まず私の今日までの宗教的背景を思い出すままに述べてみよう。私が生まれたのは、広島県の呉市の沖の倉橋島である。この地は「安芸門徒」と呼ばれる、親鸞上人の開いた浄土真宗の勢力の強い土地である。島の幼子は例外なく祖父や祖母の膝の上で子守歌代わりに法話を聞いて育つのである。そして少し長ずれば「南無阿彌陀仏」と念ずるのである。これは阿彌陀仏に帰依することであり自分一人と阿彌陀仏の関係であり信仰を他者に及ぼさない。
次に影響を受けたのが、カトリックである。小学校5年生のとき広島市の小学校に転じたが、その小学校の前にカトリックの教会があったのである。パイプオルガンの響きが幻想的であったこともあるが、誘われて行った日曜学校の異国のシスターの恋したのであろう。これはシスターが帰国する中学3年生まで続く。この間、新約・旧約の聖書は読み終えた。儀式の仰々しさにうんざりしていた頃、「もの見の塔」という教会主義を否定するグループに出会い、英文の聖書の勉強会に通った。これも高校を卒業すると同時に終わった。付和雷同の学生運動期を経て猛烈に宗教思想史を読み耽った。大学院がプロテスタントのメソジスト派の青山学院だったので神学研究科の学生に誘われて「ヘブライ語で読む聖書」「ドイツ語で読むマタイ伝」とかの研究会に出没していた。ファッションとしてキリスト教学習であったような気がする。
こうした頃、京都駅で偶然出会った、故郷の寺の息子に誘われて龍谷大学の夏期の読経講座に参加した。一日中大声で読経していると何日かたつと仏が目の前に現れるような錯覚に捉われる。
このように宗教を「学」として、もて遊ぶような遍歴にピリオドを打たせたのが、韓国の慶州の日本海を臨む山の上の石窟で出会った老婆である。何という宗教かは知らないが、自らの家庭の悩みを訴え、少しでも今の暮らしを良くしたいと氷点下の中を薄着一枚で素足で懸命に祈り願う涙ながらの姿を見せつけられたことによる。ここには理論は不要である。儀式も不要である。これが宗教なのであろう。原罪が何だ。今を生きる人間の現世の幸せを説くことなしに何の宗教ぞ。葬式宗教に堕した日本の宗教界は自らの葬式を準備しているのであろうか。今日いじめを理由にいとも簡単に自殺を選択する(死へのハードルが余りに低い)ことは社会における宗教観の欠如である。宗教界は「宗教法人法」の改正などの世俗のことに捉われている暇はない筈である。宗教本来の目的(宗教法人法に言う「法人の目的」)を真剣に追求し国民の提示すべきではないのか。
その後は、地蔵信仰とか石仏信仰とか民衆の素朴な宗教に引かれていった。一方で様々な宗教の法座、座談会に加わってみた。それら全ての集まりで救われた人の体験が話される。どの話も感動して聞かして頂くのであるが、ある時、塾の卒業生の母君の『人を変えたいと思うならまず自分が変わらねば駄目だ』が私の心を打った。選挙というのは人に「私の名前」を書いてもらうことであるが、これは強制できることでも、お願いできることでもない。後援会を組織するとか、パンフを撒くとか、駅頭で演説をするとか、諸々の戦術を「票を取る」ために考える。母君のふとした言葉は、これらが根本的に間違っていることを気付かせてくれた。『まず、私自身が、候補者本人が、「名前を書いてもらう」のに値するだけの人間に変わらなくてはならないのであろう。』と。この言葉で私は随分変わったような気がする。善意で言ってくれる、「後援会を早く作れ」「新年会・忘年会をやれ」「旅行会をやれ」等々。いまだ自分の得意でないことに手を出せば、際限もなく追い立てられるような不安にかられる。まず、自分の務めを果たすことである。議員として日々の仕事に全精力を注ぐことである。それが正しければ、人は集まってきてくれるであろう。『桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す』昭和54年の区議選出馬にあたって白井信男さんに色紙に書いて貰った言葉が思い出される。
この母君はこの宗教を生甲斐にしておられる。私はこれを否定する事など出来はしない。
かくの如く、私は極めて宗教に好意的な立場に立脚するとご理解賜りたい。つまり、私が問題にしているのは、宗教者個々の政治参加ではない。また宗教者だから「結社の自由」を国家権力を持って制限を加えようというものでもない。宗教者が団体として社会に貢献するには政治的団体の手法とは違ったものがあるのではないかというものである。
