松五郎の玉手箱
MASTUGORO'S TAMATEBAKO
ここは我輩の情報保管箱です。(メール、新聞・雑誌の記事、手紙・葉書の投書 等々)

【保管ファイルNo.26】 00.9.19  産経新聞・投書 ⇒不採用

 外国籍人参政権問題、私の論点整理

木下 茂樹(きのした しげき)行政書士(前葛飾区議会議員)51歳

@【参政権の意義】首長選挙30%、議員選挙40%、国政選挙50%が一般的な自治体の投票率である。これは自らの国や居住地域に対する責任を果たしていないことである。「参政権」は権利ではなく「義務」と捉えたい。(ノーブレス・オーブリッジ)

A【日本の特殊性】在日外国籍人の90%が日本による朝鮮半島の植民地支配と戦争の影響からの発生であり戦後処理に属する問題である。従って、自由な意思で日本に来日し、在住する外国籍人と分けて考えるべきである。

B【国籍と選挙権】国籍を取得することが選挙権付与の根拠とすることは論点のすり替えである。国籍を捨てず選挙権を持てるかどうかなのである。永住資格のまま選挙権を付与され行使した場合と帰化して国籍を取得し選挙権を行使した場合とどれだけの違いがあるというのか。反日的な議員はやはり反日的な議員であろうし、反日的な首長はやはり反日的な首長であろう。事実、関西には帰化をして地方議員となり在日社会のために働く者がいると聞く。

C【憲法違反】平素、「押付憲法」と改憲を主張する層からのものである。天皇制を否定しながら護憲を叫ぶ共産党のような憲法のつまみ食いはやめるべきである。現象を法を隠れ蓑にするといった姑息な手段に逃げることなく、我が国にとって本件はいかにあるべきかの堂々とした国民的議論をすべきである。必要ならば憲法を改正すればよいのである。

D【選挙権と被選挙権の分離】参政権を投票権、立候補権に分離して考えることは可能である。

E【地方選挙と国政選挙の分離】憲法第15条は公務員の選定を「国民固有」の権利とし、第93条は「その地方公共団体の住民が」と規定している。ならば住民概念を日本国籍の所有者のみに限定しなければならない理由は無い。「住民要件」を「地方公共団体」が条例で定めることができるはずである。

F【納税と参政権】基本的には納税と参政権は表裏の権利である。今日、税金を納めていない者でも参政権を有するのは、それを是とする国民的コンセンサスがあるからであり、また税に富の再配分という行政目的があるからである。

G【私の結論】基本的には全ての永住権の所持者に地方参政権(投票権、立候補権を含む)を、帰化者と同様に付与すべきである。ただし、その対象の大多数を占める朝鮮半島出身者が組織する「在日本大韓民国民団」および「在日本朝鮮総聯合会」の当事者間の合意を前提にすべきである。現行与党案のように、同一条件でありながら地方参政権を付与される場合と付与されない場合がでるのは、新たな差別を招来するから承服できない。

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<参考記事> (00.9.18 産経新聞夕刊)

    外国人参政権問題 結論は議論を重ねたうえで

産経新聞社会部次長 喜多由浩

 大阪の小学校に通っていたとき、同じクラスに3〜4人の在日韓国人児童がいた。だが、当時はそのことを知らなかった。全員が通名(日本名)を名乗っていたからである。子供は知らなくても親たちは知っており、それとなく、「○○君は韓国人らしい」といううわさが広まっていった。それまで一緒に遊んでいた友達だったのに、陰口を言ったり、仲間外れにする。私もその列に加わった。

 「おれたちも、小さいころは自分が韓国人とさえ知らなかったし、何の違和感もなかった。だが、中学、高校と進むうちに、社会での限界が見えてきて、コンプレックスを感じるようになるんだね」成人してから知り合った在日韓国人の友人はこう話していた。

 韓国語を勉強するために私が留学していた韓国の大学にも多くの在日韓国人が来ていた。日本で生まれ育った彼らのほとんどは韓国語ができない。一世や二世の親や祖父母から「母国語ができなくてどうする」としりをたたかれて勉強にくるのだ。なかには、60歳を過ぎた人もいる。だが、母国である韓国が彼らを温かく迎えるか、といえばそうでもない。韓国人にとって、日本で生まれ育った在日韓国人は、“日本人”に映る。「韓国人なのになぜ、母国語ができないんだ」と冷ややかに見る人もいるわけだ。韓国人が日本に期待する政策で上位を占めるのは「経済問題」などで、「在日韓国人の権利拡大」への関心はさほど高くない。

 先の友人が自嘲気味にいった。「サッカーの日韓戦があると、やっぱり日本を応援しているんだよね。韓国に来ても違和感があるし、生まれ育った日本がいい。だけど、国籍は韓国なわけ。結局、おれたちは、韓国人でも日本人でもなく“在日”なんだよな」

