檄々録 (げきげきろく)  第 11 倉 庫   2017年9月27日〜

咆哮+檄文+放言  怒り/哀しみ/恐怖心、 そして 諦念 ?  目次 総研


29.10.20 後期研修医の主治医とのトラブル
 9月23日、母親が誤嚥性肺炎で三郷健和病院に入院させてもらった。90の声を聞いた辺りから誤嚥性肺炎ないし尿路感染での入院が年に1度程度の年中行事になってしまった。前回は28年12月、その都度医師、看護師、理学療法士等の方々の適切な処置で命を長らえて家に帰ることができた。今回も基本的には同じであるが、「主治医の病状説明」が我々を激怒させたわけである。@自力での食事が困難である。遺漏を検討するか。A見取りを考えねばならない。このまま入院を続けることもできる。その翌々日母親の面会に行ったとき、食事介助をしてくれていた理学療法士(前回食事指導してくれた人)さんの言葉を聞くと主治医のハナシと全く齟齬していた。「先生はそういう積りで言ったのではないと思います。」と庇っていたが、聞く側にそう受信させたのは発信者がどう思っていようが関係ない。発信者の責任である。そこで、病院に電話して「後期研修医の主治医を変える様」依頼した。同時に平素訪問診療、訪問看護でお世話になっている診療所、看護ステーションには、もし主治医が〇〇の報告書が届いたら廃棄してくれるように頼んだ。

 1週間後再度の説明会があったが同じ人間が主治医として出てきた。当方からはケアマネージャーさん、平素訪問診療をお願いしている診療所の師長さんに同席してもらった。同じ主治医が曰く。@「後期研修医というのはなく医者である」Aパソコン上の検査結果を示しながら「素人の方には分からないでしょうが」確かに素人だが、母親を介護して15年、少し開けてその前に5〜6年、父親にも付き合ってきている。医者は不特定の人間のデータで遊んでいるのだろうが、こちらは親の生き死にをかけてデータの数値に注目しているんだぜ。CRP値が入院時0.68mg/dlが3.87→0.52→0.16→0.08とくれば退院も近いな程度は体験的に分かるんだよ。 B食事に関しては私ども見解であって押し付けるものではありません。C見取りを考えるか、このまま入院を続けるかに関しても同様です。

 「あっち向いてホイ、こっち向いてホイ」の初期研修を終えて3年未満のヤツがよく言うよ。確かにわが国の法体系上は初期研修を始める前に国試を通過しているから「お医者様」かもしれんが、例えば太平洋を飛んでいる航空機の中で妊婦が苦しみだしたときCAさんに「お医者様はいらっしゃいますか」と言う求めに応じてお前は手を挙げられるか。5〜6年前に一緒に「最上の命医」の第一回目を見ていた塾OBはERでの後期研修が終わってそのままERで6年、初期研修から11年たっても「手は上げるだろうが、それでも怖い」と言っていた。「ネオカルハンドや不全足位」などは産科プロパーでERでの知識では対応できないかもしれないという。(偶々見た10月28日の読売の夕刊で元脳科学者の弁護士石黒さんが、私立大学の看護学生に「あなたたちはのどをつまらせているのを放置したり、アラームに反応するのを怠ったりして患者さんを簡単に死なせてしまうこともできる。だからこそ医療事故の実情を知ってほしい」と言う。)医療に携わる人たちには本来怖いはずなんだよ。恐れを知らずルティーンワークと捉えるからミスが頻発するのだろう。 厚労省は研修医に金をバラ撒きたくて役に立たないツアー研修の制度を作ったのであろう(注1)。「あっち向いてホイ、こっち向いてホイ」の初期研修で何を学ばせたいのかようわからん。

 この後期研修医の主治医とこれまでの経験豊富な主治医とのどこが違うか。これまでの主治医は看護師や理学療法士を通じて家での食事の状況、食事のさせ方、退院後の家族の希望等々、その他第三者のケアマネさんにまで詳しく聞き取り調査をして病状説明の場に出て来る。その際、集めた情報に自分の見解を加えて、例えば『可能なら食事時間を拘泥せず、本人が覚醒しているときに与えるように。お聞きしている食事の量や油分でカロリーは十分足りていますので1日単位でなく3日単位で考えればいいです。水分もお聞きしている量で充分です。』と説明した。後期研修医の主治医はこの聞き取りのプロセスを全部カットして目の前で起こっていることが全てであると思い込んでその他に思いを致す余裕すらない。これが経験の差なんだろうね。

