「空明と傷痍」の創作 1924(大正13)年2月20日
   

「空明と傷痍」の創作
1924(大正13)年2月20日




『春と修羅』第二集の中に「空明と傷痍」と題された詩があります。

『春と修羅」第二集 二『空明と傷痍』
こう気(1)の海の青びかりする底に立ち     
いかにもさういふ敬虔な風に        
一きれ白い紙巻煙草を燃すことは      
月のあかりやらんかんの陰画        
つめたい空明への貢献である        
   ……ところがおれの右掌の傷は    
     鋼青いろの等寒線に       
     わくわくわくわく囲まれてゐる……
しかればきみはピアノを獲るの企画をやめて 
かの中型のヴァイオルをこそ弾くべきである 
燦々として析出される水晶を        
総身浴びるその謙虚なる直立は       
営利の社団 賞を懸けての広告などに    
きほひ出づるにふさはしからぬ       
   ……ところがおれのてのひらからは  
     血がまっ青に垂れてゐる……   
  月をかすめる鳥の影          
  電信ばしらのオルゴール        
  泥岩を噛む水瓦斯と          
  一列黒いみをつくし          
   ……てのひらの血は         
   ぽけっとのなかで凍りながら     
   たぶんぼんやり燐光をだす……    
しかも結局きみがこれらの忠告を      
気軽に採択できぬとすれば         
その厳粛な教会風の直立も         
気海の底の一つの焦慮の工場に過ぎぬ    
月賦で買った緑青いろの外套に       
しめったルビーの火をともし        
かすかな青いけむりをあげる        
一つの焦慮の工場にすぎぬ         

この作品の題は「空明と傷痍」、「空明」とは「水に映った月のかげ」を指すといいます。 それに「傷痍」、つまり「きず」ということです。 ここに登場する天体は月です。 この2月20日の天体歴をみると、

日の入  17時18分     
薄明終了 18時46分     
月の出  16時52分     
月南中  23時47分     
薄明開始  4時53分(21日)
日の出   6時21分(21日)
月の入   6時34分(21日)

となっています。 従って、この晩は一晩中月が見えていたことがわかります。 月齢も15.4(20時JST)で、満月です。 賢治が空明、水に映ったという月の姿を見ているわけですから、夜空も澄み天気も良かったことでしょう。
シミュレーションした画面は花巻における20時の東の空です。 しし座のレグルスの約1度南側を月が通過しています。 もう少しずれていたら月がレグルスを隠し掩蔽を起こしていたでしょう。
ここで、おもしろい事実を紹介しましょう。 この詩は夜間の情景が書かれていますので、その日付けとして、

(1)2月19日の晩から2月20日の夜明けまで
(2)2月20日の晩から2月21日の夜明けまで

の2通りが考えられます。 もし賢治が(2)の時間帯に月を見ていたら、皆既月蝕を見ていた可能性があります。 詩の内容からすると、天気の方は申し分ないようです。 本影食の時間をみると、23時10分頃、月の左下側から欠けは始め、(翌21日)0時10分過ぎには皆既に入ります。 赤銅色の月は1時55分頃まで続き、2時55分に終了します。 半影の時間を含めればさらに長い時間が見えていたはずです。 残念ながら、詩の中からはそんな様子を感じることができません。


月の動き
1時間ごとの月の動き(皆既月蝕の様子)
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赤道標系 1924年2月20日〜21日

小沢俊郎著「宮沢賢治論集2/口語詩研究」(2)、「右掌の傷は」でもこの詩の中の月について「この詩の二月二十日は満月前後に当たる。明るく冴えた寒満月のはずである。」 と、前年作の賢治詩の月齢から概算されています。 また、その解説によると友人の音楽教師藤原氏への気持ちを作品に表現したもののようです。 関連文献としては、「賢治と嘉藤治」(佐藤泰平著)などもおすすめです。


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(1)「こう気」の「こう」は、正しくは「景」に「頁」と書きます。
(2)小沢俊郎著「宮沢賢治論集2」有精堂


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