葛飾区再生計画案行政編


FATA REGUNT ORBEM ! CERTA STANT OMNIA LEGE

(不確かなことは運命の支配する領域。確かなことは法という人間の技の領域)

―― ローマの格言 ――

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第13章(教育)関連資料

<資料17>                         (00.12.28  産経新聞『正論』)

教科書制度は廃止したほうがいい        鈴鹿国際大学長 勝田吉太郎

真夏の不幸な教科書騒動

 10月初旬に「新しい歴史教科書をつくる会」の成員の関与する中学校歴史教科書が文部省に検定申請された。そのとたん、審議会委員の元外交官がこの教科書を不合格にするよう他の委員たちに裏工作していたことが発覚した。

 しかも元外交官の行動はどうやら外務省アジア局に置かれた教科書問題担当課の意向を代弁するらしいことも産経新聞の調査で判明した(10月13日−19日付)。これはどうみても、いわゆる白表紙本の段階にある教科書への「事前検閲」に等しい。こんなことが自由世界の確たる一員と自負するわが国に発生するとは驚くべきこと。さすがに当時の大島理森文相は、問題の委員の名を公表し配置換えを行った。

 どうして外務省と文部省が教科書記述をめぐる中国や韓国の動向に気をもむかといえば、周知のように1982年真夏の2ヵ月間に生起した教科書騒動とそれを収拾しようと出された(当時の鈴木内閣の宮沢喜一官房長官による)「近隣諸国条項」を含む声明のためである。

 思い起こすと、あの不幸な事件は文部省が検定で高校の歴史教科書にある「華北への侵略」の文言を「進出」に書き改めさせたと報道したマスコミの明白な「誤報」に端を発していた。この騒ぎの火に油を注いだのは、中国と韓国の強硬な抗議であった。

 内外の激越な攻撃にたまりかねた政府は、ついに8月26日になって全面降伏し、「以後政府の責任で教科書の記述を改めさせる」旨の声明を出したのだった。付言するなら、9月7日と8日に産経紙だけが「読者に深くお詫びします」という見出しの下、検定によって「侵略」が「進出」に変えられたという報道は「誤報」だったと謝罪した。それによって中・韓両国の日本政府攻撃も、ぴたりと止まったのである。

触れてはならないタブー

 冷静に振り返ってみるなら、猛烈な抗議を行った中国と韓国とは「国定教科書」の国。従って政府による教科書の統制管理を当然視していたに違いない。ついでに第三者の冷徹な限に中国の“底意”がどのように映じていたかを紹介しておこう。

 「中国は教科書批判によって、今後の経済援助の確保に戦略上の優位をかちとった。中国は日本の新たな戦争責任の告白を通して、日本からの信用供与と技術とを、いわゆる過去の(侵略)行為に対する償いとして要求できる…」(「南ドイツ新聞」1982年9月28日付)

 ところで私は、かねて教科書の文部省検定制を廃止した方がよいと考え、例の教育改革国民会議でもそう説いてきた。もし検定を全廃し、教科書の自由発行と自由採択制に改変するなら、中国や韓国による内政干渉さながらの教科書批判や介入はその根拠を失うはずだと思うからだ。

 政府の検定制が存続すればこそ、政府の出した「近隣諸国条項」に拘束され、文部省のみか外務省アジア局の一課まで教科書記述に目を光らせ、右往左往するといった情けない有様となるのではないか。そういえば、かつてこんなこともあった。98年11月16日付各紙によると、文部省教科書主任調査官が「近隣諸国条項のため日本は侵略して悪かったと書くことになった」と発言して処分を受けたという。確かにそれは粗雑な言い方ではあるにせよ、まるで「近隣諸国条項」はふれてならぬタブーのようでないか。

密室で秘密裡に採択

 参考のために各国の教科書制度を紹介するなら、(1)国定制。中国や旧ソ連・韓国・北朝鮮・メキシコなど。(2)検定制。日本・旧西ドイツ・スペイン・タイなど。(3)認定制。フランス・カナダなど。公権力の介入は極めてゆるやかである。(4)選定制。米国の約半分の州に見られるように州が教科書一覧表を作ってその中から各校に選ばせる。(5)自由発行・選択制。先進自由諸国の多くが採用する。教科書の自由発行を認め、社会の良識を前提に各校(および担当教師)の自由採択に任せる。(別枝篤彦「世界の教科書は日本をどう教えているか」白水社92年、参照)

 わが国も(5)の自由発行・自由選択制に移行した方がよい、と主張する理由は、他にもある。わが国における教科書採択の内幕を垣間見るからだ。この点について大阪府枚方市の社会科教師長谷川潤氏による詳細な報告(「正論」誌、97年2月号)は、極めてショッキングなもの。つまり、教科書採択権は各地の教育委員会にある。とはいえ採択の決定は、下部組織の「教科書選定委員会」の「指導と助言」による。ところがその組織を牛耳るのがその下部にある「教科書調査委員会」だというのだ。その委員会の成員の殆ど全部が日教組左派と共産党系の「全教」に属する“闘士”たち。彼らの教科書選定基準たるや、「反日度」が強ければ強いはど「良心的」な本だと見なされる。

