』は「山」から始まる。山は文明普及の周縁にあり、文明と文明をわけへだてる。電線は村にはとけこめず、商人も伝道者も水平に移動した。文明にとって、河川は境界、山は障害だ。16世紀の宗教改革時代、新教は山のないオランダにはやすやすと入ったし、新教(エリートと個人)と旧教(大衆レヴェル)がせめぎあうフランスでは、新教はナヴァール(アンリ IV 世)まで入れたが、ピレネーとアルプスの先は浸透困難だった。だが、16世紀以来の地中海文明は、国境もない「海」と同じ気候風土の「小麦−オリーブ−ブドウ」が三位一体で結びついていた点が、西欧近代世界システムの形成にとって意義深い。地中海文明は沿岸から遠洋へと輸出されて、タバコ・茶・コーンなど新大陸各地植物も西欧に輸入された。

 「文明の衝突」については、1492 年のグラナダ陥落=アラブの敗退とユダヤ大追放−コロンブス、1571 年レバント海戦が一大画期をなしている。スペイン帝国の成長とユダヤ追放の背後には、寒冷不作で大洪水が頻発した16−17世紀の人口急増圧力があった点が注目される。

 結論として、イタリア・ルネサンスのように、文化が花開くとき経済は不況、都市国家の冬という関係がみられるのは興味深い。だが、短期のさざ波(鉄砲に対して、弓矢武装のトルコ軍が海を流血で染め、朝の数時間で決着がついたレバント海戦)や中期のうねり(20−30年:局地戦、景気変動など)をもつ文明の基盤には、長期持続の不変の構造・環境が残る。そこに、「コソボ問題」が今なお再現される理由もあると考える。

(文責・筆宝康之)


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