 94歳にもなって入院していれば「見取りを考え」ねばならんことはてめえに言われなくても分かっている。家族が敢えて触れないところに踏み込んで来るんじゃあねえ。

 後期研修医というのだから「指導医」がいるはずだと思うが、その「指導医」先生はなにしとるのかと問いたい。研修というのは名目で単に労働力として(注2)使っているのかな。 三郷健和病院には「暴力、暴言は許しません。」の掲示物があったが医師の側の無知による暴言はOKなのかい。

 同席してもらったケアマネージャーさん、師長さんは帰る途中のエレベーターの中でこの医者を評して「何か違和感を感じる人だった。」と言っていた。

 最後にこの後期研修医の主治医が訪問診療に母の下に出向いてくれている医師に宛てた診療情報提供書の全文を記載しておこう。(我が家の方針は我が家の者の関わる医者同士の紹介状ないし依頼書の類い、そして診療の報告書は全て写しを取っている。紹介状の開封をとがめた医者は今のところ一人しかいない。ならばということで、その医者への受診をキャンセルし、その旨を紹介状を書いた医者に報告した。)最初から診療情報を秘匿したがる医者に信頼はおけない。誰の情報でもないオレの情報だぞ。

曰く

『平素より大変お世話になっております。誤嚥性肺炎にて入院となり、抗生剤治療にて改善を認めました。嚥下に関しては認知症状の面もあり口腔内に口腔内に溜め込んでしまうため、積極的な経口栄養は厳しい状態です。キーパーソン、息子さんに経口栄養は厳しい旨を話しましたが、うまく伝わりませんでした。現状を受け入れられない状態と考えられ、見取りを含めた今後の話については信頼関係を築かれている貴院に御願いしたく存じます。御多忙中大変恐縮ですが今後の御加療のほど宜しくお願い致します。』

とくる。この研修医の主治医は自分の言い様のどの辺が家族を激怒させたかについて一顧だにしない。そして想像する能力が欠落している。「キーパーソン、息子さんに・・・うまく伝わりませんでした。現状を受け入れられない状態」とあくまで経験値の低い自分の判断を正当化しようとするような診療情報提供書を書き、他のまっとうな医者の判断に錯誤を生じさせる。「現状を受け入れられない状態」というのは、所詮、後期研修医の戯言である判断を。

≪29.10.29加筆≫

 16日に退院して、翌日から入院前とほぼ同じ経口からの食事量にもどり、20日からは火金ペースで従来通りデイサービスを利用している。ショートステイも11月の何日になるかは不明だが受け入れ可能との連絡があった。これまでの連続12日というのを日を開けて6日ずつ2回という案が出ている。 家と病院では違うのよ。

≪29.11.6加筆≫

(注1) こういった制度のできる前、慶応病院のインターンは3万円のお小遣い程度の月給で希望すれば夜勤のバイト先を紹介してもらえたという。最初は怖いらしいが患者も来ない夜が多いし、来てもできるだけ何もしない、慣れてきて適当に診察しても、人間死ぬようなことはめったにないと、怖さがマヒして来る。

(注2) 中国やバングラデシュの民を研修生と言う名で日本に呼び寄せて低賃金で人手不足を補うあこぎな日本企業と大差ない。


29.10.16 塾屋43年、医学科進学に関わったヤツ 塾+個人指導で31人

◆昭和49年、友人が柏に転居した。その大家の子供が医学部志望だが数学がやばいというのでお声がかかった。まだセンター試験の前で共通一次の時代だったような気がする。翌年千葉大医学部に合格した後素直に喜ぶのでなく「本当は理Vに行きたかった」とのたまう。その後のことは知らないが年は努力なしに皆拾えるから、今年は還暦越えの61になっているハズ。生きていればだが。

◆葛飾区という地域柄「千葉大医学部」の出身のヤツとよく出会うのだがここ出身の医者は邪魔くさいヤツが多い。患者や家族や千葉大の方が上だと思い込んでいる学校出身の医者には権威風をふかす、東大、医科歯科大、慶応大出身者の前ではネコになる。千葉で開業しているヤツはお山の大将を決め込んでいる。(これはどこの医学部のある地方でも似たような傾向はあろうが、広島では多少身の程を知っていて、せいぜい「小山の大将」にとどまっている。)