 要するに文部省検定済の教科書から、そういう特定の政治イデオロギー集団の意向によって選定採択される、というのが実情のようである。その上、共産党の強い影響下にある「出版労連」が「教科書レポート」を出し、そうすることで教科書出版社に陰に陽に圧力をかけているという。

 もしも実情が本当にそうなら、教科書は陰湿な地下の密室の中で秘密裡に採択されるに等しいではないか。それなら思い切って教科書を“自由化”し、その採択を各校と担当教師の自由裁量に委ねた方が公正だと思うのだ。

 国の将来は、その国の教科書を見ればわかるという。そうであるなら、どんな教科書をつくり、どんな教科書を選んで次世代を教育するか、それは国民ぜんぶに課せられた重大な責務であろう。                                          (かつだ きちたろう)


<資料18>     わたしたちは何を失ったのか 3     (01.01.05 産経新聞)

カミナリ親父 怒鳴れなくなった中高年

 主義、生き方を貫く「教育の根本」

 「こら!何やってるんだ」しわがれた怒号が街に響き、子供が一目散に路地を駆け抜けていく。そんな光景は、ちょっと前まで日本の至る町で見られたような気がする。「いたずらをすると町のカミナリ親父(おやじ)にどなられ、家では親に怒られる。昔は町にカミナリ親父があふれていた。今は少なくなっちゃったねえ」懐かしむように語るのは、東京都葛飾区の市川享さん(70)。昭和30年代から、町内会長や地元小中高校のPTA会長などを務め、地域では自他ともに認めるカミナリ親父だ。昭和40年ごろの話だ。何度もいたずらをして、注意されても聞かない中学生を、バリカンで丸坊主にした。生徒を校長室に呼び出し、先生やその生徒の親の前で、「先生がやれば体罰で問題になる」とPTA会長の自分が片っ端から生徒の顔をひっぱたいた。「いきなり怒鳴り散らすわけじゃない。ちゃんと諭して、聞かなければやる。だから問題にもならず、親に『よくやってくれました』なんて感謝されちゃったよ」

 市川さんの持論は「自分の子供だけでなく町内、地域の皆が子供を育てる。これが社会教育」。町でも「まずあいさつしたり声をかける。間違っていることに気が付いたら注意するんです」。カミナリ親父が減っていることを、私たちは経験的に感じている。市川さんは「2世代、3世代同居の世帯が減少し、家庭のしつけができなくなった。ローンなどできゅうきゅうとして、大人たちが他人の子供どころではなくなった」と分析する。

 俳優、菅原文太さん(67)は「若い人には親でも近所の人でも先生でもいい、『悪いことは、悪いぞ』とバシッといわれたいという心理が潜在的にある」と考えている。しかし大人はみんな傍観するだけで、「バシッ」をやらないから、若者たちは欲求不満のようなものを感じてしまうのではないのだろうか…。菅原さんが子供の時代は、戦争の時代だった。自分たちを「伝統を継承されざる時代」と称する。「おれたちの時代は、戦争で規範とする大人たちの姿がなかった。貧しく、生活するのがやっと。伝えられてきた日本古来の美徳というか武士道というか、美しさと厳しさを内包した伝統みたいなものを継承しなければならないんだが、戦争ですっぽり抜け落ち、継承しようがなくなった」だが、人間は年齢とともに知恵をつける生き物だ。だから親父たちよ、胸を張って若者たちに範を示せ―というのが菅原さんの考え方だ。「人間は10代から、60代、70代と年をとってくれば若い時よりは知恵も深まる。振り返ってみると失敗だったとか、こうすりゃ良かったとかいうのはだれにでもある。日本人一人ひとりが自分で周辺の問題を直視し、自分が歩いていく道で規範を示すしかないんじゃないのかな」菅原さんは、著名人で組織する「雷おやじの会」会長を務めたことがある。

 カミナリ親父とは「自分の主義や生き方を持ち、それを貫く人」。著名人の父親などのエピソードを集めた「カミナリ親父のすすめ」(フォレスト出版)を書いた評論家の寺門克氏(65)はそう定義する。「家庭で言えば、父親が単身赴任や仕事で家にいないとかいう時間の問題じゃない。文部省の教育改革国民会議が『父親は一定の時間、家庭にいる配慮をすべきである』なんてこと言うが、そんなことじゃない。自分の生き方を一人ひとりが意識して、それを貫く姿勢を子供たちに示せば世の中は変わってくる」「今の親たちは多くが高度成長期に育った。世間との釣り合いで物事を判断し、自分の物差しを持たない。そこには自分の生き方はない。カミナリ親父というのは、親の自己主張のスタイルで、教育の根本というところがある」カミナリ親父の減少は、中高年男性の自信喪失と裏腹なのではないか。カミナリ親父が減っているのではなく、中高年の男が怒鳴れなくなっているということなのかもしれない。

