田部重治 1942(昭和17)年 8月 8日
田部重治
わが山旅五十年
1942(昭和17)年 8月 8日
登山家、そして文人としても著名な田部重治(1884-1972)の見た夜空です。
最近、再刊行された「わが山旅五十年」(1)は、生い立ちから、山に親しみ、そして各地の山々を次々と登ってゆく様子が時代別に記録集的に整理され、それでいて文章としても楽しく読むことができる構成になっています。
田部重治の山とのかかわりを知るには、好適な一冊と言えるのではないでしょうか。
もちろんその代表作、「山と渓谷」などもおすすめでしょう。
さて、「わが山旅五十年」にも星空を見上げた描写がわずかながら出てきます。
ちょっとした好奇心で、そんな星空を見てみましょう。
第四十七篇には、富士山登山でのエピソードが綴られています。
新宿発の夜行列車で、大月へ。
さらに吉田口へと向かい富士浅間神社の裏口からバスへ...。
途中休憩をはさみながらどんどん登ります。
六合目には午前9時半、八合目入り口が昼すぎの12時10分、山本小屋に午後1時着。
頂上へは翌朝のアタックと決め、今夜はゆっくりと過ごすことにしたところです。
『わが山旅五十年』第四十七篇より抜粋
夕食をすませてから床についたが、中々、眠られない、割合と暖くて蚤もいないのだが。
夜中に戸を叩くような音がする。
二時だ。
起きて戸をあけると、ルックを背負った二人の学生が戸にもたれている。
彼等は月が上るのを眺めているのである。
私もそれに見とれた。
雲が水平に鵞毛のような堆積をなし、それが空と接する一角にバナナの実のような形と色をした新月が、今や雲を押し分けて昇りつつあったのだ。
長い間、山に登って来た私ではあるが、斯うした珍しい光景を見たことがない。
私はそれを見て恍惚となった。
四時過ぎに起きて朝食を終え、すぐに出発した。
まだ朝日が昇らない。
小屋の真正面に雲海の上に屹立しているのが奥秩父山脈、その左に高く脈を曳いているのが八ヶ岳。
そう見えている内に太陽が昇った。
「第四十七篇」より(P451)
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実はこの第四十七篇を検討するにあたり、困ったことがありました。
年月までは本文から簡単に特定できましたが、何日に登山をしたのか?といったデータがどこにもないのです。
そこでとりあえず、前後の文章「八月になって私は急に思いたって富士山に登ろうと思った。」あるいは、この富士登山のあとにある登山記録「八月の山旅はこれだけで終らなかった。
八月十三日に福島県の信夫高湯か微湯温泉に泊まって一切経山に登り....」という部分から、8月1日〜8月12日までを候補にあげ検討してみることにしました。
よく読むと、月の描写から「その日」を特定できそうなことに気付きました。
夜中2時に外に出た時、昇る月を眺める学生の姿を見ていますから、「午前2時ごろに昇りかかった月が見える日」を探してみればいいことになります。
月の出時間をみると、8月7日が0時38分(月齢24.2)、8月8日が1時21分(月齢25.2)、8月9日が2時07分(月齢26.2)となります。
8月9日は午前2時の時点で、月が出ていないため不適となります。
従って予想では8月7日または8日となります。
ではこの2つの候補のうち、どちらが重治の見た月なのでしょうか。
ここで改めてもう一度本文に目を通してみましょう。
「バナナの実のような形と色をした新月が、今や雲を押し分けて昇りつつあった」という部分に注目してみて下さい。
「バナナの実のような形と色」というところには月の形と色の情報があります。
バナナの「形」は月そのものとして、「色」という言葉に着眼すると、「バナナの色=黄色」とすれば、普段は白っぽく、あるいは銀の輝きを放つ月との違いに気付くことでしょう。
どうも手がかりはこのあたりにあるような気がします。
月や太陽の出没時の色を観察すると普段とは違うことに気付くはずです。
これは大気による減光のために色が変化してみえるものです。
(厚い大気の層を透過できる光の波長と、そうでない波長の違いによります)
太陽が地平線付近から昇る時、または沈んでゆく時の「赤い色」はそのために起こります。
月の場合でも同じように変化し、赤味がかった色になります。
よく真っ赤な丸い月が、東の空から昇っているのをご覧になった方も多いのではないでしょうか。
「バナナ色の月」も、この大気の仕業としてみてみると、午前2時における月の高度から判断できそうです。
8月7日の午前2時の月の高度は約13度、そして8日が4.8度です。
大気による減光は、高度5度以下で顕著に現われますから、8日が一番の候補でしょうか。
但し、注意しなければならないのが、雲による減光など他の気象条件に起因するものもありますので、留意しておくのがいいでしょう。
月の形についてちょっと補足です。「バナナの実のような形と色をした新月が、」とありますが、新月が見えるのか?といった疑問を持つ方もあるかも知れません。
一般に新月は見えないもの、月齢が0をさしますが、時々朔を過ぎた月齢が1ないし2程度の細い月も新月ということがあります。
この風景の場合、月齢25.2ですから朔を過ぎてすぐ、とは言えませんので言葉の使い方は誤りですが、感覚的に新月の裏返しの形と思えばいいかも知れません。
シミュレーションした画面は、8月8日の午前2時の月の様子です。
細くなった月が、バナナに例えられていたと思うと、当時の食料事情などにまで気持ちが及んでしまうのは大げさかも知れませんが、「私はそれを見て恍惚となった。」という文からも、その風景がいかにインパクトの強いものであったかをうかがうことができます。
すぐ上のおうし座には土星が-0.1等星で輝いていました。
重治もきっと見ていたはずです。
4時すぎに朝食、すぐ山小屋を発ち、「まだ朝日が昇らない。」と言っています。
この日の薄明開始のころの時間を計算すると、
月の出 1時21分
薄明開始 3時22分
日の出 4時48分
となります。
文章のとおり、4時すぎでは御来光にはまだしばらく時間があります。
「そう見えている内に太陽が昇った。」時間は、5時少し前であったことがわかります。
実は、宮沢賢治の作品にも昇る月を取り入れているものがあります。
詩集「春と修羅第二集」の「林学生」という作品です。
- 参考文献 -
(1)平凡社ライブラリー「わが山旅五十年」田部重治著 平凡社(1996再刊)
(2)国立天文台編「理科年表 1997」(丸善)
kakurai@bekkoame.or.jp