LOCAL PARTY(地域政党)の誘惑

葛飾区議会議員 木下しげき


日本新党→新進党=NO!

 私は政党とは同じ主義主張を有する者が同じ政治目的を達成するために集合する集団であると解する。従って、新進党のように選挙目的のためのみに集合したとしか思われない団体を政党と看做することはできない。民主社会における主権者としての市民には色々な考えを持つことが許容されるのである。私は私の思考の上部に一つの神なり、ひとつの教義を有する宗教団体を置くことは出来ない。従って宗教団体が政党を成し、あるいはその一翼を担い政権を奪取せんとする勢力に党員として荷担することは出来ない。それは自らの良心の叫びに抵触することである。個々の政策では一致する部分が多いとしても、又、個々の議員は心に宗教心を持ち、人間的に尊敬し得るに足りるとしてもである。私は宗教の存在、社会的役割を否定するものではない。だが、宗教は真に、個人個々の問題であり、かりに宗教者が政治の参与するならば個々の候補者の支援程度にとどめるのが個人の内面を司る宗教者の節度あると信じて疑わない。私は隣人の信じる宗教を尊重する。同様に私の宗教を含む内面の価値に踏みこんでくることは拒否する。『いま宗教を持たぬ人には宗教を弘めよ。しかしすでに宗教をもっている人には改宗を説くな。』とは、インド独立の父、マハートマ・ガーンディーの言葉である。

無党派≠無所属、無党派→地域政党の結成

 これまで産業振興といえばメーカー側の、商業振興といえば商店の側の視点であった。ともに最終ユーザーである生活者の視点が欠落しているのである。マクロに見れば、そのいずれもメーカーか販売者と最終ユーザーである生活者の役割も有するのである。だがこれまでは都市の大多数の生活者は従来の全国規模の政党のワク組みの中ではサイレントマジョリティーとして置かれて来たのである。都市の生活者には都や市の生活者の、地方の生活者には地方の生活者の要求があるのである。従って、もはや一国をひとつの価値観で貫く政党の存在は終焉の時期を迎えようとしている。

 私は地域に根ざす地域政党の結成を目指すものである。しかし、この地域政党に所属するメンバーが全国規模の政党に属することを妨げるものではない。また、将来同一理念に集う他の地域政党とゆるやかに連帯し全国政党に加わることを否定するものでもない。こうした地域政党の結成を目指すにあたり、私はこの地域政党の代表として、また、葛飾区の住民の年来の願望を達成するために、衆議院議員を擁立したいと考える。今日の葛飾区選出の衆議院議員に望まれる適性は、地域代表の面を特に必要とする。確かに国会議員の選出選挙区は便宜的なもので全国民を代表するというのが日本国憲法の理念ではあるが、選挙区制を採用する以上、当該選挙区の住民の声の反映という面も併せもつ役割である。官官接待はパイプを持たない地方自治体の愚かな浅知恵である。(笑うに笑えない一面も持っているが。)

「屯田兵」的、衆議院議員候補・三顧の礼を持って迎えたい人は

 葛飾区は過去43年間、国会議員を持たない地域であった。選挙区が足立区、江戸川区とともに東京第10選挙区となった昭和42年以降は、保守系においては江戸川の島村氏、足立の鯨岡氏の両陣営の又裂き状態にあり葛飾区の住民の声の反映と固有の願いが反映されることの少ない地であった。そういう意味で葛飾区の候補者として先ず、荒れ地から大岩や大木を取りのぞき開拓の第一歩をしるす「屯田兵」の役を果たしうる人材を必要とするのである。そこで自らを顧みるに高邁な理想は掲げてはいても、知識と経験のおいて区議一期生では悔しいがいまだその「人材」足りえないと考える。

 同様の意味で「タレント」と称される人々の立候補には懐疑的である。タレントを本来の意味の「能力」と解するならば納得もできるのであるが、知名度を選挙戦略上の武器としての登場では批判的にならざるを得ない。

 一方、法律家出身の候補者の多さも目につく。「法の不備を是正する」というのであろうが、彼らには、法そのものを否定する思考回路が欠落あるいは摩滅している場合が多いであろう、法そのものを否定し立法論のみを繰り返していては法律家として成り立たないのである。少数の法律プロパーは歓迎するところであるが、本来、法は社会現象の後追いであり、指導層が法律家だらけだと社会のダイナミックな進展をそこなう恐れがある。「悪法もまた法なり」とするソクラテスもまた政治家には不向きである。(これは国民として法に従うこととは別問題である。)

 私は自分自身がその「人材」足りえないならば次善の策として自分に代り得る人物を求めねばならない。上記の基本的な条件に加えて、

  1. 即戦力、
  2. 不惜身命を貫ける人=過去に黒い噂の無い人、
  3. 区民の要望のレシーバー足り得る人=地元に目を向ける人、
  4. 国の政策にも通じ人間的魅力を有する人
の、4条件を設定し適当な候補者を渇望している。一方、最近30年間の葛飾区に於ける選挙の投票行動を検証し様々な角度からのシミュレーションを繰り返し、葛飾区民の希求する候補とはどういう人物であるのかの検討作業を繰り返している。

 94年の始め、日本新党にユメを託して作った葛飾支部の規約(副題が「市民参加の政治をめざす葛飾区民憲章」)の前文である。記念碑的に再掲しておきたい。

 政治は過去幾多の人類の共同の遺産を受け継ぎ、将来の人類によりよい地球を残すことを最終目標とする現に生きて生活する現在の人類の崇高な営みであらねばならない。『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し』と間接代議制を宣言する。これは代表者のその権威の源泉はわれわれの付託であることを意味する。われわれは、本来自分たちのために存在すべき政治が一部の者の利益のために存在している現況を憂うものである。投票率の低いことを憂うものである。これを脱却し、真の政治状況を創造するためにはこれまで単に投票するという受動的な立場でのみ行動した普通の人びとが、われわれ自身とわれわれの子孫のために立上がらなければならないのである。

 日本新党という既成の政党支部の形をとり、これに依拠してはいるが、これは個々の人々の政治参加を制限するものであってはならない。われわれは従来の上意下達の政治を廃しわれわれの手によるわれわれ自身のための地域社会を再建するために本憲章を制定しその精神を実現するために『日本新党葛飾支部』を結成する。

【94年1月30日、日本新党葛飾支部結成大会で発表】


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