 日本には現在、約55万人の在日韓国人(朝鮮籍を含む)がいる。彼らが日本にやってきて、住むようになった理由はさまざまだが、日本による朝鮮半島の植民地支配がなければ、そうならなかっただろう。国籍は戦後、「日本」から「朝鮮」に変わった。さらに日本政府が「韓国籍」を認めるようになってからは、「朝鮮籍」から「韓国籍」へと変えるケースが増えた。三世、四世の世代になって、日本社会への同化が急速に進み、帰化する人も多い。ひと家族に、「日本」「韓国」「朝鮮」の三つの国籍が混在していることもある。

 こうした中で、在日本大韓民国民団などは「われわれも納税や地域への頁献を果たしている住民である」として在日韓国人の権利拡大を訴え、日本の社会も、徐々にそれを受け入れる流れになってきた。例えば、地方公務員の一般事務職採用試験での国籍条項撤廃問題では、ここ三、四年で、多くの政令都市や府県が「バスに乗り遅れるな」とばかりに原則的に国籍条項を外した。

 そしていま、焦点となっているのは在日韓国人ら永住外国人に地方参政権を付与する問題である。「一生に一度ぐらいは投票をしてみたいわ」初老を迎えた在日韓国人女性がいう。韓国でも在日韓国人らに参政権を付与する動きが出ているが、「どちらの参政権を望むのか」と聞くと、被女は即座に「そりゃ、日本ですよ。住んでもいない韓国で参政権をもらっても仕方がない」といった。日本にも、韓国にも、“どっちつかずの存在”を余儀なくされた在日韓国人の歴史を思うと、「参政権がほしい」という気持ちは私にもよく分かる。だが、この問題は「心情」だけでは解決できない。日本という国家の根幹にかかわる問題でもあるからだ。

 参政権付与に反対する人たちは「国籍は、国家への忠誠心の証(あかし)であり、それがない外国人が政治に参加することはできない」と主張している。これもよく分かるのだ。地方公務員の国籍条項撤廃問題では、国は確固たる方針を示さず、自治体がなし崩し的に撤廃を進めた。司法の判断も揺れている。参政権問題も現在は地方選での選挙権に限定されているが、将来、被選挙権や国政レベルの参政権にまで拡大されることはないのか。国民の代表である国会議員が外国籍なのは、やはりおかしいだろう。 参政権問題が政党の党利党略に巻き込まれていることも気になる。「結局、政治家は“票がどこに行くか”しか関心がない」と指摘する政界関係者もいた。公明党や自民党の一部は今月下旬から始まる臨時国会での法案成立に意欲を見せていると聞く。だが、何もそこまで急ぐ必要はないのではないか。むしろこれだけの大問題を拙速で片付けてほしくないという思いの方が、多少とも在日韓国人の取材を続けてきた私には強い。多くの国民が日本の国家としてのあり方や在日韓国人が置かれた立場を認識し、しっかり議論をしたうえで、結論を出してもらいたい。(きた・よしひろ)

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00.10.3 産経新聞

永住外国人への地方参政権付与 特別永住者の「国籍取得」緩和を

慎重な取扱いを要求する国会議員の会 事務局長 平沢勝栄

 永住外国人地方参政権付与法案に反対する「外国人参政権の慎重な取り扱いを要求する国会議員の会」事務局長の平沢勝栄衆院議員は2日、産経新聞のインタビュー(聞き手 五嶋清)に答え、法案は慎重に議論すべきだとの見解を表明するとともに、日本人と永住外国人の共生社会を作り、日本の真の国際化を図るためには、参政権付与ではなく国籍取得要件の緩和などの改善が重要だと強調した。インタビューの詳報は次の通り。

――法案推進派は参政権付与が日本の国際化につながると言っている

 「開かれた国際国家などという議論は、抽象論としてはだれも反対できない。じゃあ、これが本当に日本が国際国家になる道なのかという議論は全然ない。本当に日本や国民のためになるか、本当に国際親善につながるのか、外国から日本が尊敬される道につながるのかどうかについて議論すべきだ。学者や外国人らの意見も聞き、時間をかけて慎重にやった方がいい」

――推進派の意図はどこにあると思う

 「それぞれ党利党略、思惑がある。公明党は間違いなく党利党略。在日の人の中に創価学会の人がいる。公明党としてはそうした票のこともあるだろうし、韓国での布教とかいろいろな思惑がある。今回、公明党はどうしてもやりたいとしゃかりきになっているし、北側一雄政審会長はこの国会で通す、通ると言っている。もし、そういう思惑でないなら、こんな国の将来、運命を左右する大事な問題について、なぜもっと時間をかけて議論しないのか」

――民主党の岡田克也政調会長は、法案が成立した場合に安全保障面の懸念といったケースで議論すべきでないと主張している

 「危機管理とか、国防とか安全保障とか災害対策は、起こるかどうかわからない万が一のときのためにやる。これを極端なケースというなら、自衛隊なんかいらない。将来のあらゆる可能性を考えるのが政治家の務めだ」

――法案の早期成立を求める韓国の金大中大統領の意向にこたえなくていいのか

 「韓国がこんなことを言うのは内政干渉だと思う。百歩譲ってそれを聞くとしても、金大統領という、たまたま一人の政治家が思惑で言っているにすぎない。韓国の世論でもなんでもない。大統領は就任演説では、日本の国籍をとって韓国系としてやりなさいということを言っている。韓国の中でもその方がいいよという人はいっぱいいる。しかし、野中広務幹事長は党内の反対の声を無視して、公明党から言われたとか、三党合意だとか、金大統領から言われたとかで言っている。それでやるのなら、自民党の自殺行為だ」