先ず、私の『こんにちは』8月号(第22号)の「LOCAL PARTYの誘惑」と題する小文を再掲したい。(大塚氏の「看過ごせない」とする文を含む節のみ) |
『私は政党とは同じ主義主張を有する者が同じ政治目的を達成するために集合する集団であると解する。従って、新進党のように選挙目的のためのみに集合したとしか思われない団体を政党と看做すことはできない。民主社会における主権者としての市民には色々な考えを持つことが許容されるのである。私は私の思考の上部に一つの神なり、一つの教義を有する宗教団体を置くことは出来ない。従って宗教団体が政党を成し、あるいはその一翼を担い政権を奪取せんとする勢力に党員として荷担することは出来ない。それは自らの良心の叫びに抵触することである。個々の政策では一致する部分が多いとしても、又、個々の議員は心に宗教心を持ち、人間的に尊敬し得るに足るとしてもである。
私は宗教の存在、社会的役割りを否定するものではない。だが、宗教は真に、個人個々の問題であり、かりに宗教者が政治に参与するならば個々の候補者の支援程度にとどめるのが個人の内面を司る宗教者の節度であると信じて疑わない。
「いま宗教を持たぬ人には宗教を弘めよ。しかしすでに宗教を持っている人には改宗を説くな」とは、インド独立の父、マハートマ・ガーンディーの言葉である。』
「宗教団体が政党を成し、あるいはその一翼を担い政権を奪取せんとする」ことは間違いか
貴兄の文章を私は大変興味深く読んでいます。共感する部分が多いのですが、上記の部分だけは、日本憲法の精神と理念に直接抵触することなのでどうしても看過できません。こうした考え方は、最近自民党議員の一部やマスコミで取り上げられていますが、これらはいずれも日本憲法の精神と戦前の旧日本軍が国家神道を利用して国民を悲惨な戦争に駆り立てた歴史の教訓をないがしろにするものです。
この問題を考えるとき大事なことは、思索の尺度、判断の基準をどこに求めるのかと言うことです。日本人は宗教には良く言えば大変寛容で悪く言うといい加減です。貴兄が本号の最後の部分でバァイツゼッカー前ドイツ大統領と島村文相の発言の相違を取り上げていますが、日本では戦後、外交や政治上での戦争の総括が行われていないだけでなく、更に、国家神道とそれによる国民への戦争誘導と言う点に対しては全く省みられませんし、政治家や宗教家も、今日尚、研究を行っていません。これは国家神道が直接天皇家の宗教であり、国家神道の戦争責任問題を掘り返すことは、天皇の戦争責任を問うことであり、「臭いものには蓋」の典型がこの問題であったのです。今日、政治と宗教に関して、おおむね取り扱いに戸惑いが見られるのは、日本の社会が「宗教」という問題をことさら避けてきたためで、判断の尺度の取り方に迷いが見られ、多くの方がきちんとした判断基準を持たないままに一方的な見解を述べるに止まっていることは遺憾だと思います。
繰り返しますが、この問題を考える基準は日本国憲法の「信教の自由」の精神に立ち返るしかありません。すでに自明だと思いますが、日本国憲法に言う信教の自由とは、政治権力の宗教への介入の禁止です。これは、戦前の軍部政府が国家神道を国教にして、国民に戦争協力を強要したことに反省して成立していますが、逆に宗教側から政治参加を制限する規定は何もありません。これは当然のことで、宗教人だからと言う理由で、「集会結社の自由」に制限が加えられると言うならそれこそ基本的人権の侵害です。そして、もし仮に宗教側から特定の宗教を国教もしくはそれに準ずるものとして、権力から特別の便益を受けようとしても、まさに、その不介入の原則から政治は、特定の宗教に便益を共与することは出来ないし、特定の宗教の専横の歯止めにもなっているのです。
ところで、現在の「公明」にしてもあるいは新進党に参加した公明系の国会議員にしても、支持団体である創価学会を日本に於いて、特別な宗教にしようなどと言う目的もなければ、求められてもいません。日本国憲法がそれを禁止していることは誰よりも我々が十分承知しています。また、新進党にしても、政治の理念と政策は、結党宣言や政策の中で謳われることに尽きるわけで、創価学会を特別扱いしようとしているのではないかなどの変な邪推をされては新進党も迷惑でしょう。新進党に参加した政治勢力は、政治改革をやろうと言う政治目的の下に結集したに過ぎません。また、政党である以上は、政権を執ろうとするのは当然で、より多くの支持を得られるよう競い合い、切磋琢磨して国民の信頼に値する政党に成長できれば、良いのではないでしょうか。
