映画館がやってきた! 映画鑑賞記

ひまわり

■DATA(1970年/イタリア/107分/MONO/カラー/ビスタサイズ)
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ,脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ,アントニオ・ゲラ,ゲオルギ・ムディバニ
音楽:ヘンリー・マンシーニ,製作:カルロ・ポンティ,アーサー・コーン
出演:マルチェロ・マストロヤンニ,ソフィア・ローレン,リュドミラ・サベリーエワ,ガリナ・アンドリーワ

Story

 戦争に引き裂かれた男と女の愛の物語。

感想

[2000.12.14] ★★
 タイトルバックの音楽と一面のひまわりが、美しくも悲しい物語を予感させる。
全編に繰り返し流れるヘンリー・マンシーニのテーマ音楽は、心に染み込んで くるような美しさだ。
 一転して場面は戦争で行方不明になった兵士を調べる役所で叫ぶ女(ソフィア・ローレン)。
 行方不明の男(マストロヤンニ)と探す女は、休暇中の浜辺で 出会い深い恋に落ちるのだが、彼はまもなくアフリカ戦線に立たなくてはならない。 行きずりの関係に終わりたくない二人は、結婚して12日の休暇を貰う ことにする。
 時がたつのも忘れるほどに愛し合う二人の描写は直接的に濃厚 ではないが、限られた時間を必死に愛そうという切実な思いがにじみ 出ている。
 やがて休暇も終わり、一計を案じ気が狂った振りをしてアフリカ行きを 逃れようとするが、医師に見破られロシア戦線送りとなる。
 残された女と彼の母。やがて戦争は終わるが男は帰らない。
 軍の窓口でも生死の確認が取れないまま、彼の写真を手に、ロシア 帰りの汽車のターミナルで消息を訪ねる女の前に、吹雪のロシア戦線で 敗走の道行きに彼と一緒だったという兵士に会う。
 答えは絶望的だった。彼は雪の中で倒れ、それきり会うこと はなかったと。
 回想の中で延々と映し出されるロシアの白い大地。敗走を続けるイタリア兵、 丘の後ろから突然現れる赤旗と激しい銃撃。命からがらの行軍の中 力つきて倒れていく兵士、やがて静かな雪原に転々と散らばる人影が 遠ざかる。
 ほとんどは雪など見たこともないだろうイタリア人が死んでいく姿と 「あそこに行ってみた者でないと、あの地獄は分からないだろう」と つぶやく男。  望みは果てしなく微かだったが、彼の生存を信じる彼女は一人でロシアに向かう。

 ロシアの担当高官に案内された地は、見渡す限りのひまわりの原。
 その木、一本一本の下に雪の中で死んでいったイタリア兵、ロシア兵 たちが無数に眠っているのだという。
 何という悲しいひまわりだろうか…。
 また別の丘には、見渡す限りの十字架の原。夏のロシアの大地が 心だけ真っ白な雪に閉ざされたような、そんな悲痛なシーンだ。
 「ここには生きたイタリア人は一人も居ませんよ」と止められるが、 それでも女は一枚の写真を手に探し続ける。
 だが、彼女の探索行には意外な結末が待っている。
 戦争が引き裂いた愛、時が引き裂いた愛。
 ラストシーンのマストロヤンニの悲しい目と、ソフィア・ローレンの 強く美しく、しかし悲しみに耐えた年月に曇ったような瞳を見て 思わず涙ぐんでしまった。そしてまたラストはどこまでも続くひまわり。

 この作品は当時のロシアに始めて外国のカメラが入った作品だと言うが、 戦争をテーマにしながら徹底的に悪役がおらず、「戦争が悪い」という 視点を貫いている。
 ソフィア・ローレンは行く先々のロケ地で大歓迎だったとも聞く。 これも、作品の戦争の描き方が敵を作らなかったせいだろう。
 多くの戦争テーマの映画は必ず悪役が居て、ドイツ人は極道だとか、 日本軍なんかが出てきた日には正視に耐えない思いをすることが多い。 けれども、本編ではイデオロギーも何も一切描かず、ただ、戦争という 状況の中でいかに生きたかが描かれる。
 イタリア兵も、ロシア兵も同じ大地に葬られ、兵士たちの戦いはあっても 倒れているイタリア兵を必死に救うロシア娘や、戦後この地にとどまり ロシア人として静かに暮らすイタリア人の姿、彼を捜す旅の先々で親身に 写真を見てくれる現地のおばさんたちなど、一人一人、個人の中には 憎しみも戦う理由もなかったことが繰り返し描かれている。
 だからこそ、純粋に戦争の悲しさが伝わってくる。
 第二次世界大戦をテーマにした映画の多くには憎悪と国威発揚があるし、 ベトナム戦争をテーマにした者は、狂気を病む人の話が多い。こんなふうに 静かな悲しみだけが伝わってくる作品はほんとうに貴重だ。

 それにしても、こんなふうについ長々と情景描写を書き写して しまうのは一つ一つの情景が美しく印象的だからなんだなぁ(^^;



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文:唐澤 清彦 映画館がやってきた!