――推進派は法案は憲法違反ではないと言うが

 「全くとんちんかんな議論だ。北側さんは憲法15条が参政権を『国民固有の権利』といっているのは、国民から奪っていけないという意味であって、外国人に認めていいなどと言っている。そんな憲法解釈はどこからも出てこない。そういうおかしな解釈もあるなら、それこそ憲法調査会で時間をかけて慎重に議論すべきだ」

――日本の国籍取得が難しいという問題もある

 「その通りだ。確かに手続きが非常にわずらわしいとか、法務省が基準をはっきりさせないとかいろいろな問題がある。特別永住者は自動的にと言ってもいいぐらいに、帰化要件を緩和することがあっていい。今後、法務省と要件緩和に関する折衝に入るが、とりわけ特別永住者についてできるかぎり簡素化していく。法務省の恣意的なものに任されている基準についても明確にしろと言いたい」

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平沢インタビューに対する木下の感想

(1)国籍取得要件は末端の窓口の役人の数だけ基準があるといってもよい。彼らは「善良な日本国民を創る」などと職業意識に富んだ基準を持ちだし、1年半も2年も待たせ、この間に交通違反でもあれば最初(書類の提出)からやり直させるのである。

(2)国籍を取得することを是とするのであれば、参政権云々の問題は始めから起こってこない。日本以外の国籍で、永年居住することを基礎に当該居住地域の地方参政権の付与を認めるかどうかというのが今回の問題である。国籍を持ち出すのは論点のすり替えである。

(3)また、「参政権が欲しければ日本国籍に変えろ」というのも乱暴な且つ思いあがった言いようである。私は広島県出身で東京都在住32年。子供の学校の入試やらパスポート、自分の選挙への立候補等などでその都度戸籍謄(抄)本を広島の出身地の村役場から取り寄せるのが面倒なので本籍を葛飾区に移そうとした。そのとき親(父と母)は何と言ったか。口を揃えてデュエットした。『お前は広島を捨てるのか』。一月あまりの交渉で埒があかず独断で変更したら、広島の親戚中に「茂樹は広島を捨てた」と電話をかけまくり、手紙を出しまくった。その後半年近く木下家に「すきま風」が吹いていた。エンピツなめてちょこちょこと書いて出せばすむ「本籍地」の移動ですらこの騒ぎである。これが「国籍」となったら「すきま風」どころではすむまい。「勘当」ものである。行政書士として携わったケースにも80歳を過ぎた寝たきりであった在日朝鮮人一世の父親がムクッと立ちあがり、帰化を申請しようとする子供を包丁を持って追い回したというのもある。

(4)参政権付与に日本国籍の取得を持ち出すのはこうした一世、二世の心に配慮しないか、あるいは「まさか参政権が欲しさに国籍を変えることはなかろう」とする読みであろう。慎重審議とかきれいな言葉をならべてはいるが「天皇を中心とする『神の国』」を認めるかどうかを参政権付与のメルクマールとするのであろう。

(5)「内政干渉」今時、めずらしい言葉を聞いた。日本の外交用辞書にはないのかと思っていた。アメリカからはやられ放題、中国からは言いたい放題にいわれ台湾とも仲良くできない。相手によりケースにより「内政干渉」の主張はあまりにもご都合主義でありはしないか。

(6)参政権付与が「日本が国際国家になる道なのか」「日本や国民のためになるか」「国際親善につながるのか」「外国から日本が尊敬される道につながるのか」という。ならば、参政権を付与しないことが「日本が国際国家になる道なのか」「日本や国民のためになるか」「国際親善につながるのか」「外国から日本が尊敬される道につながるのか」と問いたい。 これらについて議論は全然ないから議論を深めようというようにも聞こえる。では、議論のなりゆきによっては「参政権付与」を認める気はあるのか。どこぞのマドンナのように『ダメなものはダメ』って言いそうな気がする。

(結論)永住外国人(といっても現在その約9割が在日韓国・朝鮮人であるが)の参政権問題は21世紀の日本のあり方を決める重要な問題である。16-7世紀の主権論に基づく国家観やそれに起因する国籍の概念は決して普遍的なものではない。個人の生活圏においては日本人も在日外国人も、同じコミュニティーで生活する構成員であるという視点を持つことが不可欠である。国内的には少子化、国際的には住民のボーダレスが日常化しつつある今日、明日の日本は、そして地域社会は「多様なものの共存」を受容できる寛容な社会に、少なくとも、それを目指すべきであろう。

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 それでも賛成する理由          00.10.28 産経新聞斜断機

 定住外国人に対し、地方参政権を付与すべきか否かで、政府内はおろか、各政党間、そして民間においても意見の総意が見えてこない。どちらかといえば、反対論が優勢である。本紙(産経新聞)でも数名の論者が反対論を展開していた。