そして、「宗教団体が政党を結成することが問題だ」という議論に至っては、そうした論旨自体が逆に憲法違反なのです。集会結社の自由とは基本的人権の一つです。そもそもこうした議論をする人に、明確な思想上、理念上の根拠は何かと問うても、答えられないのが普通です。もともと根拠がないのですから。ただ、こうした議論が出てくる背景には理由があるのです。それは、日本では政治と宗教の関係は歴史的には、常に政治が宗教を利用してきたというのが実態なのです。江戸幕府は檀家制度を作って宗教をして封建支配の道具として利用してきましたし、明治政府も旧幕藩体制から明治新政府の支配を確立するために、国家神道の当主としての天皇家の権威を以って明治政府の権威として利用したのです。その後、軍部政府に国民の戦争参加に国家神道が更に露骨に利用されたのは前述したとおりです。
つまり、宗教は日本では常に政治のしもべだったのです。よく日本の市民社会と民主主義は勝ち取られたものではなく、戦後アメリカによって与えられたものである、と言われますが、信教の自由もそれと似たり寄ったりです。人間の自由と権利を守って自立的な個人を支えるという社会運動を日本の宗教界は今までやってきませんでした。これは大変残念なことです。ただ、こうした歴史的事実から宗教団体は積極的に社会運動を展開したり、政治的な活動をしない(これは宗教団体が退廃している証拠であって本来のあり方ではないのですが、)ものという固定的見方が定着し、それに当てはまらない創価学会のような団体はどう理解して良いのか解らないと言うのが実際ではないでしょうか。
しかし、ヨーロッパなどでは宗教が政治権力に対抗して民衆の側に立って、権力の行き過ぎをチェックし、社会の発展と平和に行動することは当然のことではないでしょうか。ただ、それが創価学会のように自前の政党を作ってやるか、他の宗教団体のように既成の(主に自民党)政党に自前の候補を送り込んでやるかは、その団体の主体的勢力の大小に依るのでしょう。
いろいろ申し上げましたが。それでは「公明」や「創価学会」が今のままで全く良いかと言うと決してそうではありません。理屈はともかく国民の多くが漠然たる気持ちにしても理解できない部分があれば理解してもらえるような改革をしなければならないのは当然ですし、貴兄が言うように、その人その人の内面の宗教的信条はそれぞれに違いがありますからお互いにそれを尊重し合っていくことが必要だと思います。逆に言えば、お互いに尊重し合っているからこそ、新進党の中にも憲法観の違いもあると思いますが、それを乗り越えて、政治と経済の改革という政治目的に向かって前進しているのだと思います。(以上、反論P.4〜5の全文引用)
大塚氏の「宗教は日本では常に政治のしもべだった」と「神道が直接天皇家の宗教であり、国家神道の戦争責任問題を掘り返すことは天皇の戦争責任を問うこと」そして「日本の社会が「宗教」という問題をことさら避けてきた」の点においては、もう少し詳細な検討の必要を感じるが結論において異論はないし、この再反論の論点ではない。日本国憲法の下、支配の正当性は正統性でも神の意志でもない。日本国の構成員である国民の意志に権限の源泉があるのである(日本国憲法前文および第1条)。この点も大塚氏と一致している。問題は日本国憲法第20条の解釈の相違であろう。
大塚氏は「宗教人だからという理由で「集会結社の自由」に制限が加えられると言うなら、それこそ基本的人権の侵害」という。そして「創価学会のように自前の政党を作ってやるか、他の宗教団体のように既成の政党に自前の候補を送り込んでやるかは、その団体の主体的勢力の大小に依る」。大塚氏と私の基本的な認識の差はまさにこの点にあるのである。上に掲げた条文の「政治上の権力」を行使する主体をどう捉えるかである。政府の現在の解釈はこれを「政府」としている。つまり「国家権力」が宗教団体への特権付与を禁じた規定としている。これはおかしい。英文の方に比重を置く気は毛頭ないが、現憲法の下敷きとなったとされる英文では「政治上の権力」の行使を否定されるのは「宗教団体」である。