◆私の祖父が広島から上京していたおりカープの初優勝に遭遇し、万歳を叫び過ぎて体調を崩した。最寄りの「千葉大出身の医者」の医院を初めて受診すると、「自分は千葉大出身だが、この先の先生は群馬大出身だ。」と聞きもしないのに熱く語る。「千葉大ちゅうのは霞ケ浦の方の駅弁大学か。どこの出身でもええけえキチンと診察してくれ。」次女を原爆の直撃で殺された祖父は命の西山に没するまさにその時まで「アメリカに原爆をぶち込んでやりたい。」と言って当時の被団協や原水禁などの反核勢力と対峙していた猛者である。そんな祖父にとって医者の出身校なんぞ屁のつっぱりにもならない。祖父にとってはどこの出身だろうが自分の病状を改善してくれるのがいい医者なのである。多少カッカしたせいか元気になった。で昼飯食いに行ってその足で「群馬大出身」の先生の医院を初受診した。こっちの先生のほうは穏やかそうで、はるかに病人の思いに寄り添っていた。以来、母が認知を疑われ、青戸慈恵医大病院を紹介されるまで30年超お世話になった。

◆塾には銭の面で国公立しか行けない子がほとんどであったが、百姓の子供や開業医の子供もいた。オレの役目は合格するまで、あとは入学しようが、翌年、再受験しようが国試に落ちようが一切無視した。当時は二期校コンプレックス、市立コンプレックス、新設私大コンプレックスやら医者になりたいのならどうでもいいものを引っ張り出して勝手にお悩みごっこをしていた。今なら「ノーベル生理学・医学賞のiPS細胞で知られる山中伸弥さんは神戸大学医学部出発。ニュートリノ振動の発見でノーベル物理学賞の梶田隆章さんは埼玉大学理学部スタートだぜ。18歳時点の所詮高校での出来不出来で人生は決まりはせんのよ。」と言えるんだけどね。

◆群馬大の医師が自分の手に余る手術をやって術後、死亡した患者数は、合わせて30人という事件を引き起こした。この医者は千葉高校出身だという。こいつも千葉大コンプレックスで功を焦ったんだろうね。(偏見。千葉高校→千葉大学が普通のコースらしいから。〜本当のところはわからん。)

◆塾とは関係ないが中学の部活の後輩、現役で徳島医科大に合格したのに半年でやめて広島に帰って広大医学部をめざした(結局3年遅れで無事入学した)。開業医のオヤジが「将来医師会の会長をめざすには広大でなくてはいかん。」と言い出したんだと。このオヤジ、親戚のおじきに余命半年とほざいたが、そのおじきは半年+26年後の90ちょい前まで生きた。医師会の会長希望のご神託と言ってもこの程度なのよ。

◆逆に当塾ただ一人の理V合格者は3年から理学部に移った。言いようがキザったらしい。「医者になって患者のために自分の命をすり減らしても結果が悪ければ訴えられる。ペイだって50過ぎてそこそこの病院の院長になっても2000万かよくて3000万。オレの能力はその程度のではない。」ムカつく言い様だが、一種の爽快感があったね。MIT経由で損保の会社に入ったと風の噂で聞いた。

◆小学6年生で『うちの親は金がないのだがボクは医者になりたい。』と言ってきたヤツがいた。防衛医大が出来て何年目かであったのでここを狙わせた。卒業して数年を経ずして開業医の娘に(本当は後継者を探していたオヤジにだろう。ゴミのごときわが塾にもリクルートに来ていたのだから。)見初められ残債を結納金代わりに払ってもらってムコ殿、開業医の後継者に収まった。これも慶賀。めでたし、めでたし。結婚式では任官拒否とは違い恩師も同級生も篤い言葉を寄せていた。これも謙虚な努力家として仲間から認知された本人の人間性なんだろうね。