(木下補注)必ずしも反対論が優勢であるのではなく産経新聞は反対論を取り上げないのであるし、反対論に組みする声を拡大して取り上げているだけであろう。

 たとえ地方政治とはいえ、国籍を持っていない人間に、納税していることを根拠に参政権を与えるのは、主権国家として承認できるものではない、という点が反対論の共通意見であった。これだけではなく、反対論者のそれぞれの理由には、情からも理の点からも、ほぼ100%同意する。

 したがって、この問題を連立与党の公明党が支持しようが、韓国の大統領が要望しようが、国家主権に関わることに安易な妥協をすることは一つもないのである。わたしの大前提は以上に尽きるのだが、にもかかわらず、わたしはあえて賛成すべしと思っている。

 この外国人参政権問題は、いまのところ9割方、在日韓国・朝鮮人に関わることであり、1億人に達した日本の有権者総数に対し、こちらは60万人くらいの票でしかないが、ますます多くの人が国境を越えることは、21世紀においては避けられないから、この定住外国人の数は日本でも増加するだろう。

 さて、1億人の有権者に対し、国籍を持たぬ有権者60万人。世界でもあまり例のない外国人の参政権であるが、わたしはこれを認めることは日本社会および日本人の寛容さや度量のバロメーターだと考えるのだ。

 多くの反対論者が危惧したことが、将来的には起こり得る。にもかかわらず、あえてこれを認め、日本社会に同化してもらい、日本社会の内で生きてもらった方が、国益にかなうと思うのである。

 第一、1億人の有権者が、60万人の有権者に反乱を起こされるのなら、1億人の有権者はそもそも国民とはいえないのである。60万人の外国人有権者を包み込む度量も器量もない国家や国民であるなら、むしろそちらの方を心配すべきではないのか。     評論家 石川 好


【保管ファイルNo.27】  参考記事           (00.11.30 & 00.12.3産経新聞)

知の刺客 七番勝負

ITと地方の自立     東北芸術工科大学副学長 長谷川文雄

 IT(情報技術)の進歩は、これまでの社会の構造を一変させつつある。すでにホームページは百花繚乱(りょうらん)の状況で、地方からの発信も増大している。これで東京への一極集中がやみ、地方の時代がやってくるとの声も大きくなりつつあるが、果たしてそうなのか。ITを安易に考えていると、むしろ地方崩壊につながる、との厳しい警告を発するのがこのシリーズ最後の刺客、長谷川文雄氏だ。浮かれていないでどのように地方は自立していけるかを真剣に模索すべきだと説いている。

安易な取り組みが地方を没落させる

コンテンツは地域の中に

 いま全国3,300の自治体が、こぞってホームページを開いていますね。わが町の「個性」や「独自性」のPRに躍起になっています。ITの波に乗って「地方の時代」が花開いているように見えます。ところがITによって、むしろ「地方の危機」が強まる側面もあると感じています。

 というのも、これから「地域」は厳しい競争の時代に突入します。やる気とバイタリティーのある地域はますます発展するけれど、そうでない地域は落ちこぼれてしまう。

 知り合いに温泉旅館の女将(おかみ)がいて「旅館のホームページを立ち上げたらすごい反響だ」と、自慢げに言っています。ところが、よく聞いてみると、肝心のサービスは何も変わっていない。ホームページの物珍しさで、一時的に人気か出ているに過ぎないわけです。

 旅館は、泊まった客が満足し、また足を運んでこそ繁盛する。これは、いくらIT革命が進んでも同じ。そこを勘違いしている人が実に多い。地方自治体のホームページも、似たような状況に陥っていると感じます。

 一極集中の弊害

 この背景には、国の財政難で公共事業による地方救済が限界を迎えたことがあります。それで、4月に地方分権一括法が施行され、地方は自分で考えるということを目指し始めたわけですが、これは地域にとって、決してばら色の未来とはいえないのです。

 ≪地方分権一括法とは、国からの地方の自立を促すため、地方自治法など475本の法律を改正したもの。4月1日に施行された。国の仕事を自治体が代行する機関委任事務制度を廃止したほか、国から都道府県、都道府県から市町村に権限を委譲。また、人口20万人以上の都市を、権限の強い「特例市」に指定、同時に自治体への規制緩和を進め、市町村合併の推進も後押ししている≫

 こうした流れがもたらす厳しい現実について、地域の人々に心構えができていないと思います。さらに、最近のITやインターネットの普及が、問題の核心を見えにくく、複雑にしている感じがします。そうした現象が、自治体が開設しているホームページに表れているのです。(*全国自治体のホームページ開設率:平成10年=40.8%、平成11年=57.0%、平成12年=66.4%、)自治体にすれば、ネットですから、世界中に情報発信できるわけで、ホームページを作っただけで、すごい「情報化」みたいな気分になる。ところが、よく考えてみると、3,300の自治体がぞろぞろとホームページを立ち上げても、それをどれだけ見てもらえるか。いくらIT時代でも、人が情報収集に費やせる時間は限られています。情報の送り手がものすごい情報を発信しているつもりでも、期待するほど届いていないのが現実なのです。もう一つ重要なのは、こうした情報化が、実は新たな東京一極集中を招くという危機に気付いていないことです。

