映画館がやってきた! | 映画鑑賞記 |
戦争に引き裂かれた男と女の愛の物語。 |
ロシアの担当高官に案内された地は、見渡す限りのひまわりの原。
その木、一本一本の下に雪の中で死んでいったイタリア兵、ロシア兵
たちが無数に眠っているのだという。
何という悲しいひまわりだろうか…。
また別の丘には、見渡す限りの十字架の原。夏のロシアの大地が
心だけ真っ白な雪に閉ざされたような、そんな悲痛なシーンだ。
「ここには生きたイタリア人は一人も居ませんよ」と止められるが、
それでも女は一枚の写真を手に探し続ける。
だが、彼女の探索行には意外な結末が待っている。
戦争が引き裂いた愛、時が引き裂いた愛。
ラストシーンのマストロヤンニの悲しい目と、ソフィア・ローレンの
強く美しく、しかし悲しみに耐えた年月に曇ったような瞳を見て
思わず涙ぐんでしまった。そしてまたラストはどこまでも続くひまわり。
この作品は当時のロシアに始めて外国のカメラが入った作品だと言うが、
戦争をテーマにしながら徹底的に悪役がおらず、「戦争が悪い」という
視点を貫いている。
ソフィア・ローレンは行く先々のロケ地で大歓迎だったとも聞く。
これも、作品の戦争の描き方が敵を作らなかったせいだろう。
多くの戦争テーマの映画は必ず悪役が居て、ドイツ人は極道だとか、
日本軍なんかが出てきた日には正視に耐えない思いをすることが多い。
けれども、本編ではイデオロギーも何も一切描かず、ただ、戦争という
状況の中でいかに生きたかが描かれる。
イタリア兵も、ロシア兵も同じ大地に葬られ、兵士たちの戦いはあっても
倒れているイタリア兵を必死に救うロシア娘や、戦後この地にとどまり
ロシア人として静かに暮らすイタリア人の姿、彼を捜す旅の先々で親身に
写真を見てくれる現地のおばさんたちなど、一人一人、個人の中には
憎しみも戦う理由もなかったことが繰り返し描かれている。
だからこそ、純粋に戦争の悲しさが伝わってくる。
第二次世界大戦をテーマにした映画の多くには憎悪と国威発揚があるし、
ベトナム戦争をテーマにした者は、狂気を病む人の話が多い。こんなふうに
静かな悲しみだけが伝わってくる作品はほんとうに貴重だ。
それにしても、こんなふうについ長々と情景描写を書き写して しまうのは一つ一つの情景が美しく印象的だからなんだなぁ(^^;
タイトル | 年 | 監 督 | 共 演 |
甘い生活 | 60 | フェデリコ・フェリーニ | アニタ・エクバーグ |
汚れなき抱擁 | 60 | マウロ・ボロニーニ | クラウディア・カルディナーレ |
81/2 | 63 | フェデリコ・フェリーニ | アヌーク・エーメ |
昨日・今日・明日 | 64 | ビットリオ・デ・シーカ | ソフィア・ローレン |
あゝ結婚 | 64 | ビットリオ・デ・シーカ | ソフィア・ローレン |
恋人たちの場所 | 69 | ビットリオ・デ・シーカ | フェイ・ダナウェイ |
ひまわり | 70 | ビットリオ・デ・シーカ | ソフィア・ローレン |
結婚宣言 | 70 | ディーノ・リージ | ソフィア・ローレン |
哀しみの終わるとき | 71 | ナディーニ・トランティニヤン | カトリーヌ・ドヌーブ |
ひきしお | 71 | マルコ・フェレーリ | カトリーヌ・ドヌーブ |
女の都 | 80 | フェデリコ・フェリーニ | アンナ・プルクナル |
ジンジャーとフレッド | 86 | フェデリコ・フェリーニ | ジュリエッタ・マシーナ |
黒い瞳 | 87 | ニキータ・ミハルコフ | マルト・ケラー |
インテルビスタ | 87 | フェデリコ・フェリーニ | アニタ・エクバーグ |
みんな元気 | 90 | ジョゼッペ・トルナトーレ | サルバトーレ・カシオ |
文:唐澤 清彦 | 映画館がやってきた! |