<行政資料 6−8>  21世紀まずこれをやろう(9)

新路面電車「LRT」 ″脱車社会″の街づくり

 都市交通が限界を迎えるなか、21世紀の公共交通機関として注目を集めているのか「LRT(ライト・レール・トランジツト)」だろう。同じ路面電車とはいえ、あのチンチン電車とは似て非なる新システムで都市交通の変革と期待される。

 ●欧米で発展

 フランス東部のストラスブールはノートルダム大聖堂で知られる人口20数万の古都だ。ここを訪れる旅行者はストラスブール駅でLRT「ユーロトラム」に乗り換える。トラムの駅は国鉄駅の地下。静かに滑るように走りだすと、すぐに地上に。数年前までは自動車があふれていたメーンストリートを走る。大きな窓から街のにぎわいか間近に見える。

 自動車が姿を消したメーンストリート周辺は、歩行者天国となって、人々はカフェでおしゃべりを楽しんだり、新聞を読んだり。「カラン、カラン」というのどかな“警笛”が街角に響き、トラムの接近に気づいた市民らが道を譲る。

 兵庫県交通政策課の本田豊主査は一昨年秋、ヨーロッパ各地でこんな“路面電車”の走る街を視察してきた。

 「市内のあっこちに歩行者天国があります。トラムはその一角を走っている。驚いたのは歩いている人の多さ。その三分の一ほどは、お年寄りです」と本田さん。

 欧米諸国では、戦後独自の発展をとげたドイツのケースを手本に、約20年前からLRTが次々と導入されている。

 ●盛衰の歴史

 電気で動く路面電車は、いまも国内の一部の都市で市民の足になっている。1881年、世界で初めてベルリンに登場した路面電車が日本に導入されたのは明治28年(1895年)。京都市で初めて走った。最盛期は昭和7年、全国65都市で総計約1,500キロもの路線網が形成され、都市交通の花形だった。が、40年ごろからクルマが急増し道路混雑が慢性化。その打開策として、路面電車の軌道敷内にクルマの進入が認められるようになり、公共交通機関はバスや地下鉄に移った。

 現在も路面電車が走っているのは札幌市から鹿児島市まで全国18都市で、軌道総延長約235キロ。公営5つを含む19事業者のうち、黒字経営は広島電鉄など7社で、残りは赤字。辛うじて走っているのが現状だ。

 LRTは超低床で車いすでの乗り込みを容易にし、最新のテクノロジーを導入した新車両を使う。が、車両や運行システムが新しいだけではない。

 本田さんは「LRTが街づくりの基本になっている」と、LRTを導入した都市計画の変革を強調する。LRTが走るヨーロツパの主要都市の多くは都心部へのマイカーの進入を禁止し、かつての駅前駐車場はLRTの停留所と広場に生まれ変わっている。

 広島電鉄取締役で全国路面軌道連絡協議会の中尾正俊専務理事は「日本にはヨーロッパでいう『LRT』はない」と言い切る。

 ●多彩な利点

 年間1万人近くにのぼる交通事故死者、道路渋滞による経済損失は全国で年間約12兆円との試算もある。従来の道路整備による交通容量拡大施策では、過度のクルマ依存によって噴出した排ガスによる大気汚染問題などの根本的な解決にならないのは、だれの目にも明らかだ。

 平成9年の都市計画中央審議会答申では、公共交通を「高齢者への対応や環境問題、都市活力の再生などの社会的要請も踏まえ、都市において生活と一体化し、欠かせない『都市の装置』」と指摘。路面電車を「路面から直接乗降できる身近な公共交通機関である特性を生かし、地方中核都市での基幹的公共交通」と位置づけた。

 兵庫県もLRT導入の有用性を検討。「ひょうごLRT整備基本構想調査報告書」で、地下鉄やモノレールに比べて安い建設コスト▽バスを上回る輸送力▽専用軌道や優先信号などの施策でクルマより高速性が確保できる―などのメリットをあげる。

 とはいえ、すんなり導入といかないのも事実。

 岡山市でLRT導入の運動を続ける市民グループ「路面電車と都市の未来を考える会(RACDA)」の岡将男会長は「市民の側に、街を車から人の手に取り戻すという認識は低い。『自動車の進入を制限すると、商売がダメになる』という人も多い」。

