プ!プ!プ!プ!プロレス!コ!コ!コーーナーー!

馬場はいませんがプロレスは続いています。今や全日、新日の時代ではありません。御大猪木も結局は新日の周りをうろうろしています。格闘王前田の引退後も格闘界はまだがんばっています。そして高校3年生の邪道大仁田も引退した長州を復活させようと盛んにアピールしています。また女子プロではクラッシュギャルズが対決して勝者ライオネス飛鳥が敗者長与を前座試合に出場させています。なんでもありのプロレスです。ここのプロレスコーナーを設けます。どうぞ御参加下さい。


ジャイアント馬場死す

はじめに 犬より 1999.2.5

御存知のようにジャイアント馬場が死去しました。馬場についてはいろいろな思い出があると思います。

追悼文として原稿お願いします。

1.ジャイアント馬場死去について byモノ 1999.2.8

 驚きました。朝TVを見ていたら突然「ジャイアント馬場さんが・・・」いやー殺しても死なないようなイメージがあった人が亡くなるとはショックでした。

 ジャイアント馬場を意識し始めたのは社会人になってからです。それまではプロレスをある意味、真剣勝負の格闘技としてしかとらえていなかったのですが、ある日会社の友人から「今、全日がすごくおもしろいんだよ」と言われてだまされたと思って日曜日の深夜日本TVで放送されている全日本プロレス中継を見たらまあ試合は別にこれはと言うほどのものはないが、今をときめく日本TVの看板アナウンサーになった福沢朗が担当していた「プロレスニュース」というコーナーがこれまたおもしろかった。特にタイトルコールの「プロレスニュース」と言うところをわざと変化を付けて「プ!プ!プ!プ!プロレス!ニュウ!ニュウ!ニューーーーース!」と絶叫したり「プロレスニユウス」と言ってみたりするところから自分をアピールしていました。内容も外国人選手のインタビュー記事をわざと外国人が日本語をしゃべるように話してみたりしていました。そんなところに「全日のプロレスを直に見に行こう」と友人から持ちかけられ、後楽園ホールに行きました。残念ながらジャイアント馬場はケガをしていて試合は組まれていませんでしたが、それでも試合の合間に会場に出てき,て手を振るなどのサービスをしてくれました。なんだかとっても嬉しかったように記憶しています。そのとき「全日本プロレスは最初の試合から見に行くものだ、メインイベントだけを見て評価してはいけないのだ」と思いました。どの試合もお客さんに見せるような試合内容でありながらここぞと言うときには自分の良いところをアピールしようと言う選手達の意気込みが良く出ていて楽しかった。

 すべてをコントロールしていたジャイアント馬場。多くの人から慕われ、愛された巨人。彼のことを良く言う人はいるが、悪く言う人はいない。体も大きいが心も大きかった彼の人柄を偲ばせます。惜しい人を亡くしました。合掌。

2.馬場の死について.by 闘将 1999.2.9

残念です.現役だったんですね.たけしをよくねたに使ってましたが,良くも 悪くもプロレスがどうゆうものを教えてもらった気がします.

3.ジャイアント馬場死去 by 犬 1999.2.10

 いつでも復帰OKの単なるセレモニーである「プロレスラーの引退」をついにしなかった馬場でした。あれだけの偉業を成し遂げたプロの選手、今流行の余力のある内に引退するんでしょうが、馬場はしなかった。永源、渕、木村、百田らと見せ物試合を毎夜見せていたが、今第一戦の選手ならそういう形での現役維持はしないでしょう。いつも動の猪木、静の馬場として比較され続けていた。猪木超えには藤波、長州、前田らが挑んだがどうも馬場超えに挑んだのは居なかった。試合はしても猪木のように超えたあとに決別することもなかった。今の全日本の選手達の活気も馬場という大きなバックアップが後ろに控えていたからこそ成立していたんでしょう。いつになっても戦国時代のままの新日本の喧嘩プロレスにも面白さはある。だからこそ仁義のある全日本プロレスの存在意義もあったと思う。しばらくは馬場の亡霊によって全日本も生き残るだろう。がエースの三沢、小橋を容易く倒す日本人レスラーが外部から侵入してきたらどうなるのだろうか?最も権威のあった頃のNWAのベルトに匹敵する世界のベルトを巻けるのは今の日本プロレス界にいるのだろうか?