映画館がやってきた!
映画鑑賞記
ホワイト・アウト
■DATA
Story
雪に閉ざされたダムをテロリストが占拠して50億を要求するが、 偶然人質を免れたダムの運転員富樫(織田君)が一人で彼らに立ち向かう。
感想
[2000.8.20 VC市川#1] ★☆
TAXi-2が面白かったので、勢いでもう一本見ることにしてホワイト・アウト。
ちょうど「踊る大捜査線」のDVDに合わせてTVシリーズの再放送があり、それと 織田くんつながりでホワイト・アウトの特番があったり、「日本映画の枠を越えた超大作」 なんて宣伝文句にも吊られて…
率直に言ってストーリーはなかなか面白いけれど、じわっとストレスを感じる 作品で「ビジュアル的なカタルシスに乏しい」というところか?
舞台は吹雪に閉ざされた新潟の巨大ダム。一面の銀世界だが、悪天候のために 暗く重い画面で、シチュエーションからしてそうあるべきなのかも知れないが、 見る側のストレスは重い。画面がよく見えないシーンが多すぎ。
雪の晴れたシーンでも、山中をスノーモービルで追いかけるシーンがあり、 ダムに対する犯人の位置関係が本編の謎解きに関する重要な意味を持っている のだが、どこを見ても白い山で、あちこちに散らばった登場人物の誰がどこに いるのか、全然判別が付かない。
犯人との距離感が掴めないと、時限爆弾のタイマーのカウントダウンにも 緊迫感が乗らない。間に合うのか駄目なのか、客に想像が付かないから。
富樫の武器は「ダムを知り尽くしている」という地の利が大きい。 犯人にとってはまさに神出鬼没だが、観客に与えられる情報も犯人と あまり変わらないので、富樫が作戦に成功したときにも 「わけの分からないことが起きた」という犯人の気持ちに近く「やったぞ」 という爽快感が沸きにくい。
せめて捜査本部のシーンに、ダム関係施設の詳細な図面を用意して 観客に情報を与えるとか工夫が欲しい。
「特撮に頼らない」という発言がTVのインタビューにあったが、確かに 猛烈な吹雪の中での撮影は「体を張っているな」という感動もあるが、 あそこまで何も見えないのなら、スタジオ撮影でも良かったんじゃないかと 感じるのも事実だし。ダムのキャットウォークでの格闘も見せ場だが、本物 のダムで撮影する必要はなくて、グリーンバック合成ならもっと派手に エンターテイメントできたんじゃないかと感じる。
「トンネルを歩いて脱出する富樫を後ろから水が襲う」のシーンには おそらく合成が使われているのだろうが、こういう客が期待するシーンも もっとたっぷり見せて良いんじゃないか?
小説では行を改えて「気が付くと河原に倒れていた」で良くても、 映画的には花が欲しいと思う。
予告編にも使われているヘリの墜落シーンも、ハリウッドなら 無闇やたらと大爆発させるシーンだろうが、実にリアルなちょっとした 発火程度。しかも雪にまみれてもやもやとしか見えない。歯がゆい〜(^^;
銃の安全装置の外し方も知らない普通の男に過ぎない富樫が、必死に 知恵を絞ってテロリストに対抗するストーリーは実にスリリングで面白い。
しかし、警察の描き方がどうしても「踊る大捜査線」に比べて面白くない。 主役は富樫、その他は添え物で良いのかというと、違うと思う。
この作品でも、地元警察、県警、警察庁などが登場し「無能な警察官僚、 老練な地元警察のたたき上げ所長」の対立の構図が描かれるとなると、 それがストーリーの幹ではないとしても『踊る大捜査線』と比較するな といっても無理な話。
本編では、本庁の人間は単なる引き延ばし工作しか出来ない 「象徴的に無能」な役どころで、老練な地元警察署長が一種の名探偵役を 果たし、 テロリスト集団の秘密を発見する。これは、良い役だと思うのだけれど、 所長のそこに至るまでの存在感が弱く、謎解きは些か唐突な感じがして、 対策本部の主役を無能な本庁の刑事から取り返した感じは無く、 残念ながら、探偵所長の存在は生きていない。
そして、主人公で実質的に全ての問題を一人で解決してしまう富樫は、 警察の推理などとは無関係に敵をやっつけてしまうので名探偵も結局は 外野でしかない。結果、警察の空振りの印象だけが残る。
犯人の要求による48時間(だったかな?)のタイムリミットがありながら 「映画の中の 時間経過」が犯人のセリフの中にしか無く、絵として感じられない のもマイナス。刻一刻と迫る時間という流れも弱いし、48時間のうち どの辺にいるかという描写も、時計は頻繁に映るがただそれだけの ことで、アナログな「流れ」の描写が弱い。
この物語はダムを爆破から救うところがクライマックスで、当然 爆発は無い。時限爆弾を止めてハッピーエンドの作品はハリウッドにも たくさんあるが、このカタルシスの不在は何故だろう。
ダムが破壊されれば20万人が犠牲になるという言葉に、実感が湧か ないからか、なにしろ、ボタンはリモコンで主人公の格闘はダムから 遠く離れているし、ダム自体が人里離れてまるで無人の山中であり、 たとえ爆破されたとしても実際の被害は数十分後に初めて具体化する という猶予の存在が緊張感をそぐのだろうか?
「日本映画最大のスケール」という宣伝文句については、巨大なダムと 山をロケ地に、本物の吹雪の中で撮影を決行したということで、 恐らく凄いことなのだろう。しかし、密室のトンネルや、 一寸先は闇(白)という吹雪の 世界をどんなに走り回っても、映像の上では閉塞感しか無い。絵の無い 小説の上でこそ、巨大さが表現される世界なのかも知れない。
そういう意味で、なまじ自然を描くよりは、テロリストと富樫の 戦いだけに集中して派手なヒーロー物にしてしまった方が気持ちよかった のかも知れないと思えてくる。
テロリストの親玉が、ラストでどうしようもない小物に成り下がって しまうのもいただけない。敵が非人間的なまでに大きな存在で有ってこそ 勝ってカタルシスを得られるというのが当然だと思うが、それが無い。
原作の中で描ききれなかったものと、映画に向かない部分を 映画にしたものと、その二つが大作をぎゅっと縛って自由を奪ったような そんな作品だった。結局脚本の力不足なのだろうか? 「きっと小説は面白いんだろうなぁ…」と思ったのだから。
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公式ページ
『踊る大捜査線』
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文:唐澤 清彦
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