 京都大学大学院工学研究科の北村隆一致授(土木システム工学)は「ストラスブールでもLRT導入計画に『クルマが減ると街が衰退する』と反対する商店主らの声があったが、結局、個よりも公共の利益を選択した。しかし、日本はかつて村社会にあった公共ルールが肥大化した都市の中ですたれ、個の利益を優先させ過ぎてしまった」と指摘する。(大橋一仁)

<行政資料 6−9>   21世紀まずこれをやろう(11)

電気製品の再利用 大量消費見直す時期に

 電気製品があふれている。ちょっと傷んだり、故障すると、買い替えたり、ポイッと捨てて粗大ごみになる。いいのだろうか。4月から、家電リサイクル法が始まり、テレビやエアコンなどの電気製品を処分するには、およそ4、5千円必要になる。こんな大がかりな回収や再処理をする前に、電気製品をもっと長く、大切に使おうという考え方も強まってきた。

 東京・世田谷に住む飲食店経営の女性は、ミニコンポのコンパクトディスク(CD)のプレーヤー部分が壊れたので、電気店を訪れた。

 ●廃棄が当然

 「スピーカーは壁に取りつけてある前のものを使うので、新しいのはいらないから、スピーカー分だけ値引きして」こう頼んだ。しかし、店員の答えは「できません」。その女性は「結局、販売店で捨ててもらいました」という。

 こうした事例はときおりあり、メーカーでも商品企画段階で議論になることがある。でも、「昔と違ってコンポはセット全体でのデザインを競う時代なので、スピーカーは別売りできない、という結論に落ち着く」(ソニーの営業関係者)そうだ。一年間に1,300万台売れるパソコンのディスプレー装置も似ている。いまは、割安感もあって、パソコン本体にディスプレーがついたセット商品が主流だ。初めて購入する人も買い替える人も同じ。だから、どこも壊れていなくても捨てられるディスプレー装置は急増している。

 NECは売れ行きに合わせて、店頭販売用の卓上型パソコンでは「ディスプレーなし」のモデルを一種類だけにした。他社も同様の傾向にある。「消費者が、セット販売を望むのだから、メーカーはそれにこたえる」と富士通の杉田忠靖専務はいう。

 ●全部バラバラ

 身の回りにコンセントに差し込む電気の変換装置「ACアダプター」がいくつか目につきませんか。充電も兼ねた携帯電話用をはじめ、音響機器、携帯型パソコン、テレビゲーム機…。自宅に10個以上のACアダプターがあるという人も少なくないはずだ。輸入品が多く、業界団体でも出荷量を把握できていないが、ある電子部品メーカーでは「1年間で2億個以上は出荷されているはず」と推定している。

 ACアダプターは差し込み口が同じでも、電圧や電流が異なるものを使うと故障しかねないため、どの企業も添付品や指定品以外は勧めない。携帯電話のNTTドコモのように、流用による故障を防止するために、他社の充電器は、差し込めない構造にするように、メーカーに要請するケースまである。本体が不要になればACアダプターは廃棄される。が、ケースのプラスチックには有害な難燃材が含まれており、廃棄量の削減が求められている。

 せめて、製品ごとにバラバラといった状況を改善して、何通りかに標準化したうえで、別売りにするとか、再利用の仕組みが作れないかと検討するメーカーもあるが、例外的なケースを除いて具体的な動きには至っていない。

 ●変化の兆しも

 それでも変化の兆しはある。店頭販売と違って、NECが昨年から始めたインターネットによるパソコン販売では、大部分の機種で「ディスプレーなし」が選べる。もちろん価格も安い。4台に1台は、「なし」で購入されているという。販売店でも東京・秋葉原の専門店ソフマップのように、パソコンに詳しい顧客が多い店では、「本体だけ買い替える人も着実に増えてきた」という。「パソコンの中古品を活用しよう」―。市民団体だけでなく、メーカーにも、こんな動きが広がりだした。日本IBMはマイクロソフトと共同で昨年12月から、引き取った中古パソコンをリフレッシュして、非営利団体に寄贈する運動を始めている。ソニーで環境対策を推進する担当執行役員の佐野角夫常務は、これからのメーカーのありかたをこう位置づける。「長く使える製品を作り、不要なものは削減するのがメーカーの責任。それでも出るゴミは徹底してリサイクルする。どちらが欠けてもいけない」

 消費者の意識改革も求められる。環境問題が専門の明治学院大学の熊本一規教授は、「まず廃棄物を減らすことが原点」としたうえで、消費者の姿勢に警鐘を鳴らす。「たくさん売りたいメーカーにも責任はあるが、宣伝に踊らされ強迫観念を感じながら、次々と新製品を購入する消費者側にも問題がある。国際的にも米国と日本では特にひどい」