 ネットは確かに世界が一つになる、距離の制約をなくす仕組みだけど、日本なら東京に集中する構図ができています。面白く、価値のあるコンテンツ(情報内容)の発信者が東京に集まっているためです。たとえば、首都圏ではマンションの価格も下がり、以前よりは住みやすくなってきている。そういう情報もネットで広がるわけで、ITが地方から首都圏への新たな人口移動を起こすきっかけにもなるのです。地方分権一括法で、地方は公共事業に頼らず、自らを養う「パイ」を作り出すことを求められています。その心構えが、どれほどできているでしょうか。

 新たな横並び

 私が心配するのは、単に地域間の競争が激化して、財政的に「倒産」する自治体が続出することだけではありません。これまでの中央集権は、確かに硬直化していたけど、道路や鉄道などの資源を適材適所に配分して、国全体のバランスをとるかたちで地域の個性発揮を助けてきた側面も否定できない。これが自由化され、さあみなさん自分で考えてください、となったとき、新たな横並び現象が日本中に出現するのではないでしょうか。

 町同士、村同士で互いに隣をのぞき合い、「あそこがやったならうちも」と、個性を追及する仕組みが没個性的に作用する。同じような施設や施策が並び、中央集権から地力主権に変わっても、金太郎飴(あめ)は相変わらず。そうなっては意味がないのです。そういうマイナスの方向性を、ITが助長するというのが私の危機感です。なぜそうなのか、二つの例を挙げて説明しましょう。

 まず自動車。ITと自動車は似ています。19世紀に自動車が発明されたころ、それを持つことがみんなの目標だった。ところがだんだん普及して、みんなが持つようになると、ただ持っているだけでは意味がなくなり、それを使って何をするか、どんな価値やサービスを生み出すかを考えるようになりましたね。ITも同じです。いまはITの普及期で、たとえば「アマゾン・ドット・コム」というネット書店がありますが、要するに書店に出向かなくても本が買えますよ、と。従来のサービスを代替しているだけで、ネットだから、みんなが本を二倍も買うわけじゃない。つまり、全体の「パイ」は増えていない。そこで二つ目の例は、また温泉旅館。旅館やホテルは今、こぞってホームページでPRしていますが、その方向性が、限られた客の囲い込みなんです。食事に二次会、カラオケと、すベて一つのホテル内で完結しちゃうから、客が町を回らない。カネ、つまり経済が循環しないのです。

 "収穫"できるか

 カジノで有名な米国のラスベガスは違います。ホテル間で催しなどの情報を共有して客に提供し、循環バスで町中を案内する。地域全体でパイを広げて、みんなでもうけよう、という考えが浸透している。利益を拡大するコンテンツを打ち、ネットワーク効果で増幅させているわけです。もう数年もたてば、IT普及期は終わり、ネットは当たり前の時代になります。温泉旅館にしても自治体にしても、ホームページがあるのは当たり前。それだけではだれも見向きもしない。そのとき、客を集めるのは何か。言うまでもなく、コンテンツの善しあしでしょう。内向きで完結する方向でなく、外に開くことで市場を拡人していくツール(道具)としてITを使いこなせるかどうか。残念ながら、今の地方にはそうしたコンテンツもなければ、使いこなせる人材もいない。民間も役所も同じです。ITの普及期が終われば「中身で勝負」の時代、つまり、ITを使って何を実現するかでみんなが競い合う「収穫期」が訪れます。そのとき、「ああ、おらとこには何にもねえ」と、気付くことになる。

 では、どうしたらいいか。いったんネットのサイバー(仮想)空間から離れ、自分が立っている地面を見据えることです。世界中とつながるサイバー空間でこそ、その人が何者であるか、アイデンティティーか重要になるのです。人間の宿命として、必ずどこかの地に足がついている。それこそが「地域」です。「地方の時代」とITの乖離(かいり)を埋めるために、いったん意識を「地域」に戻し、自分とは、自分が住む土地とは何かを真剣に考える必要があるのです。

自治体は個性打ち出せ

大切な郷土愛と地域を担う人材

 米国のデルコンピュータといえば有名ですね。創業者のマイケル・デルは、1984年にテキサス州立大学に在学中、日本円で10万円足らずの資金で会社を興しました。インターネットを駆使して世界中から最も安い部品を集め、組み立てたコンピュータを消費者に直接販売する。徹底した「中抜き」の商法が成功して、今や売上高世界トップクラスの会社になったのです。

≪マイケル・デルは65年、米テキサス州生まれの35歳。テキサス州立大学生のとき、わずか1000ドルの資本金で起業。「IBMを追い越す」をスローガンに、デルコンピュータを世界トップクラスのコンピューター関連会社へと成長させた。現在、同社の会長兼最高経営責任者(CEO)を務める≫

 これは、ネットワーク社会でのビジネスの成功例としてだけでなく、地域の活性化という視点からも注目すべき実例です。デルは、ニューヨークでもシリコンバレーでもなく、米国の田舎であるテキサスで起業し、今もテキサスに本社を構えているのです。テキサスはデルの生まれ故郷。彼は自分の「地域」を愛し、こだわった。ネットというツール(道具)を最大限に生かし、IT(情報技術)と地域おこしを見事に連動させたわけです。