 葛飾のカミナリ親父、市川さんは今も毎日、自転車で街を走りまわる。子供たちに声をかけ、怒る。そして信じている。「カミナリ親父というのはなくなっちゃいけない。悪いものを見逃していたら自分にも害が及ぶ。気が付いたときに悪いものを一つひとつつぶしていければ、世の中全体が幸せになる」      (江藤秀司)


<資料19>     わたしたちは何を失ったのか 7     (01.01.09 産経新聞)

美しい日本語 日本の価値観表す財産

 国際化の中で個性発揮し誇り再認識

 「日本語が、ここまで美しく響くものかと、感銘いたしました」東京都墨田区にある衣料品メーカー「久米繊維工業」の3代目社長、久米信行さん(37)は今でもあの時の情景を思いだす。平成10年10月。NHKテレビが、国際児童図書評議会世界大会で「読書の思い出」と題して基調講演された皇后陛下、美智子さまのビデオを放映した。「読書は、人生のすべてが決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても、国と国との関係においても(講演の最終部分抜粋)」お話しになる言葉のひと言ひと言が、胸の奥底に染み渡るように感じられたという。「あのような日本語に出合える機会が本当に減ってしまいました」と久米さんは話す。

 栃木県栃木市にある「近龍寺」の住職で、上野学園大学教授の松濤弘道さん(67)は10年1月、仙台市内で開かれた宗教学の国際シンポジウムで聞いた韓国の任東権・民俗学会名誉会長の日本語が忘れられない。「いまどき、こんな美しい日本語があるのだろうかと、耳を疑いました。他の日本人の学者のだれよりもすばらしかった。高齢の任先生は戦前に日本語教育を受けたのでしょうが、そのメリハリと格調の高い語彙がある日本語を私たちはどこに忘れたのだろうと恥ずかしくなるほどでした」

 NHKのエグゼクティブアナウンサー、国井雅比古さん(51)は、日本各地で方言を紹介する「ふるさと日本のことば」という番組を担当している。番組では毎回、全国各地の「21世紀に残したい言葉」が選ばれ、「かちゃくちゃね=落ち着かない(青森)」「おしょすい=恥ずかしい(宮城)」「はばかりさん=ご苦労さま(京都)」「せからしか=わずらわしい(福岡)」などがこれまでに各地元の支持を集めた。「方言には本当に豊かな語彙や表現があります。方言の良さを見つめなおそうとする機運が出てきていることを実感します。一時期はお嫁さんから『孫に方言を使わないで』といわれていたおじいさんやおばあさんが、孫に方言でお話をするような光景がまた多くみられるようになってるそうです」国井さんは、こんな光景にこそ「日本語の美しい姿が見て取れる」という。

 東京都中央区をエリアに2年半前に開局したコミュニティーFM局「ラジオシティ84・0」は、基本方針を「美しい日本語」にしている。「乱雑な言葉や、聴取者をバカにしたような言葉を平気で使う最近の放送を聞いていてムシズがはしる思いでした。そこで『美しい日本語』をあえて前面に出しました。パーソナリティーにもこの方針を伝えて番組を担当してもらっています。なかなか完全とはいかず、首をかしげる方もいるかもしれませんが、少しでも理想に近づこうと思っています」。泉眞躬(まゆみ)社長(56)はこう話している。

 NHKや日本テレビなどで長年活躍し、81歳の現在も「東京アナウンス学院」の講師を務める茂木太郎さんは「模範であったはずのテレビやラジオのアナウンサーは模範でなくなった。バラエティー番組の変な言葉の影響も大きい。言葉にうるさい人も少なくなったし、きちんと話せるようにするしつけも教育もない。小学校の先生でもちゃんと話せない人が少なくない。美しい日本語を求めるのは難しい」と嘆く。

 美智子さまの日本語に感動した久米さんは米国の大統領選をみて「負けっぷりがいい」「いさぎよい」という日本語に相当する英語について、知人の著名な経済学者らと話し合った。だが、英語圏の学者に聞いてもなかなかいい訳語はみつからなかった。「日本人の持つ価値観を見事に表しているからこそ適当な訳語がみつからなかったのでしょう。これが日本語の財産です」と、久米さん。「妙な若者言葉や外来語がはんらんする中、美しい日本語を心がけることは個性の発揮であり、貴重な価値です。国際化の中でも英語万能だけではない誇れる点だと思います」久米さんは失われつつある日本語の「美」に改めて思いをめぐらすのだ。(近藤豊和)

 【メモ】文化庁が平成12年に行った「国語に関する世論調査(全国の16歳以上の男女3,000人対象)」によると、85.8%の人が「今の国語は乱れている」と回答。乱れの理由は、「言葉遣い」「若者言葉」「敬語の使い方」が上位だった。「国語に関して困っていること」という設問では、「外来語、外国語の意味が分からないことがある」「流行語や新しい言葉の意味がわからない」という人がいずれも4割を超え上位だった。


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