 当たり前になりすぎた大量生産、そして大量消費型の社会システム。身近なところから見直すべき時期にきたのかもしれない。     (高原秀己)                    =おわり


<行政資料 7> 芸予地震「教訓」生きたか   (01.03.28 読売新聞)

 迅速だった本部設置 周辺自治体も支援態勢

 広島、愛媛両県を中心に中四国地方で死者2人、負傷者212人を出した「芸予地震」では、初動の危機管理体制に阪神大震災や鳥取県西部地震の教訓が、ほぼ生かされたようだ。[大阪本社芸予地震取材班]

 広島、愛媛両県では1995年の阪神大震災を機に整備した震度情報のネットワークシステムが初期の被害把握に威力を発揮した。広島では、県内99か所の震度が10分以内に県庁に伝わった。震度から被害を予測するシステムを備えた広島市は、発生から約20分後に海岸部で「液状化」や一部の宅地で「地盤沈下」の表示が出た。愛媛県では、県東部と中部の揺れが大きかったことが判明した。

 初動態勢も、多少のばらつきが見られたものの多くの自治体で順調に整えられた。広島県は震度6以上の場合は自動的に災害対策本部が設置されることになっており、スムーズに動いた。松山市も5強で同本部が設置され、職員の半分以上が自動参集した。

 犠牲者1人が出た広島県呉市に対策本部が設置されたのは発生わずか2分後の午後3時30分。自主出勤の職員が集まり、2時間後には4か所に避難所が設けられた。同市は阪神大震災以降に地震対策を見直し、想定を震度6に引き上げ、幹部職員は震度4以上ならば連絡がなくても出勤するよう申し合わせている。正脇和則・防災安全係長は「急傾斜地が多く、風水害も多かったことが対応の迅速さに結びついた。ほぼ想定内で対応できたが、防水シートの備蓄が底をつくなど、予想外の面もあった」という。

 愛媛県今治市は全消防団員420人にPHS(簡易型携帯電話)を持たせ、発生直後から現場派遣。だが、PHSを配備していない一般職員は連絡が取りにくく、約300人が集まったのは午後7時ごろだった。同市の防災計画は震度5強以下では、対策本部の設置や職員招集の具体的想定がなく、住民の避難経路なども盛り込んでいなかった。今回の経験を、計画見直しに反映させるという。

 周辺自治体も応援に備えた。昨年10月に震度6強に見舞われた鳥取県は、広島、愛媛両県などに福祉保健、建築、住宅部門で支援の準備があることを連絡。実際には要請はなかったが、岩下文広・県防災監は「住宅再建支援など様々な問題が出てくるのはこれから。相談があればこちらの経験を生かしたい」という。

 神戸市では地震直後に救助工作車、救急車など計15台を待機させた。26日には呉、福山両市から家屋の被害認定の方法、り災証明書の発行手続きなどの問い合わせがあり、マニュアルを送った。小野田敏行・同市民防災課長は「地震も、台風などと同様に当たり前の災害として相互協力するムードが広がってきた」と分析する。

 一方、ライフラインでは、中四国地方の約56,000世帯で停電が起きたが、愛媛は約2時間、広島も約3時間40分で全面復旧した。

 しかし、断水は広島県各地で4日間も続き、水道管の耐震化が進んでいないことが浮き彫りになった。軍港として戦前から上水道整備が進んだ呉市。老朽化した幹線の給水管に亀裂が入り、4分の1に当たる21,000世帯と、給水管を共有する島部7町の約9,000世帯が断水した。阪神大震災を教訓に、進めてきた耐震化も間に合わなかった。市水道局は「今回クラスなら、どこかに支障が出るとの想定はあったが、一気に換えるのは予算上無理」と言う。

 同市からの給水管一本に頼る島部7町も″生命線″のもろさを露呈。全1,270世帯が断水した蒲刈町は「呉だけでなく、他からの確保も考えなくては」としている。


<行政資料 8>  東京チルドレン                   (01.04.03 読売新聞)