 日本の地域活性化とITを考えるとき、このデルのような人材、成功事例がどんどん出てこないといけないと痛感しています。

 必要な"地学連携"

 そのためにどうすればいいか。まず取り組むべきは教育、とりわけ大学などの高等教育です。地域に根づいた教育、私はこれを「地学連携」と呼んでいますが、これを進めないといけない。真剣に地域の明日を考える人材、地域にいながら世界を視野に入れた活動ができる人材の育成です。

 イメージとしては、幕末に活躍した「藩校」。これがいい。地域に根づきつつ、一歩先の世の中を展望していましたからね。私が勤める大学は「公設民営」といいまして、開校までの資金は地元の県や市が出し、開校後は私立大学として運営される。民間には負担しづらい開設コストだけ行政が面倒を見て、あとは私学の精神で自由にやってよいという仕組みです。これなど、かつての藩校に最も近いシステムなのかもしれません。

 ≪公設民営大学は、「公私協力の拡大」をうたった文部省の後押しで、平成4年の東北芸術工科大学(山形市)を第一号に、これまで新潟、沖縄県など首都圏以外の各地で計12大学が設立された。(*現在開校している公設民営大学:千歳科学技術大学=北海道、東北芸術工科大学=山形県、長岡造形大学=新潟県、新潟国際情報大学=新潟県、新潟工科大学=新潟県、国際医療福祉大学=栃木県、東京福祉大学=群馬県、静岡文化芸術大学=静岡県、鈴鹿医療科学大学=三重県、高知工科大学=高知県、九州看護福祉大学=鹿児島県)地元都道府県内の自治体が設立資金を負担するが、その後は私立大学として自由に活動できる。従来の公立大学とは異なる地元密着型の大学として注目されている≫

 IT時代の地域おこしに大切なのは、いろんなアイデアが浮かんでも、実際のビジネスに結び付かないと意味かないことです。たとえば、私が勤める山形県でなら、名産のサクランボを題材にして、どういうパッケージで、どんな流通にすれば売れるか、そこまで踏み込んだビジネスモデルを教え、考える。伝統的な経済学も大事でしょうけど、もっと地域に根づいた実践的なことを教えないといけないのです。

 そもそも大学という言葉がいけません。高校を卒業した人だけが学ぶ場所ではなく、社会人もお年寄りも、だれもが参加できるコミュニティースクールのようなものを地域が持つべきです。別に東大や早稲田、慶応だけが大学ではないわけで、いろんなことを教える多種多様な教育機関が、日本中に散らばっている力がいいのです。

 インセンティブ

 郷土愛というと、古臭いと思われがちですが、これほど大切なことはありません。単に愛するだけじゃなく、郷土に根を張って将来を考える、そういう姿勢が大事なのです。地域が栄えるには、そこの企業か元気にならないといけない。それを担う人材を生み出す教育が求められている。「地学連携」「藩校」は、それを象徴するキーワードです。

 さらに欠かせないのが、自治体の行政を担う人材の育成です。IT時代の自治体は、これまでとはまったく違う手法で自らのPRをしていく必要かあります。

 ネットワークというものは、すべてをオープンにしますから、たとえば自治体なら、そのいいところも悪いところも全部、出てしまうのです。個性的だと自信満々で作ったホームページが、実は「没個性」をさらけ出してしまったり…。

 つまり、自治体は本当に個性的なことを打ち出さないと、だれにも見向きもされない。ネットの海に沈んでしまうのです。

 ここで、地方分権一括法がめざす分権の思想と、ITというツールが絡んでくるわけです。自治体はおのずと、実質的にほかの自治体と違う特徴や利点をPRせざるをえなくなる。どこかのシンクタンクに「ちょっと考えて」なんて頼める時代じゃなくなるのです。これが、日本全体として「一国多制度」の流れにつながります。たとえば住民税の税率も自治体によってまちまちになり、まったく取らない自治体も現れる。「田舎で不便でも税金が安い方がいい」という人もいるのですから。悪名高いタックスヘイブン(租税回避地)ではないけれども、法人税を軽減する自治体も出てくるでしょう。国の制度も、この流れに沿って変わっていくはずです。

 東京から沖縄まで原則一律でやっている現在の仕組みに無理はないか、考えればおのずと結論は出ます。地域、自治体にとって、これからの時代は、個人や企業を引き寄せるための「インセンティブ」をめぐる争いになるのです。はっきり言えば、地域間格差が拡大する時代です。地方分権の流れとITが結合すれば、これは避けられません。そして、当然のこととして、それを実行できるだけの大きな世界観を持ち、IT時代の地域おこしを真剣に考えられる自治体職員の育成が、急務となるわけです。