特定の宗教団体への特権付与を禁じるとは大塚氏のいう「戦前の国家神道に対する反省」であろうが、もしそれだけならば条文の精神からも導き出されることであり、あえて規定する意味を見出せない。大塚氏のいう「宗教側から政治参加を制限する規定は何もありません」は、宗教側が政治上の権力行使を禁止されていることの証左であろう。つまり「政教分離」とは、二車線道路の中央の白線のように「聖」と「俗」が越えてはならない「線」であるべきである。(車の免許を取立ての頃、白線のセンターラインと並んで別に黄色の線があり何のことか不思議に思った覚えがある。これは、白線側からは入れるが、黄色側からは入れないというものであった。)大塚氏の「宗教側はフリーハンド」とする主張は断じて容認できない。政府見解は変更されるべきであろう。
だが、日本国憲法制定当事、制憲者は国家の非宗教性の確立は、神道が国教的に旧憲法下の超ナショナリズムに利用された経験の反省から「特定の宗教団体への特権付与」禁止をのみを念頭においていたと思われる。日本の歴史の中でも宗教団体がプレッシャーグループとして政治に容喙する経験は有するのであるが、すなくとも制憲時にはアメリカなどの西欧におけるキリスト教会団体のような政治的に権力を行使し得る団体の存在を考えていなかったかのようである。従って、「政治上の権力を行使する主体をどう捉えるか」という議論が表面化するのは、宗教団体である創価学会が自前の政党を結成し、政党であるならば当然ではあろうが政権奪取の行動に出たためであろう。そしてその存在が無視できないものに成ってきたためであろうと思う。
日本国憲法(第20条第1項)の条文の曖味さから離れて、では我々は政治と宗教の関わりはどう考えるべきであろうか。信教の自由の保障は反面では国家の非宗教性の義務を意味するものである。文化人類学的に言えば西欧の一神教文明下の社会とは異なりアジアの農耕民族の日本には「八百万(やおよろず)」の神々が存在する。そうした宗教的風土の中で、大塚氏の言う「団体の主体的勢力の大小」で一つの宗教団体が政党を結成し、一大政治勢力を形成することの是非は法的な解釈とは別に存在するのではなかろうか。極端に言えば、宗教団体に属さない人にとってみれば「日本人としてのアイデンティティ」と衝突するのではあるまいか。日本国内に内面の部分での争い(いわゆる宗教戦争)を回避して欲しいと願うものである。
先日の衆議院での「宗教法人法」改正審議の中で、山口那津男さん(旧公明党)が質問するのを聞いていて、(改正への賛否は別にして)宗教法人に全く関係を有さない者であっても質問するとなれば同じような切り口の質問になるであろうと思った。が、しかし、残念なことに氏の質問は宗教団体のタメにする質問と見られてしまうのではあるまいか。(私自身もそのような偏見を持って聞いていたが、翌日の新聞で活字から素直に振り返ると、さすがに法律のプロで的確にポイントを突いていると感じた。----私自身も活字で確認しなければ「タメにする質問」という偏見の印象のままで終わっていたであろう。)
特定の立場に立てば正論が正論として見られないのである。従って、仮に「タメにする質問」であっても結果として「タメ」にならないのである。どの団体にとっても真の味方になり得るのは「無色・透明・中立」で特定の立場から超越した存在であるのである。これは哲人政治でない衆愚政治である民主主義政治の原点であろう。
【大塚武議員からの反論(上記赤字部分に対する)】
「私信である」という大塚氏に無理にお願いしての引用掲載である。最初は大塚氏の文中の赤字部分のみの引用であったが、文脈上誤解を生じることを避けるため当該節の全文を引用させてもらった。大塚氏に感謝。
木下しげきの再反論・・・・・
文明が発達して富の創造が集団の構成員の必要を上回れば、余剰の富は集団にリーダーの下に集中することになろう。そのリーダーは猿山のボスの如く腕力に秀でた場合もあろうし知恵に優れた場合もあろう。そうしたリーダーの率いる小集団が相互に闘争を繰り返し、そのリーダーは一定の地域を支配しうる大王に成長してゆくのであろう。こうした過程ではそのリーダーの後継者達は支配の正当性を正統性に求めるか、形而上的な創造物である神の意志に求めるのは、自然のなりゆきと言えよう。
【日本国憲法第20条】
【Article 20】