永井荷風 1924(大正13)年8月23日
   

永井荷風
断腸亭日乗
1924(大正13)年8月23日




永井荷風(1879-1959)による「断腸亭日乗」、この膨大な42年間にも及ぶ日記の中に、天文に関連した部分見つけることができます。
文庫として磯田光一氏により摘録としてまとめられた、「摘録 断腸亭日乗(上)」(1)、をあたると、関東大震災から間もなく1年になろうとする頃、1924年8月23日に興味深い記述を見つけました。 この時期、荷風は麻布に「偏奇館」と名づけた住いを中心として活動を続けていました。

『大正十三(一九ニ四)年』より抜粋
八月廿一日。 晩涼牛込に飲む。
八月廿ニ日。 窗外(そうがい)虫声あり。
八月廿三日。 日中金星顕(あらわ)るるとて人々騒ぎあへり。
八月廿四日。 竹田屋『古四家絶句』その他持参。
八月廿五日。 鴎外全集第九巻成る。 北条霞亭の伝を収む。 終日閲読。
八月廿六日。 昨来の風雨夜に入りて益烈し。 電燈点せず。 石油ランプの下に霞亭伝を読む。
八月廿七日。 風雨来りてはまた歇(や)む。 秋蝉雨の歇む時一斉に啼出で、雨来れば直に声なし。 時ゝ雲散じて青空を見る。 江東の陋巷(ろうこう)例の如く出水甚しといふ。

8月23日、「日中に金星があらわれて、人々が騒ぎあっている」と、白昼の星見が記されています。 果たして、金星を見ることができたのでしょうか。 白昼の星見が、社会的な話題としてとりあげられることが興味深いですね。 この日の正午の太陽と金星の位置関係はシミュレートした画面のようになります。 太陽と金星の角距離を調べてみると、44度35分になります。 これは、9月10日頃迎える西方最大離角の直前で、太陽からのみかけの距離(角度)が十分あること、そして金星の光度も-4.5等で、十分明るいことからこの記載は十分信頼性の高いものといえます。
シミュレートした画面は、正午で表示しましたが、実際には金星が南中する8時50分頃が最も見るのに適した時間といえます。
参考にこの日の夜明けの明星の見え方を示しておきましょう。

ふたご座に金星があります。 最大離角に近い時期ですから相当早く、金星の出は午前1時41分です。 月齢22.0の月がヒアデス星団の近くに出ていました。
昼間の星といえば、賢治の作品にも「ひるもなほ星見るひと」として登場してきます。


- 参考文献 -

(1)「摘録 断腸亭日乗(上)」岩波文庫
(2)松本哉著「永井荷風の東京空間」河出書房新社


▲文人たちの見た星空ヘ戻る


メインページへ

宮沢賢治のページへ

☆星のページへ

△山のページへ

kakurai@bekkoame.ne.jp