 ピンチとチャンス

 市町村合併も進めていかなければなりません。いま3,300ある自治体を、とりあえず300くらいのユニットにまとめて、それを束ねるような仕組みがいいと思います。これまで市町村合併かなかなか進まなかったのは、「こう決まりました」と行政が一方的に周知して、「そんなの聞いていない」と住民が反発するパターンか多かった。この点では、IT効果が見込めます。意思決定のプロセスを、ネットを通じて共有するんですね。そうすれば、かなりのところはうまく乗り切れるはずです。明治維新から約140年、中央集権を軸として日本が歩んできた時間の流れが、これからの7、8年でがらりと変わりそうな気がしています。今まで話してきたように、これは地方にとってチャンスでもあり、同時にピンチでもある。

 いま、行政手続きをネットで行う「電子政府」構想が進んでいますが、これは自治体にとってはリストラそのもの。窓口の係員が不要になるのですから。企業も同じことです。そういう「出血」のプロセスを経て、ようやく地域のIT化は進むのです。

 相当ドラスティックなことを仕掛けていかないと、混沌(とん)としたネットワーク社会の中で、地域は波のはざまに浮かんでは消える「浮草」の運命にあります。

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立会人から                   市川アソシエイツ代表 市川 周

充実した「中身」こそ必要

 幕末の変革エネルギーの中核にあったのは志士といわれた人々の「知の行動力」である。彼らは江戸・京都そして諸藩をよく歩き回った。歩きながら人に会い、志を固め、維新回天のシナリオを練り上げていった。七番目の刺客、長谷川文雄氏にもその趣が十分ある。

 列島改造論ブームの余熱冷めやらぬころ、国づくりの事業を目指して大手ゼネコンに入社した長谷川氏は、日米の大学での研究活動や政府審議会等での経験を通して、ナショナルな批判精神に磨きをかけていく。

 その彼にとって我慢ならぬのが地方の「ITブーム」「IT信仰」である。3,300自治体、猫もしゃくしもホームページづくりだが、だれか一体見るのか?ゼネコンお得意の橋づくりじゃないが、ストロー効果よろしく、地方発のインターネット情報は東京に吸いとられているだけではないのか?

 地力分権一括法で地方の自立とは笑わせる。中央コントロールから外された地方は、自立ならぬ孤立への不安からますます横並び現象に追い込まれているのではないのか?

 OAオンチの首長もIT、ITと叫んでいないと不安な日々が続き、中央政府もITでお化粧した箱もの型公共事業を、手をかえ、品をかえ地力に流し込まなければ日本の明日はないとIT派経済人に脅かされる。

 長谷川氏はITの呪縛(じゅばく)から早く目を覚ませと警告する。「ネットされる」自己ではなく「ネットする」自己の求心力と志にこだわる。限られたパイの囲い込みに血道を上げるのではなく、自己の存在と可能性を外に開く収穫逓増型サイバー空間を目指す。この二つを実現できる地方だけがITを使いこなせるという。問われるのは結局はコンテンツ。それも筋金入りの濃縮ジュース型である。

夢でないサイバー型雄藩再生

 近代日本の中央集権国家型国づくりをリードし、その動脈となったのが鉄道である。鉄道にはまさに中央集権型秩序としての「上り」と「下り」がある。長谷川氏によれば21世紀初頭に起こるべき地方分権とITのダイナミックな展開は、この鉄道型秩序を崩壊させるものだ。

 ITには無数の中心があっていい。オープンネットワークシステムの中で、この国の中に多種多様な「知の拠点」が形成されていく。長谷川氏は一見、時代を逆行するかのように走り始めているが、「本卦(け)帰り」の感覚であろう。かつて幕府を倒し、明治国家をつくった雄藩連合型のエネルギーを再び、それぞれの地域に戻していくという発想である。

 「雄藩」はどうすれば再生するか。その核になるのが現代の「藩校」であるという。強烈な郷土愛と自立志向に裏付けられた、自分たちの地域に対する殖産興業のための「知」の集積拠点だ。これは旧帝大の発想でもなければ駅前大学のご都合主義でもない。「藩校」は「反抗」につながると長谷川氏は口を滑らしていた。IBMを脅かすデルコンピュータを創設したマイケル・デルの母校たるテキサス州立大学のイメージであろう。

 長谷川氏自身、現代版「藩校」の実験に挑戦している。山形市に開設された「公設民営」式大学である東北芸術工科大学の副学長の仕事だ。今やこの種の大学が全国に10以上もあるという。彼の造語の「地学連携」戦略は既に始まっており、これらの大学のコンテンツに本物の自立性と独自性が加わってくれば、ITを駆使したサイバー型雄藩連合の形成も夢ではあるまい。このサイトでは山形弁や土佐弁が生き生きと飛びかっているに違いない。


一筆多論  深く論じたい国のあり方     (01.01.29 産経新聞)

論説委員 長野和夫

 日本に永住する外国人は約63万人を数える。大阪市の生野区は人口約143,000人のうち約37,000人が韓国・朝鮮籍などの外国人で、外国人の占める割合が全国一高い地区だ。