 24時間「無認可保育園」一新 23時間「認可保育所」新宿にオープン

補助金で保育料大幅減

 都の認可を受けた保育所としては、最長の1日23時間、乳幼児を預かる「エイビイシイ保育園」が今月、新宿区大久保にオープンした。もとは、24時間オープンの無認可施設「ABC乳児保育園」として運営されていたが、国などの補助金が出るのは、最大23時間までのため、保育時間を1時問減らしての再スタートとなった。同園では「補助金で保育料を3分の1に落とせる。夜間に働く保護者を少しでも支えたい」と話している。エイビイシイ保育園は早朝5時から翌日の午前4時まで開所し、0歳から5歳の乳幼児60人程度を受け入れる。

 認可保育所の最大の利点は運営費のほぼ全額を行政の補助でまかなえること。ABC乳児保育園当時も、一定の保育水準を満たした「保育室」として都に認定され、毎月約200万円の補助金を受けていたが、保育所として認可されることで、国、都、新宿区から9倍にあたる毎月計約1,800万円の補助が出るため、1人あたり65,000円前後だった保育料を20,000円程度にまで下げられるという。

 同園が、認可取得に向けて本格的に動き出したのは3年前。「昼間に子供を預かる認可保育所が手厚く支援されているのなら、夜間に無認可施設で過ごす子供たちにも、平等に手がさしのべられていいはずだ」園長の片野清美さん(50)らは区や都に対し、夜間保育所の必要性を強く訴えかけ、一万人を超える署名を集めた。看護婦、公務員、デパートの店員ら、夜間も働く母親たちが子育てに苦労する様子を、片野さんは間近に見ていた。

 認可を受けやすいよう社会福祉法人を設立することにした。しかし、法人設立には「施設の不動産の自己所有」が要件で、借入金で建てたABC乳児保育園の建物、土地の抵当権を外す必要があった。

 片野さんと夫の仁志さん(45)は約5,000万円の私財を提供。保護者にはカンパや出資を募った結果、合わせて約1億円が集まり、抵当権を解除した。3月下旬、仁志さんを理事長とする社会福祉法人「杉の子会」を設立。今月1日、エイビイシイ保育園の認可も都に認められた。

 都内の認可保育所では、夜10時まで開所している所が5、6か所あるが、それ以降の時間帯までオープンしている施設は同園だけ。都福祉局子育て推進課では、「大きな繁華街のある新宿区から、夜間の保育ニーズにこたえるための認可施設が必要という意見があり、認可を決めた。これからも必要性が認められれば認可していきたい」としている。


<行政資料 9>  観潮楼跡と図書館行政                (01.04.09 読売新聞)

申し訳程度の鴎外記念室/出張所業務も押し付け 文化の未来へ展望欠如

詩人、日本近代文学館理事長 中村 稔

 東京都文京区関口に住む長女から、近くの区役所出張所が廃止され、後楽園に隣接するシビックセンターと称する区役所本庁まで出向かなければならないので、ひどく不便になる、という愚痴を聞かされていたが、最近、図書館に区民サービスコーナーができるというけれども、それもどういうものかしら、と言われて「区報ぶんきょう」を手渡された。一読して衝撃をうけたのは、区民サービスコーナーの設置予定施設の一に鴎外記念本郷図書館があげられていたからである。観潮楼跡の施設に文京区はとうとう住民票、戸籍謄本、抄本の交付といった仕事まで押しっけることにしたのか、と慨嘆したのであった。

 文京区団子坂上の千駄木1丁目の鴎外記念本郷図書館は鴎外が多年住み、歌会が催されたりした観潮楼跡に建てられた施設である。この地に森鴎外記念会が鴎外記念館の建設を計画し、鴎外の長男森於菟氏から戦災で焦土と化した跡地約200坪の提供を申し入れられ、募金活動を開始したのは1954年(昭和29年)であった。永井荷風の5万円を最高としてかなりの募金が集まったが、1,500万円という予定額に届かず、この計画は挫折した。そこで於菟氏がこの土地を文京区に寄付したところ、区はここに図書館を建設し、その一部にささやかな森鴎外記念室を設け、開館したのが1962年(昭和37年)であった。

 遺稿、遺品類、研究資料等を豊富に収蔵し、記念会と緊密に協力しているこの図書館は、鴎外研究の中核的施設となっているが、図書館が主体だから、手狭でさわがしく、老朽化も進んでいる。遺族から寄付された土地を図書館に転用し、申し訳ばかりの記念室を設けた区の文化行政に、かねて私は不満をもっていたのだが、今回の計画を聞いてほとんど呆然としたのであった。