29.10.16 三郷健和病院の掲示物〜暴力、暴言は許しません。
「医者の言葉遣い」は暴力・暴言を誘発するぜ。

 医学部の学生とは全く関係はないが、塾OBで高校の時すでに身長195cm、目方120kg超で葛飾、足立、江戸川などこの辺りの暴走族の総長とか言われて喜んでいたバカもアラフォーになって バイクをおとなしく転がしていたが飛び出してきた車をよけきれず運悪く横転して脚の骨を複雑骨折して根津神社の近くの病院に入院した。本人は治癒一歩手前まで手当てをしてくれた主治医に感謝していて「バイクの乗り方云々」を年の差を超えた物言いを笑っていたが、見舞いに来ていた、まだ暴走族の尻尾を残しているアラサーのヤツらには年若い主治医の自分たちの尊敬する総長への物言いが激怒するものであったようで、医者が去ったあと『あいつ外で絞めておきますか。』とOBに同意を求めていた。「バカたれ、あの医者になにかあったらわしがお前らをちくるで、傷害罪で2年は行くことになるけえの。やるんなら覚悟してやれよ。」このOB総長とはお兄ちゃんの仲人をして以来30年超の付き合いなので、いつもつるんでいた何人かには「総長の先生」として知られていた。「やるんじゃねえぞ!」と念押ししておいた。が、こっちは決してお医者様が被害を被ることをおもんぱかった訳ではない。単純な脳細胞のアラサー達の起こす事件を阻止したかっただけである。 能天気な、気のいい、この医者には自分のハナシが受けたと思って、自分のいないところで自分の言葉に激怒して「絞めますか」なんて言われていることなど想像すら出来ないだろうが。


29.10.9 日本新党の時の友人から「希望の党」への応援依頼。

 小生、答えて曰く。

(1)「希望の党」を応援する気は「さらさら」ありません。いわゆる「戦争法案」に声高に反対した事実に頬かむりして当選し易い(本人が思うだけだが)希望の党にごろにゃんした元民進党所属の人間は「排除」します。選挙テクニックで信条すら反故にするヤツは落ちて消えてもらおう。「戦争法案」に賛成であるならそれを貫け。オレとは考えが違ってもそっちの方が政治家の態度としてリスペクトできる。

(2)落下傘候補はやめてくれ。刺客だの党の公募だのとぬかしているが、これまでその地区で地べたを這いずり廻っていた人間の存在を切り捨てるのか。

(3)次に世襲候補も願い下げ。議員をてめえの家の「稼業」にさせてどうする。が、市区町村議は例外。(真面目に自分の自治体のことを真剣に考えて勉強し行動することを前提にするとして)ゼニの面だけで言うと大赤字。3期もやると井戸塀議員になってしまう。衆議院議員や参議院議員にとっては「死語」の世界だわさ。「越後屋お主も悪よのう」の世界だね。

(4)さらに言うと35歳未満の「口先兄ちゃん」や「口先姉ちゃん」も願い下げだね。知識は確かに素晴らしいものを持っているのだろうが実生活の経験が足りない。頭のいい裁判官が判決文を捏ね上げたり、研修医に毛の生えた医者が本を見て診断するようなもの。一例をあげると、小泉のせがれの「美しい」言葉を聞いていて大衆演芸の役者ではないかといつも間違えてしまう。


29.9.27 挨拶のできない木偶の坊たち

 三郷健和病院の母が入院している病棟にいくと看護師さんや理学療法士さんなど様々な職種の人がいる。医師らしき者もパソコンの前に座って画面を見たり、スマホをちゃらちゃらいじくっている者もいる。入院患者の家族としては最初のコーナーの人物に「こんにちは、お世話になります。」と声かけするのだが医師とおぼしき者からの応答はまずない。受付に苦情を言うと「師長」さんとやらが飛んできて「Dr.は忙しいので」と庇っていた。なら忙しければ挨拶を返さないことが正しいふるまいと言うのかい?パソコンの画面を見てお仕事をしている積りかもしれない。が、スマホをちゃらちゃらいじくるのも仕事だとは思えないぜ。何をしてもいいが客の目に届かないところでやれよ。わざわざ通路に面したカウンターで「お仕事」しているようなフリをする必要があるのか? 病院側も挨拶もろくに出来ない木偶の坊たちにナースステーションのレイアウトを考えてやれよ。

 以来、医師と思われる者がカウンターにいても飾り物のぬいぐるみが並んでいると思うことにした。


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