「ぬすびと」の創作 1922(大正11)年3月2日
   

「ぬすびと」の創作
1922(大正11)年3月2日




『春と修羅』に「ぬすびと」という詩が収められています。画面は1922(大正11)年3月2日 の日の出90分前の東の空です。やがて時間とともに薄明となり星ぼしは消えてゆきます。

詩「ぬすびと」
青じろい骸骨星座のよあけがた 
凍えた泥の乱反射をわたり   
店さきにひとつ置かれた    
提婆のかめをぬすんだもの   
にはかにもその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて   
電線のオルゴールを聴く    

この詩の冒頭に、「青じろい骸骨星座のよあけがた」と、星座の名前が登場します。 しかし「骸骨星座」という星座はありません。類似した名前として「りゅうこつ(竜骨)座」という星座があります。 「りゅうこつ(竜骨)座」は、昔「アルゴ座」という船をかたどった大きな星座がありましたが、そのあまりの大きさのために、 四つに分割されたものの一つです。 特に1等星のカノープスは、全天第2の明るさを持つ恒星ですが、日本から見ると南中高度があまりにも低いため、 中国の言い伝えにならい、見るととても縁起がよい星とされてきました。 しかしながら、賢治のいた花巻はほぼ北限を超えたあたりで、まず見ることは不可能な星でした。 また、りゅうこつ座として考えても3月の夜明け方では時間的にも見ることは困難な星座です。
草下英明著「宮沢賢治と星」によると、「青じろい骸骨星座のよあけがた」とは、 「明け方、薄明の空に一、二等級の輝星だけが消え残って、星座を構成している主要部分、即ち、星座の骨組みばかりが 残っていると見て、星座の骸骨、つまり骸骨星座を連想したと考えられる。」とあります。では、その様子を「さそり座」 を見本にシミュレートしてみましょう。日付はこの詩の1922年3月2日とします。

薄明に消えゆくさそり座(1922年3月2日)
チャート時間(午前) 解 説 
4時37分
日の出
90分前
日の出90分前のさそり座です。 まだうっすらと天の川も見えています。
この日の天文薄明開始は午前4時40分ですから、そろそろ暗い星が消え始まる時間です。 なおアンタレスの上にある赤い星は火星です。
4時47分
日の出
80分前
日の出80分前のさそり座です。
4時57分
日の出
70分前
日の出70分前のさそり座です。
微光星は消え始め、空がゆっくりとブルーに変って行きます。
5時07分
日の出
60分前
日の出60分前のさそり座です。
5時17分
日の出
50分前
日の出50分前のさそり座です。
この時間、見えている恒星はおよそ2等星、賢治のいう「青じろい骸骨星座のよあけがた」 の時間はこの頃でしょうか。
5時27分
日の出
40分前
日の出40分前のさそり座です。
もう1等星しか見えていません。この時間に確認できるのは、さそり座のアンタレス、 夏の大三角のベガ、アルタイル、デネブ、うしかい座のアルクトゥルス、おとめ座のスピカ、 そして火星(0.5等)、木星(-2.4等)ぐらいのものでしょう。水星(0.7等)も計算上は見えてい ますが、高度が4.3度でまず確認することは難しいといえるでしょう。

上の図をたどってゆくと、星が消えてゆく様子がわかると思います。 一応時間も予想してみましたが、限界等級については、例えば霧が出ていたり薄雲がかかっていると条件が異なり ますので、予め留意しておくことが必要です。
また、斎藤文一氏「宮澤賢治 星の図誌」のなかでは、「提婆のかめをぬすんだもの」 の「かめ」を「みずがめ座α星」とし、「黒い脚」を「銀河鉄道の夜」にみられた「琴の星(こと座)の脚」として解釈され、 その関連を指摘しています。


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