 それも住民票交付など、出張所業務の一部だけで、登録、届け出等はシビックセンターまで住民は出向かなければならないのだから、行政サービスの低下になることは間違いない。職員は増員しないというのだから、職員の負担が増えることも目に見えている。こういう事態を招いたのはシビックセンターのような巨大で豪華なビルを建てたりした放漫財政であり、その後始末を住民や図書館に押し付けるものだという感がふかい。

 公共図書館はいま曲がり角にある。私が住んでいる埼玉県大宮市の市立図書館はハリー・ポッターのシリーズを各60部購入している。5年もたってブームが去れば数冊を残して廃棄されるにちがいない。せめて購入部数を半分ほどに抑えてくれれば、専門書、学術書、純文学書など、永続的な利用価値のある出版物をもっと常備できるはずである。コンビニエンス・ストアの商法と同じく、図書館は目前の利用者の要望に迎合し、無料の貸本業者になり下がり、活字文化の衰退の一翼を担っているのではないか、と私は憂慮している。

 しかし、どの図書館でも職員がそういう状況を定認しているわけではない。毎日200冊もの新刊書が発行されるといわれる現在、購入すべき図書の選択には職員の見識が必要だし、そのためには日常的な研鑚も必要である。だから、図書館には司書という専門職が存在するのである。

 図書館のあるべき姿を考えることはわが国の文化の未来を考えることにひとしい。文京区にみられる行政の姿勢は、観潮楼跡という文化遺跡の冒?にとどまらず、わが国の文化の未来への展望の欠如によるのではないか。


<行政資料 10>

 葛飾区もそうであるがこの墨田区も区長をはじめ、多くの区の役人や、審議会などは、“区民の意見”といいながら、結局、町会に代表される“ムラ”社会の意見に耳を傾けているのであろう。少数の“ムラ”の意見を安易に“区民の声”としてしまう感覚に問題があるのである。結論として当該地域にホームレスの支援施設を作ることには異論はないにしても「一定の理解を得られたと思っている。みなさん全員の賛否を取るのは難しく、行政が責任を持ってやっていく」というのは隣接住民の感情を逆なでするものである。「役人は担当を変わればそれまでだが我々はずっとこの地に住み続けねばならないのだ」という声に何と答えるのか。

ホームレス支援施設予定地 墨田地区の都有地浮上

 住民説明会で不満相次ぐ

 墨田区に建設される「自立支援センター墨田寮(仮称)」の予定地として同区墨田地区の都有地が候補に上がっており、近隣住民らに対する説明会が7日夜、同区堤通の梅若橋コミュニティ会館で開かれた。集まった住民約30人に対し、区側が「町会から一定の理解を得た」と説明したが、計画を知らなかった住民からは不満の声も上がった。

 会場で住民に配られた資料によると、建設予定地は同区墨田5の都有地。南側に向島消防署墨田出張所があり、北側と東側は運動場や防災広場となっている。西側は墨堤通りで、通りの向こうには公園や高層住宅群がある。施設はプレハブ二階建てで100人程度を収容でき、来月着工、今年11月開設予定となっている。5年間の暫定施設で、期間後は解体する。利用期間は1人につき原則2ヵ月で、最大1ヵ月程度の延長ができる。

 この日の説明会は、最近になって計画を知った近隣住民の求めで開かれた。

 区側は最初に施設の概要を説明したうえで、「ホームレスの8割が就労希望を持っている」「他区の施設に入所した6割が就労している」「区内にホームレスが約830人いる」などとデータを挙げながら、建設への理解を求めた。

 さらに、区側は今年4月から、地元町会の役員らには何度か説明したとして、「一定の理解を得られたと思っている。みなさん全員の賛否を取るのは難しく、行政が責任を持ってやっていく」と話した。だが、住民の中には計画を初めて聞く人が多く、質問や反対意見が相次いだ。「なぜこの場所に作るのか」との質問に、区は「隣接する住宅がないため」と説明した。

 都の実態調査では、23区のホームレスはこの5年間で1.6倍に増え、昨年は約5,700人。都は96年にセンター設置を決め、昨年11月に新宿、台東区で、今年5月に豊島区で完成し、さらに、渋谷、墨田区の2ヵか所に今年度中に設置される計画。就労による自立を目的としており、食事やベッド、衣類の提供のほか、就職情報のあっせんなどが行われる。

 今年2月末時点で、新宿、台東区の施設に計258人が入所し、うち32人が仕事を見つけてセンダーを出た。また、センターから仕事に通う人も65%に上った。一方、就労・自立の可能性がないとして退所した人も40人いた。(01.06.08 読売新聞)


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