 当然、国会で論議を呼んでいる永住外国人の地方参政権付与法案に対する関心も強い。地方参政権(自治体の首長・議員選の投票権)が付与された場合の、選挙戦における影響力は少なくない。その生野区の自民党支部が、昨年末の支部総会で永住外国人に対する地方参政権付与法案に反対する決議を行い、森喜朗首相(自民党総裁)あてに反対の意見書を提示した。意見書は、「当地にあって、外国人とは同じ地域住民として協力して地域社会を運営し、国籍による区別なく同一の行政サービスを保障し、その要望は住民の声として議会に反映されている」と、外国人の人権や生活権の保障に努めていることを強調している。その上で、「そうしたことと、外国人に参政権を与えることは区別して考えなくてはならない」とし、「国、地方を問わず、参政権の要件は、この国の国益を支持し、国と運命を共にする意思のある、この国の国民でなければならない」と、結論づけている。昨年10月には、香川県議会が永住外国人の地方参政権付与法案に反対する意見書を採択した。地方参政権に直接関係する地方議会が、法案に反対の姿勢を明確にしたのは初めてである。

 「憲法に基づく参政権は、国籍取得によって付与されるべきだ」というのが、反対の理由だ。ほかにも、「質疑や討論も一切ないまま参政権付与の意見書を採択した。深い考えもなく賛成したことを後悔している」(神奈川県綾瀬市の市会議員)といった反省が、地方議員の間に広がっている。永住外国人の地方参政権については、全国の自治体の3割を超える1,171の地方議会で法制化を求める決議・意見書が採択されている(昨年8月現在、総務省調べ)。そのきっかけとなったのが平成7年2月の最高裁判決だ。同判決は、「憲法上、国籍のない外国人の参政権は保障しない」と在日韓国人らの訴えを棄却しながら、「法律で永住外国人に自治体の長、議員の選挙権を付与することは憲法上禁止されていない」との考えを傍論で付記した。本論とは明らかに矛盾する解釈だが「参政権問題は司法から立法の場に移った」として、「外国人票」を目当てに地方議会で付与決議が相次いだ。それも大半は議会運営委員会の議案処理の中で採択を決め、討論省略の簡易採決で行われている。だが今、地方議会に外国人参蚊権問題の本質を見つめ直そうとの機運が高まっている。平成7年に永住外国人の地方参政権確立を決議した東京都議会でも、石原慎太郎知事が「国のありようを決定する参政権は、国籍を有する者の固有の権利である。国と地方を単純に切り離すことは無理がある」と再論議を促した。

 国民主権の根幹にかかわる参政権問題の重大性を認識し、国家・国民のあり方を真剣に論じようとする地方議会の意識の変化を、国政の場に広げることが急がれる。先の国会に公明、保守両党が提案した永住外国人地方参政権付与法案は継続審議となったが、今月末召集の通常国会で再び焦点となることは必至だ。公明党や、同じ内容の法案を提出している民主党は「在日本大韓民国民団」(民団)との会合などで法案成立への決意を示し、自民党に攻勢をかけている。これに対し、自民党内の慎重派は、この法案がいかに憲法や安全保障上問題が多く、永住外国人にとっても得策ではないことを示す専門家の論文や資料を同党の都道府県連幹事長に送るなど、法案成立阻止に全力をあげている。こうした対立の一方で、永住外国人の国籍取得要件を緩和する国籍法改正に向けた与党のプロジェクトチームが発足した。いま政治に求められているのは、地域で共に暮らす永住外国人を、日本国民として真に受け入れる方策である。日本国籍の取得によって参政権を発揮するというのが、最も自然で賢明な選択と考える。21世紀の本格的なグローバル時代に対処するためにも、国家・国民の原理原則をより明確にすることが必要だ。

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木下茂樹の感想

『ほかにも、「質疑や討論も一切ないまま参政権付与の意見書を採択した。深い考えもなく賛成したことを後悔している」(神奈川県綾瀬市の市会議員)といった反省が、地方議員の間に広がっている。』……地方議会の“意見書”の扱いはこんなものかと思わされる。自らの権限外のことであり、支持者が持ってくれば“深い考えもなく”賛成してしまうのであろう。紙に書いて送って“はい、終わり”。その他の議案に対する姿勢も同様ではないのかの疑念を禁ぜざるを得ない。

 残念なことにわが葛飾区議会の“自民党”の諸君もご同様である。

葛飾区議会の意見書議決状況(変遷)

定住外国人に対する地方参政権付与に関する意見書(平成7年10月4日可決)

 外国人登録数は約133万人に達しているが、現状では、定住外国人の地方参政権は認められていない。政府においては、定住外国人に対し地方参政権を付与するための法整備を早期に行うよう強く要請する。

定住外国人に対する地方参政権付与に関する意見書(平成12年10月17日可決)

 近年、海外との人的交流が一層拡大し、日本に定住する外国人が増えている。定住外国人は、納税を始めとする法的義務を負っているとともに、地域社会の構成員として地域発展に貢献している。従って地方参政権を付与することは、内なる国際化を進めることであり、地方自治の精神からも意義のあることと言える。よって、政府に対し、定住外国人に対して、地方参政権を付与するための法整備を早急に行うよう強く求めるものである。

会派名

自民党

公明党

共産党

区民連合

無所属クラブ

刷新クラブ

民主党

平成7年3定

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平成12年3定

×

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